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1983年頃発売されたトミカトレインシリーズ蒸気機関車セット/電気機関車セット/ディーゼル機関車セット箱のイラストは入手当時は意識しませんでしたが…トミカトレイン蒸気機関車セットからNo.104-1D51蒸気機関車前面の表記は省略(運転台部分両側面にD51031の表記)単品(No.104-1)初期のものには後部牽引フックはありませんがこのセットやロングトミカNo.L11-1で蒸気機関車+(郵便)貨車を販売するにあたりシャーシ部分が変更されたようです車(自動車)
台風一過、早朝の秋田市は爽やかな空が広がっています。この台風による被害等がこれ以上無いことを祈っているものです。私としては今はまだ遠征での蒸気機関車撮影ができない時期、皆さまの「SLばんえつ物語」等の素晴らしい写真等を拝見させていただき、うらやましすぎるとともに、どうしても蒸気機関車に会いたくなり、なんと秋田市に保存されている蒸気機関車の撮影に走ってしまったものです。ちなみに蒸気機関車を前にシャッターを押す瞬間、手の震えがピタリと止まったものです(笑)。(あぶさんの「景浦選手」を見
毎度!おばんです!結局ここで寝るお仕事を続けてしまったのか?(昨日のエンディングのニャルくん)合同朝食会にニャルくんは欠席。一応ここにも来てみましたが、お家に帰ってゆっくり寝てたみたいなので、こちらはとっとと?川崎車両のモーニングシャッフル。今朝のトップは、南から「福岡市営地下鉄」と信じて疑わない?謎の中間車構体。どうやらパンタ車のようですね。おっと、ダブルパンタみたいですね。これでとりあえず6両1編成分艤装職場に入ったことになりますかな?では、改めて今日もよろしくお願
日本の鉄道で運転された開業・周年記念号で時刻表掲載されたものを取り上げています。第86回目はJR東日本が運行した、D51形蒸気機関車498号機の誕生とその後の復活運転の周年記念列車についてまとめてみます。ここでいうD51とはD51-498号機を指します。D51-498号機の国鉄時代の運転履歴の振り返りは割愛しますが、一度は廃止され静態保存となった後の復活の話は、1989年の横浜博覧会開催をきっかけに起きたようです。とは、先達の皆様はご存知の通り、実際には横浜博覧会では運転されていませ
SLやまぐち号は10月23日から運行を再開しましたJR山口線の新山口から津和野までの区間で運行されていますC56、C57、D51と入れ替わり走っていますがC56は引退、C57は今はお休みです。新山口から山口駅の間は平坦地のためあまり煙を吐きません(絵になりません)山口市の仁保駅から津和野までは山あり谷ありで山を登るときはたくさん煙を吐き力強く上って行きます。その雄姿を収めるべく多くのカメラマンが日本全国からやってきます、わたしは地元なのでみなさんに羨ましがられます。
山陰本線の大田市駅は2018年に運転された迂回貨物でDD51貨物列車どうしの離合するダイヤが組まれ注目を浴びましたが、現役蒸機が走っていた頃からC57とD51の並びや82系「まつかぜ」のD51貨物追い抜きなど何かと話題に事欠かない駅でした。本線のD51貨物列車を横目に側線からキハ82系「まつかぜ」が出てきました。特急「まつかぜ」の6両目に食堂車のキシ80が連結されているのが見えます。跨線橋の屋根には春闘の「団結」の旗が翻っています。1974年3月深夜の大田市駅。跨線橋の
月曜日の朝一番の記事では、Nゲージサイズ模型が付録についてくる雑誌、「国産鉄道コレクション」の紹介を続けています。アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社発行「国産鉄道コレクション」の記事と付録模型の紹介、今回は第214巻です。毎号のお楽しみになっているNゲージサイズ車両模型ですが、本号では、ボンネット型の先頭部が懐かしいクハ481形100番台の流麗な姿を楽しむことができます。それではいつものようにパッケージを解いて、奥底から第214巻の冊子を取り出しましょう。
詳細は下記よりhttp://Ds.e.42-DG9D51.jp/62w11e2tr/ub12月25日9728S9728S恵比寿の髪の悩み解消美容師恵比寿で白髪・くせ毛・薄毛などの〝髪の悩み〟を解消する美容師adclick.g.doubleclick.net
数年前かな11月の末でした。似内~土沢の畑に季節外れの菜の花が咲いていました。昨日母が39.5℃の熱が出たので病院に呼ばれました。高齢ですので緊張が走りました。行って見ると酸素吸入をしてうなっていました。検温すると38.3℃に下がっていましたが苦しそうでした。とりあえず限られた面会時間でしたので帰ってきましたが、今週はしばらく病院に通います。現役時代の写真です。昭和50年10月の栗丘~栗沢のものです。このスジもD51に変わっていました。写楽追記:このブログ
2024年4月6日(sat)今シーズンは大きな旅の行き先を絞った分だけ近場のポタリングの回数は増やしたいと考えているが、体力がどれほど残っているのかは心配なところだ。(写真/いつものJR大糸線安曇追分駅から今年初のポタリングをスタートする)安曇追分駅の西側を南北に流れる穂高川から大町方面を望む。爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳の峰には雲がかかり、その全容はみえていない。今日はこうした薄曇りの予報となっている。今日ははじめから往路だけのポタリングと決めている。最近はこのパターンが増えていて
二日町と綾織のあいだの田んぼです、田植えがおわってすぐの頃です。現役時代の写真です。室蘭本線栗丘~栗沢のD51牽引客車昭和50年10月の撮影ですが、この頃になるとC57牽引客車の数も減り、D51牽引に変わっていました。写楽
この週末は東京に出張でした。金曜日は午後3時に離脱、公文書館はもう時間がないので、東品川公園の2850形を再訪することに。桜が終わりかけ。子供たちが元気に遊んでいて、機関車にも上っていました。ゲームオンリーでないのに安心しました。新馬場で品川に戻る合間に撮り鉄。ホームから安全に撮るには気を使います。運転士さんに危険を感じさせない立ち位置に注意しました。この後、秋葉原で電子部品を購入。模型屋さんには寄りませんでした。東京、横浜のホテル代高騰は目を覆うばかり。出張費で泊まれるのはカプセルやバッ
蒸気機関車の雑学!その3・蒸気機関車の仕組み(構造)動輪の位相燃料となる石炭と動力となる蒸気をつくる水を積んで走る蒸気機関車。積載する石炭と水の量が少なくて済む短距離のローカル線では、ボイラーの横に水タンク、運転台の後ろに石炭を積んだ小型の「タンク機関車」を使用。重量の重い列車の牽引(けんいん)やスピードが必要な長距離の幹線では、石炭と水が大量に必要となるため、機関車の後ろに大量の石炭と水が積める炭水車(テンダー)を連結した大型の「テンダー機関車」が使用されていました。また、明
昨日の高崎駅♪可愛いD51がstamp台になってstampがあったので押して来ました✌️👀可愛い💕ほっこりしますよね♪
夜、岡山駅へ。桃太郎線(吉備線)の最終列車かな?!今朝の早い時間に梅小路から岡山までやって来てた『SLやまぐち号』を牽引する蒸気機関車[D51形200号]、通称"デゴイチ"が、今夜、これから広島方面へ向け、岡山駅を出発するというので見に来ました。前にも1度見に来たことあるよ。『『SLやまぐち号』[D51形200号]送り込み回送』知り合いに「[D51200]が下ってるらしい」って教えてもらって、送り込み回送のダイヤは知らないんだけど、調べたらなんとかなるもんですね。だいたいの
皆様おはようございます昨日は暑くて外を歩いていても半袖姿の人を多く見かけました。お天気が良いと家事もはかどります。最近はキッチンの断捨離に励んでいます。キッチンのパントリー等を整理。ガス台のお隣の調味料収納ケースも汚れていたので綺麗にしました。ホームセンターで「ホワイトボード」等購入カーブのある冷蔵庫にとうたってあったのですが。家の冷蔵庫はまっすぐ。冷蔵庫前にはつきませんでした。正面にマグネットを貼ると冷蔵庫の機器に影響があるかも?冷蔵庫前に下げたって
大勢で撮るのが苦手だったので、関西本線の加太に行っても超有名撮影地だった中在家の大築堤に行くことはなかったのですが、平日に中学校の行事で代休となり、そんな日に中在家の大築堤に行ってみた時の写真です。後補機付きの貨物もこの日は短めでした関西本線加太-中在家(信)煙がカーブの外に流れ後補機を隠してしまいました関西本線加太-中在家(信)秋にはススキの綺麗な所でした関西本線中在家(信)-加太峠を下って来るD51をアップで撮ってみました関西本線中在家(信)-加太
書類上では昭和48年(1973年)10月秋の改正で関西本線は無煙化された事になっていますが、実際にはDD51の配属が上手く行かずに昭和48年10月に入っても暫く細々と奈良区のD51が荷物列車や貨物列車を牽いていました。私は何でその情報を得たのか?記憶も訪れた日も定かではありませんが、半信半疑で関西本線を訪れることにした日の事です。関西本線に蒸気機関車の「さよなら列車」が走った事がテレビニュースで大々的に放送されたので、さすがに他の撮影者に出会う事はありませんでした。ただ沿線でカ
遠野の先の橋りょう夏のある日でした。昨日母の様子を見に行ってきましたが、熱は平熱にもどっていて、話しかけると反応もあり、かなり回復していました。今日は大丈夫だと思うのでまた後日面会に行って見ます。さて今日は何をしましょうか?遊びましょうか(笑現役時代の写真です。追分発車のギースルです。やはり煙突は特異ですねぇ昭和50年10月の撮影でした。最後のD51が走るまであと2ヶ月となった頃ですが、まだまだ室蘭本線にはSLがいっぱい走っていて、機種も標準形、戦時形、ナメ
ちょっと間が空きましたが、今回は摩訶不思議(?)な、D51-1116号機です。デゴイチは、使い勝手も良いカマであり、第2次世界大戦時の大量貨物輸送に対応するためもあり、国内で最多両数の1115両が製造されました。また、台湾やサハリン向けなどのデゴイチが、これとは別に69両製造されています。で、戦局が悪化し、制海権が無くなると、一部の海外向けのデゴイチが輸送できなくなり、空襲等で壊れたカマの代わりに同じ番号で国内を走っていたカマなんかもあります。ちなみに、サハリンD51については
こんにちは😊只今、山形発米沢行普通列車が二両編成で発車しました。お弁当も売っていたので、何故か米沢の【牛肉どまん中】を発車前の車内でいただきました😋さて、新庄駅では新たな発見が👀ありまして…😳✨駅と一体になっている【もがみ体験館】体験する鉄道🚃と言う事で…【ゆめりあ鉄道ギャラリー】の中を見て来ました🈁まずは【D51】と【腕木式信号機】の展示をパチリ📷✨【ジオラマ】もありました。こちらは【0系新幹線🚄】まだ運転時間ではなく、柵で走れない様になっていました😊こちらの乗車口から乗るみたい
こんにちは。(^O^)/うちの鉄道ではKATOの機関車を中心に昔懐かしい車両たちが活躍中です。平成27年7月現在、うちの車両センターにはKATOリニューアルD51が7両在籍しています。今日はその中から、北海道形の241号機と320号機を見てみようと思います。まずは、D51241から・・・D51241[KATO]配属H26.3.15公式側実物は、昭和50年12月24日に国鉄蒸気機関車による最後の営業運転(復活蒸機は除く)となった夕張線6788レを牽引した機関車です。この2
三江北線に入る気動車の横で下り列車を牽くD51の運転整備が続きます。243号機は長門の機関車のようで集煙装置が着いていません。1971年8月15日キハ65の車内から浜田機関庫を望みます。機関庫の妻壁は長年の蒸機の煙に燻され真っ黒です。1972年8月8日改札口からも機関区に憩うD51を見る事ができました。集煙装置が着いていないのは長門の機関車着いているのが浜田か米子の機関車でした。1972年3月31日この春から特急「やくも」の新設、「出雲」が特急に格上げされ
動画での情報は2022年の日テレ!昨年は東海TVで放送されましたが今回は先週地元のケーブルテレビで取り上げられた放送です。(3分です)https://stream.himawari.co.jp/chroot/vod/toyotanow/weekly_240205.mp4これは豊田市ホームページから見る事が出来るようになっています。撮影風景台車を高圧エアーで動かそうとしている所。動画で動いている所が見えます。作業指示をしている所。コメントを取っている
こんにちは。今この時も新型コロナウイルスと戦う医療従事者のみなさん、関係者のみなさんに敬意を表します。さて、今日5月5日はこどもの日、端午の節句でした。わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市でも、市内の所々に鯉のぼりが泳ぐ姿が見られました。ということで、今日ご紹介するのはこちら↓筑西市茂田にあるザ・ヒロサワシティの鯉のぼり。鯉のぼりを見るだけなら3密にはならないだろうと、子どものストレス解消も兼ねて出かけました。ザ・ヒロサワシティは、製造や流通、教育事業などを展開する茨城県の代表的企業ヒ
2018年10月28日JR東海主催のさわやかウォーキングに参加しています。蒲郡博物館にやってきました。博物館の敷地内にD51式蒸気機関車が保存されていました。小学生の手紙がきっかけで、昭和48年7月にD51201号機が蒲郡にやってきたのです。蒸気機関車を末永く保存するため、ナンバープレートにあやかって、昭和51年2月1日に「蒲郡SLを守る会」が発足したそうです。清掃や写生大会、機関車展等の活動をしながら保存活動をされているようです。D51
■新開地界わいの昭和スポッティングと文珍落語その3神戸電鉄公園都市線の南ウッディタウン駅。西口?!から出ると、道路を挟んでスグ目の前でした。「はじかみ池公園」ここに、"デゴイチ"[D51形25号]蒸気機関車が展示保存されています。いわゆる~ひとつの~"ナメクジ"です。現役時代には、福知山線や山陽本線、奥羽本線などで活躍したそうです。総走行距離は約176万キロ、地球約44周分。引退後の1976年(昭和51年)からは三田市役所に展示保存されていましたが、1988年(昭和63
「日本の鉄道における機関車の名車とは?」「デゴイチ」(D51形蒸気機関車)と答えるであろう。なぜD51形が名車と言えるのか。理由はいくつもあるが、まずその生産台数である。総生産は1115両(海外輸出分を含めると1184両)という、我が国の機関車において最大の生産台数を誇った。また、機関士にも操作性と性能の良さから人気があり、現場からは「デゴイチ」の愛称で親しまれ、広く国内で見られた機関車であったことから国民にもその愛称で親しまれるようになり、蒸気機関車の代名詞にもなった。では、そのような
大好きな我国最大最強の蒸気機関車D52。戦局の悪化で海上輸送路の被害が甚大となる中、海上から陸上へ輸送の重点が移るようになり、昭和18年に登場したのがD52形蒸気機関車でした。標準の20M転車台を用い、建設規定・車両限界ギリギリの大きさながら最小限の資材と工数で最大限の牽引力を目指し、戦時型D51同様、ランボードやデフレクターは木製化する、その他にも銅や錫といった非鉄金属も極力代用品で賄う形であり、中には重量不足の為にコンクリートを死重として積んだ個体もあったといいます。この様に、
JR西日本・D51200号機とJR東日本・D51498号機の比較!D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車です。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。現在、動態保存されているD51形蒸気機関車は、JR西日本