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スペアキー、無事作ってもらいました(写真右)。元のよりスムーズに回ります。ホームセンターコスモさん、どうもありがとうございました。引っ越しまで一週間を切り、これが最後の訪問になるかな?名残惜しいし、もう一度行ってドカジャンでも買おうか。少し前の断捨離の話題。懐かしいカセットデッキです。ほっぺの赤い少年の頃からのつきあいでした。しかし、どのボタンを押してもテープが回りません。駆動部にゴムを使っているので、長く使うとどうしても経年劣化するのですね。もういつか忘れてし
Photographer有賀幹夫さんとストーンズ先日、FM東京、いや、スミマセン😅、Tokyofmの稲垣吾郎さんパーソナリティー「THETRAD」に、フォトグラファーの有賀幹夫さんがゲスト出演されました。有賀さんは、ザ・ローリング・ストーンズ初来日からオフィシャル・フォトグラファーを務めていた方です。その前は、RCサクセションの、やはりオフィシャル・フォトグラファーを務めており、日比谷野音での名ライブ「theTEARSOFaCROWN」での作品などが代表作です。そ
なーに言っ笑もう、何十回も、本ブログで遊んでますケド☝🏻これね、ヒントといふか、遊びのキッカケを作ってくださったのは忌野清志郎さん♪1988年リリースの、知る人ぞ知るTHERCSUCCESSIONのカバーズというアルバム(写真下)5曲目プレスリーのラヴ・ミー・テンダーの歌詞のLovemetender,lovemesweet.Neverletmegoの部分を清志郎さんは何言ってんだ
久しぶりのチャボのリアル・ライブ参戦でした。2017年の野音で見た「雨あがりの夜空に」以来です。この時のライブとメンバーは同じで、ドラム河村さん、ベース早川さん、キーボードDr.Kyon、サポートの梅津さんと片山さんはいらっしゃいませんでした(片山さんはお亡くなりになられました。。)。でもその後もちょこちょこチャボの雄姿は見ていて、2019年野音での忌野ロックンロールショーFINAL、2020年ナニワ・サリバン・ショー、その後のコロナ下では、無観客での南青山MANDA
木村充揮さん(From憂歌団)独特の存在感、独特の風貌、ダミ声、唯一無二の歌唱力、日本のブルースの第一人者と言えば、この方以外には思い浮かびません。一言でブルースと言っても、アメリカ由来のホンマもんのブルース・バンドって日本では案外少ないんじゃないかな。昭和歌謡にはよく、ほにゃららブルース、って出てきますけど、これらは日本式なものですしね。むしろR&Bやソウル、ロックンロールの方がジャンルとしては一般化してるので、そもそもの源流であるリアル・ブルースを体感できる木村さんの音楽はとても貴重
PARTⅢEpisodeⅢVOL.32年6ヵ月記念リミックスリマスターその3スティーブ・マックィーン2023年7月5日に大脱走-60thANNIVERSARY日本語吹替音声完全収録4Kレストア版SPECIAL-が発表されました。大脱走はスリルと興奮の脱走劇を完全映画化した不朽の名作です。前記の文お茶を飲んでテレビを見ていると、ラジオからレゲエが流れてきました。ボブ・マーリィー&ザ・ウェイラーズのワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディで
山下久美子さん今でこそ、ロック系のライブといえば1曲目から立ち上がるのが作法というか、完全に定着していると思うのですが、1980年代前半くらいまでは、必ずしも前の席から後ろの席まで終始立ちっぱなしが当たり前ではなかったように思います。フォークの流れもあったかな。そんな中で、山下久美子さんの学園祭を中心としたライブは、観客が全員総立ちとなるということが評判となり、ライブの女王、総立ちの女王などと呼ばれていました。ご本人曰く、”常にステージぎりぎり
おそえも〜ん、貫さんっす!!今回もネチケットに気をつけて頑張りますっ、キラリン☆ノノ寄生虫三日目この日は朝から晴れてて雪もだいぶ溶けましたもちろん朝からご飯の準備朝飯終えてのコーヒーブレイク落合信者はYouTubeもチェック昼飯は贈答で届いてた讃岐うどんを「不適切にもほどがある」一挙放送前半戦。貫さん、平日はどうしても見損なうんでドラマは見ないんで初めて見ましたがやはり話題になるだけあって面白いね。明日の後半戦も楽しみです。さすがはグループ魂ですなぁ〜。遅くなる前に
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松山千春先月、BS12の「カセット・テープ・ミュージック」で特集されました。とても好きなアーティストの1人です。ライブも行ったことがあります!松山千春のリアルタイムな体験私の場合、平尾昌晃などのロカビリーは生まれる前の歴史上の出来事、岡林信康を代表とするフォークや、タイガース、テンプターズなどのグループサウンズも前の世代、そして吉田拓郎や井上陽水の全盛期にも間に合っていません。と言うか、ガキでした😅。音楽に主体的な興味が出てきた頃は、ベイ・シティ・ローラーズや、キャン
忌野清志郎は1951年4月2日生まれで明日が誕生日ですが、その清志郎より3つ年上なのが偽悪者で有名な(笑)、泉谷しげるさんです。一般的には初期のフォーライフレコードでの繋がりや、1994年8月武道館の「日本をすくえ‘94」ほか、スーパーバンドとして行動を共にした吉田拓郎との関係が有名ですが、泉谷さんは清志郎のデビュー当時の青春期から還暦まじかにかけて、断続的とは言えずっと交流があり、いつも心の中で意識していたようです。泉谷さんは、いろんなところで清志郎のことを語っていますが、RCサク
昨日タワレコより到着!THETIMERS(ザ・タイマーズ)1stアルバム『THETIMERS』35周年祝賀記念品2024年11月6日(水)発売|ジャパニーズポップス忌野清志郎によく似ている人物“ZERRY”率いる4人組、THETIMERS...www.hmv.co.jpザ・タイマーズ1988年、富士急ハイランドでのアン・ルイスのライブに突如乱入して活動開始、翌年レコードデビューした4人組覆面バンド、THETIMERSの幻の音源を収録した作品「THETIMERS3
ジョン・レノン(敬称略)は、1980年12月8日に、ニューヨークの自宅の前で、ある男に銃で撃たれ死去しました。まだ40才で、唐突に訪れたあまりにも早い人生の終わりでした。犯人のマーク・チャップマンは、殺害の動機について、「有名人の命を奪ってでも有名になりたかった」と言っているそうです。こんな男に殺されるなんて、人生の不条理を感じずにはいられません。ジョン・レノンが作った「イマジン(Imagine)」という曲があります。この曲は、1971年に発売された同名のアルバムに収録されている曲で、オノ
ビートたけし私が高校生の頃、漫才ブームがテレビを席巻してました。THEMANZAIはホント楽しみで、腹を抱えて大笑いしてました。私のお気に入りは、B&Bやザ・ぼんち、そして毎回トリをとってたやすきよかな。B&Bが司会の昼間の帯番組「笑ってる場合ですよ」を平日の祝祭日に見るのもメチャクチャ楽しみでした。ただ、私の場合、ツービートはさほど面白いとは思いませんでした。なんか、たけしが1人でビービーしゃべってるだけで、ビートきよしは何も面白くないし、大したことないと思ってました。たけしのオールナ
12/27のゴールデン・ラヴィット、今年もサンボマスターのミニライブがありました!ヒューマニティと、できっこないをやらなくちゃ凄いPowerだ!サンボマスター家で仕事の日だったり、少し遅めの出勤の時、必ず定刻8:00から聞くロック・ナンバーがあります。これです!サンボマスター/ヒューマニティ!MUSICVIDEO「ヒューマニティ!」※TBS系「ラヴィット!」テーマソングListen→https://sambomaster.lnk.to/humanityライブ音源「1st
“忌野清志郎が愛したカバーズ”これ、先月発売されたCDのタイトルなのですが、ジャケットに小さく、※本作品は忌野清志郎本人の作品ではありません。とあります。まあ、間違えて買う人はいないと思いますけど😅、確かにタイトルがタイトルだけに、適切な処置だと思います😅。それにしても、なんて素晴らしい企画アルバムでしょう、今までもオムニバス系のアルバムは買ったりしてますが、その中で間違いなく過去最高傑作ではないかと!収録曲の多くは清志郎がRCサクセションや、タイマーズなど様々
私が大学生の時は、エレキ化後のRCサクセションの最盛期が続いていました。そんな時、サークルに3つ歳下の音楽好きそうな後輩が入ってきて、当然RCが好きなんだろうなという前提で話しかけたら、「先輩、私はBOØWYが好きなんですよね~」などと言われ、「えっ?BOØWY?、あ、ああBOØWYね、ボ、BOØWYもいいよねぇ💦」などと知ったかぶりをしてしまったことをよく覚えています(笑)。この時から「あぁ、若い連中には今、BOØWYが人気なんだ、へ~。」と、自分の中で初めてBOØWYを認識する
6月は父の日がありますが、何とな〜く母の日に比べると地味な印象があり、夫婦間の力関係を如実に示してるかのようです😅😅。し、しかしです。そんなお父さんたちを力づけ、リスペクトするロックがあるじゃないですか。働くパパを愛でるロックと言えば、そうです、忌野清志郎の「パパの歌」です!この「パパの歌」、RCサクセション活動停止後、清志郎のそれまでとは全く違う別の面を初めて世に知らしめた名作です。作詞の糸井重里氏はRCブレイク時にインフルエンサーの役割を果たしてくれた方ですが、具体的なコラボレーションが
新しい年になりました🤗今年もよろしくお願いいたします<(__)>で、、新年早々、どでかニュースが聞こえてきたのですけど、、、詳しくはこちらをご覧下さい💁-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be動画共有させていただきました🙏場所が、今回石狩ではないんだけど、「日比谷野外音楽堂」なんです!!、、泣いてもいいですか?°・(ノД`)・°・野音は、2024
草野マサムネさん誰もが知っている「ロビンソン」や「チェリー」など数々の大ヒットを飛ばし続けているロックバンド、スピッツのボーカル・ギター担当です。類稀なメロディー・メーカーだと思います。曲の構成はとても分かり易いし、思わず口ずさみたくなるし、また、独特の声質とハイトーンのボーカルが、ヤサぐれた心をも包み込んでくれるような、とても包容力に富んだシンガーだと思います。ただ、コレも半ばファンの間では常識かもしれませんが、マサムネさんの音楽的ルーツはハードロックやヘビメタ、そしてパンクなのだそうで
糸井重里さん糸井さん、マルチな文化人タレントの走りと言っていいんじゃないかな。本職はコピーライターですが、他にもエッセイスト、編集者、作詞家でもあり、テレビ番組のMCもやってました。お茶の間にもよく知られるようになったのは、やはり1980年の沢田研二の大ヒット曲「TOKIO」の作詞家としてかな。雑誌「ビックリハウス」の人気投稿コーナー「ヘンタイよいこ新聞」の主宰者としても活躍されてました。そんな糸井さんですが、清志郎との接点で、特筆すべきものが3つあります。❶RCサクセション大ブレイ
細野晴臣さんと清志郎のコラボレーションと言えば、何と言っても「HIS」でしょう!細野さんのH、忌野のI、坂本冬美さんのSをとってHISと命名したそうです。坂本冬美さんは、レコード会社がRCサクセションと同じ東芝EMIだった縁もあり、RCの問題作にして最大のヒットアルバム「Covers」にボーカルとして参加しています(「シークレット・エージェントマン」)が、清志郎と細野さんの共作はHISが最初でだったようです。このプロジェクト発足の経緯は、清志郎自身の著作による「忌野旅日記」に詳しいのです
こんばんは。昨日は四谷大塚主催の全国統一小学生テストを、小1の息子(子サバ)がはじめて受けてきました。詳細な点数はまだ分からないのですが、テストの問題に書いてあった子サバの解答を見てみて、「こりゃ、ダメだ」ってなりました。算数は最初の問題の、数を数えさせたり簡単な計算は出来ているようですが、その後の図形問題では、正しい図形ではなく間違っている図形を選ばせる問題で、簡単に引っかかっていました(素直というかちょろい男やで)最後の長めの問題文を読んで、A子さんやB男くんの持っているカードを当てる
間寛平さん、松ちゃん降板後の探偵!ナイトスクープ初回で、局長代理を務めていました。翌週は視聴率調査、コレも寛平さんの十八番です!探偵!ナイトスクープこんなに好きなバラエティー番組は他にありません。これ、もしかしたら世界に誇れる番組なんじゃないかな?ジャパニーズCoolとして是非世界に紹介したい番組です(笑)。そんな素晴らしい番組の中にあって、最年長かつ最ベテラン探偵が、間寛平さんです。ひらけ!チューリップ寛平さん、かつては歌手として大ヒットを飛ばしています。1975年「ひらけ!
矢沢永吉、日本人なら老若男女誰もが知っている現役の超ド級スーパーロックスターと言えばこの方しかいません。紅白歌合戦にも出演していますし、日本人初の国民的ロックスターじゃないかな。そんな矢沢永吉とも、忌野清志郎は縁がありました。🟦矢沢B吉でございます?1989年角川書店から出版された「GOTTA!忌野清志郎」連野城太郎著(元キティレコードの森川欣信氏)で清志郎本人が面白いことを話しています。ファンの間では有名ですが、RCが矢沢永吉の前座をやった時、清志郎がMCで「矢沢B吉でございます、
今年ももう9月ですが、9月はRCサクセションの「九月になったのに」とサザンオールスターズの「夏をあきらめて」を思い出します。3人時代のRCは、暑苦しい夏はさっさと消えてくれと歌ってます。逆に行く夏を惜しむ健全な精神の代表曲が、「夏をあきらめて」じゃないかな。方や、行き詰まった出口の見えない陰鬱な青春をおくる若者を歌ってるイメージ、こなた、青春の夏の1ページを感傷に浸りながら綴っている若者を歌ってるイメージです。やはりRCとサザンは水と油かな、ともとれますが、実は清志郎と桑田佳祐、信頼関係で
2000年代の清志郎を語る上で避けて通れない?(笑)自転車に関わるエピソードを、いくつか紹介させていただきます。山形の強靭なお父様と面会NHKの番組で、ツール・ド・奥の細道~忌野清志郎1000キロの旅〜(初回放送:2002年)がありました。清志郎が51歳の秋、松尾芭蕉の足跡をたどる東京・深川から秋田・象潟まで、10日間・1000キロの自転車旅の記録です。ナレーションは竹中直人さんが勤めています。この旅のメインイベントは、❶で紹介しました、清志郎が自転車にのめり込むきっかけ
そろそろ忘年会のシーズンですそんなにたくさんの忘年会に呼ばれるわけではない私ですが(友達が少ないので)地元の同年代友達と早めの忘年会渋めの焼き鳥屋で飲み食いした後毎度恒例のカラオケ大会同年代とのカラオケなのでとりあえず古い曲がかかります、、笑竹内まりや人生の扉沢田研二勝手にしやがれ森高千里渡瀬橋米米クラブ浪漫飛行キャンディーズ春一番ドリカム大阪ラバーRCサクセショントランジスタラジオ等々…ちなみに私が歌ったのは森高です、笑そこで自分の音楽遍歴を
春日博文さん(通称:ハチ)70年代に『カルメン・マキ&OZ』のリーダー、ギタリストとして大活躍され、3枚のオリジナル・アルバムを発売、ライブでも大成功しています。特に1stアルバムの『カルメン・マキ&OZ』は当時のロック・アルバムとしては異例の大ヒットを遂げ、特に収録曲の『私は風』(作曲:春日博文)は人気が高く、多くのフォローワーを生み出しました。中森明菜もカバーしてたかな。確かCMにも使われていました。(2020年にカルメン・マキ&OZは再結成ライブを行なっています)春日さん、清志
長渕剛と清志郎共に同じ1980年に大ブレークし、そして80年代はそれぞれの音楽性とカリスマ性とマスメディアへの露出によって、類まれな存在に上り詰めて行きます。長渕さんは1956年生まれで1977年デビュー、清志郎は1951年生まれ1970年デビューなので、清志郎の方が年齢も芸歴も先輩にあたりますが、世の中に広く知られたのは清志郎は29歳の時なので、長渕さんに比べるとやや遅咲きと言えそうです。時代を代表する二人なので、きっと何かの接点があったんじゃないかな、と思い「検索ちゃ