ブログ記事834件
目の前であの大横綱千代の富士が涙をぬぐいながら「体力の限界、、、気力もなくなり」と声を絞り出しています。私の目もうるんでいました。あの大横綱がついに土俵を去る、相撲が終わってしまうような気持ちにさえなっていました。今から33年前の1991年5月14日大相撲夏場所三日目の夜のことです。大横綱千代の富士がついに引退、その記者会見は九重部屋の2階の広間で開かれました。初日、大相撲史の転換点になる大一番貴花田に敗れ、いよいよその日が近いことはみなが感じていました。二日目は勝ったものの
今年度でNHKのBSニュースが終わるそうです。私もかつて深夜のBSニュースを担当したことがありました。こんなハードな日々はありませんでした。担当したのは15年位前でしょうか。深夜0時に出勤します。(毎日酒臭い地下鉄に乗って出勤していました)その後1時50分、2時50分、3時50分、4時50分、5時50分からそれぞれ10分間ニュースを読んで6時に勤務が終了したと記憶しています。この勤務が実は1日だけではなくて月曜から金曜まで続きました。朝帰宅して風呂に入って朝ごはんを食べて寝る
「劇場版アナウンサーたちの戦争」、橋本愛さん舞台挨拶の司会を務めさせてさせていただきました。この作品は、太平洋戦争でNHKアナウンサーたちがラジオを通して声と言葉を武器にプロパガンダ放送を行い、戦意高揚・国威発揚、そして偽情報で敵を撹乱させたという事実を基に映像化されました。登場するNHKアナウンサーは全て実在の人物。戦争下、”声を武器”に国民を戦争の熱狂へと駆り立てた罪と苦悩にNHK自ら真正面から取り組んだ問題作で、この事実を決して歴史の闇に埋もれさせないと
仕事でNHK時代最後の赴任地金沢へ行ってきました。街を歩いていましたらすれ違ったご夫婦から「アナウンサーやね?」と声をかけられました。金沢の地で定年退職を迎えてから3年経っているのですが覚えていてくださったのですね。ありがたいことです。赴任地では一杯飲みに行く店をよく探したものです。地元の人が通い、その土地の特産が食べられて、大きすぎず小さすぎず、座るのはカウンター、そして値段もお手頃、そんな店を探したものです。まさに孤独のグルメです。カウンターに座って度々言われたのが・・
大の里が大関に昇進します。そのまま一気に横綱に駆け上がって欲しいと思っています。私にとっての大横綱は北の湖と千代の富士です。二人の共通点はもちろんいろいろありますが大横綱たる所以は頂点へと駆け上がっていく途轍もない勢いだと思っています。というのも北の湖、千代の富士ともに大関は三場所で通過しています。北の湖は関脇で優勝して大関昇進。新大関の場所こそ10勝5敗でしたが2場所目に13勝2敗で優勝、翌場所は優勝決定戦で輪島に敗れたものの13勝2敗で横綱昇進を決めています。千代の富士も関脇
選挙の時に「〇〇の顔を選ぶ」との表現があります。〇〇には都市名が入ったり、党の名前が入ったり。考えてみると本来は顔ではなく頭を選ぶわけです。あたま、かしら、ヘッド・・・読み方も様々、役割も様々ですが頭でなくてはなりません。芝居の世界には座頭(ざがしら)の存在があります。一座を頭として引っ張っていくわけです。主役を演じるだけでなく、演出も担い、そのための知識もあり、関係者をけん引していくリーダーシップを求められます。私が国立劇場の初芝居の中継を担当していた頃から尾上菊五郎さんが座
NHK-BSでちあきなおみの特集が放送されました。録画して何度も聞いています。いずれもが心に染み入ってくる歌声です。まさに一つのドラマを観ているようです。「四つのお願い」「喝采」などは小学校の低学年の私でさえ歌っていました。それほどのヒットでした。その後も様々なヒット曲があり、またタンスにゴンのCMなどでもその姿を見ていました。しかし1992年から突然活動休止、残念ながら一度も仕事でご一緒したことはありません。そんなちあきなおみの曲の中で1枚だけシングルレコードを買ったことが
2004年宇都宮で立てこもりがありました。男女が宇都宮市内のマンションに立てこもった事件です。当時、私は宇都宮放送局の管理職として勤務していました。<1日目>事件発生、すぐに現場に行きました。立てこもっている男は武装していて、マンションの部屋自体が要塞のようだとのことでした。危険でそばに寄れません。非常線の外からリポートをしました。その日は深夜になり交代して帰宅しました。明け方には解決するのではと思っていましたがその希望もむなしく事件は続きました。<2日目>早朝再び
最近日常のちょっとした場面で芝居すると「小芝居をした」と言います。ちゃんとした芝居、演技というほどではないので小芝居というようになったのでしょうか。これがまた本来の意味と違うのです。小さな劇場での芝居を大芝居に対して小芝居と言ったのです。江戸時代は江戸三座といった大劇場以外での芝居をさしました。劇場の話であって演技の話ではありません。現代で言えば小劇場といったところでしょうか。地方で開かれ、地元の役者で上演する歌舞伎があります。これを私が「地歌舞伎」と言いましたらある大学の教
ついに60歳です。1984年(昭和59年)20歳20歳になった時は両親と祖父と家でささやかに祝杯をあげた覚えがあります。1994年(平成6年)30歳前夜仲の良い4人組で飲みながら午前0時を迎えました。その瞬間仲間は「ジジイ!」と叫びました。2004年(平成16年)40歳まだ独身で転勤先で一人で静かに迎えました。結婚もできていないし、この先東京に戻れる保証はないし、番組があたる可能性は低い。いつNHKを辞めようかとも思っていました。2014年(平成26年)50歳ようやく家族もで