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*初めての方*PICUに入って5日が経った。今日も、パパと虹翔のところへ向かった。パパは1週間仕事を休んでくれた。パパの会社の人たちは本当に良い人たちばかりで、PICUに入った日に、パパが電話すると、一緒に号泣してくれて、仕事なんていいからそばにいてあげなって言ってくれたんだって。私たちの周りには本当に素敵な人がたくさんいる。虹翔の所へ行くと、先生がエコーをしていた。昨晩の様子を聞いた。痙攣は、何度かあったらしい。その度に点滴を入れてくれた。酸素は昨日のままで0.5L流している。
無事手術を終えましたリンです手術時間は聞いていた通りの約4時間ゲンちゃんも仕事を休んで一緒に待つことができたのであまりソワソワせず落ち着いて待てました終わる頃になると2人ともソワソワしてましたが…予定通り終わったとの連絡を受けてからPICUに面会に行くとリンはめっちゃ穏やかな顔!!!え、術後だよね?全身麻酔なので人工呼吸器からの離脱もすぐには難しい可能性もあると聞いていましたが自発呼吸出来ていましたよかったお腹をめくるとんーーー痛々しい。。ちゃんとボタンが
ココも落ち着いてたから、末っ子と電車で梅田に行って、ボーネルンド行ってラーメン食べてイルミネーションのキラキラ探しに行った一緒に考えて予定たてたボーネルンドに着く前にキラキラ見つけて、最後に探す予定やったのに「見つかったなー!」って笑いながら話してラーメン食べ終わって、阪急百貨店に向かって歩いて、キラキラが見えてくると「ママー見て!!スゴイ!!」って末っ子が言ってすぐ、病院から電話かかってきた。嫌な予感がして出たら、昨日の夜から呼吸がしんどくなってきてて今は酸素5リットル使ってる状態です
息子、概ね落ち着いています。昨日は、面会に行くと脳波のモニターどーん。頭には脳波の電極。昼の検温の時に、瞳孔左右差があったのと、筋緊張に伴う眼球偏位が数回。念のためCTと脳波をとったそうです。瞳孔の左右差。今までも時々確認することがありました。水頭症が悪化して頭蓋骨縫合解離になる前に、多くみられたような気がしますが、『頭蓋骨縫合解離で緊急手術』先日、水頭症の悪化で、脳室ドレナージの緊急手術をしました。息子、PICUに入院中です。こう見えて(どう見えて?)初めてのPICU。元気にな
今回の投稿は、いままでで一番勇気をもっての投稿です。このブログを始めてからいつ書こうか悩んでいました。ちょうどタイミングだと思ってお話します。決して闘いたい訳ではありません誰かが悪いわけでもありません責められる人もいません3年経ってこのような問題について考えていく病院内部チームも動き出してくれています私がここで投稿するのはこういう世界があるのだということを知ってもらうためそして、それぞれの立場でのあなたなりの考
午後から救命ICUより連絡が入った。今日か、又来週頃に、一連の流れの報告をしたいので、夫婦揃われた時に来て頂いてもいいですかという事だった。いや、待ちきれないので、今日お話しする事にした。久しぶりの救命ICUの中の家族室に案内された。モニター越しで、めいを見る事が出来た。時折、痰が絡むのか辛そうな表情をした。先生が来る前の間、ソワソワ。1時間位中々待っていた。何の話しかな…お待たせしました。循環器や、救命小児科の先生、看護師さんも入って来られた。今までのお話しをされるの
お久しぶりです!また更新滞ってましたね(´∵`)少なからずブログチェックしてくれている方に心配をかけていたら申し訳ありません😅R君の近況は腕の傷は大分よくなって形成受診の結果レーザーやっても大丈夫でしょう!とGOサイン(¨̮)4月24日入院翌日25日レーザーと行いました。部位は両腕と顔前回の試験照射とは違いレーザーあてたあとがかなり赤く腫れ上がっていてスゴく痛そうだったよく頑張った我が息子よ…。術後初日はやはり傷が痛むのかご機嫌ななめ。2日目から機嫌も良くな
もうPICU(小児救命救急センター)にめいが入院して1ヶ月が過ぎた。沢山繋がれた管が少しづつ減っていく。腎臓の機能も、おしっこが出る様になってきたので、1ヶ月で、人工透析を終了。栄養は、鼻の管から、直接胃へいく経管栄養に変わった。右足の筋肉壊死の部分は、膿が、沢山出ていたので膿を出す為の管もあったけど、いつの間にか、外してもらっていた。肺🫁の状態は、まだ硬くて、最近まで左肺に気胸があり、そこからも管があったけど、それも終了まだまだ人工呼吸器は、手放せないけど。今尚PICUにいる理
*初めての方*PICUに入って6日目。今日は私のおばあちゃんとおじいちゃんが、心配して来てくれた。面会制限があるからもちろん虹翔には会えないけれど、分厚い扉の前まで来てくれた。2人は扉の前に立って、虹翔頑張れって、言ってた。会いたいなって言ってた。すぐに元気になるから大丈夫だよって言ってくれた。おばあちゃんはいつも寝る前に、神様にお願いしているって言ってた。虹翔を早く治してあげてくださいって。みんな本当に心配してくれて、色んなところで祈ってくれている。虹翔、幸せ者だね。面会に
久々の闘病記10月18日術後、PICUに入室して、無事にOPEが終わったことにひとまず一安心。術後出血を心配しつつ、病院をあとにして帰宅。10月19日お兄ちゃんの学校の校内図工展でした…6年生の作品は「将来の夢」たくさんの子供達の将来の自分像が、紙粘土で作られてた。「美容師」「ダンサー」「学校の先生」ちゃーこの夢は叶うのだろうか??ちゃーこの未来はどうなる??そう思ったら胸が張り裂けそうだったちゃーこが好きそうな本を図書館
こんばんは今日はムシムシ湿気がすごかった明日の朝の天気はかなり重要。朝練があるかないか。5時に起きるか起きなくていいのか。今見ると朝6時、7時の降水確率は60%と、なんとも微妙。ひとまず起きないとだなさてタイトルの件。さっき録画しておいたPICUのスペシャルを見たんですが後半泣きすぎて寝る前には目はれて顔もパンパン寝る前にみるドラマじゃなかった。PICUに約1年間面会し続けていた日々が走馬灯のように思い出されてもはやPICUという言葉を聞いただけで泣け
今朝6:25、まだ外は薄暗い時間、サチュレーションモニターのアラームが鳴った。ミルクをつないでいたパパが対応。いつもUの体動でセンサーがひろえなくて鳴ることが多いので、またそれかと思ってたら、SPO2がみるみる下がっていき、明らかにいつもと違う。パパが慌てた様子でバギングを始めたので、横で寝ていた私も慌てて起きて、部屋の電気をつけた。すると唇が真っ青でぐったりしているUがいた。バギングしてもサチュレーションがあがらないので、カニューレを確認するとさきっぽが完全に気切の外に抜け出
今日はちゃーこからのサインいーっぱい受け取りました久々に闘病記の続きを書きます。ちゃーこをOPE室へ見送ってから3時間弱だったと思います。他の脳腫瘍のママさんのブログを読んだり、医療用の帽子を探したりしていました。だけど、何をしても集中できず…うまくいけば嚢胞をつぶしてくれるかな?(ちゃーこの場合、腫瘍の横に2つの嚢胞がありました)後々、この嚢胞にはかなり泣かされましたもしかしたら腫瘍を少しでもとってくれるんじゃないか??
ここ最近ぐんぐんアクセスが伸びていて1日で1万2000以上のアクセスがありました!!たくさんの方にご覧いただけて嬉しいです。いいねや読者登録も新しくして頂いた方々ありがとうございますはじめての方はこちらからどうぞ♪このブログは現在1歳8か月になった次女の事について約1年前を振り返ってマイペースに更新しております。次女は腸の病気をしており当ブログは便や嘔吐に関する事が多く記載されておりますので苦手な方はそっ閉じしてくださいね。絞扼性イレウス
母の日子どもたちからもらうものはなんだって嬉しいさこんなに頂いておきながら、ですが何よりの親孝行は子ども自身が幸せで生きていることです💕録画したままずっとため込んでいたTVドラマを今日観たんですが…吉沢亮さんの「PICU」感動ポイントがたくさんあって書ききれないんだけど母の日に関連していうと大竹しのぶさん演じる「母」のセリフ「親より先に死ぬなよー‼️」泣けた💦
こんにちは🐼以前、双子育児三種の神器🥷✨という記事をアップしたのですが、↓↓↓『双子育児三種の神器』こんにちは🐼今日は、双子育児三種の神器✨🥷あってよかった便利グッズをまとめてみようと思います。(〜0歳4か月現在)第3位ウォーターサーバーすぐにミルクが作…ameblo.jpたくさんの方に見ていただいたので、今回は、双子妊娠三種の神器🥷✨をやってみたいと思います。第3位🥉✨マタニティ用下着楽天お買い物マラソン開催!11月4日~11日まで!【11/11迄!クーポン
今日は、朝から気管切開の手術の説明が外来、耳鼻咽喉科にてあった。長期で、気管挿管をしたままだと、気管を傷つけてしまって、潰瘍が出来る可能性があるし、自発呼吸もまだ少しなので、やった方が良いという結論になった。気管切開した場所から吸引したり、酸素吸入したりするので、今までより少し楽になるかな。手術は、明日なので、とりあえず午前中でお話しは、終了。電車で自宅へ帰ろうとした頃、救命ICUから連絡があった。お母さん、めいちゃんに会って下さい。即答で、はい。やったぁーめいに会える。看護
心肺停止してからPICUにて脳死状態で約3か月間も生き抜いてくれた息子。脳波が全く出ていない状態の中、小さな身体で本当によく頑張って生き抜いてくれた。恩返しは私が寿命まで生き抜く事。息子と約束した。たとえどんな事があろうとも生き抜く。こんなにも短く大変な人生を選んできた勇敢な魂の持ち主。彼の頑張りは私の魂が痺れる程に感じた。命の波動が全身からビンビンと伝わってきていた。毎日毎日息子から『生きる』エネルギーを受け取っていた。息子は一生の誇りです。〜Mariconyより愛を込めて
行って来ました。抗がん剤治療終え脱毛が止まってから7ヶ月です。beforeafter後頭部だけ3回目のカットをしてもらいました。襟足が直ぐに伸びてしまいウィッグから出てしまいます(>_<)トップ&サイド&前髪は1度もカットしてません。揉みあげ部分は2度カットしましたが今回は維持しました。弱冠うねりが出始めてます(>_<)あとどれくらいでウェーブパーマかけられる日が来るかな、、楽しみです。来年はヘアカタログ買う楽しみ来るといいな~ドラマsilent切なさが増して
次女の我が家での居場所ジャングル↓これいつもいる場所に次女がいない。家に帰る度に、ジャングル見る度にせつなくなる次女が入院して3日程経ったある日夕方帰宅した薄暗い部屋でジャングルはからっぽそ
ご心配をおかけしていたドッキドキの採血結果。(ドキドキドン1年生みたいだ)炎症反応下がってました。1.7だったかな。特に治療らしいことはせずに下がり傾向。下痢も治っていて、注入も元に戻せているそうです。金曜日に、炎症反応が上がってるって聞いてから、あんまり考えないように。きっと下がってるから大丈夫。言い聞かせながら過ごした土日。ほっと一安心だけど、本人のしんどさは画像や数値ではわからないところもあるので、なかなか難しい。ちなみに、ここ(PICU)も悪くない?っていう、私
はじめての方はこちらからどうぞ♪このブログは現在1歳8か月になった次女の事について約1年前を振り返ってマイペースに更新しております。次女は腸の病気をしており当ブログは便や嘔吐に関する事が多く記載されておりますので苦手な方はそっ閉じしてくださいね。絞扼性イレウスはどの赤ちゃんでもなる可能性がありますので我が子の場合はこうだったと、参考になれば。と思い綴っておりますのでよろしければお進みください。゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:
C子ちゃんの手術は無事終わりました✨まだまだPICU(小児集中治療室)じゃけどこれからゆっくりゆっくり前進だぁ⤴️⤴️⤴️
福岡市立こども病院にはPICU(小児集中治療室)が8床あります手術直後のこども達が過ごしていてまだほとんどの子が目覚めてないからPICUは、機械音と大人の話し声のみ人工呼吸器を付けていたり腹部に刺さっている太いドレーンから赤い血が流れ出ているのを見てドレーン:体内に溜まった血液、体液などを排出するための管手術直後はかなり動揺したけど毎日見ていると正直慣れてきたしベッドサイドにあるモニター画面の数値を見て心拍数、血圧、SpO2、呼吸数、体温など娘の状態が安定してると分かる
母から「今日チューリップが咲いた」と写真が届きました🌷なんとこちらのチューリップ15年前に植えた球根が毎年かかさず花を実らせしかも毎年色が違うのだとかミラクル過ぎない「だから今日はいい日になる」なによりこの写真に込められた母の想いが嬉し過ぎる本日15時30分ころにきぃたんの手術は終わりました。執刀医曰く「大きなトラブルなくスムーズに終わりました」とのことこの言葉だけでどんなにか救われたこと
金曜日は午前中に訪問1件。お昼に面会へ。先日はサチュレーションがなんとなく低めでしたが、面会時はしっかり上がっていたので、調子良さそうと思ったら、炎症反応が8まで上がっていると言われる。フェノバールの血中濃度を確認したかっただけなのに。白血球は上がっていない。脳出血の影響で一時的に上がっている?血液が吸収される時に一時的に上がることがあるとかないとか。骨折も疑って調べて下さったそうですが、整形の先生に見ていただいたけれど、その所見はないそうです。おしっこが少ない?下痢もしてる。
次の日の朝、旦那の声で目を覚ます俺のせいだごめんごめんごめん泣きながら部屋の中をウロウロ歩いていた。違う、パパのせいじゃない私のせい。ね?大丈夫だからそう言いながら背中をさすった。2人で支え合わないと今にもどうかなりそうな状態だった。その日、旦那は仕事を休んでお昼前には2人で家を出て昨日の神社が通り道にあるので神様へ報告とお願いをした。神様へお願いするものではないけどもうそれしかできることがなかった。道中、お祈りのように大丈夫大丈夫絶対に大丈夫。。。そう
この前、ドラマ「PICU〜小児集中治療室」やってたの観たけど、思い出して辛かった。当時お母さんの癌が発覚した時にちょうどこのドラマがやってて、最後主人公のお母さんに癌が見つかって、治療できなくて死んじゃうんだよね。モルヒネ飲んでも痛そうにしてて、あっけなく死んじゃった。その時、お母さんも一年後とかにこんな風になるのかな…って想像してすごく怖くなったの覚えてる。癌じゃなくても、ドラマで家族が亡くなるシーンとか見るのが辛くなった。なんでもお母さんと重ねてしまう。
息子の産まれた時のことを思い出した。帝王切開、即オペ。一回目の開胸、姑息手術終わったのは24時を過ぎていた。ECMOに乗った息子波形はないサチュレーションも測れずにアラームがずっと鳴っていた。シリンジポンプは20台以上胸は閉じる事ができず白いゴアテックスで蓋がしてある状態だった。手を握るが「生き物」の暖かさは無い初めて息子を見た時このまま死んでしまうんだ。と思い泣き崩れた。
波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます今日は独身の友人2人とランチ&お茶をしたのですが、子供を亡くすなんてこれ以上にない壮絶な体験は想像もつかない悲しみだと言っておりました本当にそうなんですよね…私も子供を亡くしていなかったら全く同じ事を言うと思いますそういう意味ではお子さんが居る方だと理解しやすいのですよね目の前に居る我が子が亡くなったら…と想像してみると分かりやすいですよね昨年のPICUでの写真や葬儀の写真を見せて「ま