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この前、ドラマ「PICU〜小児集中治療室」やってたの観たけど、思い出して辛かった。当時お母さんの癌が発覚した時にちょうどこのドラマがやってて、最後主人公のお母さんに癌が見つかって、治療できなくて死んじゃうんだよね。モルヒネ飲んでも痛そうにしてて、あっけなく死んじゃった。その時、お母さんも一年後とかにこんな風になるのかな…って想像してすごく怖くなったの覚えてる。癌じゃなくても、ドラマで家族が亡くなるシーンとか見るのが辛くなった。なんでもお母さんと重ねてしまう。
午後から救命ICUより連絡が入った。今日か、又来週頃に、一連の流れの報告をしたいので、夫婦揃われた時に来て頂いてもいいですかという事だった。いや、待ちきれないので、今日お話しする事にした。久しぶりの救命ICUの中の家族室に案内された。モニター越しで、めいを見る事が出来た。時折、痰が絡むのか辛そうな表情をした。先生が来る前の間、ソワソワ。1時間位中々待っていた。何の話しかな…お待たせしました。循環器や、救命小児科の先生、看護師さんも入って来られた。今までのお話しをされるの
心肺停止してからPICUにて脳死状態で約3か月間も生き抜いてくれた息子。脳波が全く出ていない状態の中、小さな身体で本当によく頑張って生き抜いてくれた。恩返しは私が寿命まで生き抜く事。息子と約束した。たとえどんな事があろうとも生き抜く。こんなにも短く大変な人生を選んできた勇敢な魂の持ち主。彼の頑張りは私の魂が痺れる程に感じた。命の波動が全身からビンビンと伝わってきていた。毎日毎日息子から『生きる』エネルギーを受け取っていた。息子は一生の誇りです。〜Mariconyより愛を込めて
こんばんは今日はムシムシ湿気がすごかった明日の朝の天気はかなり重要。朝練があるかないか。5時に起きるか起きなくていいのか。今見ると朝6時、7時の降水確率は60%と、なんとも微妙。ひとまず起きないとだなさてタイトルの件。さっき録画しておいたPICUのスペシャルを見たんですが後半泣きすぎて寝る前には目はれて顔もパンパン寝る前にみるドラマじゃなかった。PICUに約1年間面会し続けていた日々が走馬灯のように思い出されてもはやPICUという言葉を聞いただけで泣け
やっとNICUへ移ることになった。術後は良好で毎日15分を夫と通ってましたが、1日1日の変化がすごくあった。〈術後1日目〉術後はかなり浮腫んでいて、顔色も真っ白、点滴も15本、沢山の管とモニターに繋がれていました。ベッドも一般のものよりかなりでかい。点滴とか置くために大きなベッドになってます。胸の傷は見た目にもわかり、胸元に長い線が入ってました。(あともう一度同じ所切られます)〈術後4日目〉ほぼ別人のように!むくみがとれ、顔色も良くなり、点滴も3本になりました。パッチリと目も開け
C子ちゃんの手術は無事終わりました✨まだまだPICU(小児集中治療室)じゃけどこれからゆっくりゆっくり前進だぁ⤴️⤴️⤴️
気管切開の説明の次の日、無事に手術は、終了甲状腺迄は、切開しなくて良かった。気管切開したので、お口を閉める事が出来て少し、楽になったかな。お喋りは、出来なくなるけど、回復によっては、お喋り出来る様なやり方も出来ると先生に言われた。めいの心の中は、どんな気持ちだろう…私がそうだったら、どんな気持ちかな…今、私達家族が出来る事は、毎日、ICU看護師さんの都合がつく限りzoom面会で、めいにお話しする事。少しずつだけど、私達が話しをすると目を開けてくれたり、口を開けてと言うと、口を開け
PICUはNICUと違って、肌着やおむつ、タオルケットなど持参する必要があり、準備していた肌着に着替えさせてもらっていてとても可愛くなっていました。次の日には脳内出血?でアンバランスだった脳の大きさが同じくらいになってきたそう。少しずつでも良くなって言ってる気がしました。目を開けてお口をパクパクしたり、身体の位置が気に入らないのか「いーーっ!」って顔する時もあったりママらしい事全然出来てなかったけど、短い面会時間でたくさんスキンシップを取ってました。しかし、我が子の状態は
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです❤︎今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます✨🙏✨侑來の肉体は無くなってしまったけれど、私への影響は生き続け、そしてどんどん拡大しています😊それを『生かす』と解釈している為、私はこのブログを毎日アップして侑來を生かしています✨このブログに侑來の魂が宿っていると信じている…(大袈裟かもしれませんが、本気でそう思っています😅)最近、同じく大切なお子様を亡くされた方々から心温まるメールやコメントをいただけて、その度に涙を流しながら喜
メンタルがばきばきです。久々かーなーり久々にPICU入院です。初めてエアウェイを入れられてます。あとはネイザルハイフロー。これ以上できることはないと。またさえの頑張りに頼るしかなくて申し訳ないけど…まだママは一緒にいたいよりによって今風邪を引いててしばらく面会すらできないさえに力をお願いします
3月25日【木】お昼に急に退室が決まったそうです。数値的にはお母さんもまだまだ心配でしょうし、フォローもまだまだ必要ですが、他に退室出来る子が居ないので。とPICUへ移動になりました。ここは急性期病院なので必要とする子が居たら譲る必要があります。ののちゃんも、1度目の手術は緊急だったので、どなたかに空けてもらった事があります。先生にも下の部屋に行っても、きちんと心臓も肝臓もグラム球菌感染もフォローしますと心強い言葉を仰って頂いたので、ひとまず安心しています。
お久しぶりです!また更新滞ってましたね(´∵`)少なからずブログチェックしてくれている方に心配をかけていたら申し訳ありません😅R君の近況は腕の傷は大分よくなって形成受診の結果レーザーやっても大丈夫でしょう!とGOサイン(¨̮)4月24日入院翌日25日レーザーと行いました。部位は両腕と顔前回の試験照射とは違いレーザーあてたあとがかなり赤く腫れ上がっていてスゴく痛そうだったよく頑張った我が息子よ…。術後初日はやはり傷が痛むのかご機嫌ななめ。2日目から機嫌も良くな
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私の中で侑來の人生は3つのシーズンに分けられております2022年12月7日にこの世に生まれて翌年5月3日まで元気にスクスクと育った幸せ絶頂の約5ヶ月間がseason1です今でも願いが1つだけ叶うならこの頃に戻る事を迷わずお願いしますseason2は、あの日急に突然呼吸が止まり、心肺停止してしまい、PICUに人工呼吸器を繋がれた生活が始まった5月3日から最後の心臓が止まってしまった7月29日
それから2週間ほどはとても調子が良く、点滴の種類や量も減ってきていました。それまで心臓に直接入れていた強い薬も終了し、日に日に良い話を聞くことが出来てすごく頑張っている姿にこっちが元気をもらっていました。NICUに戻れる日もそう遠くない段階まで来ていました。これからは体重を増やす段階に来ているそうです。というのも、18トリソミーの子は呼吸をすることを忘れちゃう子が多い中、この子はちゃんと呼吸しているけど身体が小さいこともあり、全身で肺からCO2を出さないといけない。筋力がな
波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます今日は独身の友人2人とランチ&お茶をしたのですが、子供を亡くすなんてこれ以上にない壮絶な体験は想像もつかない悲しみだと言っておりました本当にそうなんですよね…私も子供を亡くしていなかったら全く同じ事を言うと思いますそういう意味ではお子さんが居る方だと理解しやすいのですよね目の前に居る我が子が亡くなったら…と想像してみると分かりやすいですよね昨年のPICUでの写真や葬儀の写真を見せて「ま
今朝6:25、まだ外は薄暗い時間、サチュレーションモニターのアラームが鳴った。ミルクをつないでいたパパが対応。いつもUの体動でセンサーがひろえなくて鳴ることが多いので、またそれかと思ってたら、SPO2がみるみる下がっていき、明らかにいつもと違う。パパが慌てた様子でバギングを始めたので、横で寝ていた私も慌てて起きて、部屋の電気をつけた。すると唇が真っ青でぐったりしているUがいた。バギングしてもサチュレーションがあがらないので、カニューレを確認するとさきっぽが完全に気切の外に抜け出
術後2日目☆朝、CICUからの退室の連絡がなかなか来ず。前日の夜、なんかあったのかなーなんてモヤモヤやっと連絡来たら、やっぱりPICUを経由して病棟へ行きましょう。前の日、夜くらいからやっと消化できるようになったけど、まだリンゴジュースしか飲めてない。多分胃管から?様子をみて夕方から経口から飲食を開始する。お薬が口から飲めたら胃管を抜いて、病棟へいく。ベットもとりあえず確保できたようでした。ののちゃんからすると、抱っこがもう少し延びるので寂しい思いをさせるかもですが、母と
生後2~3週間で完全に閉じるはずの動脈管が閉じない…これも18トリソミーにみられる症状の1つです。生後1週間ちょっとで心臓の手術をすることになりそう。こんな小さな体にメスを入れる…代わってあげられるものなら代わってあげたい…この子に耐えられるのだろうか?最悪の事しか考えられなくなりました。うまくいくことを祈るしかありませんでした。動脈管の途絶手術は無事に終わったが、肺の血管を狭める手術は出来なかったと説明を受けました。縛ると血圧が下がり酸素濃度も落ちてしまう
2023年アメトピ掲載記事のまとめはこちら『♡2023年アメトピ掲載記事のまとめ♡』いつもお読みいただき温かいコメントやいいねをありがとうございます今年以前もいくつかアメトピ掲載していただいたんですが今年に入り結構たくさん掲載いただい…ameblo.jp簡単な自己紹介私→在宅勤務&主婦(44歳)夫→会社員(46歳)長女→姫さま(3歳)次女→お嬢(1歳)夫の仕事柄、転勤が多いので数年に1回転勤があり東京→札幌→千葉(今ココ)で暮らしています日々
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます昨年5月に侑來が緊急搬送されてから脳波が全く見られず、絶望的な気持ちで毎日面会に通っていた日々そこに少し明るい光を照らしてくれたアイテムがフランキンセンスのアロマオイルでした神仏への捧げものとして、古くから宗教儀式などで薫香として使用されてきた精油「フランキンセンス」呼吸器系の不調に効果のあるオイルという事で毎日胸元を中心に足裏から手のひらまで人工呼吸器に繋がれている侑來にアロマオイルマ
今日はお手伝い残業がなかったのでお昼過ぎに帰って来てお昼ごはん食べながら撮り溜めしているドラマの中から何気なく選んだ『PICU』1話観た方いますか?実は私の長男は来月で、亡くなって丸10年になるんだけどもうね、ドラマと似すぎててあの時の事が重なって1人泣きました。息子が亡くなったのは忘れもしない日曜日。息子が生まれてからずっと長く側に居たのは私なのにその日に限っては朝早く主人が病院に来て付き添い変わって、私は生後7ヶ月の長女が待つ実家に帰ってて10時過
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私が面会に来てしばらくすると、目から涙を流していた侑來医学的な見解では脳を介さない反射は起こるので排泄と同じく涙も生理現象なのだと…それは本当かないいんです、そうであってもそうでなくても侑來の涙は、色んな思いと愛が込められていた涙だったよねママは貴方の涙を一生忘れないよ
もうPICU(小児救命救急センター)にめいが入院して1ヶ月が過ぎた。沢山繋がれた管が少しづつ減っていく。腎臓の機能も、おしっこが出る様になってきたので、1ヶ月で、人工透析を終了。栄養は、鼻の管から、直接胃へいく経管栄養に変わった。右足の筋肉壊死の部分は、膿が、沢山出ていたので膿を出す為の管もあったけど、いつの間にか、外してもらっていた。肺🫁の状態は、まだ硬くて、最近まで左肺に気胸があり、そこからも管があったけど、それも終了まだまだ人工呼吸器は、手放せないけど。今尚PICUにいる理
6月2日昨晩、術後面会が終わってからは小児病棟内の家族室で旦那と2人お泊まり。術後24〜48時間が急変の可能性があるという事で最低1泊は両親揃って、2泊目は私だけでも許してもらえました。着信音量の設定を最大にして、お願いだから鳴らないで!!とスマホを握りしめながら眠りました。二段ベッドなのですが旦那にとっとと上の段を陣取られてしまい私は下の段。なのですが旦那が寝返りを打つたびミッシミシ鳴るし、雷もビカビカバリバリで着信以外にも恐怖を感じながらの一晩となりましたおかけで1時間おきに目が
昨日はすごくメンタルが落ちていて、今朝もなかなか上がらずぼーっとしながら録画していたPICUのスペシャルドラマを見ました。一つ一つのセリフが心に刺さりました。病気は誰のせいでもない。先生たちは苦しめる病気を許さない。絶対やっつけるから。病気になって、今まで何とも思わなかったドラマのセリフが今はすごく心に刺さります。PICUのドラマのおかげで心が少しだけ軽くなりました。吉沢亮さんの役のような患者さんに本当に寄り添ってくれる心のとてもとても優しい医師はいないだろ
12時45分あたりにミントンより電話がありました。ミントンをついつい呼び捨てにしてしまうのですが、棋士先生より年は上そうなのに落ち着いた印象が少なくドヤ顔が多いからでついいじりたくなります。そして、期待を裏切らず…この時はドヤ声でした今、手術が終わりました。予定していた4時間より1時間程度早く、順調に完了しています。しばらく麻酔をさましたりしますので、また改めて連絡します。出血も少なく、輸血は現段階ではしていません。本当に早かったなと思いました。で、さらに30分