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自分自身が、何を望んでいるのか、何が幸せなのかは、結局の所、やってみないとわからないなぁと、私は、思うのですよ作家の田辺聖子さんが、インタビューで、旦那様と36年間も過ごされた事に対して、「一人で生きて行く方が、楽という女性も多いですが」と質問されると「それは、二人住まいの楽しさを知らんからよ。」と仰ってみえた。二人住まいと言っても田辺聖子さんは、初婚、旦那さんは、再婚で4人の子持ちの方と連れ添われたのだ。つまり、大家族とのご縁だったのだ。条
『絶望していた時に起きていた素晴らしい事。』奇跡のコースを学び出した頃、形而上学的な質問をコースの大先輩にした時の事を今も時折り、思い出す事がある。ただ一言。「そんな事よりその日、出逢う方にどの様な思いで、おミカンを差し出すのかにこころを使いなさい。」自分でも意外だったが、このメールを家で読んだ時、私は、膝から崩れる様に泣き崩れたのだ。自分の泣き声のあまりの激しさ、吹き出して来た感情の強さにビックリした。嗚咽が止まらなかった。奇跡のコースと出逢う前、
抗えない思いに私は、逆らえない。ただ、自分の中では、執着と抗えない思いとは、分けて考えている。執着というのは、この人、この道を選んでも自分は、幸せになれないとわかっているのにそこにとどまってしまう思い。コンフォートゾーンにとどまって、不平不満を呟きながらなんと無く誤魔化して生きる事。抗えない思いは、未知だけど、そこに幸せが、あるのをどういう訳か、信頼してみようと感じる事かな。理由は、無いけど、この人、この道を信頼する事をこころが何度も囁きかけるという感じだ
子どもやパートナーの幸せを願うのに自分が幸せ感じてなかったら不一致なのよね。「この世界は自分」「自分の内側が映し出されるのがこの世界」「自分と世界はイコール」基本的な考え方を知ってはいるけれど「なぜか相手のために自己犠牲をしてしまうのなぜ?問題」相手のためを思ってやったのに相手が思うような反応してくれなくて残念とかせっかくやったのにその態度なに?(イラ)とかやってあげることに疲れるとかなんでわたしばっかり…と落ち込んでしまったり。相手を責めたり自分の不甲斐なさを責めた