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本当に久しぶりにブログを書いています。もう4ヵ月ぶり位かしら…。その間は仕事が忙しくてなかなか書けませんでした、やっと落ち着いてきたので書こうと思います土曜日は長野ライブでした。朝出かけに息子が降りて来て~「あっ、母さん今日仕事は?」「母さん今日はジュリーなの有給取ったのよ、ずっと前に。」「そうなんだ~。」「今日は東京?」「今日は長野なの。」「じゃ、松本のおばちゃんと行くの?」「ううん、今日は松本おばちゃんは忙しくて休めないみたい、一人で行ってくるよ❗」「そうなんだ~。」
今日の朝のミルミル家「あっ、おはようございます」と私が言ったか、言わないうちに、うちの主人が新聞を見ながら~「おっ、今日、ジュリーがテレビ出るぞ。」「知ってる、録画した。」「いつから~、知ってた」「1ヶ月位前から…。」「そりゃ、そうだよな~○○○に聞けば、沢田研二のことは絶対にわかるよね。」「えっ、そんなことないよ~、知らないことだってあるよ。」「でも何で」「新聞の裏のテレビ欄に載ってるよ、」「えっ~、いつもの真ん中あたりの今日の見所じゃなくBS
書きたいことも書けないこんな人生なんて-poison~~~•*¨*•.¸¸♬︎😭(poison替歌)クーキーの事、書きたいけど書けない、まぁ書いたようなものだけど……何で何十年も胸に秘めておかないといけないのだ、そんなに大した事じゃ無いけど……クーキーのバカ。墓場まで持って行く事って誰でもあるものよね(><。)⬆ちょっと大袈裟だけど💦まあ、あれやこれや人生で起きたことはいくつか有るよね。なかかな?最近、なんだか寂しんだ。片思いの初恋なんだから秘めておけばいいのに苦しいんだよね〜儚い
昨日(2/26)のアクセス数が急上昇で4966件音楽レビュー3位アクセス数は、多ければいいってものではないが、、、原因が気になるではないか!4,966件の1位が、2022年10月14日に書いた「オックスの赤松愛、天国に逝ったのか!」で、3,832件(86.6%)この日書いた女子バレーボール関連ではないかと思ったが、#のついたブログ記事が1,110件でしたね!一方、2/25(日)に「まいどなニュース」GSマニアの中将タカノリさんの記事「僕と愛を引き離したい人
Facebookでジュリーやタイガースの昔の画像とかupしてるとこあってよく見ててたまにいいねしたりしてそしたら今日加橋かつみさんから友達申請来てて驚いた😳タイガースやでー😳いやはやほんまクリビツテンギョウ。
今日は~姉の当時の日記が出てきたので引用します「1970(昭和45)年3月27日~今日はジュリーの京都の実家に行って来た。というのは、万国博覧会の途中で、京都に行って~それからタクシーでジュリーの実家に行ったので、2500円もかかってしまったけど、悔いはなかった。ジュリーの家は小さな、言っちゃ悪いけどあまりいい家ではなくて、庭がとても狭かった。けど~ここにジュリーが小さい時から住んでいたんだなと思うとなんだかグーな気持ちになった。家に行ったら、ジュリーの妹がいた。そ
わぁ~んなんで文ちゃん、こうなるわけこれは毎日楽しみに見ている「カムカムエブリバディ」ので中の一コマの出来事です。ひなたに求愛するのかとおもいきや別の人と結婚してしまう文ちゃんちょっとショックでしたね・・これは朝の連続テレビ小説のお話しです。見ていない方は何の話しって思うかもしれませんが、主人公のひなたと結ばれてアメリカで、るいのお母さん(ひなたにとってはおばあちゃん)を探し出すんじゃないかって思っていました。来週で終わりなので、どういう展開になるのか楽しみにした
勿論、毎日クーキーの事は考えるし思い出すでも、今の脳は病気に占領されてる😭ブログを始めて手術をするまでは毎日クーキーのことを思い出し後悔と胸が苦しい日々が続いたアダムスの封印を解いた事を後悔するほど苦しかったけど最近は病気の事ばかり考えてるそして痛いのだ(ฅㅂ*)ゞイテテ…その為クーキーの事を考える時間がものすごく減った時々、歌を聞き声、姿、髪、表情、目、仕草を思い出し胸が締め付けられるあのクーキーに会いたい♥️肝臓の検査検査前の問診で・仰向けが坐
川村さんというのはケイダッシュの会長で、バーニングプロと田辺エージェンシーの副社長。これが川村龍夫さん。昭和16年生まれだから、今年78歳。石川次郎より一歳年上。この人はきちんとしていない人間には恐い人である。ジャニー喜多川なきいまや芸能界、最大のドン。ケイダッシュというのは渡辺謙など実力派の俳優たちが所属する事務所。川村さんとは50年前からの知り合い。会ったのも久しぶり。オレはこの人と大の仲良し。前はよくキャンティで顔を合わせた。オレがあまり山手線のなかに行かなくなったので、
沢田研二のアルバム「G.S.ILOVEYOU」はジョン・レノンが凶弾に倒れた1980年12月にリリースされた。このアルバムは新進気鋭の佐野元春とベテラン作曲家をライターに迎え、グループサウンズの最新鋭のサウンドを作ろうとする試みだったのではと推測する。佐野元春が当時影響を受けていたであろうスプリングスティーンぽいロックンロールというより、ブリティッシュロックの、それもパブロックに通じるある意味先祖返り的でありながらニューウェーブにも近いサウンドだと感じたものだ。特にこのアルバムのサウ
そして~急な階段を急いで駆け降りていくと~そこはちょっと薄暗い~どれ位の人が入れる空間だったんだろう?多分400人位座れる空間~立ち見をいれると500人位入れたのか?記憶は定かではありませんが・・・もちろん私達は当日券なので座れるはずもなく壁の脇の通路に姉と一緒にみんなと押されながら立っていましたそしたら~、なんと一番前が3つ席が空いているではありませんかだんだん開演時間は迫っていますそこに~ジュリ-の神様が舞降りてきたのです係員のお兄さんが、「もう始まる
はじめまして!今日からブログを始めたいと思います。まずは、超懐かしいお話しからです~。最初は当時の「ジャズ喫茶」の事でいろいろ思い出したので、書いてみようと思います。今回は、1970年(昭和45)年1月10日~なんと48年前、大阪万博があった年の「池袋ドラム」でのお話です~。私、小6、姉が中2~私がテレビではない生ジュリーを初めて見たその日のお話しです私たち姉妹がタイガースを観に行ったのは、タイガースでも、トッポが脱退してからのシローが入った後期の時期
お盆の時期に聞いた訃報元オックスのリーダーでベースギターの福井利男さんが5月1日突然ご逝去になりました。ご葬儀は4日に済ませられました。ご遺族からのご了解の元、ここにご報告させて頂きます。享年75歳(5月6日)何とシンガポールからの訃報だった!オックスは再結成は無理としても、5名のメンバーは健在だったのですが、、、、これで、グループサウンズで、オリジナル・メンバーが健在なのは、ザ・タイガースとヴィレッジ・シンガーズだけはないか、、、、一般紙などに訃報
歌の手帖1月号に真木ひでとさんが登場。CD5枚組BOXセット『陶酔・心酔・ひでと節!』(ソニーミュージックダイレクト)をリリースした真木ひでとさん。ここにはGS(グループサウンズ)のオックス時代の歌から、ソロ歌手として唄い続けた作品、そして、30年ぶりの新曲『淡雪の宿』『ごめんよ』など全111曲を収録。そういえば、10月に逝去された偉大なる作曲家・筒美京平先生がオックスのヒット曲『スワンの涙』『ガール・フレンド』を手掛けているんですね。真木さんが
1971年(昭和46年)1月24日、日曜日~ついに解散の日が来た。快晴、気温13度、小春日和の日本武道館で「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」が行われた。「この武道館には僕たちにとっても、懐かしい思い出がいっぱいです…五年前、ビートルズが来たときに、僕たちはまだ東京に出ていなくて、二階席のちょうどそのへんで、五人揃いの服装で見ていました。それがこんな立派なところで最後を飾れるなんて…、ボ、ボクたち…」サリーは涙で絶句した。「この舞台が、1月24日に決まった時、僕たちはずっと先の
去る6月29日午前10時頃~ジュリーが住んでいるマンションで、ビルのガードマンと口論のすえ、ジュリーがガードマンをなぐりつけ、乱闘になった。原因はジュリーの留守中に、ガードマンがファンの女の子を勝手に自室に入れたこと。この事件が明るみに出ると19歳の女性ファンが、ある週刊誌に電話をかけ、昨年11月にも、ジュリーの暴力事件があったと伝えた。これは昨年11月5日の夜11時すぎ、帰宅するジュリーのあとを車で追いかけたファンの女の子が、冷たくされてジュリーを「キチガイ」と
さて、ジュリーのさいたまスーパーアリーナの4部作にたくさんのアクセスとたくさんのコメント、本当に感謝しております~誠にありがとうございました何か少し腑抜けになったような、軽い脱力感に襲われております(暑いからか?)一か月近くたったのですが、ジュリーもどうなんだろうか?大丈夫なのかな~?と少し心配しております今日は今からさかのぼる事、45年前~1978年のジュリー30歳のお誕生日の爆弾予告事件の事を書いてみようと思います。姉からのコメントで思い出しました、あの日の事を~
ありがとうございます必ずタイトルに「アダムス」が着いている私のブログを読んで下さりありがとうございます🙇♀️2021年4月9日「アダムスのファンだった……」が初投稿でした。何度も書いてるけどグループサウンズのアダムスの思い出を書き続ける予定がネタ切れそして今や病気の話ばかり(..`)ファンになってから解散まで順に書いていくつもりが、コロナでいつ死んでしまうかと思うようになり、一気に出会いから別れを書くことにしました2021年5月6日には「さよなら」が始まり
本当にお久しぶりです、なんと2か月以上ブログを書いていませんでした。その間に、他人事だと思っていたコロナに息子が罹患して会社を10日休んだりしていたので~なにか私も落ち着かない日々を過ごしていましたジュリーも今回、なんとメンバーさんがコロナにかかってしまったので~ほんとは姉と二人で遠征するはずだった9月13日の大阪のフェスティバルホールのライブが中止、延期となってしまいました(サザビーちゃん、みるちゃん、ゆみちゃん、恵子さんご心配をおかけしました、せっかく会えると思っていたの
ちょっとね、また切ないクーキーに会いたい病が続いてるけど、あの顔がニコニコして話しかけてくるの。妄想?いやいや見えはしないよ。他にもやり残した事いっぱいあるのにバカみたいねあの頃の今の季節幸せだったな〜🍀︎。:°ஐ*。:°ʚ♥ɞ*。:°ஐ*🍀︎さてと一昨日、リハビリで今痛い肩甲骨周りから脇の下、腕は全て凝りで肩の前側の痛みには気をつけてと言われた。そして揉みほぐしてもらい、家に帰ると痛い、既にもみ返しなのかリハさんの間違えか?どブツブツ。しかし翌日起きると肩がとても楽これなら保
あんまり詳しくはありませんが、グループサウンズの熱狂の中にいたスターが亡くなりました。ザ・ゴールデン・カップスのマモル・マヌーさん。「ザ・ゴールデン・カップス」マモル・マヌーさん死去71歳「長い髪の少女」などヒット-スポニチSponichiAnnex芸能ザ・ゴールデン・カップスのドラマー兼ボーカルとして活躍したマモル・マヌー(まもる・まぬー、本名・三枝守=さえぐさ・まもる)さんが今月1日、心筋梗塞のため死去していたことが8日、分かった。71歳。後日送る会を予定し
実は、橋幸夫は1960年に「いたこ笠」で、63年に舟木西郷これで、御三家がそろい。爆破的人気となり、歌謡曲の黄金時代を迎えます。65年「星娘」67年「恋のメキシカン・ロック」メキシコでオリンピック。話題性抜群。ロックというより、ラテンだね。さて、女の子に絶大の人気だった、御三家。しかし、日本にも、ビートルズに影響されて、ギターを手にする若者が。まだまだ、グループサウンズのブームは、すこし、先。しかし、ついに、ビートルズの来日を迎えます。では
「GSブームの最中も、アイドル扱いされるほかの多くのグループとは一線を画し、実力派グループとして独自の存在感を示していたモップスが、ブーム終息後、原点に立ち返るべく、ロックのカバーとオリジナルでまとめあげたアルバム(70年6月発売)。メンバーは鈴木ヒロミツ(Vo)、星勝(G,Vo)、三幸太郎(B)、鈴木ミキハル(Dr)(前年の、村上薫(B)の脱退に伴い、三幸太郎がギターからベースに転向している)。和製エリック・バードン(アニマルズ)ともいわれた鈴木ヒ
1960年代後半、数多のGS(グループサウンズ)がデビューしました。その中に「ザ・クーガーズ」というスカートを身にまとった一風変わったバンドが存在していました。ザ・クーガーズ-Wikipediaja.m.wikipedia.org1966年に結成され、1967年10月に日本クラウンより「テクテク天国」「あこがれ」の2枚同時発売でレコードデビュー。グループサウンズといえばブルー・コメッツのスーツ姿とかザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスなどの王子様チックな衣装が思い浮かびますが、こ
やっぱりたまにあの頃がすごく恋しくなるクーキーはどんな人なんだろうアダムスの解散後メンバーは音楽に関わる仕事を続けて居たクーキーだけ普通の人になったアダムスのメンバーはそれぞれ個性が違ってたどのグループサウンズもみなメンバーはそれぞれ個性があっただろうねクーキーは何をしたかったのか?本当に分からないボーヤ時代は長くデビューしてドラマーとしてデビューしたのにボーカルとして数曲レコードも出ているアダムスでの位置、自分の目指す業界でのやりたいことが私にはよく見
ひとつ前の当ブログでもチラッと触れましたが、「タイガース」の前身「ファニーズ」を発掘したのが内田裕也さんでした。裕也さんががまだ渡辺プロに所属していた1966年、大阪のジャズ喫茶(今でいう「ライヴハウス」)の老舗「ナンバ一番」を訪れて「ファニーズ」を発見します。「ナンバ一番」は兵庫出身の内田さんもかつて出演、プロへの足掛かりとなった場所であり、ここの専属になることはプロへの登竜門であるような有名な店です。ローリング・ストーンズやビートルズのカヴァーを演奏していた「ファニーズ」を観て、裕也さんは
6/16(日)中野マハロアにて13時~開演三原綱木さんのお帰りなさいステージ🎵ハワイアンランチ、ワンドリンク付きです😊料金7000円ご興味頂けましたら、私までご連絡ください😌間違い探し⁉️何かちがう?気づかれた方いらっしゃるかな?私の名前の字が…違っていまして…💦すぐに訂正した写真をいただきましたが、もしかして、皆様のお手元に届くチラシは訂正前のものかと思います。ご了承ください🙇とにかく当日は和気あいあい~と良い1日になりますよう頑張ります~~😄
わぁ~ん携帯が壊れてしまった、別に落としたわけでも、水に濡らしたわけでもないのに・・あまりのショックで言葉が出ませんでしたドコモショップに行きましたが~ちょっと時間がかかるとの事~今、修理に出しています。ラインはすべて消えるとの事でなおさら悲しいですちょっと気を直してブログを書きたいと思います。さて、ジュリーのお話し、そういえば7月からのライブ日程が近々~発表されるのかまだなのかこちらは楽しみに待ちたいと思いますまたまた、姉たちが書いた会報紙にこん
あの頃の歌謡曲②昭和42年~45年頃グッドナイトベイビー中村晃子藤圭子いしだあゆみ渚ゆう子グループサウンズフォーククルセダーズ特集グループサウンズフォークソングyoutu.be
私が生まれたのは60年代始まってすぐのこと小学校低学年田の畦道を蓮花草を摘みに…お友達と話したのは“昨日の003は可愛かったね”と“ショーケンとジュリーどっちがいい?”だったあまりよく覚えてはいないけど時はグループサウンズ🎸みんなで『エメラルドの伝説』を歌って帰った懐かしい母方のお姉ちゃんは御三家橋さんが大好き小学校高学年は新三人娘に新御三家の時代レコード大賞をドキドキしながら見ていたそれから拓郎、かぐや姫のフォークソング陽水、ユーミンのニューミュージック私