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【8月上旬】手術から半年後検査のための通院。MRIは退院前にしたのが最後なので、久しぶりという感覚があるが、病院はついこの間来たばかりなので何の感慨もわかない。汗だくになりながら放射線部に直接出向き、検査着に着替え待合室へ。待っている間に汗も引き、体が冷えてくる。しばらく待たされた後、名前を呼ばれ検査室へ。検査台に横たわってから造影剤を入れるための注射をするのだが、これが痛かった。注射の痛みならばすぐに落ち着くはずが、注射をされた左腕がかなり痛い。これは初めての体験。検「痛みは
一昨日の夜と昨日の夕方に壁際をボンヤリ眺めてたらね長女姉から貰って壁に貼ったポストカードが貼り直しても剥がれ落ちました❗これは、他界したお母さんの長女姉の事は考えなさんな。と言ってるのかなと思えたりね長女姉は、軽費老人ホームで暮らしてた母に泣いて一緒に住めなくてゴメンね。と歩道を歩きながらね謝ってたのを目の当たりにした私がいて。。。いっぱい貯金を持ってるのに?って思った。挙句の果てに、母が他界をしたら綺麗な物件に引越してベッドやら椅子やらキッチンテーブルや
なかなかふらつきが良くならず足取りもふわふわしているため、退院してから初の外来は夫が付き添ってくれた。先にCTの撮影をしてから脳神経外科へ。夫にも「せっかくだし、一緒に診察室に入ろうよ」と誘ったが、シャイな性格なので、待合室のほうで待つとの事。診察室に入ると主治医は「傷口の様子はどうですか~??」と言いながら、私が被っていたニット帽を早速外して創部チェック。「いいね~いいね~キレイだね~」と、今日も創部がその気になるくらい褒めそやしてくれた。創部をこんなにチヤホヤしてくれるのはこの人くらい
クラス替えで奈落の底へ落ちて一縷の光が見えて…復活した、と思われていた娘やはり、このクラスはダメだ自分の居場所はない、が、結論らしいあれれ?幼稚園時代の知り合いがいたのでは?『キラキラ女子だったから私には無理』キラキラ女子(笑)一瞬、え?と思ったけどすぐに理解しましたタイプが違うかったのね『私、この一年は陰キャで行く』と、宣言📢仲良しな友達たちとはクラスが離れ過ぎてて廊下でも会えず、会いにも行けず…元クラスから1人も女子がいない、話せる人もいない、と言うク
退院してからは、とにかくのんびりと過ごし、基本的な生活は寝てばかりいた。入院中は頭痛などであまり眠れないまま朝を迎えても、やはりどこか気を張っていたのだろう。退院してからも頭痛はあったものの、緊張の糸が切れたようだ。食事をしたら眠る、少し活動しては眠る、を繰り返していた。ある日、在宅勤務の夫と昼食を取り、すぐに眠っていたところ、声をかけられ目を開けると「救急車呼ぼうか?」と言われた。紙のように真っ白い顔色で眠っているので、死にかけているのかと思ったらしい。起きている時は、元々のテンションの高さ
先週再縫合してからは、浸出液が出てくることもなく、もみあげから糸が飛び出していることをのぞけば好調を維持。【再縫合から1週間】週明けの診療。主治医による創部チェック。再縫合の部分はいい感じのようだが、2針縫った下、顎側の縫っていないところにかさぶたができているようで「縫ったところはいいね、うんうん。ここがちょっとあれか。」などとぶつぶつ言いながら、かさぶたをピッと剥がされる。が。ふふん。先週、再縫合された時に比べたら、こんなもの痛みのうちに入らない。屁の河童、造
~髄膜腫(脳腫瘍)が発覚した2023年夏~本ブログは、2023年7月髄膜腫(脳腫瘍)発覚→9月開頭手術・入院の体験記、そして、退院後の生活を綴ったものになります。「髄膜腫になったけど、どうしよう!?」「そもそも、髄膜腫って何だ!?」「検査、入院、手術はどうなる!?」「退院後の生活が不安だ。。。」と感じる人が多いかと思います。自分も同じでした。そんな人に向けて、「少しでも参考になれば」と思い、治療経過をなるべくリアルタイムで記録し情報発信したり、退院後の経過を綴った
大学病院その3①転院先で脳腫瘍(髄膜腫)の診察へ大学病院その2から大学病院その3へ転院初日診てもらいたい先生がいると伝えたところ紹介書に先生の名前が書かれていないから診てもらえるか分かりませんがとのことでしたが〇〇先生を希望されていますというメモを挟んでくれましたさらに脳神経外科の受付でも希望してることを言ってくださいと丁寧に説明してくれました大学病院その2と比べて受付の人の対応が優しくてまずはほっとしましたただ脳神経外科へ行くと建物が古くて
錐体斜台部髄膜腫の手術から17か月が経過しました。お腹の痛みは無くなりました。元々便秘体質みたいです。身体が慣れてしまったようで、普段、自覚はないのですが。そうそう、アメトピに記事が掲載されました私がつけたタイトル以外に、何とも気になるようなタイトルが書かれていて。アメトピだとこんなタイトルがつけられるのか〜!と驚きましたアクセス数も爆上がりでしたGWが明けてブルーです。昨年度末から職場がイヤでたまらない何がイヤって人。環境は大事と言うけど、こんなにもとは。今までは恵まれていた
未破裂脳動脈瘤のコイル塞栓術退院後4年検診脳腫瘍(髄膜腫)経過観察海外旅行へ飛行機に乗りましたが金属探知機は鳴りませんでした先生からコイルが入っていても金属探知機は鳴りませんよと聞いてはいましたが実際に通り抜けるまではちょっと緊張しました腰が痛くなるのでマッサージボールを持って行きましたマッサージボールストレッチボール【累計180,000個】4個セット送料無料トリガーポイント筋膜リリース肩背中腰ふくらはぎ足裏全身ツボ押しストレッチグッズツ
昨日のリハビリが思いのほか体にきたようで、昨晩は結構眠ることができ、目覚めの良い朝。顔の腫れは一定のラインから引かなくなってきたが、私のメンタルが下膨れに慣れたようで、今後丸い顔で生きていくことになるならば、それもまた受け入れようかというくらいの穏やかな気分。「さ、今日は抜鉤ですね」と、朝食後にチームAが登場。昨日あんなに張り切ってフライングした先生は不在で、3人の医師に取り囲まれる。絵心がないのでわかりにくいと思うが、3人の中で一番の先輩と思われる医師Aが私の頭を保定。・・・あれ、保定
5月の外来。これで退院後3回目の通院である。2月中旬に開頭手術をして、下旬に退院、3月の術後10日目、4月の経過観察、そして今回。てんかん予防の薬は足りているが、創部の治りがよくないために毎月来てるけど、そろそろ卒業したい。と言うことで、相変わらず混みあっている待合室のベンチに座っていると、人目を引く背の高い青年がふらっと現れた。レンタルパジャマを着て、術後の白い角帽子を被っているので、術後間もない入院患者なのだろうが、私が驚いたのは、そのスタイルの良さである。あまりにもスタイルが良い
6月はもみあげの再縫合というビッグイベントに見舞われたが、よりによって免許更新の月でもあった。まず、ビジュアルについて。4月の時点で「ボブヘア一部角刈り」という尖ったヘアスタイルだったのだが、手術で剃って伸びてきた角刈り部分がこの6月に最高記録をたたき出した。最高と言っても、最高にイケてる角刈りが完成した訳ではない。読んで字のごとく最高=最も高い=真っすぐに上に立ち上がった髪の毛が最長になったということである。その高さ約5センチ。調べてみたところ、1円玉の直径が2cmなので、1円
7月上旬。手術から5ヶ月、退院後9回目の外来。どれだけ通院しているのか。自分のことながら、ちょっと引く。入院中には色々あったけれど、先生方にも看護師さんに対しても従順に過ごした(つもり)、テーマに掲げた“効率とスピード”も華麗に達成し(気持ち的には)、誰の記憶にも残ることなく退院してから、もうすでに5ヶ月。それなのに、“立つ鳥跡を濁さず”だったはずの私が、手術から4ヶ月経ってから、もみあげの再縫合をすることになり、“わーわー騒いだ患者”として認定されるとは、人生何が起こる
本日は、髄膜腫の手術に関係するあれこれについて。私は、2023年の2月に髄膜腫の手術をしたのだが、1月に初めて脳神経外科を受診して、その時に髄膜腫についての説明を聞いた。今さら説明するのも、という気もするし、本当にざっくりだが、頭の構造はイラストでいうと以下のような順番で並んでるらしい。水色:頭蓋骨オレンジ:硬膜黄緑:くも膜赤:腫瘍わかりやすくしようとして、頭に虹がかかっているようなイラストになってしまったが、頭は外側から、頭蓋骨、硬膜、くも膜、書いていないが、軟膜という順
1月下旬、CT撮影後、脳神経外科を初受診。主治医との最初の顔合わせ。かかりつけ医の話の通り、髄膜腫で間違いないだろうと。時間をかけて大きくなったものか、短時間で巨大化したのかについては、現時点では不明。認知機能を司る右の前頭葉にある腫瘍なので、現在の症状の有無などを確認される。・最近、性格が変わったと言われたりしないか・急に仕事が遅くなったりしたことはないか等々今後は、手術を前提に検査を進めるということなので、私からも色々質問させてもらう。・具体的な手術の方法:開頭手術
さて、今日もがんばりました!朝の宣言はなんとか習慣になったので割愛。別途朝起きてタスクの洗い出しのようにメモってます。振り返りだけ。•アイロンがけ→持ち越し分やった!•毛布のお洗濯→干す→はい、できました!いい天気でした☀️•ちょっとだけお仕事する→メールチェックと経費精算完了!ほんの1時間ほど。•郵便局にてお仕事の書類郵送→はい、完了!始めゆうパックで送ろうと思ったけど規格外で普通郵便で送ったら4分の1の料金で送れた〜。会社の経費やから、よきよき。
脳神経外科初受診から1週間の間にやったこと。①親族への報告②退職③造影剤MRI①親族への報告夫と「2月に一度帰省して、元気な姿を見せて3月に手術かな」なんて話をしてた。で、実家に電話で報告したところ、電話の向こうから「帰ってこなくていい!!さっさと手術しろ!!!」と叫ぶ父の声・・・。そうだ。うちの父は、情緒よりも効率を最優先するタイプの人だった。今回のことも、とても好意的に意訳するならば「心配だから、帰ってくる必要はない。心配だから、早く手術をしてしまいなさい」。というか、
先日、年に1度の産婦人科検診に行ってきました。私の家系は私が脳腫瘍である髄膜腫実母が両側乳癌母の妹である叔母が卵巣がん、子宮体癌、胃がん母方の私の祖母が子宮体癌亡くなった祖母は87歳まで元気でしたし色々な癌になった叔母は、胃は3分の2切除、子宮と卵巣切除術しているのに、82歳の今も自転車乗りまわして元気です。母と姉が遺伝子検査を受けて、遺伝性乳癌卵巣癌症候群であるhboc(エッチボック)の検査で陽性では無かったので、私もhbocではないらしいと遺伝子外来の医師から説明を受けました
長い夜が明けた。しおしおのぱぁになった私は、朝早くにベッドを移されそのままCT撮影に。担当の方々が「せえのっ」とCTの台に私を移す声に対して、心の中で“あらよっと”と合いの手を打てるくらいには復活。その後、一般病棟に戻る。この一般病棟には入院して一泊しかしていないのに、戻ってきた感たるや。しばらくすると、今回の手術の先生方(チームA)が登場。頭から出てたホースのようなドレーンを抜かれ、予告なくステープラー(ホッチキス)を2発打ち込まれる。!!!!痛いんですけど!!!具合悪くて
手術から4ヶ月、退院後4回目の外来。術後4ヶ月が経ちもう6月、コンタクトにしてしばらく経つけれど、もみあげの創部だけ、開いたり閉じたりを繰り返している。この閉じ切らない部分というのは長さにすると1.5~2センチ程度で、場所も、もみあげの上の方なので、メガネやマスクをつけていなければ日常生活には大きな支障がないのだが、触れるとズキズキするし、開いてしまうと、浸出液が漏れてきて、ピリピリする。朝起きた時にもみあげ付近の髪の毛がカピカピになっていることもある。30針くらい縫った端の部分なので、最
1月末。夫付き添いのもと、2度目の脳神経外科受診。数日前に撮影したMRIの画像をもとに、前回と同様の説明を主治医から夫にしてもらう。お丁寧に話してくれてありがたいなぁと思っていたところ、「奥さんは今、頭に石を乗っけてヘルメットを無理やりかぶっているような状態なんですよ。」主治医!!言い方!!!私はそんな状態になっているつもりは全くないからな!まあ、これまで、“ヘルメット石女”からの話だけでは不安だったのが、医師から直接説明を受け、夫も納得してくれて、家族とし
ご無沙汰しています今までとは生活が一変し、心身ともに疲弊しております…昨年の12月から両親が入居するための施設を探し回り、今年の2月にようやく施設に入ってもらうことができました。高齢の両親が2人だけで暮らすのは何かと心配だったのですが、「いつかは施設に入るけど、まだ2人で暮らせる❗️」と言い張って先延ばしにしていました。しかし、しっかりしていた母の物忘れが目立ち、2人暮らしを続けるのは無理だと判断し、夫婦で入居できるサ高住を見つけました
再縫合から一晩経って平常心を取り戻し、たった2針であんなにわーわー騒いだ自分を省みる気持ちが湧いてきた。いや、嘘である。雀の涙ほどにも湧いてこなかった。実際には、再縫合と言われ処置室の準備ができる間に、家族から友達にまで“やられる感”満載の連絡をしまくった上に、帰宅してからは「また縫うなんて聞いてなかった」と心の痛みを訴え、「麻酔が効かなかった!!それなのに縫われた!まるで拷問だ!まるで江戸の罪人だ!!」と疑義を唱え、「後頭部に汗をかいたのに洗えない」「保護してるガーゼを止めるテープが髪に
術後3日目。「ハレグルシサ」Maxで目覚める。いよいよ視界が遮られ、鏡を見ると、肉の向こうに黒目がちんまり見える程度。昨日は、これ以上どう腫れるのか、と思っていたが、昨日は顔の上半分を中心に、今日は上も下も顔面総出で腫れにきている。これは、すごいな、と感心していたところ、朝の回診で主治医とチームAが登場。主治医は私の顔を見るなり、「あぁ、腫れたねぇ。漢方でも出そうね」と即断。顔の腫れはさておき、頭にのせられていたガーゼを初めて外し創部の状態を確認してもらったところ、順調らしく、シャワ
退院日。相変わらず頭は痛いし下膨れたままであるものの、退院日ということで朝からご機嫌である。朝食後は着替えたり荷物をまとめたりして、10時過ぎには夫が迎えに来てくれた。会計を済まし、駐車場に行って車に乗り込むと、なんとも言えない解放感に包まれる。「ただいま!!ただいま!!!新生コトム爆誕!」などとはしゃぎ、外を眺めながら「人がたくさんいるねぇ」と、当たり前の風景に感動しながらニコニコと帰宅した。親族に退院の報告の連絡などをした後、しばらくはしゃいだ気分で過ごしていたが、歩けばフラフラし
夜中に頭痛と咳がひどく、ロキソニンを処方してもらい、どうにか数時間は寝たものの、朝起きたら、顔の腫れがいよいよ本格的になってきいていた。姉に画像を送ったところ、「“ろくでなしブルース(だいぶ昔のケンカとボクシングの少年漫画です)”の表紙みたいだ!」と返信があり、古すぎる例えに愕然とする。後日気付いたのだが、手術前に両親に「手術行ってきます」のメールをしたところ、父から「よし冷静に!」と返信がきていた。あれ?父親と姉は、私が手術したのではなく、ボクシングの試合にでたとでも思ってるのか?父親
スーパーに売っている箱入りのアイスサイズがちょっと小さめでおやつにはちょうど良い前々から気になっていた『ガーナチョコクッキーサンド』の箱入り少し遠いスーパーにしかなくてたまたま行った日売り出しをやっていてゲットお手頃サイズで量、味ともに気に入りました今の季節にはいいかも、です
脳腫瘍(髄膜腫)の手術大きくならなければ経過観察と言われていたのが大きくなっていないのになぜかそのうちに脳腫瘍(髄膜腫)の手術をしたほうがよいよ急ぎはしないけど家族の都合とか考えて良いタイミングの時で良いよなんとなくイヤな感じがするんだよねと言われた経過観察4年目悩みに悩み二転三転と考えが変わりましたがいろいろな理由でセカンドオピニオンではなく大学病院その2から大学病院その3へ転院することに決めました5年検診を待たずに病院へ行きとてつもなく
2023年1月に髄膜腫の診断を受けるまでの前日譚の③。時は2022年9月あたり。コロナ後遺症外来に通い始めて約10ヶ月。地道な治療と時間の経過のおかげで、体調もだいぶ戻ってきた中、仕事の話があり、本格的に復帰することが決まった。ただ、前回も書いたとおり、頭痛が定着してしまって、これが1番の困りごと。耳鼻科でのBスポット療法をかかりつけ医に先にやってもらおうと思っていたが、なかなかうまいこといかない(そりゃそうだ)。診療のたびに「先生、Bスポット療法されました?」「いや、まだです。先月本