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一週間前の午前中は開腹手術してたんだな。そこで少し今回の手術の振り返り。手術した日の夜は、体温計では37℃ちょっとの微熱程度だけど、身体の内側がめっちゃ暑い手術の影響なんだろうけど、ホットフラッシュがひどいような感覚でした。手術前からレルミナで似た感じだったので改めてツラいってほどではなかったけど、水が飲みたくて仕方なかった。朝になって「お水飲んでいいですよー」と言われた時の嬉しかったこと夜中も定期的に看護師さんが来てくれて、掛け布団を剥ぎたいときに「布団の間に空気を入れるようにしま
開腹手術で子宮全摘してから2ヶ月経ちました。術後20~43日目にあった出血は、その後も無いまま傷口もアトファイン効果もあるのか随分落ち着いてきました子宮取ったのに何か膨らんでる腫れてると思っていた下腹部も少し平らになってきた気がしますただし、身体のメリハリは確実に前より無くなっています運動といっても週末にお散歩くらいしかしていないから、筋肉お休みし過ぎだねと、いうことで昨日、術後初めてジョギングをしました1キロ8~9分の超~スロー。3kmまでは動きはぎこちないし、😷マスクのせいもあ
開腹手術から2週間目でおりもの?位の出血が少し。今まで何もなかった方が不思議なのかな?しかし、その2日後の夜、38.2℃の発熱次の日の夜には37.2℃まで下がり、しばらく微熱...で、発熱から4日目の昼過ぎからまた38℃超え再診の時間には間に合わないので、ひとまず病院へ電話して指示をもらうことに。当直の先生が電話に出てくれて、熱だけならしばらく様子見で良いとのこと。様子見て電話したんだけど、さらに様子見って、いったい何日様子見れば良いのかわからんま、今日は診察時間も終わっている
久しぶりの診察。そして久しぶりのブログです前回の診察=術後2ヶ月で大学病院の通院は一区切りついていましたが、その際、残している片方の卵巣のために今後は大きな病院ではなく、クリニックに通うように紹介状を貰うことに。当日に発行できないので、紹介状貰いに来るだけのために病院に来るのも……という医師の気遣いにより、次、もう一度診察して、その時に紹介状を持って帰れるようにしておきます!ということで、本日は手術をした病院で最後の診察予約日(お医者さんの気遣い嬉しい)さてさて、今から1ヶ月程前の9
開腹手術から2ヶ月ちょっと。手術前の予定では、術後1ヶ月後と3ヶ月後に診察でしたが、手術から数週間後に発熱。その際の血液検査で炎症、肝臓、白血球の値が高かったため、その経過観察として本日は診察です。今日、会社は有休を取っていますが、何せテレワーク推進の今、出社してなくても朝から仕事のメールがバンバン来る結果、朝は少し家でPC作業を......で、病院には診察予約時間の10分前に到着この病院の婦人科はコロナ対応で、今は緊急度が低い手術は延期か他の病院を紹介する対応をとっているので、
退院してから4日目。お家に帰ってきてから、かなりリラックスしてます入院生活は規則正しくて、何かあれば知識ある人がすぐ対応してくれるので安心ですが、4人部屋だったこともあり、それなりに気を遣っていたのかなぁと退院してからのリラックス感で思います。そして、頭痛が楽になってきたので、すっかり元気になった気分昨日はお天気もよく4月並の暖かさだったので、たっぷりお散歩に行ってきましたソメイヨシノなどは来週かな?寒緋桜は綺麗なピンクに咲いていました公園を過ぎて隣町の父のお墓参りへ無事に手術を
2020年3月4日午前に手術したので、なんだかんだで1ヶ月経ちました。当初、仕事復帰は手術日から3週間後の週の真ん中水曜日を目安に考えていました。デスクワークの会社員。自席にいることが大半で身体的負担は少なめなのと、復帰してすぐ5日連続フル稼働より休みを挟みながら少しずつ慣らしていけるようにしたいと思って......んが、しかし。炎症起こしたりしたので、予定より5日遅い復帰になりました。入院日から休んだので入院から術後の有休は18日使用。今までの通院やら所用やらと合わせると今年度は
今日は入院中に決まっていた診察日。術後ほぼ1ヶ月後診察。術後20日位に発熱で急遽受診し、その際、炎症&肝臓の値が悪かったので、その経過観察もあり診察前に採血も。前回、採血の結果が出るまでに1時間ちょっとかかったので診察予約の1時間半前に行ってまず採血💉コロナウイルスが心配な時期に病院......しかも外来の色々な人がいる場所に長時間は心配なので、待ち時間に近くの神社にお参りに行きました。ここ、入院中にデイルームという名のちょっとした休憩所待合室から見えていて、ちょっと気になっていたんで
少し私の人生を振り返れば、今のところ黄金期は、40歳代だったように思います。それぞれの年代でうれしかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、があり、総じてよいことが多かったのが40歳代でした。家庭、友人、仕事、すべてが充実したものでした。煩わしいものからの解放!きっかけは広島への転勤でした。1990年から2001年まで、まさしく40歳代を広島で過ごしました。妻と子供が一緒に広島に来てくれたので、家庭環境も良好でした。広島の人情が私に会っていた