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一部過去記事と重複するが、墨谷に関する通説をまとめておこう。1.墨谷は墨田区2.墨谷は八広周辺3.御岳神社のモデルは日枝神社4.墨谷二中のモデルは吾嬬二中5.墨高のモデルは墨田川高1.は間違いないだろう。「ちばあきおのすべて」(集英社)という本があるが、その中に収められている「その後の谷口くん」という漫画の中に大人になった谷口の家の住所が出てくる。そう、墨谷は墨田区だったのだ。ただし、この漫画はちば先生追悼特集のために弟の七三太朗さん原作、お弟子さんだった高橋広さんが
前号は発売に読んだので数日後に感想を書きましたが、9号は電子書籍で読み放題期間になってから読んだのでいつもの通り感想が2週間遅れとなります。今回は書きたいことがやまほどあるので2部構成にします。ますは9号の感想から・・・地区大会を優勝し甲子園出場を勝ち取った墨谷高校・・そこから数日?が立ち墨高には「祝、野球部甲子園出場」の横断幕が。ここでようやく「野球部が悲願の甲子園を勝ち取ったんだな・・」と実感しました。そういえば近藤が中学時代に全国大会出場を決めた時も中学校に横断幕があったような
9号でなぜ校長がなぜ谷口があのような発言をしたのかを考察したいと思います。1、校長と部長は「甲子園はご褒美だ。遊びに行って帰ってこい!」「もう頑張らなくていいから受験勉強に集中しろ」と発言したのか。その答えは「プレイボール2」12巻の「二兎も三兎も追え!」にありました。谷口は野球部を引退後大学に進学せず家業を継ぐことを決めていたが、倉橋のお膳立てと部長から「国公立大学と甲子園出場を両方目指して欲しい、その為に監督代として5万円を支払いそれを予備校代として当てて欲しい」との申し入れを受け入