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ここまで、飛び降りた経緯や流れを記事にしてきたと思います。今回は、・なぜ飛び下りてしまったのか・どういう気持ちでそうなったのか・隔離について・ブラックな病棟を書きますネ結論から言うと、死にたくて飛び下りた訳ではないんです...わたしは、「飛び下りたかっただけ」なんですは?と思われるかもしれませんが(笑)お腹空いたなーと思ったらごはんを食べる、トイレ行きたいなーと思ったらトイレに行く、その感じで、飛び下りたいなーと思ったので飛び下りた。生理的欲求ですわたし的には、本当に
救急搬送されてから2、3日経って、精神科医が病床へやってきた。ドクターは50歳くらいであったが日焼けをしたロン毛の長瀬智也さん風イケメンで、それなのに(?)低姿勢で非常に好感が持てた。単に長瀬さん似が原因かもしれないが……。これはどこまでも強調しておきたいが、彼が私の会う最後の''まともな医療従事者''であったことはこの時は知る由もない。彼の紹介状を持ち私は東京郊外の精神病院へ入院する運びとなり、父親の運転する車で病院へ向かった。この時は「静かな環境でゆっくり療養出来る」
90年代のお話しです今も成年後見制度はややこしいですね気を付けましょうね⇔続きはコチラ⇔▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)閉鎖病棟から退院してきましたが軽躁になり、希望入院しました。ダンナは閉鎖病棟で入院中です。前回の面会の時は、鬱状態でした。ボーーッとしていました。頭に重石がのったみたいとダンナは言ってました…それから髪をカットしに嫁と外出する事ができました。その時は、軽躁、、、今はダンナは軽躁と軽鬱の日が行ったり来たりみたいです。7回目の面会に行きました。とは言っても最近カットで外泊した時に会ったばっかりですが…笑閉鎖病棟から出てきたら
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)閉鎖病棟から退院してきましたが、軽躁になり、希望入院しました。ダンナは閉鎖病棟に入院中です。ダンナは、典型的な1型と主治医の先生から言われてます。激しい躁状態になると記憶は無いです。私が、ダンナが躁状態になると「絶好調」と例える時があります。コレは、ダンナの激躁が絶好調ではないのです。ややこしいですが…笑嫁は、ダンナが軽い鬱の時や重い鬱の時軽躁や激しい躁の時その時に何も出来ない嫁は、ダンナに聞いた事があります。
こんばんは(*´˘`*)♡今日は日曜日ということもあり、時間がたっぷりあったので、入院中スマホを触れなかった間のことなんかも記録に残そうと思います。今回の入院の振り返り〜前半〜2023年11月2日に、行動化(過量服薬)のため、救急搬送。ICUにしばらく入院して一般病棟に移りましたが、飲んだ量が命の危機に関わるレベルだったので自宅には帰れず、精神科転院は免れないことになりました。いつものかかりつけの病院にソーシャルワーカーさんから連絡してもらうも、退院してす
●涙の散歩院内保育園の前で号泣付添ってくれた母が帰った。「とにかく、家のことは心配しないで。先生のいうこと聞いて治しましょう」部屋には、冷めた昼ごはんのお膳があったがまったく手を付ける気にはなれなかった。ここの病院では、食事を1時間だけは取り置きだったり、部屋においておくことができる。きょうの担当だという男性看護師Tさんが下膳に来た。「お手をつけてないようですが、おさげしてもいいですか」「はい」「まだ慣れないですよね。ここに。何か困ったことありま
●入院したくない!精神病棟が怖い入院が決まってから、ものすごく怖くなってきた。精神病棟に入院なんて、いったいどんな人たちがいるんだろうか。芥川賞候補にもなった「クワイエットルームへようこそ」という小説(のちに映画化)ご存じだろうか。松尾スズキ原作・監督・脚本なのだが、私の中では、精神病棟といえば、このイメージが強烈に残っている。映画は、内田由紀演じるフリーライターが、確か恋人と喧嘩した衝動で睡眠薬の過剰摂取(オーバードーズ)で救急で運ばれて、目を覚ますと真っ白な部屋に
入院6日目。食事がとれていないとの事で、面会時の食べ物の差し入れを病院から提案して頂きました。面会にいったのが14時半ごろ。フルーツがいい。と前日にかろうじて聞けた事で、夫の好きなメロンのカットフルーツを購入しました。(手作り差し入れは不可、フルーツもカットフルーツを購入したものを、と最初に説明を受けていた事もあるので購入しました)阪急に寄って1500円のカットメロンを高いけど...美味しいもの食べてもらいたい。その甲斐あってか、色々差し入れた中でもメロンを選びパクパクと完食していま
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)閉鎖病棟から退院してきましたが、軽躁になり、希望入院しました。ダンナが閉鎖病棟で娘に作ったイルカのキーホルダー🐬娘の反応ですが、、、うすかったんです。笑ダンナから預かった娘へのプレゼント嫁は、見たとたん号泣でしたが…母が泣いてるのを見て娘も泣きそうになってたこの雰囲気も悪かったのかな…?娘は、興味がなかったのです今はアンパンマンのドキンちゃんのぬいぐるみにハマってます。笑まだ、不器用なパパが病棟で一生懸命に作ったキー
●親友わたしには親友が2人いる。いるひともいれば、いないひともいるだろう。それでいい。無理に親友とか友達、いらないと思う。私の夫などは、基本、群れない・孤独が好き、なタイプなので、おそらく「親友」と呼べるひとはいないように見受けられる。私は小学校は転勤族だった。進学した中学高校は女子校で、仲の良い子はいたが、みんなと仲が良くという感じだし、あんまりウェットなのが好きではなかった。あのグループ化していく感じははっきりいってあまり得意ではなかった。
大学後期を目前に始まった風俗嬢生活。風俗を始めて最初に感じたのは「女性のアソコ舐めるより全然マシ」という事でした。小学校1年生から飴玉1つと引き換えに従妹の女性器を舐めさせられていた昔に比べれば、全く辛くない。男性器を触ったり口にしたりするのは抵抗があるけど、洗っていないあの従妹の苦酸っぱいアソコより全然マシ。お客様の体はプレイの前に私が洗えるし、気持ち悪い事があってもホテルならすぐにシャワーが浴びられるので問題なし。たまに不衛生なお客様が来た時はひたすら耐えますが、基本的に一度でも来
という事を過去の私に教えてあげたい特におっさんの警察官は男尊女卑の人も弱者や女性に対し歪んだ考えの人もいるそれ自体は警察官に限らないけど警察官の性暴力はそいつの手によってかき消される110番したって来るのはさっきまでベッドに押し倒して来たそいつ本人違うのはさっきは下半身脱いでて今は警察の制服着てるって事だけ本当に卑怯襲ってる警察官自体全部分かっててやってる誰にも相談出来ない事とかどっちが社会的信用があるかとか母親を傷つけたくない娘の気持ちとか今日110番した
免許の更新で警察署へ。制服姿の警察官本当見たくないけど...顔写真付きの身分証は絶対必要だからなぁ。イヤホンでちゃんみな聴きながら気合い入れて何とか歩く。待ち時間に免許証の写真を綺麗に撮るコツをチェック。レフ板効果狙いで白い服推奨なのね。黒い服や濃いアイシャドウは顔色を悪く見せると...ふむふむ。真っ黒のカーディガンを着て来てしまった...今日に限ってメイクポーチごと忘れちゃったし詰んだな。リップ無しで撮影。視力検査もギリギリクリア。帰りに警察署近くのパン屋でパンを買ったら「こん
この土日、両日とも3万を超えるPVを頂き、いったい何が起こっているんでしょうか。子育てジャンルに入れるには申し訳ないくらい、しばらく子どもの姿がありませんが、私の発症はひとことでいうと、「仕事・育児・家事(順不同)」が全部ちゃんとできて、2人の子どもを育てられるのか」なので、このジャンルのままで行きます。それでも子どものことをいつも考えていたころ、ここから、第7章に入ります。患者同士の交流が始まり、一喜一憂しながら私は回復していきます●廊下での出会い「お義母さんに2人任せ
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)閉鎖病棟から退院してきましたが軽躁になり、希望入院しました。ダンナは鬱で、1回目の入院躁で、今の2回目の入院中です。今回の入院は長引いているのです心配な入院費用…今日は、精神科の相談員さんに相談にきました。この相談員のおばちゃんすごい個性的な方なんです。笑受付で、担当の相談員さんを呼んでもらいました。すごい早足で、すごい笑顔。。病棟からこちらに向かってきます。相談員の方に最初に、「どうしましたか?」聞かれると思いましたが…
大学1年生、後期の教科書販売を控えたある日、私は知り合いの風俗店店員に「体験入店しないか」と声を掛けられました。来週までに教科書代10万を用意しなくてはならない。同い年のその店員とは仲が良かった事もあり、体験入店する事にしました。初めての風俗は働いていたキャバクラの近く。非店舗型でスーツ着用。待機室は共同でしたが、キャバクラからの引き抜きなら個室を与えてくれるとの事。待機室でスーツに着替えたらホテルで講習を受けます。風俗店の店長をお客様に見立てて、インターホンを押す所から始ま
結局そのウワサがどうなったかはわからなかったでももし本当だったらたまらないしもし自分がそうなってたらって思うと怖かった実は呼吸器弱くて喘息も出やすいからコロナ本当に怖かった怖かったよ家族に書いていた手紙は遺書めいてくるし、いけないこんな事書いた事でマイナス引き寄せちゃイケナイダメだよ、マイナス引き寄せてはって頭ブンブンふって否定して手紙を書いていましたこの時の心の支えは、家族からの手紙携帯が没収でなかったから手紙が本当に支えだった大丈夫ママなら超えられるって旦那さんは辛
夫の母に、夫の薬物依存性の相談をしました。夫の母は、「咳止めの依存性?…そんなのないわよ。市販薬で依存性なんて聞いたことない。」アメリカでも市販薬の依存性は深刻な社会問題です。知らないはずはないです…。市販薬依存症の本も沢山、出版されています。↓↑BBCニュースでは、アメリカの咳止め依存性のドキュメンタリーもありました。「お義母さん、夫の目を見てください。目の瞳孔が開いて、左右にガチャ目になっています。呂律も回っていません。」「…いや、普段通りの私の息子よ?」何
「まだこの世界ですか?」初めの記憶は、自らが放ったこの言葉だった。目の前のご年配の看護師さんが、同情したような、困ったような笑顔を浮かべながら答えた。「この世界が嫌ですか?」私はまた気を失い、暗闇すらない「無」の世界へ落ちていった。ヘリウムガスをタンクからチューブで袋に繋げて無酸素状態で吸うと、一瞬で意識を失う。そしてしばらくは記憶が断片的になるらしい。次の記憶は20代の学生みたいな医師に「死にたい気持ちはありますか?」と聞かれて「はい」と答えたことだ。死にたい気
ダンナの主治医の先生に説明を聞きに行きました。ダンナは、以前から精神科にすごい偏見を持っていて、1年近く受診しませんでした。その間、私は何回も先生にダンナの状態を話していました。なので、すごく話しやすい先生です。最初にお薬についての説明がありました。(お薬は長くなるのでまた別に書きます…)試行錯誤した上で、やっとダンナに合うお薬が見つかったそうです。・抗うつ剤・抗不安剤・睡眠薬・躁の薬この四つのお薬が処方されてるとか…ダンナは嫌がりもせずキッチリ飲んでい
こんにちはsunsunです。私は、現在精神科閉鎖病棟に入院しています頭のかゆさが限界で、急遽家族に水のいらないシャンプーと100均のシャンプーシートを買ってきてもらいましたが、しかし、主治医の許可がないと水のいらないシャンプーは使えないとうことこうなったらやるっきゃねぇと思い、①シャンプーシートでとりま髪の汚れをとる②空のペットボトル(主治医ok)に水を入れ③ひたすら水洗いこれでも随分ましになりますシャンプーシートで汚れを取ったからでしょうか入院生活はサバイバルですね
こんにちはsunsunnyanco(旧sunsun)です私は現在精神科閉鎖病棟に入院してます一般病院で働いていたときは、おくすりは患者さんのとこ一人ひとり回って内服させていました精神科閉鎖病棟では、食事を配り終えると、お薬カートを出して、看護師が立っています食事を終えたら、その看護師さんに名前を告げて、お薬を目の前で飲むのですはじめはちょっとびっくりしましたが、いちいち回らなくていいし、患者さんも部屋でいつ来るかと待たなくていいので、合理的だと思いました一般病院じゃ経管栄養や寝たきり
きょう、愛用のスニーカーに穴が開いた。後述のように「早く治るには散歩しなくては」と院外外出が許された日にまっさきに買いに行ったスニーカーだ。私の病気を足から支え、いろんな場所へ私を導いてくれた。よく頑張ったね。ありがとう。でも、取っておいても仕方ないので捨てた。私にとっては、病気との決別というか、もう1ステップ上がれた気がした。●うつ特有の「○○しないといけない」変換涙の心電図から病室に戻ってきた。にこにこの看護師Oさんが言う。「お散歩出られます?ちょうど午後2時頃は
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)閉鎖病棟から退院してきましたが軽躁になり希望入院しました。ダンナは閉鎖病棟に入院する時手続きがたくさんありました。精神科は、手続きが多いかな?と思いました。1回目の強制入院の場合は特に大変でした。ダンナの担当のいつもの相談員さんが資料を持ってきて詳しい説明がたくさんありました。その中に、毎月病院の相談員さんから送られてくる手紙の説明がありました。(嫁が楽しみにしてる通信簿入り。この内容は最近書きましたが…)病院の住所
優しくて真面目だった夫。子供とも一日中、遊んでくれたり、私が妊娠中、夜中にトイレに起きると、夫は寝ぼけながら一緒にトイレについてきてくれました。米軍は体育会系の超激務で、ジム通いもしていた夫は、夜は疲れていましたが、それでも私が転倒しないように、体を支えてくれました。夫の勤務時間は朝7時からでしたが、何故か毎朝5時に起きて、5時15分に出かけていく夫。自宅から勤務地までは車で10分。自宅を出るのが早すぎますよね。夫はそんなに朝早く家を出て、何をしていたのでしょうか。それは…
『自己紹介』妻と私の異世界生活私会社員性格理系男子マイペースの草食大学脳科学系の研究大学院植物の遺伝子組み換えの研究妻派遣社員性格天真爛漫の天…ameblo.jp-発症から2ヶ月後-妻が入院して数日間は、入院の手続き、市の補助金申請、自立支援申請等やる事が多く大変でした。妻が支払っていた住民税や国民健康保険、年金なども発症後から忘れており、探しては支払って、一度全てを整理して行きました。光熱費は妻が払っていたのですが、この機会に変更しました。ひと
アメリカでは、3LDKの一軒家の米軍住宅を借りました。しかし借りてすぐに、本当に困った出来事がありました。「他の物件も見たい。」という私に、「もうここしか空いていない。ここなら、一ヶ月14万円のところを13万円にしてくれる。」節約が好きなのは私の方で、アメリカ人の夫は節約の概念がほとんどありませんでした。夫は早く決めたかっただけです。入居してすぐ、お隣の奥様に挨拶に行くと、お隣の奥様はちょうどご主人が定年まで務め上げられ、晴れて退役をされるとのことで、とても幸せそうでした。
3回目の入院で初めての身体拘束、隔離。2回も飛び降りようとしたり、自傷行為がエスカレートした。何度も叫んで何度も壁殴ったり蹴ったりした。何人もの職員に押さえつけられて注射までされて。そういう行為を止められると、私自身を全否定されてるような気持ちになる。でもね、私がこういう事をしたのがきっかけでとある看護師さんと話すきっかけができたんだ。その看護師さんは過去の事を話してくれて、今でも弱々なメンタルで生きてる事とか話してくれて。看護師としてじゃなくて、一人の人として話してくれた事が嬉し
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)閉鎖病棟から退院してきましたが、軽躁になり、希望入院しました。昨日は、ダンナが真夏の太陽ギラギラの時に激躁になる心配でした…でも、まだ心配があったのです。ダンナは、梅雨入りしたらピタリと動きが止まります。以前は、重い鬱になりました。ダンナの場合、躁や鬱の転換時気圧が何か関係あるのか?と、思う事があります。ダンナは、ずっと精神科の病院に偏見を持っていたから1年以上病院にも行かずもちろんお薬も飲まず…躁と鬱を繰り返してました。