ブログ記事0件
入院して9日目前日、嫌がる中浣腸をして……💩だいぶ出たはずなのにまだ食欲は湧かないらしい。リンデロン(ステロイド)を毎日点滴で入れてるので、食欲も普段より出るはずなのに……朝食メニューの中から、食べれそうなものだけでもいいと、ゼリーやヨーグルトを勧めるけど『考えただけで吐き気がする……ムリ』と言う……。そんな中、今日は化学療法の日。朝イチの血液検査の結果、抗がん剤を受けるための数値は問題ないらしい。すごく不安だったが、もともと、あまり副作用が出ないい
入院して2週間食欲がなくなってから1週間途中外泊時に1度だけいつもの半分くらい食べることが出来たが、その一度だけで病棟に戻ってからまた吐き気で食べることができない日々が始まった。あの日は奇跡の1日やったんか……❓いっちゃんは、腫瘍の影響で視野狭窄が出ており、右半分が見えていない。外泊前、その進行具合を診るために眼科を受診したのだが、麻薬系鎮痛薬からくる眠気と吐き気で耐えられなくなり中断してしまっていた、その続きを受けに行った。吐き気止めの点滴を付けた車椅子で
入院して10日経ちもう、4日間まともにご飯を食べれていないのに、外泊許可をいただいた……不安でしょうがない私と違い、いっちゃん本人は、壁に手を付きながらでフラフラなのに気持ちだけはものすごく前向き疼痛鎮痛薬のオキシコンチンの調整が上手くいってるのか、痛みは10のうち1か2くらいで、入院してる時より眠気もないと言う。上等やないかおうちの玄関を開けて第一声『はぁ〜、この匂いだけで嬉しくなる』そっか、そっか。じゃ、食欲はどうかな?リビングの定位置
入院して9日目嚥下指導を受けた翌日から、一日中吐気を訴えるようになった。朝食も、昼食も、ほとんど食べたがらない。嚥下の問題ではなく、ただ気分が悪いだけやと言う。薬を飲むのも💊苦労した。頭痛、首痛、加えて吐き気。まるで、1年前、水頭症を起こした初めての入院の時のようだ。原因はなんなんやろ………。U主治医先生といろいろ考える。私が考えつくのは、普段の生活や様子からのみ。医学的なことは、U主治医先生の分野になる。私に分かる体調悪化の原因は入院してから、まだ
内視鏡での腫瘍生検術を終えて治療方針も決まり、いっちゃん自身も髄液が流れるようになった事で頭痛もかなり楽になったらしく、久々に夏休みの宿題に追われる毎日でした。(彼は勉強大嫌いwww)い『なぁなぁ!いつから⚽出来る?』母「んなアホなー抜糸したばっかやのにー❗️宿題もまっさらやで⁉️」い『』分かるけども〜。ここは病院ですしね〜。でも、久々のいっちゃんの笑顔とおふざけは本当にホントに頼もしくさえ感じました。でも、わずか術後2週間で再び頭痛と首痛と吐き気が出る様になった
久しぶりに自分の足で立ってみたら足の筋肉がプルプル震えて立ってるだけで精一杯だったみたいで。そこから、1歩目を踏み出す勇気。すごく不安やったと思う。案の定、グラつく膝からバランスを崩し尻もちをついてしまった彼は……ショック以上に、すごく怖かっただろうと思う。俺の足、どうしたんや?と、不安に思ったんやと思う。抱きしめたいっちゃんを支えながらベッドに座らせた。えっと……な、なんて言おう……「なぁ、普通食に戻ったお祝いに、食べたいもん言うてみ!何でも買うて来たる
2013年9月の終わり再入院の手続きを済ませ、小児科病棟へ。部屋で待っていると、主治医先生が来られ、会議で決まった今後の治療展開の説明を受けた。今からすぐに、胸からカテーテルを入れる手術を受ける。先生は、不安そうな顔をしてるいっちゃんに、胸からカテーテルを入れるメリットを話してくださった。💉まずは、大嫌いな針の差し替えが無くなる(これはかなり魅力的なメリットのようでニヤッとするいっちゃん😁)、💉3日置きの採血もここから出来るので、針を刺さないから全く気付かないで寝てい
2014年5月いっちゃん中2になってまだ2ヶ月5月末に撮ったMRIで脊椎に小さな小さな播種が見つかった。前回の闘病ブログ播種新しい主治医のU先生のお話の通り、2週間後の診察の時に、角度を変えて再撮影していただいた。脊椎の中にうっすら白いシャボン玉みたいに映ったいくつかの小さな丸。コレが播種した腫瘍😰2週間前より、白い小さなヤツはハッキリ見えるようになっていた。今回の映りが良かっただけか………2週間で大きくなったのか………。いっちゃん治療チ
ひーくんママに電話して病室に戻る途中……主治医先生に呼び止められた「お母さん、少しお時間大丈夫ですか?」先生の厳しい表情を見る限りあまりいい話ではないな…と言うことは想像できた先生について、当直室に入った初めて入った当直室。まずシャワー室があり、続いて二段ベッドが並んでいる。その奥に診療室と同じデスクとパソコン、更に奥に、茶色の接客用テーブルと黒い皮のソファーがあった。これだけ部屋の奥に進めば、先生同士の密談はまず外からは聞こえないだろうな…と、ぼんやり考えながら
体育祭の2日前血液検査の結果は問題なかったので予定通り髄液注射💉を受けることになった。主治医先生が、病棟の方が看護師さんの数も多いし、師長さんをはじめ、みんないっちゃんのこと心配してるからと、病棟のベッドの空きを事前に調べててくださり病棟の方で処置をする事になった。車椅子で小児科病棟へ移動〜エレベーターを降り、病棟の扉を開けたら正面のナースステーションから…「いっちゃん!!!」笑顔で師長さんが出て来てくださり、いっちゃんの肩に優しく触れてくださった。「
「医者に見放されたガンが消えた❗️」人の弱みに付け込むうたい文句。普段なら100%無視😑けど、その時の私は半信半疑までグラついた。話を持って来てくださったのは、当時の職場の上司。突然休職した私をとても心配してくださってご自分が信仰されている「神の力」を是非紹介したいと何度も病院まで来て話してくださった。いっちゃんは、「おっちゃんは(上司)すごくいい人やし、行ってみてもいいよ。」と言うので本人に判断を任せると言う事で連れて行っていただく事に。ちょうど脳外科から小児科に転科
体育祭の2日前9月の2回目の化学療法の日。この日も朝から調子悪く、公共の🚌バスには乗れなかった。車🚘で病院へ向かう。🅿️に着いても、そこから歩くことが出来ないと言うので、入り口で車椅子を借りて移動した。『お母さん、早く早く行って。しんどいわ…』以前のように、「今日のお昼ごはんどうする?どこに食べに行こうか〜💕」なんて会話は出来なくなった。一刻も早く外来診療棟に着いて、ベッドに横になりたいと言う。先月はまだ、何を食べたい?と楽しみにしていたのに。病状の進行が早いんや
いっちゃんの中1の夏休みは、予定に全く無かった入院でスタート。入院10日後に生検手術を受けた。予定の2時間が過ぎ「難航してる」と連絡を受けた時は生きた心地がしなかった。そして4時間後、無事に帰って来たけど主治医先生がすぐに私達を呼び出した。「生検のための腫瘍細胞をほんの少し取るだけでも、やはり場所も難しく脳にも浸潤していて、とても困難でした」と。だから、全脳放射線と抗がん剤で現状維持をするしかないと。「治す」ではなく「維持」。進行を食い止めるのみ。どこに希望があります
そう言えば……いっちゃんの病気が見つかった時の話、してなかったこれ、大事なお話ですよねこのブログを読んでくださってる方々の健康を守るためにも✨早期発見早期治療につながるためにも。でも…ご自身の判断で苦手な方はスルーしてくださいね。今思えば…の話もひとつ。いっちゃんはご存知の通り少年でございまして、クラブチームは高学年になると、遠征や合宿など🚌やでの遠出が増えました。6年生になってから、頻繁にに酔うようになりました。「今まで酔った事なかったのにねー」
食欲がなくなって8日目お通じも1週間出ていない…😫💩吐き気も止まらない日に日に弱っていくいっちゃんだった昨日までは……………そう!食べれなくなって8日目の朝『お母さん、お腹空いた』え?い、いま、なんと?『笑おなかすいた』「ホンマに?ホンマのホンマに???」「あーー、よ、、よしよし!何食べたい?あ、やらかいもんにせなアカンで!胃が胃がビックリしよるわ、な?まずはおかゆさんからやな!よ〜し、よしよし、今
初めまして(≧∇≦)いっちゃんです😊💕💕(中1の夏休み初旬)これは検査入院初日のpic。この時は頭痛と首痛でしんどいけど、それを治してもらえる♪という喜びで彼は嬉しそうでした。しんどい中、すごく頑張って過酷な検査をたくさん受けてくれました。早くこの頭痛の原因を解明して、治して、秋の⚽️新人戦にスタメン出場する事が、彼の一番の目標になってました。小1から続けて来た大好きな⚽️は、たくさんの熱い素晴らしい友との絆を作り、彼の生き甲斐と誇りでした。勉強の100倍くらい打ち込ん
余命2年。先生によると、この脳腫瘍が子供に出るのは世界的に見ても例が少ないらしく、成人のデータしかないから治療は難しいと。彼の場合、かなり短期間でこの大きさになったと思われるので進行がために速いと言えます。2年も厳しいかもしれません、覚悟しておいてください。と。涙を拭き、充血を取る目薬を差し、カンファレンス室を出ていっちゃんが待つ病室に行く。どう伝えようか……ふーーーっ深呼吸。「いっちゃん、検査結果やねんけど…」『俺はいいわ。お母さんが分かってたらいい
いっちゃんの病室では主治医先生がこの病気のこの先の事を話してくださっている私は同席せず先生と2人だけの空間で話していただいた私は洗面所を出てナースステーション前のベンチ椅子に座って、主治医先生の戻りを待った。15分くらい経っただろうか……先生が病室を出てドアをゆっくり閉めいつもと同じリズムでパタパタ音立てて歩いて来られた「先生、ありがとうございました。。」「話し始めは少し泣いてたけど…今は大丈夫。たぶん分かってくれたと思います。」「そうですか。。。あ
2013年11月から2014年3月までの5ヶ月間、元気に登校して楽しい楽しい学校生活を再開できたいっちゃん髪の毛も少しずつ増えてきて、毎日鏡で見ながら『お母さん!ここ撮って』と、放射線で薄くなったところをよく撮らされました(笑)少しずつ濃くなっていくのを見るのが、至極の喜びだった様ですカワイイ❤︎また、彼にとっては恐怖のステロイド薬リンデロンも飲まないで良くなったので、副作用のムーンフェイス、こちらも少しずつでしたが改善してきました病気のせいで顔の形は変わってしまった
テモダール+放射線の治療が始まりそれまでの頭痛と首痛、吐き気が徐々に治まってきて、それとともに食欲が出てくるようになったのは良い事なんだけど……この頃いっちゃんが一番嫌がったのが点滴の刺し替えだった。子供は血管が細く、入れにくいとは言え、何度も刺し直すのは大人でも辛い。そこで登場したのが《静脈スキャナー》。小さめのリモコン位の大きさで照らすと手の甲の血管が透けるように見える優れもの👍🏼(Dr.によると高級車1台買える位の値段らしいよ😳)それでも、刺し方なのか痛いらしく、刺し替
2013年10月メイクアウイッシュの準備を進めていただきながら、治療は、前回のMRIが《良い兆し》だったという結果により、化学療法副作用の対処と観察、点滴から飲み薬への移行と観察、体力作りの為の理学療法を中心とした入院生活になり、退院を待つのみとなりましたいっちゃんの場合、院内学級を受けていたので、中学校の先生方も交えたカンファレンスを開くことになりました院内学級の先生お二人と、いっちゃんの通う中学校からは、学年主任先生と、担任先生、保健室の先生が来てくださる
夏休みが明けてから頭痛や首痛が続いて中学をお休みする日が続いた。昨日のMRIの結果を踏まえ、では治療法の検討も進んでいるだろう。そこは先生方にお任せだが、今はよろしくない状況だと言う雰囲気は先日の主治医先生の表情からもなんとなく感じていた。妙な焦りというか、時間が足りない不安というか、もっと彼と一緒にいたい、いなければ………私は、家に1人いっちゃんを残して仕事へ。仕事中もいっちゃんが気になって仕方がない。トイレに行くと言って教室を出る。トイレで急いでメッセ
翌日の朝5日間出ていない便を出すために、浣腸をすることになった。以前に書いたとおり浣腸が大嫌いないっちゃん朝、処方された中に浣腸を見てすでにブルー。『嫌やねん!ホンマに嫌やねん!しんどなるし、ホンマに嫌やねん……』もちろん、しなきゃいけない状態だと言うことは、彼はよーく分かってる。いっちゃんは、お腹がキュルキュル痛む事だけを嫌がっているのではない。きばる時に力を入れると頭痛が増すことが怖いのだった。何もしなくても吐き気と頭痛がひどいのに、気張った後の
テモダール&放射線治療を始めて2週間少しずつ食欲も戻り歩いて教室まで通える位にはなったが日によっては、しんどい時もある…と言う一進一退の感じだった。同時進行していた発達検査、知能検査、言語療法や、作業療法の時間も終了した。これらは簡単に言うと、“今のいっちゃんの出来る事と出来ない事を調査するテスト”みたいなものでした。『図を10秒見て記憶して、閉じて、覚えている物を全て答える』とか、『左の籠のを、できるだけ早く右の籠に入れる作業をする』とか。しんきくさくて、彼にとって
夏休みが終わり9月の外来診察&MRI&化学療法の日職場にお休みをいただいて、いっちゃんと2人で病院へ行く。新学期が始まってからも、朝、頭痛がする日が多くなり、鎮痛剤を飲んで痛みが引くのを待つ日々。登校も午後からが多かった。休む日も一気に増えた。外来のこの日も朝からキツく痛がった。いつものように鎮痛剤を飲んで、しばらく静かにしてみたが痛みが治らないと言う。今日はバスは無理❗️と判断して、タクシー🚕で病院🏥に向かった。🚕の中でも、私の肩に頭を乗せて目を閉
前回の続き。訳わかんないけど、一旦退院手続きして、再入院します少し時間が出来たから、家に帰りました。いっちゃんは大喜び❤️❤️『ただいま〜💙オレの家〜はぁ〜、やっぱ落ち着くぅ♥️久々に誰かに会ってみようかな…』この言葉にはビックリ&喜び❤️実は、テモダール&放射線治療開始してから髪の毛がずいぶん抜けていた。病院のお風呂は母も一緒に入ってて、先にいっちゃんが洗髪。シャワーで流すと、ゴソッと抜ける。サラサラの綺麗な髪の毛が、排水口にたまるのを見ると泣けてきた。
8月中2の夏休み結果的にいっちゃんにとって、最後の夏休みになった。2014年の夏日に日に朝のしんどさが増すいっちゃんを見ていて、急に思いついた。《よし、田舎へ行こう》←ローカル番組か!思い切らないと、なんだかもう一生会わせてあげられない気がしたから。朝がシンドイいっちゃん、嫌がるかな。「なぁ、いっちゃん夏休み中に田舎のじーちゃん、ばーちゃんに会いに行ってみーひんか❓」『ん〜U先生(主治医先生)が行っていい言わはったら行きたい』「もちろん、
13歳の誕生日を迎えて間もなくから始まったいっちゃんの悪性脳腫瘍との闘い。基本治療の抗がん剤テモダールがいっちゃんのソレには無効力だった為、新薬アバスチンとイリノテカン(カンプト)投薬が始まった。吐き気と、全身の倦怠感、冷や汗、ふらつき、脱毛。。。しんどいけど、嫌だけど、辞めるわけにはいかない。苦しみながらもなんとか一週間がんばって、、経過観察のMRI。朝から絶飲食して、造影剤を入れて。終えて病室に戻りご褒美の果実まるごとゼリーを食べてたら、結果が出たよう
抗ガン剤アバスチンとイリノテカン投与を始めて二週間、初めての外泊。まずは、その時のお話いっちゃんのリクエストに応え京都駅近くの大好きな《萬福》っていうラーメン屋さんに行きました大将「いらっしゃいっっ❗️」『ラーメン大盛りで❗️えっと…ネギはいりません』大将「❓ボン、ネギは嫌いなんか❓」『いいえ、大好きです』大将「❓………ん、そうか。」しかし出てきたには大量のネギが。『あ……』大将「ネギな、大丈夫やで‼️熱湯通したからな❗️生がアカンのやろ❓わかっと
播種した脊髄への放射線治療を終了し、いよいよ効果の確認のため、MRIを撮りに行く日がやってきました。いっちゃんの脳腫瘍は、浸潤してるので手術不可能放射線に強い抗ガン剤に強いどうしようもない強敵だから、どうしても心から期待できない私がいただけど、いっちゃんはいつだって前向きだ。《放射線したからもう大丈夫》ぐらいの自信があるようで、腰の痛みも全くとまではいかないが、かなりマシになっているらしい。いっちゃんには、目標がある。夏休みに入ったら始まる《夏の大会》に