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(老朽化は隠せない)これまでの旅路『【目次】2022/5/4あいの風とやま鉄道413系「新北陸色」引退記念列車乗車』(さよなら運転であることを考えなくても良企画)当ブログで最近「413系」がプチ特集化している状態となっていますが,西日本の西端の山口県在住の筆者がついに「西…ameblo.jp『2022/5/4第2章その1富山貨物駅を車窓で見学』(いよいよ出発)これまでの旅路『【目次】2022/5/4あいの風とやま鉄道413系「新北陸色」引退記念列車乗車』(さよなら運転で
直流区間の至るところで見られた165系列も次第に活躍の場を狭め、急行「赤倉」が165系最後の定期運用の急行でした。(1997.3新潟駅)急行といえど僅か3両編成の都落ち車両でしたが、この頃になると湘南色の大目玉ライトは稀少でした。急行「赤倉」は、1997年10月の北陸新幹線長野暫定開業を機に廃止、併せて上沼垂運転区の165系も消えました。(1997.3新潟駅)JRで最後に湘南色の165系を見たのが2003年6月です。新前橋電車区の165系を使い関東各地でイベント運転を実施し、最後
2010年に流山線の全列車が2両編成化され、3両編成の3000形は定期運用を離脱。2011年5月、「さよなら運転」で久しぶりに3000形が走りました。(2011.5.15鰭ヶ崎〜平和台)1999年に西武から旧.101系を譲渡されてから12年目で、まだ外見上の老朽化が感じられず、つくばエクスプレス開業による経営合理化を優先したのでしょうね。(2011.5.15小金城趾〜鰭ヶ崎)流山線沿線の風景は10数年前と殆ど変わらず、いつもの撮影地でのんびりと撮影。つくばエクスプレス効果で、流山
1978年、久しぶりに本線を快走する230形。先頭のデハ276は琴電に譲渡され、晩年は長尾線を走っていました。下り線にチラッと見える都営5200形は1976年製造で当時は最新鋭でした。現在、JR川崎駅方面を仰ぐと高層ビルが建ち並び、背景が随分と変わりましたね。(2024.4.27京浜急行線六郷土手駅)架線柱の構造、ホーム上屋の配置など46年前と変わっていません。(2024.4.27京浜急行線六郷土手駅)「六郷土手」という場末感漂う駅名が良いですね〜同じく、東京駅丸ノ内口で
【マイクロエース】103系1200番台・東西線。青多日。サハ組み込み編成<A-0794/0795>103系の中でもレア中のレアな1200番台、この車両をご存じの方はどのくらいいるのだろうか?JR西日本の105系に化けたのは、残念ながら元千代田線直通用の1000番台で、この1200番台は運転室扉の後ろに戸袋窓がある番台(非ATC)で、当時営団地下鉄の乗り入れ規定の関係でM車数を増やす関係も有った事から、「クモハ102」が存在していた。当初7両編成だった関係で、「6M1T」という爆速仕様だった
11月27日は、JR総武線205系引退や多摩都市モノレール開業、名鉄3150系デビューと様々な出来事がありました。これらの出来事を軽くご紹介します。【JR総武線205系】2001年11月27日にJR総武線205系が引退しました。国鉄民営化後に初めて乗客に死者を出した、1988年12月5日の東中野駅列車追突事故で不足した車両を補うため、埼京線用に製造していた205系を総武線用に改良したクハ205-95以下・クハ205-97以下を筆頭とする編成が、1989年8月1日から営業運転を開始しました
1971/5/9走行した近鉄10000系の記録です前編は上本町駅ならびに車内を
後編は明星にて各車両の画像を
今回は全線開通20周年を迎えた多摩都市モノレール、5年前にさよなら運転を行った銚子電鉄1000形デハ1002、関東ローカルな磁気乗車カード「パスネット」についてご紹介させていただきます。【多摩都市モノレール全線開通】2000年1月10日に、多摩都市モノレール立川北~多摩センター間が開業し全線開通となりました。多摩都市モノレールは、東京都東大和市の上北台駅から東京都多摩市の多摩センターを結ぶ19駅16Kmの路線で、1998年11月27日に、上北台~立川北間が開業、2000年1月10日には立
ーC56160,さよなら列車,ラストラン,山口線ー5月6日、山口線にてラストランとなるC56-160号機を、新山口駅で待ち受けました。朝から空はどんよりとしていて、D51-200号機を見送った時には、まだ降っていなかったのですが。撮影場所から新山口駅へ戻る途中から小雨が降り始めて、やがて土砂降りとなりました。臨時快速"ありがとうC56"号・C-56-160号機最後の新山口駅入線そして5月だと言うのに、寒くて風邪を引いてしまいました。雨足はかなり強くて、さよなら列車は新山口駅のコンコー