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モラハラ夫に耐えかねて離婚を決意。別居から1年11ヶ月。離婚調停から離婚裁判へ移行し、結婚19年目で和解し離婚が成立しました。前回お話しました、離婚調停、離婚裁判の為の弁護士費用は合計¥808,701※詳しくは内訳はこちらから。『「弁護士費用について②~合計額~」』モラハラ夫に耐えかねて離婚を決意。別居から1年11ヶ月。離婚調停から離婚裁判へ移行し、結婚19年目で和解し離婚が成立した。離婚調停に離婚裁判。当然一人では戦え…ameblo.jpこの費用だけを見ると高額です。
『第9回離婚裁判』の再再再延期に私の心は穏やかではいられなかった…。なぜモラ夫は義母の手術を仕事だと嘘をつかなければならないのか?逆なら、まだ理解できる。手術と嘘をつき、実は仕事でした…なら。裁判期日という重要な日を、仕事だと断りにくかったのだと推測できる。そもそも本当に義母の手術があるのかすら、疑問で仕方ない。モラ夫は嘘を平気でつく。そこに罪悪感は存在しない。仮に本当に義母の手術があったとしても、あの役立たずのモラ夫に義母が付き添いを頼むのか……。しかも、離婚裁判
突然の『面会調停取り下げ』の報告に驚きと、喜びと共に、複雑な心境の私……。それは子供たちもまた、同じです……。モラ夫は何故スマホゲームで息子のみへメッセージを送ってきたのか……。調査報告書を読んで、息子ならまだ操れる……、そう思ったのでは?昔、息子が生まれて直ぐに、モラ夫の何度目かの借金が発覚し、私は子供たちと実家に戻り別居をしました。しかしモラ夫は私の心の隙間を、心の揺れを見逃さず、言葉巧みに私を連れ戻したのです…。※その時のエピソードはこちらから。『詐欺師の罠
私の反論に怒り狂ったモラ夫。もはや、制御不能でした。「人の金ばかり虫食いやがって」「なにをしに◯◯(モラ夫が住む地名)に来たんだ!?」「もう、借りてやった家もいらないから、勝手にしろ!」「お前が働いて、どうなるんだ」「家庭なんて、その先の話だ!」モラ夫は、次々と溢れ出す心無い言葉で、私の心をえぐります。呼吸ができないほどに、泣きました。私がどれだけ泣いていようと、容赦はありません。なぜなら、ここは車内。誰も見ていない、密室です。なりふり構わず、私のことを罵倒し続
長男の初恋?になるのかわかりませんが、去年、2学年上の先輩が好きで、一度だけ2人で食事にも行きました。憧れの方が強かったかもしれません。スマホカバーに、先輩とのツーショットを入れていましたがいつの間にかなくなり、「終わったのね、、、」と、母はキュンっと淋しく思っていました。大学受験で忙しく、学校ではほとんど会うことがなく告ったのか告ってないのかも聞いてないですが卒業を迎え、新学期を迎えいつの間にか忘れ去っていました。「最高に美人の人」と先輩の事を表現していた長男。長男
昨日は、学費の事について沢山アドバイスをありがとうございました🙇メッセージは、またお返しさせてもらいますので間が空いてしまいますが、すみません〜💦台風ですね🌀今住んでいる地域に、どれだけ影響かあるかわかりませんが、今はシトシト静かに雨が降っています。子供達が通学で結構な距離を歩くので、雨の度に憂鬱そうです。車に必要以上に注意して、頑張れ〜!と送り出します。今日は、あまり得意ではない利用者さんの訪問に久しぶりに(何故か半年も間が空いてしまった)行くのが、私は憂鬱。うまく出来るか
モラハラ夫に耐えかねて離婚を決意。別居から1年11ヶ月。離婚調停から離婚裁判へ移行し、結婚19年目で和解し離婚が成立した。離婚が成立してもまだまだやらなければいけないことは多い。裁判所から無事に子供たちの苗字変更を認める通知がきた。全ての書類を提出してから10日程経過した頃、思ったより早く届いた。早速役所へ行き手続きをする。私たちだけの戸籍。モラ夫の名はそこにはない。これで一安心出来た。子供たちの苗字も、私の旧姓に変わった。現在高校二年生娘は、高校入学の時点で私の
友人が帰った後、モラ夫と私は口論になりました。「ふふむ(私)は、ワガママすぎる」「俺は核家族なんか好きじゃないんだ!」「◯◯(モラ夫の出身都道府県)では長男が実家に戻るものだ」「(この地域では長男が家に戻るのかどうか)その辺の人に聞いてみろ!」「ふふむは、我慢ができてなさすぎる」これが、モラ夫の主張です。じゃあ、「俺は◯◯(地域名)に住む長男だから、親と同居するのが当然だよ。それができないワガママな嫁なんていらないよ。」って結婚前に言ってほしかった。と、今となって
昨日書いた、源泉徴収票の間違いは現在の会社のものは解決しました。間違いでなくて良かった。前の会社の年度間違いは、間違いのままですが提出しないことにしました。弁護士さんと話したことですが。少し雑談みたく長電話になってしまいました。裁判での様子を弁護士さんが話し始めました。ここ数回の裁判で、元旦那の人間性やおかしな主張が、裁判官に良く写っていないようで。優しいタイプで、あまり口を出さない裁判官が元旦那の主張に、容赦なく突っ込んでいるらしくて。「結構はっきり言いますよ。もう
また1人、部屋で待機となった。緊張が完全に解けて、あれで良かったのかこう言えば良かったか頭の中がグルグルと一人反省会状態。しばらくして、弁護士さんが戻ってきた。「次の期日ですが、5月◯日ではどうですか」すぐじゃないかと驚いた。仕事のシフトが出来上がっているので、難しいと伝えると「わかりました!」と、またすぐ部屋から出て行った。そして再び戻ってきた。「6月◯日ならいかがでしょう」「その日なら調整ききやすいかと思います。」「わかりました!」伝書鳩🕊のように往復する弁護士
調査官立会の面会調停、面談、家庭訪問を経て『子どもを考えるプログラム』の結論、今後の私たちの運命を大きく左右する『調査官の意見』がついに公になりました。~調査官の意見~3.本件では、申立人(モラ夫)と子ら、相手方(私)との関係について認識が食い違っていることが認められるが、双方、子らの陳述からは、相手方の認識に近い実情であったことがうかがわれた。また、同居中、子らが相手方をサポートするうちに、父母の紛争について当事者意識を持ち過ぎてしまった状態にあることもうかがわれた。子供を考
私は嫁として、義父母の機嫌をとる役割だったようです。私が出かける必要がある際には、公共交通機関を使って行こうとしていましたが、モラ夫からは、義父母に送迎してもらうように言われました。実の親でもないのに、気軽に「迎えに来て」なんて、連絡できるほどの仲ではありません。公共交通機関を使う方が、よっぽど気楽でしたが、モラ夫は嫁を使って義父母の機嫌をとりたいため、結局毎回、義父母に送迎してもらっていました。私のことなのに、私の意思は関係ありません。放っておいてほしかったです
娘の誕生日にお金を振り込んだというモラ夫。しかしそれはモラ夫演出、主演の『モラハラ劇場』であった……。モラ夫からのメッセージに「ありがとう」等と迂闊に返信したものならたちまち私たちは『モラハラ劇団』の劇団員に連れ戻されてしまう……。しばらく悩んで、こう返信した。「入金の件、承知しました。ただ子供たちの心は不安定で、やっと少し落ち着いてきたところです。また不安定な時期に戻る心配があるので時期を見て小夏には伝えたいと思います。それまでお預かりしておきます。」できるだけ他人
令和3年4月某日『第10回離婚裁判』モラ夫との最終決戦は、別居して1年11ヶ月後の事だった…。そしてついに離婚が成立した。裁判官により離婚が認められ、私はモラ夫からの19年に及ぶ呪縛からやっと解放された。『離婚成立』飛び上がりたいほど嬉しい反面、私の心は新たに湧き上がった黒い雲に覆われていた……。「いやぁ、お疲れ様でした!この後、ちょっといいですか?」ニヤニヤと私の弁護士さんに話し掛ける、モラ夫の代理人。ちなみにこの人もモラハラ体質なのではと、私は睨んでいる。きっ
裁判にて、嫁と激しい親権バトルを繰り広げました。とても長かった、そして疲れた😰嫁に子供を連れ去られましたら、なんとか親権を得て強制執行により子の引き渡しを完了しました。私の小さい頃の夢。保育士、介護士、医師。人のため、人の笑顔をみたい。そんな気持ちを持っていました。そしてパソコンとにらめっこしながら、働く日々。今は業務を効率化する仕事に従事しています。同僚から、仕事での困りごとを聞いたり。楽になる方法を一緒に考えたり。提案したり。システムを作ったり。人の気持ちに寄り添って、仕事
私の母がくも膜下出血で倒れそこから何度も命の危機を乗り越えて7年間の闘病生活の末に亡くなりました。そして父も母よりも10ヶ月程早く急死しました。母が倒れてから年を重ねる度に父の生への執着はどこか薄れていった様な気がします。私も子供たちもこの7年間は真剣に生と死に向き合ってきました。子供たちはまだ小さく、娘は小学校3年生、息子は1年生でした。本来ならまだ小さな子供たちに祖父母の死をリアルに感じさせることは避けてもよかったのかもしれないが、それでも私はありのままを子供たち
モラ夫はモラ夫。誰にも変えることが出来ません。親でも妻でも愛する子供たちでも天変地異でさえも……。調査報告書の『同居中の生活、申立人(モラ夫)と子らのの関わりについての双方の振り返り』より、私が衝撃を受けた内容を一部抜粋します。⚫離婚を勧めた長女について申立人(モラ夫)の考え長女については、一番負担をかけてしまったと思う。幼少期、気性の荒い子であったのは、父母の喧嘩を目の当たりにしてきたことが影響した部分もあると思う。小さい頃はお父さん子で、私はパパ、パパと言ってきて
離婚調停を申し立てて別居調停不成立で裁判へ夫からは監護者指定審判と面会交流調停を申し立てられました監護者指定は裁判所の意向で調停となり、現在調査官調査を受けています小2のコウ(不登校)、4才のメイと暮らしています続きです(完結)家庭訪問調査が2時間の目安なのかな12:00近くなって「そろそろ…」という雰囲気になり調査官「お部屋の中見せてもらっていいかな?」コウ「いや、絶対いや」調査官「そう?じゃあいいよ」私(え、がんばって家中片付けたやん💧)「メイ、お部屋案内してく
私はもともと丈夫な方だと思う。風邪を引いても熱が出ることは滅多にないし、薬を飲んで寝てしまえば翌日には治っている。そんな私もモラ夫からのストレスには勝てなかった…。もともと痩せ形だった体型は激痩せし、鏡に映った私の体は亡くなる直前の母親の様でした。今はすっかり体型も体調も回復し、自分で言うのも何ですが見た目もかなり若返りました。モラ夫が人に及ぼす悪影響は半端ないと、離れてつくづく思います。そんな私でしたが、昨夜は見事なまでに体調を崩しました。トイレに1時間以上こもり
調停(不成立)→裁判(家裁棄却)→裁判(高裁)と、何年も苦しめられてきた離婚裁判。お陰様で棄却判決となりました。心の整理がつかないまま離婚を強要されることをとりあえず回避できました。私と夫は中学の同級生。大学時代からの付き合いで、お互いが就職してからは家族同然で生きてきました。でも夫から、ケジメのため、仕事が落ち着くまでは婚姻届を出すのを待って欲しいと言われ待ち続け、、、やっと理想の家庭を作れると思った矢先に不倫が発覚。だから婚姻してから不倫発覚ま
数年前夫の転勤についていき8ヶ月慣れない土地で生後7ヶ月の子を育てながら孤独に耐えかね、派遣で働き始めしばらく経った頃だった初めての銀行勤務初めての外回り営業初めての土地で古い紙の地図だけ渡され初めてのバイクそして帰宅したら1人で赤ちゃんのお世話(結局仕事も孤独だった笑でも田舎で選ぶほど仕事がなかったのだ)休日だったかある夜キッチンで倒れてしまった薄れゆく意識の中で夫が誰かに電話している救急車呼んでくれているのかと思いきや「もしもし、嫁が倒れたんだけどどうしよう?
モラ夫はモラ夫。誰にも変えることが出来ません。親でも妻でも愛する子供たちでも天変地異でさえも……。調査報告書の『同居中の生活、申立人(モラ夫)と子らのの関わりについての双方の振り返り』より、私が衝撃を受けた内容を一部抜粋します。⚫別居後の子供たちとの関わりについて相手方(私)に代理人がついてからは、一切の交流が出来なくなり、子供たちへのクリスマスプレゼントについて相手方代理人に申入れをしたが、渡すことを拒否された。令和2年春には、長女の受験があることも知っており、受験す
妊娠検査薬で、陽性が出たときのことです。モラ夫は自分の車だけではなく、母親の車のローンまで支払っていました。私は、妊娠がわかったので、これから仕事を探すにも苦戦することは明らかでした。そして、生まれてきたら、子どもを育てていく必要があります。モラ夫の母親は、働いています。親の遺産もたんまりあると聞きました。義父の退職金だってあるはずです。つまり、支払い能力があります。対して私は、車を所有していません。(しかし、車がないと不便な地域でした)結婚のために退職し、妊娠し
波乱の『第9回離婚裁判』が終了し、次回期日まで1ヶ月半以上空くことになった。毎日は忙しく一日一日が過ぎるのはとても早かったのに、何故か次回裁判までの時間はのたのたと進んでいった……。その間に娘は高校2年生に、息子は中学3年生になり、別居からは1年11ヶ月が経っていた……。本来なら新学期までには諸々の手続きを済ませ、スッキリした気持ちで迎えるはずだった。しかし見事にモラ夫に振り回され、私達は未だに離婚できずにいた。こんなにも戦いが長引くとは想像もしていなかった……。話
ホームレスというと大げさだけど帰る家がない時期があった1回目の離婚調停が終わったその日実家のある県で部屋探しをすると夫に伝え、子ども2人を連れて家を出たとりあえず、母と妹家族が暮らす実家で歓迎してもらえたのでしばらく滞在させてもらうことにところが4~5日経った頃眉をひそめるようにしながら母に言われた「あなたいつまでここにいるの?妹に『ごめんけどもう少しいさせて』ってちゃんとお願いしたほうがいいよ」え…?どうも、数日いるならお金払えということだったらしいたしかに、我が家は家族
登山に、家庭菜園に、家事にと毎日マイペースですごしていますが、まだ離婚は成立していませんと言うよりも、離婚裁判で離婚が認められなさそうな状況ですが、裁判官が「実質的に破綻しているのだから、離婚協議で合意できないのか」と言うことで、協議を進めているところです裁判官は実情を理解してくれているのか、それとも判決書を書くのがめんどくさいからなのかは分かりませんが、離婚協議を勧めております相手はお金と家のことで、相変わらずの無茶苦茶な要求をしてきましたが、こちらが財産開示や家の売却見積もりを提示して
調査官調査が終了しモラ夫が父親として最低だという事実が明るみに出るも、何故か事態は面会交流へと舵が切られようとしていました。それを食い止めるべく私は調査官と裁判官へ、再度手紙を出しました。前回の続きです。娘の合格を祈って神社にお参りをした。それは夫得意のパフォーマンスでしかないと私は考えます。私は幾度となくそのパフォーマンスに騙されてきたのです。それよりも、もっと夫には出来る事があったはずです。拝んだからといって、神様が制服を娘にくれるでしょうか?塾代を支払ってくれるで
モラ夫はモラ夫。誰にも変えることが出来ません。親でも妻でも愛する子供たちでも天変地異でさえも……。調査報告書の『同居中の生活、申立人(モラ夫)と子らのの関わりについての双方の振り返り』より、私が衝撃を受けた内容を一部抜粋します。⚫借金の原因借金の原因はパチンコ、スロット。申立人(モラ夫)によると、会社の同僚の付き合いでのめりこむようになり、当時はお札をシュレッダーにかけるように次々と投入し、当たりが出ない台とわかりながら続けていた。消費者金融を利用するうちに、いつでも
調査官と裁判官への嘆願書をポストに投函した翌日の深夜、事件は起こりました。モラ夫が息子へメッセージを送ってきたのです。この件に関しては、以前ブログで書きました。当時は正に調査官調査、面会調停真っ只中。調査報告書の内容等、詳しくは書けませんでした。報告書と照らし合わせた上で以前の記事を読んでいただければ、モラ夫の危険性がより分かりやすいかと思います。※上から順番にご覧ください。『「薄っぺらなメッセージ」』私の母がくも膜下出血で倒れそこから何度も命の危機を乗り越えて7年間の
モラ夫はモラ夫。誰にも変えることが出来ません。親でも妻でも愛する子供たちでも天変地異でさえも……。調査報告書の『同居中の生活、申立人(モラ夫)と子らのの関わりについての双方の振り返り』より、私が衝撃を受けた内容を一部抜粋します。⚫母親の見舞いについて相手方(私)の母がくも膜下出血で倒れ、相手方と長女が、毎週末見舞いに行くようになると、申立人(モラ夫)は週末、相手方が家を不在にすることを嫌がった。申立人によると、単身赴任により家族がいない寂しさを感じるようになり、週末は