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私の病気ALSになって今までに辛かった時のこと3位地元の病院にレスパイト入院した時のこと。ものすごく意地悪なおばさん看護師がいていじめ抜かれました。最終日の前日に2週間ぶりの入浴だったのですが、そのおばさん看護師が風呂場で待ち構えていたのです。案の上嫌がらせを受けました。浴後に着替える時に⁉️和川さん背中が泡だらけですよ。病院の質が疑われる一件でした。最終日の前日の夜はパソコンを使ってそのおばさん看護師にされた数々の悪事をパソコンのボリュームMAXでリピートしまくりました。(周り
TLS(TotallyLocked-inState・完全な閉じ込め状態)。ALSが進行し、眼球運動を含むすべての随意運動が麻痺して周囲とコミュニケーションが取れなくなった状態。「ALSマニュアル決定版!」「ALSマニュアル決定版!part2」という2冊の本を拾い読みしたので、TLSに関して印象に残ったことなどを含めて記事を書いてみようと思う。テーマがテーマなので、気が重くなると思います。いつも見に来て下さる皆様も積極的にスルーしてくださればと思います。本当に。☆まず、TLSの歴
僕の体⑤の続きになります。前後しますが僕も余命宣告を受けたことがありました。(ALSなら誰もが経験することかと思いますが、たぶん)2014年5月19日ALSの宣告を受けたとき(僕は38歳)余命宣告も同時に受け、長くて半年と言われました。とは言っても、2年くらいは持つでしょ、って勝手に思ってました。だから7月中には手術日を決めてくださいと言われたこと、その前に呼吸器をつけて生きるか呼吸不善で死ぬかを今日決めてくださいには全く納得出来ず(今はこの判断をもちろん100支持しています)1ヵ月先伸
ALS僕の体③の続きになります。③の最後にまた明日と言いながらなかなか書けずにいた自分に反省してます…気管切開手術後に、僕の体はその後5ヵ月に及ぶ入院生活でかなり病気が進みました。とにかく早く在宅に移りたいと思っていた僕は焦っていました。なんでも自分で出来ると大きな勘違いをしていたのもこの時期だと思います。この頃はまだ左手にiPhoneを操作できる力が残っていたのと生命保険が数千万円入ったこともあり(ALSは死人扱いなのですがこの時はその意味も分からず、法人を立ちあげ、代表になって…
2020・12・39時から訪問入浴。その後15時までほぼ目を閉じてPC使わず…。15時から訪看さん。それからも必要最低限しか使ってない…。それでも、今日は目が揺れてなかなか使えない…。辛いね…怖いね…TLSにむかってるのかな…。
ようやく始まった東京での在宅生活ですが、ヘルパーさんも慣れてくるとその人の素が見えてくるものです。テレビをつけていると全く動かずテレビを見て嬉しそうにテレビに向かって独り言を永遠にしているヘルパーさんがいました。これはまだかわいいものでテレビを見ないことで解決しました。次のことは独居あるあるでも上位に入るのではないでしょうか。現金が無くなる…悲しい出来事でした。その他にお気に入りのスニーカー、ブランケットなども盗まれました。その他ににはゲイやろうのキモイ…思い出したくないので
私はALS6年生です。父からの遺伝なので、TLSは逃れられない運命だと考えています。TLS={totallylockedinstate(完全な閉じ込め状態)}独居している私は完全に動かなくなったら、中身は健常者、器としての体は植物人間状態で痛いもかゆいもいずいもたんを取ってほしい時も、周りとのコミュニケーションが一切
2015年撮影私の病気の、ALS6型の特徴は発生年齢が幅広いことです。13歳〜69歳、平均年齢が44.5歳と記憶してます。私の主観では強い負荷がかかったところから筋肉が死んでいきます。前頭側頭葉型認知症にはならない。最後は全身動かなくなる。治らない。精神的に日々追い込まれていきます。
病気になって練馬区で独居することになりましたが、それ以前から関東南部東京、横浜、埼玉に住んでたので地元を離れることに抵抗はありませんでした。(今現在で丸12年)こちらに来て良かったことはヘルパーさんが地元と比べてたくさんいるということです、それと旧友に再会することが出来たことです。前々回に挙げた大学時代の親友(勝手にそう思っているだけなので違うかもしれないです…^^;)それと高校時代の親友(同上)小、中、高からの腐れ縁の友達に励まされながら生きていけることです。
前回の続きになります。私はALSの診断を受けたのは2014年の5月です。私が遺伝子検査を受けたのは診断を受けた大学病院、都立●●病院この2つの病院はなんやかんや理由をつけて未だに結果の回答を得ていません、2009年にALS6型(FUS/TLSの遺伝子に変異が認められるもの)が見つかりましたが私の検査結果がこれになります。今から25年前に受けた大学病院の遺伝子検査の結果がこれに関係しているのかなと思って…当時の父の主治医が今はその大学病院の教授になっており、当時のことが間違えているかもしれない
私は2014年5月にALSの診断を受けて8月にSPO229%で気管切開手術を受けました。このとき私の年齢は38歳でした。当初はとにかく背中が痛くて我慢出来ない程でした。その痛さとても自分を保つことが出来るものではありませんでした。私は早い段階で麻薬を使用しました。ただ幻覚が見え出してきたのですぐにやめてリリカを300mgに切り替えました。私はTLS[TotallyLockedinState(完全な閉じ込め状態)]になるのでその後は何処かの病院で薬漬けになるのでしょう。
病状をを遅らせるお薬を昨年、慶應義塾大学のIPs細胞のチームが発見したのをご存知ですか?まだ認証されていないので自費になりますが私は効果を実感しています。
久々のこのスタイル、坊主なので以前よりも似合ってるような気がします。アホなことに付き合ってくれたヘルパーさん、ありがとうございます!前回のALS私の病気(ALS=筋萎縮性側索硬化症)について思うこと❸の続きになります。「人数多いし、調べている時間もない…まぁSOD1が無かったと言えば医学的に問題はないかな」ここまでは仕方ないとして、遅くても2009年にALS6型が見つかった時点でこの事実を私に伝える義務があったはずです。「あのときよりも原因遺伝子が多くなっている(発見されて)ので再検査
前回のALS東京で独居⑶の続きになります。その他にも多々問題がありました、警察の方にもお世話になりました。自衛手段として防犯カメラを設置しました。改善することから逃げたら今後の為に、刑事訴追します、乗り気ではありませんが…
前回のALS東京で独居⑸の続きになります。悪いことだけではないと前回書きましたが今の自分の自分の状況を考えるとやはり家族と一緒にいたいというのが本音です…ただしいまの状況を作ってしまったのは自分にも責任があります。私がわがまますぎたのかな、、、とか思い反省する日々です。しかし一度壊してしまったものを修復することは難しいものです。後悔してもしきれないことです。
私はALSと診断されて5年が過ぎた中年男です私に待っているのはALSの中でも最も恐れられているTLS{Totallylockedinstate(完全な閉じ込め状態)}です。私の父がそうだったのでそうなることが確定しているということです。TLSになってからでは自分の意思を示すことが何もできなくなります。自分の意思を自分で意思表示ができる内に尊厳死を選びたいと考えています。
前回のALS東京で独居⑹の続きになります。少し話が戻りますが、金銭の盗難ですがご高齢の方々で独居されてる方は大丈夫なのでしょうか、と心配してしまうのですが(余計なお世話だったら申し訳ありません、人の心配する前にテメエの心配しろ!って感じですよね…)大学の友人が
以前どっかで書いた腐れ縁のnicemiddleです。前回、結局のところ私が何を思ったかというと、体が動かなくて、声を出せないとくっそ舐められるということです。少し頭の弱いおばさん看護師然り、アホな若僧ヘルパー然り、こちらがどれだけおまえらの小さい嘘に付き合ってるか。舐めんな若僧、おい!おまえのことだぞ!!なーんてね、てへぺロ!こちらは知性もあるし体が動けば世界の経済を回してる(少し言い過ぎました。)年齢です。