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私がいた会社は来年、国際線進出70年となる私はそのうちの35年を客室乗務員としてお世話になった2,3日前に下記のようなタイトルの記事が目にとまった「本当に「普通の着物」で乗務していた…1959年入社の元CAが語る「JALファーストクラス」のすごいサービス」著者は航空ジャーナリストの北島幸司氏1959年入社のスチュワーデス(当時)福田さんのインタビューも交えて国際線進出から現在までこの記事に出てくるスチュワーデス14期の福田和生(かずみ)さん
毎年9月に入ると、NHKFMから必ず流れてくる歌があります。この歌詞は昭和に生きた私たちの暮らしを彷彿させます。あぁ、そんなこともあったなぁ…。あんなこともあったなぁ…。とサトウハチローの詩がしみじみと思い出させてくれるのです。1954年刊行の雑誌「アサヒグラフ」の記事「新童謡歳時記」に楽譜付で掲載された童謡。≪秋の子≫元気なこども達をたくさん登場させた後で、“さみしく聞く子は何人だろな”と病気のこどもを気遣ったことばで結ばれている。胸のつまる一
宅和本司1935年7月18日生まれ、福岡県北九州市門司出身1954(昭和29)年、野村克也やのちの30勝投手皆川睦夫投手と同期で入団したのが宅和本司投手だ。門司東高校時代から剛腕投手として知られていたが、甲子園出場はならず、南海ホークスへ入団した。当初、鶴岡監督は中日に入団した空谷投手や巨人へ入団した広岡達郎を狙っていたが思うような新人補強が出来なかったと思っていたところ、柚木進投手から「親分、宅和は行けますぜ!」と見込まれた。鶴岡監督も改めてブルペンの宅和を見る
「異世界こぼれ話」は時系列に沿って進めたいので、今回の記事は別扱いにします。実はこのブログで、ここ数ヶ月、不動の一位を保っている記事があります。それは「トレド(タウレド、トーレド)の男を追って」で、いつ頃からかいつも2位を大きく引き離しているのです。そして昨日、なんとなく、他の人はこの題材についてどんなことを書いているのだろうと検索してみたら、なんと!、いつの間にかその男のパスポートはこれだ、という画像が出てきていました。でも、こんな名前(JenansferBerhodrick/ジェ