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闘病付き添い生活を共にしていた戦友ママから出産の報告があった我が子がアドリアマイシン心筋症を発症し転院するまでの闘病生活の後半ずっと一緒に過ごしてきたママ足湯の他、数え切れないほどの免疫アップ作戦を教えてくれ私の体も気にかけてくれてたくさんの癒しを施してくれた妊娠のお知らせを受けたのは転院先でもう天と地がひっくり返るくらいびっくりしてSちゃん、Sちゃん、Sちゃーーーん!!!〇〇ママお腹に赤ちゃんいるんだってーー!!と言うと「わぁ…赤ちゃんかー嬉し
2014年3月20日に広範切除手術を受け2週間ほど入院してリハビリに取り組みましたはじめは歩行器を使って歩き始め、次に廊下を歩き、リハビリルームに通って階段の上り下りができるようになったころ一旦退院しました数日自宅に帰ることができましたがまたすぐに入院して4月10日頃から化学療法が始まりましたこれは2014年の記録になるので、現在(2024)は治療方法が変化しているかもしれません軟部腫瘍は今でも忘れられたガンとよばれています患者数が少ないので研究があまり進まず私が
白血病の再発からちょうど1年。もう10月ですねー1年があっという間ですねーと病棟でもよく耳にするが、いやはや、この1年は、やっとの1年。一日一日命を紡いできた1年だった。心臓移植のお話は少し横に置いておき、蘇ってきた思いを綴ろうと思う。あの日のことは一生忘れない。2週に一回の定期外来の採血で主治医の先生に「骨髄検査をしたいので、検査入院してもらえませんか?」と言われた。白血球が増え、血小板が下がっていた。LDが1000を超えており、その時は何を意味しているのかわから
8/15に行った髄液と骨髄の検査結果が帰ってきた。【髄液検査の結果】これはその日の内にわかったのだが、我が子は再発時、髄液の中にも白血病細胞が見られたのでドキドキだった。細胞数・・・5個/μL以下色調・・・無色透明合格だった!そして骨髄検査。ドナーの骨髄がどれだけ定着しているかを遺伝子レベルで判定するものだ。弟とは骨髄の型がフルマッチだったが、珍しく遺伝子の長さ?までもが兄弟そっくりで、違いを見分けるのに時間がかかるらしい。少しでも悪い細胞が見受けられたり、我が子自身の
長い長い白血病治療を経て、今大量抗がん剤と放射線治療によるアドリアマイシン心筋症と診断されたわが子。こんなに頑張ったのにもう治らない心臓病と言われ、更に再々発におびえる日々。でも目の前の我が子は毎日キラキラした言葉を母にプレゼントしてくれます。これは記録に残さなきゃ。何かしないといられない気持ちもあり、始めました。2年半がんばってきて、今さらだけど。そしてアドリアマイシン心筋症について。予後不良、不可逆的、症例がない、と言われ、真っ暗闇の中をさまよっています。どうか、前向きな情報
世の中は連休、だけど病棟は静か。静かな静かな病棟で過ごしていると世の中の動きなんて、なんにも関係ない気がします。しかし今週は◯年ぶり?風邪らしき症状あり、3日間主人と付き添いを交代しました。2月の骨髄移植の前からずっと私が付き添いしてるから、3日間も下の子達と過ごしたのは本当に久しぶりかも。弟は4歳、妹はもうすぐ2歳。お兄ちゃんが初発の白血病を告知された時には、弟が今の妹くらい、妹はお腹の中にいるのがわかったばかりでした。雪国の1月、真っ暗な中、朝早くと夜遅く、主人と付き添いの交代を
もう夜が怖くて長くて、何かする事はないか隣のママ友を起こそうか、看護師さんを呼びつけて話をしようか、そうだ、ブログ何か書いていれば我が子の事を残すんだ必死に何か書いては保存して明け方にあんな記事になってしまい露出してよかったものか後悔もありました。みなさんから医療の事私でもできること祈っていただけてること伝えていただき、泣いている場合ではなく出来ることをやっていこうと少しそう思えたもののまだまだ、まだまだ気力が付いていかず気が緩めば泣いているばかりでいた
ブログサボってた。ブログかくの時間かかるから面倒になって。生きているよ!!!元気だよ!!!職場の部門が変わって四苦八苦な毎日だったけどだんだん慣れてきた。治療のほうはね、年明けとともに、抗がん剤が変わった。パクリタキセル→ドキソルビシン(アドリアマイシン)になった。短期入院の繰り返しで、5回入れた。吐き気止め(オランザピン)を飲んでるおかげで胃の不快は抑えられる。それ以外はこれといって強い副作用はない。味覚障害もないし。パクリタキセルより副作用少ないじゃない。強い薬なのに
今日から入院じゃけん朝起きたら38.7℃もあってビックリ(゚o゚)/時間経つと少しずつ熱下がってきた現在37.1℃まで下がった37.5℃以上だとビョーインさ連絡しないとならないすけイガッター風邪症状はない腫瘍熱かなたまに謎の発熱がある今回の入院はいつ退院できるかな最短だと2泊3日仕事休み5日間しかとってないから間に合うように退院できるといいな
↑お父さんとの力作。今度はS空港。※※※※※京都へのセカオピの結果、これからどうするかを悩む事になったのだが、なぜか帰りの電車の中は晴れやかな気持ちだった。初めて他の病院の、他の先生に意見を聞き、やはり世の中は広いと感じた。そして果敢に我が子の心臓病に挑んで行く私と、少なからず現実を受け止めたくない主人との意識の差が広がっていくのを、ここで食い止められたような気がする。夫婦の足並みを揃えるってなかなかできるもんじゃない、と長い闘病生活を経て感じていたから、これはとてもありがたい
間が空いてしまい我が子のイベント色々あり書きたいことがたまってるが、奇跡のセカオピ、3回だけじゃ先生のすごさを伝えきれないので引き続き書かせていただきます。国立循環器病研究センターより来ていただいた福嶌先生と渡辺先生だが、お2人は移植部の先生だ。我が子は幸いにも、今すぐ国循へ、とドクターヘリに乗って転院するような状態では無かったが、心不全というのはやはり完治せず、最終的には心臓移植しか手はないそうだ。これ以降、状態が悪くなった場合、どのような治療法があるのかを教えていただいた
AI療法の副作用でネガティブな事ばかり書いてきましたが、肝心の腫瘍への効果ですが、効いていると思います。抗がん剤を始める直前に、胸とおへそに触って分かるほどのしこりがあったのですが、治療から1か月経った今、胸のしこりは触ってもわからない状態になり、おへそのしこりは3cmくらいのモノが1cmにも満たない大きさになっています。どちらの腫瘍も明らかに小さくなっています。CTを撮らなくても腫瘍が小さくなっているのが触ってわかるので嬉しいです。膵臓とお腹の中にある腫瘍にも効果がある事を願
病棟のお友達が退院してすっかり元気をなくした我が子に、なんなら、おうちに帰ってみようか?と持ちかけた。まだ歩けない我が子は、車椅子でも行けるところへは好んでお出かけしていたが、自宅には、動けずミジメになるだけだともう4ヶ月も帰っていなかった。ただ今回『ボクだっておうちに帰りたい』と言っていたのを聞いて「みんなでお出かけしてさ、晩ご飯お母さん作るからおうちで食べるの、どう?」と提案してみると「…そうする!!おうち、帰る!」目をキランっと輝かせた。実は、急
今日は気圧の関係なのか?朝から咳き込みが酷く、吐きそうになるほど早朝に痛みで目覚め、薬の効きも悪い幸先の悪い一日のスタート…しかし、行かないわけにはいかない!予定どおりドキソルビシン(アドリアマイシン)の投与を受けてきました。つまり…心臓に異常はありませんでした。一昨日のアレはなんだったんだ!?事前の主治医の診察であれもこれもと薬を処方してもらい、丸山ワクチンの書類も書いてもらい(やっつけ感が凄かったけど)第一任務完了。あ、分かってたけどステージが3から4にバ
今日は久々のおひさまが拝めてなんだか幸せ気分が味わえました。まぁ、布団の中からですけど。さて、投与直後から膣がんから出血DP療法の時もそうだったっけな〜などと考えていたのですが…翌日から翌々日(つまり昨日)にかけて出血量がとても増えまして。精神的に凹んでおりました(トイレで血を撒き散らす事態にトイレに行くのが恐怖でした…)昨日の夕方には落ち着き、平静を取り戻しており…ますかねドキソルビシン(アドリアマイシン)の副作用ですが、今のところ、吐き気と軽い食欲不振、頭痛と
今日も涼しいですね。おひさまが恋しくなってきます。お布団干したい…。今日の体調はぼちぼちでしょうか。あ膣のがんからの出血が多くて今朝はビビりました。まだ続いています…DP療法の時も出血があり、「闘ってるのね〜。よきよき」と思いましたが、今回は「あちゃ〜」という感じですしかも、いつもと違う痛み!表面から何かが滲みているような…ピリピリした痛みです(伝われ〜)。痛み止めでほぼ治まりましたが新たな痛みにドキドキです。今のところ、アレルギー反応も痺れの悪化も味覚障害も
先日、国立循環器病研究センターより、移植部長の福嶌先生、また同じ移植部の渡辺先生にご足労いただたいた。これはあるブロガーさんがある方に我が子の状況をお伝えしてくれて、そこから先の先への繋がりとなりいただいたご縁である。私は今までの人生でこんな奇跡を体験した事はなく、当日を迎えてもまだ夢の中にいるようだった。「イコか?」と言ってくださった福嶌先生。こちらに来ていただくセカオピは病院側としても初めてらしい。17時過ぎに先生方到着予定だったのだが、ドキドキで、とても長い一日
①食欲2日ほど前から結構食べる。「お腹すいたなー」「もっと食べたいなー」「他になんかない?」移植後半年の骨髄検査も合格だったので、病院食を標準食にしてもらった。長い間、生物禁止食(茶色くて、何回も加熱してパサパサで、フルーツは缶詰)を食べていたので、色が付いているとテーブルの上が華やか。「お母さん!りんごとバナナだよ!!!」目が輝く。ご飯茶碗が違うだけで、「美味しそう…(^∇^)!」いつもおにぎりにしたり、お茶漬けにしたり何か工夫して100gのごはんをやっと半分程食
8/20、京都府立医大にセカンドオピニオンに行ってきた。その日は朝からついていた。駅までは車で行ったが、通勤時間を過ぎた時間帯ではとても空いてない駅近くの駐車場が、ポツンと1つだけ空いており、「ラッキー!!ついてるー!」から始まり、幸先の良さを感じた。この日は雨のせいで遅れた便もあったが、主人と私が乗車した直後の電車からの事で、私達は移動の間も雨に降られず、乗った電車は定刻通り京都駅についた。「超晴れ男、Sちゃんの魂、連れてきたかな⁈ラッキーー!!」バスに揺られながら、行き交
我が子が夏休みに行ったアンケート結果のまとめだが、病棟に張り出してもらったあと、渡り廊下や学校祭でも張り出してもらった。ある朝、院内学級の担任の先生が「お母さん、U先生ご存知ですよね?」と病室に来るなりおっしゃった。現在入院している大学病院内の循環器内科の先生らしい。しかし我が子は1週間に1回外から来ている小児循環器の先生が〝一応〟担当で、当病院の循環器内科での受診は一度もした事がなかった。だから大学内の循環器の先生なんて誰1人として知らなかった。大人と子供ってそん
骨髄移植を経て薬剤性のアドリアマイシン心筋症と言われた我が子は現在化学治療はしておらず、いわゆるCレベル、Eレベル扱いではない。生肉生魚等、食事制限があるが白血球が現在4000ある。白血球ゼロの世界を何ヶ月も彷徨っていたため4000もあったらスシロー行っちゃう⁈的なテンションになってしまうが(行きませんが)家で作ったものを食べさせても安心感がある。最近は院内学校に登校できたら自宅に帰り、せっせと料理を作ってくる。先日滅多に通らない道の駅で我が子の大好物を見つけた。
骨髄検査の結果、ヤツの性質がわかった。96%にCD19というアンテナが確認されたので、そのアンテナをT細胞と結合させ、己のT細胞で攻撃させるというビーリンサイトの投与が決定した。昨年販売開始になったお薬。我が子が移植前にケモでの寛解かこちらでの寛解を目指すか提示を受けたお薬だ。その頃は使用例がほとんどなく効くかどうかわからない、という事で見送りとなった。あの時これを選んでたら、抗がん剤の副作用であるアドリアマイシン心筋症にならなかったのかなより深い寛解を得られて再発しなか
新学期が始まった。『恩師のS企画』の記事で書いた、アンケートの集計を夏休み中に終え、結果がまとまった。恩師が模造紙などを用意してくれ、棒グラフの部分を一緒に作成。レイアウトは、イラスト担当のお父さんと一緒に考えた!やんわりとお願いごと(^^)ファミリールームが出来てから、利用者の声を先生方あまり聞く機会がないからイイかもね!(立って書いてたんか!大丈夫やろか…)お父さんから、「できたぞ」と連絡をもらっていたが、これほど立派なものになっていたとは。正直驚いた。せっかくな
本日、セカンドオピニオンです。京都府立医科大学附属病院。小児循環器の先生と、血液内科の先生、お2人にお話を伺えます。ここにたどり着くまで、色んな情報を提供してくれたみなさん。いいねやコメント、メッセージで励ましてくれたみなさん。背中を押してくれたみなさんに感謝して。行ってきます。いざ!
我が子の現在のお薬は青い帯のARB緑の帯のβ遮断薬ピンクの帯の利尿薬だ。(全て内服)ARBとβ遮断薬のコントロールで心不全の悪化、不整脈の防止を食い止められるので、この2つのお薬のさじ加減こそがポイントとなる。しかし、元々心機能を悪化させるお薬と言われていたため、投薬のタイミングと量がとても難しい。小児は尚更だ。特にβ遮断薬はごく少量と言われた2mg/日を始めた途端、血圧が70まで低下し、強心薬ミルリーラの静脈投与を開始した。そこからβを半減し(1mg/日)、血圧の安定を確認し
夜中にあさイチの事を書いているのではあかんなー…と思うのだが、感銘受けたので今更だけど。文字通り、NHKのあさイチで今日、『病児の親を料理で笑顔に!』というテーマで、長期入院児の付き添いをしている親御さんの為に、手作りの料理を提供している方の特集をやっていた。月一回、無料で振舞われる出来立ての料理。栄養満点の優しいメニュー。食べに来ていたお母さんは、一歳の子を看ており、今日食べたのはポケットに入れていたおせんべい1枚だという。わ、わかる…涙が出そうだった。小さい子ほどお母さん依
土用の丑の日を先取りし、我が子にうなぎを奮発!うなぎ、食べたいなぁ…とボソッと言ったのを聞き逃さず、すぐに病院内LAWSONに予約に走った。我が子の食が細いのは前にも書いたが、とにかく肉を食べない。ほとんど野菜。食のせいなのか、移植後の増血が不安定なのか、採血が頻繁だからなのか、ずっと貧血が改善しない。ヘモグロビンが8.4。そこからなかなか上がってくれない。これ以上進むと輸血を検討しなくてはいけないかもしれません、十分な酸素を運べてないとそれだけ心臓が頑張らないといけな
気付いたら告知から一週間。あれから1か月程経ったのかと思うほどた。みなさんからコメント、メッセージまた贈り物を頂いたりしています。本当にありがとうございます。みなさんからの助言に基づき、順番にできる事を。小さな事でも。日曜日に主治医が学会から帰ってきた。土曜日に外泊が叶わなかったので、日月で外泊してもいいと。次、いつ家に帰れるかわからない。我が子がやる気も伴ったので、家に帰った。我が子は驚異的な晴れ男だ。前日はものすごい雨だったのに、外泊の2日間は12月とは思えな
リレーフォーライフに行ってきた。3時ごろに会場に着いたが、猛暑日のためすごい暑さだった。会場には色んな団体のテントが張られていて、その中の小児がんブースにおじゃました。小児がん支援のレモネードスタンドを毎年行っており、サバイバーの子ども達やその兄弟が募金を呼びかけながらレモネードを配っている。(我が家のチビ達は飲む方に徹していた)そして、そんな子供の姿を愛おしそうにカメラに収めるお父さん。この瞬間をとても大切にしているんだろうという気持ちが伝わってきた。とても微笑ましくとても
【心臓に悪いシリーズ】①風邪風邪をひくと、体内に侵入したウイルスに対して免疫系が作動し、サイトカインと呼ばれる物質が放出されるそうなのだが、これが心臓を弱らせるらしい。我が子の入院時はCRPが高く、感染症が引き金の可能性が高い心不全だと言われた。(原因はアントラサイクリン系抗がん剤によるものだが)でも咳鼻水など目に見える症状は何もなかった。入院中もじわっとCRPが高くなった時があった。この時も目に見える変化は何も無し。でもどちらも心拍が異常に早くなり、元に戻るのに1か月近くかかった