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昨日、道明寺で御斎をいただいた部屋の床の間に霊鑑寺(京都市)の第四世門跡、宗恭女王の和歌の掛け軸が掛けてありました。閑院宮家の姫宮として生まれられた、この方は光格天皇の姉宮で徳川幕府十代将軍、徳川家治の嫡男、家基の婚約者でした。もし家基が16歳の若さで謎の死を遂げなければ、江戸に下って十一代将軍の御台所となられ、その時には家基は光格天皇の義兄になって天皇家と将軍家は緊密な関係になりその後の日本の歴史は大きく変わっていたと思えます。家基の突然の死は暗殺説が根強く以前は田村意次が首謀者と考えら
洛陽十二支妙見巡りとは。。江戸時代中頃、京都御所紫宸殿を中心に十二支の方角に奉られた妙見大菩薩をお参りする洛陽十二支妙見めぐりが盛んになった。妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化し宇宙万物の運気を司るといわれる。洛陽十二支妙見めぐりは、ご自分の干支にあたる寺院からお参りされるもよし、今年の干支にあたる寺院からお参りされるもよし。それぞれの思考でお参りいただけます。私たちの地球も小さな星であり、私たち自身も一人一人が自分の星を持って生かせていただいています。諸星の王たる妙見大菩薩に、さあ
【京都】霊鑑寺は谷の御所と呼ばれた尼門跡寺院。100種類以上の椿が咲くことから椿の寺として広く知られています。春の特別公開に合わせJR東海春の特別拝観では通常非公開の奥書院を特別公開。狩野派の作と伝わる障壁画や寺宝など奥書院見学は現地ガイドさんの解説付きで拝観。霊鑑寺奥書院が公開されるのは2020年の36年ぶりの公開以来で今回、ツアー限定
「鹿ヶ谷(?)御所」とも呼ばれる。霊鑑寺は臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院。承応3年、後水尾上皇の皇女・多利宮(浄法身院宮宗澄・ジョウホッショウインノミヤソウチョウ)を開山として創建され、明治期まで代々、皇女らが住持を務めた。創建時は、現在地の南隣、鹿ヶ谷の渓流沿いに位置した事から、「谷御所」「鹿ヶ谷比丘尼御所」とも呼ばれる。境内には後水尾上皇遺愛の日光椿をはじめ、約70種のツバキが植えられている。