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みなさま、こんばんは。9月に入りましたが、暑い日が続いていますね。今日は更新が遅くなってしまって、申し訳ありません。今日はレメディーの特徴をお伝えしようと思います。今日ご紹介するのはイグネシアです。基本キット・マイクロキット・キッズキットに入っています。この資料をまとめるにあたって、参考にしたのは以下の資料です。・ホメオパシーinJapan由井寅子著ホメオパシー出版2002年・ホメオパシー的災害対策由井寅子著ホメオパシー出版2014年・キッズ・トラウマ由井寅子
2022.12月に娘が急性脳症を発症しました。当時はどんな文献よりも、病気を抱えながらも色んなものを乗り越えて生きていくブログを見て救われました。個人差も大きく、症例報告も少ない病気ですので少しでも情報を残して誰かのお役に立てれば幸いです。後は、自分用に娘との楽しい日常も残したいと思ってます娘は1歳1ヶ月でつかまり立ちまで出来ました病前まで健診等での指摘はありませんでした5日目で病気がわかりました。診断:二相性急性脳症(AESD)併発:敗血症、腸炎原因:風邪ウイルス(退院時に色
痙攣が続き、抗けいれん薬でもおさまらず、深めの鎮静剤で眠らせても頻繁にけいれんがおきてしまうそう。首からのカテーテルで24時間透析も。強い抗生剤でも血液の数値に改善は見られないと…入院したときも24時間透析をしばらくしていたな。目を覚ましてくれるのがいつになるかわからないって不安でしかない。もうすぐ息子の誕生日。
7月13日(月)朝起きたものの、またも寝てしまいお昼近くに起きました。起きてからいつものようにご飯お米などをミキサーしたスープ風ご飯を順調に食べ進めていたのですが途中で突然嘔吐しました。前触れなく、久々の嘔吐に驚き、ご飯は終了。でも、アイスが食べたいというので時間を空けてアイスタイム。こちらは戻すことなく食べました。いつもよりボンヤリしている娘。嘔吐したこともあり疲れているのかな?とゆっくりと過ごすことにしました。異変が起きたのは18時過ぎ。本日2食目を一口食べた後、なんだ
やっと慣らし保育終盤に差し掛かっていたんですが...二女ちゃん日曜日の朝からまた発熱してますそして夕方から熱が上がっていて39℃。解熱剤の坐薬を入れても熱が下がらず、20時に二女ちゃん就寝して、0時過ぎに嘔吐するような音がして二女ちゃんを見ると泡を吹いて痙攣してました。私自身が子どもの頃に熱性けいれん経験してていて、子どもが高熱出した時に「けいれんしたらどうしたらいいですか?」というのをかかりつけの病院の医者に聞いていました。先生からは「救急車を呼んで下さい」と言われいました。けいれんの
6月29日、療育園でピクつきが20分間ほど続き(SpO2は不変)、その夜から、てんかん発作(硬直、痙攣)からの無呼吸発作が激増しました。これまで、感染症や下痢嘔吐で無呼吸発作が増加したのですが、今回は何のバイタルサインの変化もなし。ただ、元気は日に日になくなり、7月5日には怒りもしなければ声も全く出ずでした。台風とか来たので気圧の変化と思い、頭痛ーるというアプリで気圧や気温を調べたけれど、特筆すべき点はなし。あと思い当たるのは、トリクロリールシロップです。アルマンは生後4
また発作です。昨日、インフルエンザの予防接種を受けにいきました。帰り、夜道を20分ほど歩いて帰り、帰宅して私が2階で着替えていると、下から「あ、あ、」という大きな声が。急いで降りると、バタっと音がしてリビングにみいが倒れ、声を出しながらけいれんしていました。3分くらい続きましたが、徐々に収まり、すう〜と寝入りました。声かけても反応なしですそのまま眠り続け、途中で声かけると反応したので、薬を飲ませてベッドに行かせました。実は、先々月くらいからちょくちょく発作のような症状(反応なくなる)が
5月23日(生後10日目)今日も仕事から病院直行の旦那さんと病院で待ち合わせて面会へあおくん、今日も右に向いてるねあ、呼吸器が右のふわふわ壁に当たって、口が口蓋に強く押しつけられているように見えます口の形が不自然に上にあがってるよ痛そう😥人工呼吸器は固いプラスチックで、しならないからだね看護師さんに伝えて、整えてもらうけど、すぐ痛そうな顔つきの表情になってしまう😥もそもそと、旦那さんと2人で、いい角度になるように調整したよまたすぐ戻っちゃうかもしれないけど主治
VNSの手術をしましたぽんちゃんの病気についてはこちら⬇自己紹介|遊走性焦点発作を伴う乳児てんかんのぽんちゃんと家族の記録遺伝子異常/てんかん/心疾患/発達障害ameblo.jpVNS(迷走神経刺激療法)の手術を無事終えることができました。ぽんちゃんは生後3ヶ月頃から20-60回/日程度のけいれん発作があり、1年半かけて7-8種の内服薬を試して来ました。新しい薬を始めるたび、発作ゼロまでは願わないから半数にでもなれば…。とねがいますが、全然発作が減らない日々です。内服薬を
2/3(日)一時心停止から56日目。今日は、パパと私でUをお風呂に入れる予定を組んでもらっていたので、午前のうちにわくわくしながら病院へ面会に行ったのですが、U、点滴されてました。。。(T_T)しかも体の動きがなんかおかしい。いつもは触らないとほぼ動かない体が、なんだかもぞもぞとひっきりなしに動いている。嫌な予感。今日は日曜で主治医不在のため、別の神経内科の先生が来てくれました。話を聞いたところ、昨夜11時ごろにバタバタするけいれん発作が起きたとのこと。サチュレーショ
マグネシウムと運動運動で筋肉が矢継ぎ早に収縮と弛緩を繰り返すときに、もしカルシウムが過剰で、マグネシウムが過少であると、筋肉けいれんと乳酸の堆積が起きる。スポーツ選手やコーチの大部分が認識していないが、およそ運動選手が摂取すべき栄養素の中でも、マグネシウムが最も重要なものの一つである。すでに述べたように、細胞はATPと呼ばれるエネルギーのパックを使うが、ATPはマグネシウムがあってこそ形成され得るものである。最初にマグネシウムと肉体機能との関係を示した研究は、動物を使って行われたものだが
息子の付き添いが本当にストレスで仕方ありませんでした運動面は回復したものの脳は萎縮してしまい理解が出来ない病室を歩き回るし廊下に出て行こうとするし鼻のチューブを抜こうとするしで目が離せなくなってしまったのですなので特別に病室の鍵を閉める事を許していただいたのですでも外から鍵を閉める事は出来ないのでトイレに行くのも大変なのですトイレに行きたくなったらナースコールをしてトイレに行かないと息
マグネシウムとの因縁話医学校の第2年度、産科病棟で患者さんを診ていたとき、陣痛の最終段階にある若い女性の血圧が急速に高まり、けいれんが始まった。これはまさに医学的緊急事態である。副作用が多々あって、効果にばらつきの多い降圧薬や抗けいれん薬には、かねてより懐疑的であったため、胎児に危険を及ばさずに有効な働きをするものがあり得るものだろうかと思いを巡らしていた。しかし、まちがいなくこの妊婦には、何か強力かつ有効なものが必要だった。主治医は電話で硫酸マグネシウムのアンプルを取り寄せ、直ちに静
26日の訪問看護の日、看護師さんとお話ししてて、あと10分くらいってなり、ダイエットの話をしている時、段々体が動かなくなってきた。訪看の人の話では、段々口数が少なくなってきて、あれ?と思った頃には、すっかり体が固まって、反応がなくなっていたとのことだった。母を呼んできて、ベッドまで誘導してくれて、「休んだほうがいいよ」と言われ、寝ている間に母と訪看の人が話をしていた。私は、それからずっと喋れなくなってしまって、主に母が私のそばに付き添ってくれていたんだけど、硬直したり、けいれん
一族面会の前後ゆいとにちょっとした動きが出てきました。自転車こぎ様運動私たちはこの運動のことを全く知りませんでした。なので、ゆいとのおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、この動きを見てこれからもっと活発に動けるようになるんじゃないか?と期待していました。私も始めは足を自分で動かせるんだと思っていました。しかもそれは本当に自転車こぎの運動のように、しっかり動いている感じだったのです。その頃はネットでよくゆいとの病状のをググッたり、胃ろうや気管切開について調べたり…養子縁組について
廊下で待った時間はどれくらいなんだろうようやく呼ばれて息子を見ると痙攣を止めるお薬で眠っていました看護師さんから「今、眠ってるけど明日には起きると思いますよ」「まぁ3日間くらい入院したら大丈夫だと思いますよ熱性痙攣だと思うので」熱性痙攣かぁ何か聞いた事あるなでも良かった大した事無さそうでMRIの検査もしてもらいました🛏先生から「脳も正常なので脳炎とかは無いですね」と言われ脳
これまでの記事は、当時を振り返った記事(2021年)となっています息子も体力がついてきてついに外出の許可が出たのですでも外出と言ってもどこに行って良いかわからない別に行きたい所もないしなぁ看護師さんは「◯◯の公園行ってきたら」と言ってくれるけどそこの公園は元気だった時によく行ってた公園だから行きたくない結局行く所もなく久々に自宅に帰ってきたのです🏠息子は家に帰るのは4か月ぶりくらいかな家に帰ったら思い出して
最初に症状が出てから数ヶ月、たしか2018年8月だったか…いつも行ってるアレルギー科の先生に「そういえば最近右手の力が入りにくいことあって〜…」なんて軽く話をしたら先生の顔色が変わり、急遽血液検査。その日の夕方、病院から電話があって、すぐ来て欲しいと。病院から電話がかかってくるなんて今までなかったし、ただ事ではないとちょっとビビりながら行ってみると大きい病院へ紹介状を書くからそこへ行ってみてと。血液検査の結果は問題なかったらしいけど、先生が気になってたらしい。市内の総合医療センターへの紹
6/10生後28d(修正妊娠31w1d)今日は体重測定をしてから、パパだっこの日でしたパパの胸に抱かれて、あおくん落ち着いていました小さなあくびがすごくかわいいうっすらニコッと笑ってくれる表情もある目をキュッとつむったり、お顔をみてるととても癒されました体重は1,274gどんどん増えていくねパパにだっこされていると、急に呼吸数140ほどあったのが、70くらいに下がって、あおくんが顔をクシュっとして、苦しそうな表情になった旦那さん曰く、顎もカクカクとなっていたって。けいれ
ベットに入り、事前に購入したウーマちゃんをしっかり🌰にはめ込みます。いや、そんなのなくても充分気持ちいいから、というRちゃんを完全無視して、いきなりスイッチオン‼️Rちゃんの表情からゆとりがなくなり、ピクピクしながらあえぎ声が響きます。それを聞いて自分のは元気になります。すでにG付きなので、焦らしながら彼女が10回程度イキ、体力的に限界気味のところで自分のをツッコミ、あとは好き放題。正→バックでくびれを堪能してこれも15分以上保ちます。調子良いです。その間に、また10回以上けいれん気味にア
病院に戻るとみんなが待っていました。「戻ってこないで外泊できただけで御の字」と言われました。そして数日が過ぎた頃、主人は近くに転勤させてもらい仕事の合間にきてくれていました。ほぼ毎日病院に泊まっていた私は疲れていたのでこの日だけ主人に病院にとまってもらい自宅に帰ることにしました。9時に帰り翌日主人は仕事なので6時に家を出ることに。お風呂に入り家を出ようかと思うと何件も不在着信が残っていました。ワイシャツ持ってきてほしいのかな?なんて思い病院へ急ぎました。そしてNICUに入るとい
ウトウトしか出来なかった隣を見てもいつも一緒に寝てる息子と夫がいないあーやっぱり現実なんだ夫に息子の様子はどうかLINEしました返信はまだ痙攣が何回もあるよとの事そっかぁ…私は両親に電話をしました「れんが昨日の夜痙攣したから救急外来行ってそのまま入院してるよでも熱性痙攣だと思うから3日くらいで退院できるよまた連絡するね」と報告をしましたもちろん驚いてたけどすぐに退院出来るという事で安心してる声でした私は準備をして病院に向かいました息子は目を開
2021年1月17日〜21日幼稚園の冬休みも終わり1週間くらい経った頃急に高熱が出始めました風邪ひいちゃったかぁ幼稚園で風邪、流行ってたのかな?もうすぐ小学生になるからという事で夫と息子は前日、小学校まで何分かかるか歩いて登校のシミュレーションしに行ったのです外を歩いたから風邪ひいちゃったのかな?理由はわからないけど珍しく息子が熱を出したのです早速かかりつけのクリニックで診てもらい診断は風邪とのこと風邪薬
息子を車に乗せて病院に向かいました息子の体は反ってしまい真っ直ぐな姿勢で座っていられなかったのです仕方なくシートベルトを外し足元に丸くなった姿勢で座らせ病院に向かいました病院に着いて夫が抱っこして救急外来の待合室で呼ばれるのを待っていました全然呼ばれないそのうち顔の痙攣が始まりましたマスクの中からヨダレも出てきて泡吐いてるしすると待合室にいた警備員さんが息子の異変に気付いてくれて慌てて診察室の中に入って順番を早めてもらうようお願いしてくれたので
左手の中指がふるえるようになって、気分安定薬のエビリファイをやめて12日ほど経つ。エビリファイの副作用に「手足のふるえ」があったからやめてみたのだ。10日以上経っても、手指のゆるえは収まらない。おかしいと思って、精神科で処方されている他の薬の副作用も丹念に調べてみた。すると、睡眠薬のマイスリーとサイレース、レム睡眠行動障害の治療薬である抗てんかん薬のランドセン(先発品はクロナゼパム)にも、「ふるえ、けいれん」の副作用があることがわかった。〈ランドセン(先発品はクロナ
リハビリが順調に進み喜んでいたのも束の間ここからが入院生活で一番大変な時期でした歩けるようになったのは嬉しいことだけど今度は部屋中を歩き回るのですとにかく色々な物に興味が湧き高い所に登ったり引き出しを開けたり扉を開けたり廊下に出て行こうとしたりベッドの上を歩いたりそして一番のストレスは鼻のチューブを抜こうとすることです介護のストレスは色々あると思うけど私は入院生活で一番辛かった事は
先生が朝回診に来ました相変わらず意識が戻らない息子もう入院して1週間がたちます「う~んICUに移動ですね」・・・そっかぁ治療に効果なかったんだなんでこれから息子はどうなっちゃうの私はどうしたら良いの何でこんな事になっちゃったの私の願いは叶うことなく息子はICUでの治療が必要になってしまったのです息子はICUに連れていかれました小さな和室の部
みなさまはドラマや漫画で「コウノドリ」をみたことありますか?今更だけど、初めて「コウノドリ」のドラマを見て、すごい考えさせられている。私自身、子供を妊娠する前は簡単に「子供の障害がわかったらおろすかも」って言ってた人間だから。今思うと、その頃の私は圧倒的に無知だったんだよな。障害者=知的障害者=育てにくいって。障害っていったって身体も知的もあるし重度、軽度など幅広い。それまでの人生で出会ったことのある人やテレビの中の表面上しかしらなかった。だから簡単に障害があったら育てられないって思い込
担当医からついこの前まで元気だった息子が手足麻痺ですと伝えられこの先どうやって生きていけば良いのか絶望になり私は両親に報告の電話をしたのです「れんくんねぇ…手足麻痺だって」すると父親が「手足麻痺~俺は今まで生きてきてこんな辛い想いをしたのは初めてや」と泣きながら「なんでや~」と言ってきました電話の向こうでは母親が大泣きしている声が聞こえてきました私もどうして良いのかわか
初めまして夫(会社員)私(専業主婦)息子(特別支援学校2年生)3人家族です息子が病気、障害になって2年が経とうとします今でも忘れられない2021年1月22日当時6歳3ヶ月の息子突然の痙攣その日から私達家族の人生が変わってしまいましたまだまだ暗闇の中にいるけれどそれでも絶対この暗闇から抜けれるって信じて生きています息子の病気の事私の想いなどをこれから書いていこうと思いますブログ初心