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気管切開の説明の次の日、無事に手術は、終了甲状腺迄は、切開しなくて良かった。気管切開したので、お口を閉める事が出来て少し、楽になったかな。お喋りは、出来なくなるけど、回復によっては、お喋り出来る様なやり方も出来ると先生に言われた。めいの心の中は、どんな気持ちだろう…私がそうだったら、どんな気持ちかな…今、私達家族が出来る事は、毎日、ICU看護師さんの都合がつく限りzoom面会で、めいにお話しする事。少しずつだけど、私達が話しをすると目を開けてくれたり、口を開けてと言うと、口を開け
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私には10本の指があります1番侑來と触れ合ったのは左手の人差し指この指は毎週侑來と長時間ドライブをしている時に助手席に座っている侑來の右手でいつも握られていた指次に触れ合ったのは右手の人差し指この指は侑來がPICUに入院している間に握ってくれた指脳が機能していなくて身体も何処も動かなくて呼吸すら自力でする事が出来なかったけれど不思議と私の右手の人差し指を握ってくれた侑來の左手は元気だ
PICUはNICUと違って、肌着やおむつ、タオルケットなど持参する必要があり、準備していた肌着に着替えさせてもらっていてとても可愛くなっていました。次の日には脳内出血?でアンバランスだった脳の大きさが同じくらいになってきたそう。少しずつでも良くなって言ってる気がしました。目を開けてお口をパクパクしたり、身体の位置が気に入らないのか「いーーっ!」って顔する時もあったりママらしい事全然出来てなかったけど、短い面会時間でたくさんスキンシップを取ってました。しかし、我が子の状態は
退院まで目まぐるしい入院生活だったなと、忘れてしまわないうちに書き記しておきたいと思います。〈0日目〉緊急帝王切開→出産赤ちゃんNICUへ麻酔してるから帝王切開は痛くないよなんて一言ではすまされない体験でした。テレビに出てくるような手術台と手術室、あの天井。。。恐怖しかありませんでした。周りの方が何度も優しく声をかけてくれました。安心させようとしてくれました。麻酔しながらも、取り出してる感覚がすごいわかって、普通に引っ張られて痛かったです。無痛とは程遠い感じでした。。。〈1日目〉
こんばんは今日はムシムシ湿気がすごかった明日の朝の天気はかなり重要。朝練があるかないか。5時に起きるか起きなくていいのか。今見ると朝6時、7時の降水確率は60%と、なんとも微妙。ひとまず起きないとだなさてタイトルの件。さっき録画しておいたPICUのスペシャルを見たんですが後半泣きすぎて寝る前には目はれて顔もパンパン寝る前にみるドラマじゃなかった。PICUに約1年間面会し続けていた日々が走馬灯のように思い出されてもはやPICUという言葉を聞いただけで泣け
お久しぶりです!また更新滞ってましたね(´∵`)少なからずブログチェックしてくれている方に心配をかけていたら申し訳ありません😅R君の近況は腕の傷は大分よくなって形成受診の結果レーザーやっても大丈夫でしょう!とGOサイン(¨̮)4月24日入院翌日25日レーザーと行いました。部位は両腕と顔前回の試験照射とは違いレーザーあてたあとがかなり赤く腫れ上がっていてスゴく痛そうだったよく頑張った我が息子よ…。術後初日はやはり傷が痛むのかご機嫌ななめ。2日目から機嫌も良くな
今日は、朝から気管切開の手術の説明が外来、耳鼻咽喉科にてあった。長期で、気管挿管をしたままだと、気管を傷つけてしまって、潰瘍が出来る可能性があるし、自発呼吸もまだ少しなので、やった方が良いという結論になった。気管切開した場所から吸引したり、酸素吸入したりするので、今までより少し楽になるかな。手術は、明日なので、とりあえず午前中でお話しは、終了。電車で自宅へ帰ろうとした頃、救命ICUから連絡があった。お母さん、めいちゃんに会って下さい。即答で、はい。やったぁーめいに会える。看護
12/16(日)一時心停止から7日目。今日は顔や身体を触ると、それに反応して、わずかにもそもそと手足が動いた。動いてる!筋肉の反射的なものなのかもしれないけど、少しでも動きがあるのがすごく嬉しい。この調子で前進していってくれたらいいな。昨日から利尿剤を投与していたらしく、顔の浮腫みが結構とれて、いつものUの顔に近くなっていた。手足もパンパンで固かったのが、今日はもちもちと柔らかくなって、触り心地が最高だった。やはり日曜なので医師には会えず。その分、悪い知らせもなくて、心お
お読みいただきありがとうございます妊娠後期にダウン症が発覚し、その時々の気持ちをリアルタイムで書いています。ネガティブな発言が多々あります。気を付けてはいますが、傷ついたり不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ございません。苦手な方はご注意ください。改めまして、皆様からの叱咤激励のメッセージやコメントありがたく拝見しています私が励まされているようにこのブログがいつか誰かの心に寄り添えますように術後すぐにでもブログを書きたかったのですが手術そのものへ
この前、ドラマ「PICU〜小児集中治療室」やってたの観たけど、思い出して辛かった。当時お母さんの癌が発覚した時にちょうどこのドラマがやってて、最後主人公のお母さんに癌が見つかって、治療できなくて死んじゃうんだよね。モルヒネ飲んでも痛そうにしてて、あっけなく死んじゃった。その時、お母さんも一年後とかにこんな風になるのかな…って想像してすごく怖くなったの覚えてる。癌じゃなくても、ドラマで家族が亡くなるシーンとか見るのが辛くなった。なんでもお母さんと重ねてしまう。
やっとNICUへ移ることになった。術後は良好で毎日15分を夫と通ってましたが、1日1日の変化がすごくあった。〈術後1日目〉術後はかなり浮腫んでいて、顔色も真っ白、点滴も15本、沢山の管とモニターに繋がれていました。ベッドも一般のものよりかなりでかい。点滴とか置くために大きなベッドになってます。胸の傷は見た目にもわかり、胸元に長い線が入ってました。(あともう一度同じ所切られます)〈術後4日目〉ほぼ別人のように!むくみがとれ、顔色も良くなり、点滴も3本になりました。パッチリと目も開け
12/14(金)一時心停止から5日目。強心剤が中止となったが、血圧と心拍は維持できていた。でも元気だったころよりはだいぶ低い。鎮静剤のドルミカムも減量はしているが、そちらはまだ点滴で投与されていた。ドルミカムを無くしたときに意識が戻るのかどうか…。知るのが怖い。もうクーリングは必要なく、左鼻から食道まで入れられていた温度センサーははずされていた。今日は体重測定をしたそうで、搬送時9.4kgだったのが、10.7kgまで増えていた。1.3kg分の浮腫み。そりゃ見た目もパンパン
12/15(土)一時心停止から6日目。鎮静剤のドルミカムの点滴は無くなっていた。でもまだUは眠り続けたまま。ほっぺつんつんしても、手足をにぎにぎしても、体をさすっても、反応なし。新生児仮死で生まれてきたときも、鎮静剤なくなったあとも1週間くらい眠りこけてたからな。なかなか起きてこないかもな。頭に付いていた脳波のコードが全部はずされていて、ベタベタだった髪の毛もきれいに拭いてくれてスッキリしていた。今日は先生からの話は無し。土日は話ないかもな。
母から「今日チューリップが咲いた」と写真が届きました🌷なんとこちらのチューリップ15年前に植えた球根が毎年かかさず花を実らせしかも毎年色が違うのだとかミラクル過ぎない「だから今日はいい日になる」なによりこの写真に込められた母の想いが嬉し過ぎる本日15時30分ころにきぃたんの手術は終わりました。執刀医曰く「大きなトラブルなくスムーズに終わりました」とのことこの言葉だけでどんなにか救われたこと
苦しくて耐えられそうもない。見慣れない部屋見慣れないさえ久々のPICUはとても苦しい。なんでさえなんだろう乗り越えられる自信ない
小児集中治療室(pediatricintensivecareunit:PICU)の存在と小児医療の専門化。※前回の続きです↑抑制帯も可愛くドラえもん〝PICUの前で待つよう言われたから、きっとすぐに呼ばれるだろう〟今思えば小児集中治療室であるPICUに対して大分甘い考えですが、廊下に立たせた状態で待てと言ったからには、待合室に移動しても何分もほったらかしにならないだろうという風に思っていたのです。私の前からPICU家族控え室にいた家族のお母さんが、笑顔で入ってきました。そし
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです❤︎今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます✨🙏✨侑來の肉体は無くなってしまったけれど、私への影響は生き続け、そしてどんどん拡大しています😊それを『生かす』と解釈している為、私はこのブログを毎日アップして侑來を生かしています✨このブログに侑來の魂が宿っていると信じている…(大袈裟かもしれませんが、本気でそう思っています😅)最近、同じく大切なお子様を亡くされた方々から心温まるメールやコメントをいただけて、その度に涙を流しながら喜
今日はちゃーこからのサインいーっぱい受け取りました久々に闘病記の続きを書きます。ちゃーこをOPE室へ見送ってから3時間弱だったと思います。他の脳腫瘍のママさんのブログを読んだり、医療用の帽子を探したりしていました。だけど、何をしても集中できず…うまくいけば嚢胞をつぶしてくれるかな?(ちゃーこの場合、腫瘍の横に2つの嚢胞がありました)後々、この嚢胞にはかなり泣かされましたもしかしたら腫瘍を少しでもとってくれるんじゃないか??
2023年アメトピ掲載記事のまとめはこちら『♡2023年アメトピ掲載記事のまとめ♡』いつもお読みいただき温かいコメントやいいねをありがとうございます今年以前もいくつかアメトピ掲載していただいたんですが今年に入り結構たくさん掲載いただい…ameblo.jp簡単な自己紹介私→在宅勤務&主婦(44歳)夫→会社員(46歳)長女→姫さま(3歳)次女→お嬢(1歳)夫の仕事柄、転勤が多いので数年に1回転勤があり東京→札幌→千葉(今ココ)で暮らしています日々
6月2日昨晩、術後面会が終わってからは小児病棟内の家族室で旦那と2人お泊まり。術後24〜48時間が急変の可能性があるという事で最低1泊は両親揃って、2泊目は私だけでも許してもらえました。着信音量の設定を最大にして、お願いだから鳴らないで!!とスマホを握りしめながら眠りました。二段ベッドなのですが旦那にとっとと上の段を陣取られてしまい私は下の段。なのですが旦那が寝返りを打つたびミッシミシ鳴るし、雷もビカビカバリバリで着信以外にも恐怖を感じながらの一晩となりましたおかけで1時間おきに目が
4月上旬に予定通り手術の日を迎えました。その日は7時過ぎに病院へ行き、PICUから手術室へ向かう娘を見送ります。手術自体は順調にいけば5〜6時間で終わるそうで、夕方頃には面会できる予定とのことでしたので、院内で待機することに。「終わる頃に電話をしますね。」と言われて待機所で待っていると、予定よりだいぶ早い12時頃に突然電話が鳴ります。「まだ娘さんは手術中ですが、遺伝子検査のため親の採血をさせて頂ければと思います。今から大丈夫ですか?」手術で何かあったのかと思ってしまうので突然の電話は
予見通り、生後4日目にして、我が子は緊急手術となりました。まさか帝王切開に次いで手術までも緊急でくるなんて。生後0日目、産まれて直ぐに検査をして夫へ病状の説明がありました。幸いにも、産後の診断では、①に転ぶことができました。奇跡でしたなんと大動脈弁が大丈夫な範囲だったのです。普通が100%なら子供は75%。けど、難しい手術をするほどのものでもないそう。十分であると言う診断でした。※①はこちら『赤ちゃんの心臓のこと』26週の妊婦健診で赤ちゃんの先天性心疾患が判明し、その後大学病院で検査を
久々の闘病記10月18日術後、PICUに入室して、無事にOPEが終わったことにひとまず一安心。術後出血を心配しつつ、病院をあとにして帰宅。10月19日お兄ちゃんの学校の校内図工展でした…6年生の作品は「将来の夢」たくさんの子供達の将来の自分像が、紙粘土で作られてた。「美容師」「ダンサー」「学校の先生」ちゃーこの夢は叶うのだろうか??ちゃーこの未来はどうなる??そう思ったら胸が張り裂けそうだったちゃーこが好きそうな本を図書館
朝は7時30分ぐらいまでには来てください。と言われていた。家を出る。家は義母が留守番をしてくれている。妻の退院と同時に私の両親は帰り、代わりに妻の母が来てくれている。私が育休に入るまでの間、妻のサポートでいてくれている。手術前の最後の面会。「頑張れ、りょうちゃん!!!」と手をさする。一緒に手術室の前まで移動する。扉が閉まるのを見送ってから、家族待合室へ移動。中にはこんなモニターが縦軸は手術室の部屋番号横軸は時間軸りょうち
おはようございますnikkoですもらいもの♡紹介母からもらったおくるみはドラマPICUでも登場したキリンさん🦒くるまるの大好きなりんさん♡おさるさんも♡🐒出産祝いにもおすすめでっすおくるみガーゼベビー【日本正規品aden+anaisおくるみ2枚セットjunglejamモスリンコットン100%使用】120×120cmエイデンアンドアネイスワドル赤ちゃん新生児4023Amazon(アマゾン)4,180円そして弟夫婦からクリスマスプレゼ
12/11(火)一時心停止から2日目。Uは相変わらずたくさんの管に繋がれて眠っていた。昨日よりも体全体のけいれんが落ち着いていた。抗けいれん薬を増やしたと先生が言っていたので、そのせいかもしれない。顔はむくんでいつも以上にパンパンだった。昨日冷たかった手足が、今日は温かかった。看護師さんがペンライトで瞳孔のチェックをしていたので、対光反射はどうか聞いてみたが、「まだあまり反応はありません…」と気まずそうに返ってきた。PICUの先生からの話。「心停止から72時間が勝負。今は脳
現在ブログでは2023年12月末のことを書いていますが、リアルタイムなことで1つ報告です。P子、この度大手術を行いました!!現在まだ術後すぐということもあり、鎮静をかけて本人は人工呼吸器もつけて、眠っています。これから合併症など出てくることも考えられるのでまだまだ手放しに喜ぶことはできませんが、それでも、長丁場の手術、本当に頑張ってくれました。そして、執刀してくださった先生たち、P子のために、何度も何度もカンファレンスを重ね、P子にとっての最良の選択肢を考えてくれました。もちろん、実際
12/12(水)一時心停止から3日目昨日までは舌がぴくぴくとけいれんしていたが、それもなくなり、静かに眠っていた。いつもの主治医から、今日は脳のCTを撮ったと報告があった。「脳の萎縮が少しみられるが、それが一時的なものか、あるいは今後さらに進行していくのかはわからない。他の医師の意見も聞いてから、改めてお話します。」とのこと。今日はPICUの先生には会えなかったので、それ以外のことは何も聞けなかった。お昼に、Uを担当してくれている訪問看護師さんが、わざわざ病院に来てくれた。P
生後1日目はとても元気そうでした。NICUで管に繋がれてたけど、よく泣いていてウンチもしてました。目も開けてくれたり。しかし、2,3日目にして症状が悪化して、NICUで処置レベルが1段階上がったのち、更に処置レベルを上げ、PICUへ移動になった。3日後に手術を控えています。事前にそうなる可能性は十分にあると説明は受けていたけど、早すぎて、現実はかなり残酷です。今は人工呼吸器をつけており、薬で眠らされた状態です。見るたびに辛くなってしまう。頑張ってねと言って、少しの間側にいてあげることしか
午後から救命ICUより連絡が入った。今日か、又来週頃に、一連の流れの報告をしたいので、夫婦揃われた時に来て頂いてもいいですかという事だった。いや、待ちきれないので、今日お話しする事にした。久しぶりの救命ICUの中の家族室に案内された。モニター越しで、めいを見る事が出来た。時折、痰が絡むのか辛そうな表情をした。先生が来る前の間、ソワソワ。1時間位中々待っていた。何の話しかな…お待たせしました。循環器や、救命小児科の先生、看護師さんも入って来られた。今までのお話しをされるの