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(神奈川県横須賀市長沢)乾坤(けんこん)の変(へん)は風雅(ふうが)のたね也(なり)松尾芭蕉(『三冊子』)「乾坤」とは「自然」のことである。自然の変化は俳句の根本である、と芭蕉は言っている。ここで重要なのは、自然が俳句の根本ではなく、自然の変化が俳句の根本である、ということだ。誰から聞いたが忘れてしまったが、日本人は自然を愛しているわけではない。ドイツ人やカナダ人のほうが自然を愛している。日本人は自然ではなく、季節を愛している。
(神奈川県三浦市三浦海岸)句会ではいろいろなことが勉強出来る。俳句についてそれなり(?)に勉強して来たつもりだがわからないことが多い。先日、新宿区早稲田「細道句会」で「二ン月」と詠んだ句が出たが、「二ン月」という言葉は使わないほうがいい、とよその句会で言われた。と聞いた。「なぜですか?」と聞くと、本来は「二月」(にがつ)で「三文字」なので、「にんがつ」と無理やり「四文字」にした誤用だから。と言われたのだ、と言う。私は反論した。それなら「四月」(
(神奈川県横須賀市長沢)この三日間、「海光」の執筆や編集作業をしていた。いつも通り…、と言えばそれまでだが予定の半分ちょっとしかできていない。昨日は辛かった。パソコンを眺め過ぎたのか、明け方までこめかみが痛かった。この痛みは時々起こる。だいたいストレスが溜まった時か、パソコン作業に集中し過ぎると起こる。さて、話は変わるが、松尾芭蕉は自分の事を、はせをと書いている。句碑などを見ると、いつもそのように書いている。が、「芭蕉」は正確(歴史的仮名遣い(旧仮名))には
(東京都豊島区西池袋)胸の手や暁方は夏過ぎにけり石田波郷(いしだ・はきょう)(むねのてやあけがたはなつすぎにけり)暑さもだいぶ収まってきたようだ。朝は、上記の句のように涼しささえ覚える。「胸の手」とは、仰向けに寝た状態で、胸の上で指を組んでいることを言っているのだろう。目が覚め、胸の上で指を組み、朝涼にまどろんでいるのだ。日中はまだまだ暑くなるだろうが、朝はすっかり秋の気配になったな…、と思っているのだ。今日は東京都豊島区池袋の第二谷端川句会
(神奈川県横須賀市長沢)暑い…。午前中、海辺を散歩したが明らかに日差しが違う。家に戻ってからも顔や体が「パリパリ」(?)している。顔も「黒」というより「赤黒」になってきた。(カモメ(左)が飛んでく様子)海の雰囲気も違う。釣り人も多いし、役所関係の人がなにやら調査している。八月だな、いよいよお盆休みなのだな、と思う。今日、俳句の知り合いから桃をいただいた。今年初めてである。桃は大好きだ。が…、まだ固かった…。ず~っと前、「東海道踏破の旅」で愛知県を歩いた時