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ご無沙汰しています。中々ハードな日々を送っていたため、更新が滞ってしまいました。さて。3月の段階での手術と医師からの「再発」の言葉ですが、結論から言えば、その時の再発は再発ではありませんでした。腫瘍が壊死したことを、業界用語的なもので「再発」と呼ぶことがあったため、今回そのような単語を用いて説明してしまった、と言われました。その言葉を受けても腑に落ちないものだったのですが……、とりあえず再発ではなかったとして、退院後は現在にいたるまで、再び抗がん剤と電場治療の療法を合わせた治療を行って
8月23日に亡くなった愛する奥さん。R6.2.23で命日から半年経過しました。世の中は何事もなかったように時は流れていますが、僕は世間の流れに取り残されているような感覚が続いています。僕がブログを書き始めたのは、まだ小さいチビ(病気発覚当時はまだ幼稚園児)にお母さんの闘病をいつか知ってもらうための記録的なブログですが、もう一つのきっかけは誰かの参考になればと思い、始めたものでした。今回の記事は、奥さんの脳腫瘍が発覚し、約2年の闘病の末、天国への旅立ち。この全ての過程を、後日になって冷静
まず初めに軽く自己紹介をしようと思う。私は膠芽腫を患った母の娘。32歳の専業主婦だ。夫と二人暮らしをしている。母は今年56歳。看護師をしている。隣県で父と二人で暮らしている。父と私、そして夫の手を借りながら、これから母の闘病をサポートしていこうと思っている。最初の違和感母に違和感が生じたのは8月末。私が、お盆の帰省をずらして実家に夫と共に帰ると、母が少し困ったような声で言った。「何か右足がピリピリするんだよねえ。走りすぎて神経が変になったのかな?」
10月26日で、治療を開始して約2週間が経過した。先週は私が風邪を引いて、月曜日しか顔を見に行くことはできなかったが、一度投与を中止していた抗がん剤も再度飲み始めているので、治療はおおむね予定通り進んでいる。2週間が経過したころから、少しずつ母にも変化がみられるようになってきた。以下で詳しく記載しようと思う。その前に。ありがたいことに、こんな取り留めのないブログでも読んでくださっていたり、いいねを下さったり、フォローまでして下さる方がいるらしいことに気づきました。本当に心強い
あけましておめでとうございます。今年も何事もなく、いつもどおりの1年になってくれたらなあと思っています。新年早々の震災もあり、落ち着かない日々が続いていますが、どうか穏やかな日々になりますようにと願っております。11年前の震災を直に経験した身として、微力ながら募金などをしています。さて。更新がだいぶ途絶えがちになっていますが、母は元気に過ごしています。12月23日の通院の際から、電場治療と抗がん剤治療がスタートしました。入院中は毎日飲んでいた抗がん剤ですが、外来治療で
フミヤ君とちえみちゃん、、、先天性のパテラが悪化したのでは、、、という見解です。トイプードルは膝や大腿骨に何らかの異常がある仔が多いですね。ここまでの仔はなかなか表には出てこないけど繁殖場ではたくさんこのような仔が居ると思います。一見何事もなく、何十万もの価格がつけられペットショップで売られ、家庭に迎えられた仔でも迎えてから1歳になるまでに、大腿骨頭壊死症(レッグペルテス)やパテラを発症する仔がかなりの確率でいます。トイプードルの赤ちゃんを買われる方はその後更に
遅くても翌日には~~なんて言って、ばたばたと日々をこなしていたら翌々日になってしまった。母はこの頃、放射線治療と抗がん剤の投与がはじまり、少しずつ副作用が出ているようだ。私が面会に行かない日は日がな一日寝て過ごしているらしい。これまでを忙しなく過ごしてきた人だから、ただねて過ごすということに途方もない違和感と過ごしづらさを感じているようだが、私としてはできるだけゆっくりと過ごし、養生してほしい限りだ。さて、先日の続きから書いて行こうと思う。いざ、大学病院へ10月3日の
ちょっと間が空いてしまったが、先日の11月24日、母が大学病院を退院した。30回の放射線治療が終了したためだ。当初、放射線治療が終わる頃には腫瘍が大きくなることもあると言われていたが、腫瘍はめだった成長もなく、大きさは変わらないとのことだった。変化していない、という意味では、腫瘍の拡大を防げたということでいい効果だったのではと思う。退院直前に撮ったMRIの画像では、腫瘍の真ん中に黒い空洞ができ始めているということだった。じょじょに空洞が大きくなり、腫瘍が小さくなるだろうと言われた。しか
こんばんは。最近の母ですが、手術から一週間ほど経過し、リハビリが始まりました。動かなくなっていた脚の調子もよく、月曜に面会へいくと自分の脚で歩いて面会場所まで来てくれたのでとっても嬉しかったのです。母の言動の調子もよく、手術したおかげだね〜〜なんて言っていたのですが……。ここ数日、医師の口から不穏な言葉が出ている模様……。摘出した部分の腫瘍が「再発したものだった」と言われたそうです。医師が多忙のため、詳細はまだ説明いただけていません。また、摘出したのは腫瘍の9割ほどのようなのですが
こんにちは。母の放射線治療と抗がん剤投与が始まって、1週間が経過した。早い様な、ようやっと1週間が経過したような……。不思議な気持ちだ。こうしているうちにも、母の脳に発生した膠腫は進行しているだろう。できるだけ早く、そしてしっかりと小さくなってくれることを毎日願っている。さて、今日は治療に関する経過について記載していこうと思う。はじめの1日~5日目に関して(2023年10月16日~10月20日)初めのうちはまだ母も元気で、面会に行くといろんな話をして気分転換
本日、母の面会へ行ってきた。月曜日に面会へ父親と行った際は、右目が見えなくなったことなども相まってとても具合が悪そうだったが、今日は比較的元気そうで、車いすではなく自分の脚でしっかりと歩いていて少し安心した。放射線治療が折り返しを迎えたということで、面会時間の少し前にはMRIをとったらしい。次に撮るのは放射線治療が終わった後になるようなので、中間検査的なものなのだろう。また、今日は母が髪の毛をバッサリと切った日でもある。帽子から少し見える部分の髪の毛はもうほとんど抜けている
ご訪問頂きありがとうございます。大津市坂本🎹音色が変わるピアノ教室✨ラプリマ音楽教室上田明美です。本日はヤマハ3級の指導グレードで最も点数が伸びないといわれる「混声合唱編作」について絶対に落としたくないポイントをお話したいと思います。どうやら、合唱編作の採点で「この書き損じは-5点」という考え方ではなく、全体の出来として☑よくできていたら85点☑普通に問題なければ70点☑合唱編作として抑えるべき項目が最低
ご無沙汰しています。年始、そして1月中旬の検査ではあまり変わりが無かった母ですが、2月になってから一変しました。かねてより右目が見えづらいと言って、医師からはプレドニンを処方され緩和させていたのですが、ずっと飲み続ける分けにも行かない薬らしく、先月より処方を減らされ様子を見ている状況でした。また、抗がん剤の副作用が結構きつかったらしく、飲み始めてから数日間飲まず食わずで寝込んでいたとも聞いています。連絡が途絶えると具合が悪い状態が続いているときでしたが、心配をかけたくないという母
治療をやめた後、なんで私のところには赤ちゃんが来なかったのだろうか…とよく考えていました。私がダメ人間だから、私のような人間の遺伝子は残すなって神様が判断したのよ、と主人にはよく冗談で言ってましたが、そうではないはず(笑)おそらく、生殖というのは、現代の進んだ医学をもってしても、人間がコントロールできる領域ではないのかも知れませんね。それと、私のどこかに、高齢という事実以外に、現代の医療では解明できない何かしらの不妊の原因があったりしたのかな…と思ったり。私の知人で治療を
先日、母の手術が無事終了しました。入院手続きのため、土曜日に父と夫とともに病院へ。すると、医師が待っていてくれました。土曜日なのに待機してくれていたらしい。娘さんにも詳細を説明させてください、とおっしゃっていただいたので、夫と一緒に話を伺うことに。父はその間、母の入院手続きをしていました。医師から聞いた現在の母の状況。・原発部分の腫瘍に抗がん剤が効いていない・原発腫瘍のせいで脳がむくんでいる・手足の動かしづらさ、目の見えなさはそれが原因・もう一箇所にある目立った腫瘍は、放射
今日、洗濯物を届けに行くがてら母に会うことができた。先日電話で言われたことの詳細を聞くために行ったというのもあるし、気落ちしている母が心配だったということもある。原則土日祝日の面会は禁止であるが、今日は来て良いと言う許可が下りたため、行って来たのだ。コロナ禍がまだ続いている状況で面会には制限もあるが、比較的柔軟に対応してくれるのでとても助かっている。救急センター側からそっと入り、名前などを記載し、警備員さんに首から下げる面会証明書を貰い会いに行った。行く直前、「和菓子と何か食べ
8月末から、身体に違和感があった母が、10月に入って入院した。病名は生検の結果「膠芽腫」であると判断されている。神経膠腫が発達したものではなく、脳に発生した腫瘍ははじめから膠芽腫だったらしい。とつぜんグレード4といわれる膠芽腫を患った母を、これからささやかではあるがサポートしていこうと思っている。それにあたり、備忘録としてブログを書き記すことにした。ブログをはじめようと決意したことには他にもいくつか理由がある。膠芽腫と判断された母を支えるにあたり、さまざまなサイト、本
夫の脳腫瘍発覚時の説明もまたまた早足で…2010年息子の脳腫瘍発覚から約半年後息子が術後1回目の抗がん剤治療で入院中、主人が偏頭痛外来を受診した所脳腫瘍が発覚その当時、仕事も忙しい中私を気遣って息子の入院の付添いを交代してくれたりと相当無理をしていた夫中学の頃から偏頭痛持ちの夫の頭痛がまさか腫瘍のせいだとは思いもしなかった急いで息子の主治医であるI先生を捕まえて画像を見て貰う事に画像を見たI先生から悪性の脳腫瘍で間違いないだろうとの事でそのまま緊急入院主人は大人の病棟、私と息子は
今日正式な診断名が出ました。グレード4の膠芽腫だそうです。来週から放射線とテモダールを投薬して終わったら家に帰れるというお話でした。長くて一年くらいだそうです。少し調べていたのと一週間前に海綿状血管腫だと思って行った手術の時に悪性の腫瘍らしいと言われていたクッションがあったから少し衝撃は緩やかです。けれどとうとう現実になるんだという思いが強いです。どこかで子供は助かる気がしていました。けれどそうじゃなかった今日子供のうすーくなった手相を見て思いました。生命線が親指の付け
先日、医師から「遺伝子パネル検査の提出は水曜~金曜辺りを目途に~~」という話をされていたのだが、三連休中の真ん中の土曜日に連絡が入り、「やっぱり月~水曜日の間にします☆」と言われた。そのため、本日父が来てバタバタと一時的な退院手続きを終え、母が久しぶりに外に出た。「風が気持ちいい~~~!」とご機嫌な母。先週の様子だと具合が悪そうだったので心配していたが、放射線治療や抗がん剤投与に身体が慣れ始めたのか、今週は滞りなく治療ができ、体調も安定していようだ。私の自宅近くまで父と来
はじめまして、ダイスケと申します。悪性(グレード4)の脳腫瘍(神経膠腫)の初期治療、放射線と抗がん剤が丁度全日程2023年12月22日〜2月7日のほぼ半分終わったので、日記でもつけてみようと思いブログはじめてみることにしました。1人で悶々としていてもいけないので何かしらアウトプットしたくなりました。今日は朝3時30分に、目が覚めて4時30分までうたた寝。スマートウォッチの睡眠分析だと8時間は寝れてるらしい。金曜日頃から少し気持ち悪さが出ていたが、今日はそんなに酷く無い。朝起きて、い
しばらく間が空いてしまった。母と離れて暮らしていることと、入院生活をサポートする生活が終了したため、手持ち無沙汰状態になっているのだ。母は幸い、退院後も元気に暮らしているようだ。今日は料理をした、とか、掃除洗濯ができた、だとか、楽しそうに、嬉しそうに話している。そういった何気ない日常を送れることが幸せなのだと実感しているらしい。時折、放射線治療の影響で「今時分が何をしているのか」「手に持っているもの」「今しがたまでしていた行動」などを唐突に忘れることがあるらしいが、父がサポート
だーさんが病室に戻ってきた。行きは歩いていったのに、帰りはベッド。でも、局所麻酔だったから、起きて帰ってきた。「痛い。」と言ったり、起き上がろうとしたり、ちょっと興奮状態なように思った。すぐに主治医のM先生が病室にきて、「ちょっと、話できるかな。」と呼ばれた。だーさんは看護師さんにお任せして、面談室へ向かう。初診日の日には、早口だなーと思ったけど、、面談室に向かう足取りは、早足だなーと思った、、M先生と、レジデントのY先生。まずは、予定より時間がかかった理由。手術
担当の先生との面談でした。急遽切開手術になった部位から取り除いたものです。かなり多いみたいです。結構痛みを我慢してたと思いますと言われました。脊髄造影CT写真、術前、術後の写真、3D写真、手術中の写真、全て見せていただきました。術後のCT写真を見せてくださるので、安心しました。※料金はかかりますが、術後の写真を見ることはとても大事だと思いました。PLDDの箇所は効果が出るまで半年はかかるとのこと。(これは、術前に了承済み)多発性ヘルニアのため、今後も別の部位で起こる可能性はある。
ご訪問頂きありがとうございます。大津市坂本🎹音色が変わるピアノ教室✨ラプリマ音楽教室上田明美です。ヤマハグレード3級で出てくる複雑なコードネームたち。これを使いこなせると、伴奏付けやコード進行法の科目で役に立ちます。本日は減5短7の和音(導七の和音)について。こちらが減5短7の和音の一例。コードネームだとと書きます。音程の分かる方なら、根音から第5音(レ→ラ♭)までが減5度根音から第7音(レ→ド)