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娘は、生前、コーヒーが好きで、一時退院中には毎回欠かさず、星乃珈琲に行ってました。そこは、珈琲もですが、食事も美味しくて、特に娘は、パスタとフレンチトーストが気に入っていました。そして、先日、星乃珈琲へ行くと、こんなお知らせがありました。ちょっと興味あるかも。娘が好きだった、星乃珈琲。日程を見ると、ちょうど月命日の日。なんだか娘が参加したい!と訴えてるみたいで、Uちゃんのお母さんと、参加申し込みをしました。当日お店に行くと10人弱の方が集まっており、みなさん、珈琲が大好き
【2023年2月18日の出来事】お通夜の日。お昼頃、葬儀場の方が娘を迎えに来ました。あぁ。いよいよ連れていかれる…と、そんな、何とも言えない気持ちでした。会場に飾るたくさんの荷物を車に積んで、私たちも後を追いました。早速、お湯灌から始まりました。数日間、ドライアイスで冷たくなっていたので、温かいお湯をかけてあげ、体を綺麗に洗ってあげました。気持ちよさそうでした。大人なら着物を着せたりするそうですが、そこは、この日の為に、前から聞き込み調査をしていた、娘が一番気に入ってい
【2023年2月13日の出来事】自宅で赤血球の輸血が始まり、1時間ぐらい経過した23時頃、今朝と同じように、右の肋骨の辺りの痛みを訴えてきました。そこの箇所はシンチでも病変が確認されていて、数ヶ月前にも痛みを訴えていた場所でした。肺に近いので、放射線照射は難しいかもと放射線も出来ないでいた場所でした。ロキソニンの坐薬を使い、様子を見ていました。しかし、痛みの上に、次はまた、『足がゾワゾワする。手もゾワゾワする。』と、また急変の時に起きた現象が起きました。また貧血??だけど、今
先日、初盆を無事に終えました。関西には台風が近づいていたので、少しそわそわしていました。数日前から少しずつ準備をし、娘のために色んな方から贈り物が届いたり、頂いたりしました。そんな贈り物をみると泣けてきました。娘のこと、覚えていてくれてありがとう…と。覚えていてくれることが何よりも嬉しいです。当日は、娘の好きだったバナナパンを朝から焼き、好きだったアイスカフェラテを供え、親戚で集まりました。もう、前日から悲しみが込み上げていて、このような節目を迎えると、娘が居なくなった
娘が永眠し、お葬式や斎場、色んな場面で悲しみという場面がありましたが、一番辛かった場面というのは、一生懸命呼吸しながらも、意識がなく、心臓が止まるのを待っていたその数時間が、一番、辛い時間でした。一番泣きました。もちろん、再発と伝えられる度に、何度もどん底に落とされましたが、やはり、最期の瞬間というのは、今でも思い出すと、その場面は胸が締め付けられます。だけど、苦しい時間は短かったと思います。前日もケモをしていて、その後お買い物に寄り、大好きなラーメンを食べて帰った。いつもの
小学校へ無事入学し、2学期を迎え、運動会も無事終えた10月末、臍帯血移植から2年が過ぎて、アメリカでの治験から1年が経ったタイミングで、時々足の痛みを訴えたりし、腫瘍マーカーが上がり、画像検査で多発骨転移がわかりました。再再発。骨髄もMRD(微小残存病変)で僅か陽性。幸い、中枢神経からの再発はありませんでしたが、もう、初発の時にやれる事はやった。やれる事はあるの??娘は学校にも慣れ、友達もたくさん作り、好きな人までできて、みんなと同じような日常生活を取り戻していました。そん
続き。鶴舞公園のさくらまつりを堪能したあと、みんなが行きたかったところへ向かいました。そこは、ドナルド・マクドナルド・ハウスなごや。大変お世話になった場所の一つです。私はハウスの方にご挨拶がしたくて、Uちゃんは、マクドナルドハウスの事を自由研究にしたくて、ハウスの中を見学させてもらいました。(コロナの関係で見学不可のタイミングもあるそうです)久しぶりの職員の方との再会は嬉しいものでした。みなさんが『しおりちゃん、本当によく頑張りましたね。』と、言ってくれました。そして、思
しおり会のメンバーは、次、2年生になるUちゃんの妹。そして、娘と同じ4年生になるUちゃんとTくんと娘。5年生になるUちゃんのお兄ちゃん。6年生になる息子。そして、中学1年生になるTくんのお兄ちゃんで成り立っています。学年もバラバラなみんな。なのに、いつもわいわい楽しそうに遊んでいるのです。ですが、そんな中でも、もちろん、時々喧嘩も勃発します。それは、Tくんちの兄弟喧嘩。笑笑ってはいけないんですけど、男兄弟だからか、時々手が出てしまうほどの本気!喧嘩の原因は色々あるのですけ
【2023年2月14日の出来事】早朝、主治医も駆けつけて下さり、受け持ちの看護師さんも出勤ではないのに来て下さり、娘の様子をみてくれていました。もう呼吸も脈も不安定。輸液も輸血も止めました。いつ心臓が止まってもおかしくない。このまま、「その時」を待つだけの状態になり、主治医が、『耳はね、ちゃんと聞こえているから、たくさん話しかけてあげて下さい。話しかけてあげると、呼吸や脈がパッと上がってますから。』と、仰り、たくさん話しかけてあげました。『よく頑張ったね。』と。この状況で
2023年3月3日、今日は娘の9歳のお誕生日。娘と一緒に迎えたかったこの日。娘も迎えたかったこの日。9歳のお誕生日おめでとう。命日も大切ですが、お誕生日はそれよりもずっと大切に想っていたい。そんな9歳のお誕生日。一つ心残りがあります。お誕生日プレゼント、何がほしいか聞けていませんでした。2月13日亡くなる前日。受け持ちの看護師さんとの会話で、『お誕生日プレゼント何か決めてるの?』と、尋ねられていて、『欲しいものは決めてる。』と、答えていました。何が欲しいか私が聞いても
カルテ開示の事でたくさんコメントありがとうございます。私も開示請求してみようと思いました。皆さまのご意見、参考にさせて頂きます。ありがとうございます。前回の話であったように、カルテ開示請求をされたお友達のお母さんは、ある日の看護師さんのコメントに、「子どもの状態が悪いから、母、口調強め。気持ち不安定。」と、記載されていたのを目にしたそう。その日は、子どもの処置の事で、看護師さんと少し言い合いになってしまい、その時の出来事をカルテに、「子どもの状態が悪いから」口調強め。と、書
数日前、同じ闘病仲間で、同じように我が子を亡くしたお友達のお母さんお二人が、会いに来てくれました。娘が初発の時、同じぐらいの年齢で、同じお部屋で一緒に頑張ってきたお母さんたち。そのお友達二人は、約5年前に娘より先にお空に旅立ってしまいました。そのうちの一人のお友達は、娘と1ヶ月違いで入院していて、同じ病気で、同じ治療を、同じようなタイミングでしてきました。だからこそ、励まし合って、子どもたちが寝たあと、夜な夜な悩みを相談したり、親子でとっても仲良くさせてもらっていました。入院して、
「しーちゃんママ」「しおりちゃんママ」入院中は、そう呼ばれる事が多かったです。付き添いのお母さん、子どもたち、院内学級の先生、看護師さん、中にはドクターの方も。ほとんどの方からそう呼ばれていました。時々、「〇〇ちゃん」と私の下の名前で呼んでくれるお母さんもおられ、友人や、近所の仲のよいお母さんや、Uちゃんたち子どもたちも私のことを下の名前で呼んでくれます。それも親しみがあって嬉しい事。数年前、「名前をなくした女神」というドラマがありました。〇〇ちゃんママ、〇〇くんママと呼ばれる
昨日は、たくさんコメントありがとうございました。返信できていませんが、全て読ませて頂きました。同じ思いの方がたくさんいる事。応援して下さる方がたくさんいる事が身に染みて感じました。ありがとうございました。ご存知の方もたくさんおられると思いますが、娘は工作が好きで、得意でした。色んな物を作っていました。工作は娘にとって、元気のバロメーターの一つであって、工作をしているときは、元気なんだな。と安心していました。写真に載せていない物でも、数えきれない程、工作をしてきました。そして、
出典:「ドキンちゃんとしおりちゃん」第668話Bドキンちゃんとしおりちゃん夜、ジャムおじさんが本を読んで寝る。翌朝、アンパンマンはパトロールへ行き、学校の子供たちに声をかける。しおりちゃんが飛んで学校へ向かっていると木に引っかかってしまう。アンパンマンが来てしおりちゃんを助ける。しょくぱんまんが学校でしおりちゃんの話を聞いているとアンパンマンがしおりちゃんを連れてくる。しおりちゃんがみんなに挨拶。ばいきんまんとドキンちゃんが暇をしているとドキンちゃんがしょくぱんまん号を見つけ
先日、看護師さんが会いに来てくれました。『良かったら、いつか会いに来て下さいね。』と、話していて、看護師さんからも、『しーちゃんのところへ会いに行かせてもらいたい。』と、ずっと言ってもらっていて、その日は夜勤明けにも関わらず、娘に手を合わせに来てくださりました。色んな方から、「会いに行かせてね」とか、「手を合わせに行かせてね」と、声を掛けられますが、社交辞令というのか、お決まりの会話の流れというのか、実現出来ずに終わる事が多いです。そんな中、夜勤明けでお疲れなのに、わざわざ
生前、娘から、『ママ。この出来事はブログに書いてくれた?』と、よく聞かれていました。辛い気持ちや治療の記事は娘本人には見せていませんでしたが、楽しい出来事の記事は一緒に見てもらっていました。娘も楽しみにしていたブログ。大阪モケケの旅から、その続きの娘との物語を、今日から綴っていこうかなと思います。【2023年1月30日の出来事】この日は、大阪の病院で採血と血小板の輸血の予定をしていましたが、訪問医から、在宅で両方出来ます。と、仰ってもらったので、在宅でお願いする事にしました
娘の病状が進み出した頃、本人告知に悩んだ時期がありました。『緩和ケアを受ける親としての個人的な気持ち』はじめに。この記事の内容は、私、一個人としての考えや思いです。中には共感できない方もいらっしゃるかと思います。そのように感じた方は、スルーして下さい。以前にア…ameblo.jpこの記事でもありましたように、一部の医療者の方は、告知をした方がいい。と言いました。しかし、私は最期まで、本人告知はしませんでした。それで良かったと思っています。最期まで、娘は生きることに前向きでしたし、
2023年3月14日初めての月命日を迎えました。あれから、ゆっくりだったのか、あっという間に時間が流れたのか、正直分かりません。今日も無事に1日が終わった。と、思う毎日です。娘が旅立ってからも、こうしてブログを覗きに来てくださる方、応援してくださる方、見守っていてくださる方がいる事がとても嬉しく思います。娘の事を振り返ったり、自分の気持ちや息子のこと、しおり会のことなど、この先も備忘録として、書き綴っていきたいと思っております。引き続き、どうぞよろしくお願い致します。1ヶ月前
先日、ブログの読者さまから、このようなコメントを頂きました。(すみません。引用させて頂きました…)と、娘の大好きなモケケの会社の方に、メッセージを送らせてもらった。と、いう内容のものでした。そして、と、このような返信を頂いたそうです。驚きました。率直に、嬉しい。その一言に尽きました。娘も喜んでいるだろうし、モケケの会社の方に、「史織」という存在を知ってもらった事も嬉しい。Uちゃんのお母さんから、『モケケの会社の方たちに、このブログ見てほしいなぁ。と、私もずっと思っていたから
娘が息を引き取ってから、『しおりちゃんが夢に出てきた。』『会いにきてくれた。遊びに来てくれた。』と、ちょくちょく教えてもらいます。どうやら、色んなお友達のところへ遊びに行っているようです。息子も、葬儀の前日に見た夢では、史織は泣いていた。と、話し、だけど、翌日にもまた出てきて、その時は笑っていた。と。Uちゃんのところにも。Uちゃんの妹やお兄ちゃんのところにも遊びに行きました。従姉妹のところでは、一緒に自転車を乗って遊んでいたそう。大好きだった看護師さんのところにまで遊び
あれから、嬉しい事に、モケケを頂く機会が増えました。石垣島からのお土産。北九州からのお土産。大分と広島からのお土産。関西からのお土産。飛騨や関西からのお土産。娘のために選んで下さってありがとうございます。その気持ちが本当に本当に嬉しいです。これらは、ネット注文したもの。たくさん新しく仲間入りしたので、そろそろ、どこかに飾りたいなぁ。どういう風に飾る??と、ずっと考えていました。そして、考えついたものが、コチラ。Uちゃんのお母さんに手伝ってもらいました。娘のそばに、
数日前、娘も私も大好きな友人が、気分転換にと、和歌山へ連れて行ってくれた日のこと。和歌山のサービスエリアに寄り、ついでにモケケあるか見てみよう。と、なりました。ないなぁ。そもそも、和歌山って何のモケケがあるのかな?そこで、調べてみる。あれ?あれ??検索予測ワードに、「和歌山モケケ存在しない」とか出てくる…まさかねぇ。そこで、顔を見合わせ、目が点になった私たち。和歌山モケケは元々作られておらず、存在しない事がわかりました。えぇー。ないの?!和歌山って、みかんや梅干し、和
娘が息を引き取った翌日、地元の学校では、娘の訃報を朝会で、校長先生から全校生徒に伝わりました。そこで、全生徒で黙祷をして下さりました。その後、息子のクラスでは、息子が登校した時に、どう接するか。どんな言葉を掛けてあげるか。という事をクラスで話し合ってくれたそうで、娘のクラスでは、しおりちゃんとはみんな、どんな事をしましたか?数日一緒に授業をした事や一緒に遊んだ事など、娘を思い出す時間を作ってくれたそうです。ありがたいです。葬儀に息子の担任の先生が参列して下さった時、先生は息子に
【2023年2月2日の出来事】娘は、化学療法を終え、奇跡的に元気を取り戻しました。頓用で使っていた痛み止めも全く使わなくなり、あんなに頻回に必要だった赤血球の輸血も20日ぐらい必要ありませんでした。血小板は変わらず輸血していましたが、頻度が下がり、痛みや貧血を少しでも抑えられた。抗がん剤が効いた。また今回も命を繋いでもらった。次も治療が可能なら続けたい。そんな事を考えていると、娘が、『今回、通院でお薬するの良かった。しんどくなかった。また次も通院でしたい。』と、何も聞かなく
ある日、Uちゃんのお母さんが、UちゃんのスマホのLINEに何かトラブルがないか何気に見ていると、娘がずっと使っていたタブレットのLINEアカウントに、このようなメッセージを送っていたことが、今になって知りました。モクモクファームへ行って、ウインナーを作ったことや、モケケのLINEスタンプがあるよ。という事を、Uちゃんは娘に報告していました。切ない。。日付を見ると、3月1日。娘が旅立って半月過ぎた頃でした。どんな気持ちで送っていたのかな。返事が来ないとわかっていながらも、き
【2023年2月25日の出来事】娘と約束していたこと。モクモク手作りファームに行くこと。ご存知の通り、娘はここの場所がとても気に入っていました。毎月行く!と言ってました。そして、2月も、治療が終わって落ち着いたら行くと約束していました。正直、思い出の場所へ行くのは、少し勇気が要ります。だけど、約束を果たす為、今回はUちゃんたちと一緒に行く事にしました。目的は、もちろん「ウインナー作り」です。早速、作り出しました。もう、何回作ったかな。息子は手慣れたもんです。そんな姿を見
娘の病気。小児がん、神経芽腫。同じ病気で闘うどなたかの参考になればと、振り返ってみます。神経芽腫は、5歳未満の小児に多く見られ、(小学生高学年から発症したお友達とも数名出会いましたが)腫瘍には悪性度の高いもの、自然に小さくなっていくものなどもあるそうです。神経のあらゆる箇所から容赦なくがん細胞を作り出します。そして、骨髄に転移しやすく、そこからあちこちの骨に転移します。神経芽腫の原発箇所の半数は、副腎髄質から発生します。その他では、頸部、胸部、骨盤部などからも発生するそうですが、
改めてですが…このブログは、備忘録として、書きたいことを好きで書いています。ブログを書いている時は、娘との事を思い出しながら娘と向き合い、娘の事を想える、私にとって大切な時間でもあるのです。娘との事を少しでも忘れたくはないから。覚えているうちに、書けるあいだに。と思っています。そして、ここで、たくさんの方と出会い、娘の事を想って下さる心温かい方々と、繋がれている事にも、心強いというか、とっても嬉しく思う事なのです。無理をして書いているつもりはありません。書きたいことがある限り
2023年4月3日今日は娘の四十九日です。法要は、先週行いました。四十九日までは故人はあの世、この世をさまよい、49日目にまだ天国に行けてない人がほとんどだそうです。四十九日はあの世で故人が天国に行けるのか、最後の審判を受ける日と言われていますね。恐ろしくも、故人は初七日から7日ごとにこの世での行いについて、何人かの審判官たちに裁きを受けている。と、教わり、「怖っ!!」と思ったのが最初の正直な感想です。そして、この世にいなくなった人が経験するであろう事を、そもそも誰がこの