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🪐𓂃◌𓈒𓐍『宇宙のはじまり』✨∅.゜宇宙ができる前って……『無』(-_-)そこに、突然、『意識』という波が生まれました✨その『意識の波』がぶつかり合って、色、音、光を作り出して、波たちは、自分の好きなことを始めたのです✨そして、ある波は、『惑星になろうと思った』✨『地球』が誕生したのです🌎✨🪐𓂃◌𓈒𓐍『テラ(地球)の誕生』🌎✨宇宙に存在する波すべてに意識(思考)があって、地球は、綺麗なアクアリウムのような惑星になろうと思いました✨1人で惑星をしててもつまらないから、他の
かつての竹中氏の城、菩提山城跡を後にし、垂井駅への道中に寄り道です。カフェ・フランドルさんコーヒーもチーズケーキも美味しかったです。しかし、高速バスで早朝の岐阜駅に着き、そのまま電車に乗り、垂井駅から菩提山城跡へ行って来た私めは、お昼ご飯をちゃんと食べたい‼️フランドルさんには食べるものがチーズケーキしかないので、すぐに出立。垂井の泉を目指してGoogleマップのサポートを受け、垂井城跡へ到着。この石碑以外は全く何もありません。城跡としては見所なし!しかし、平塚為広と大谷吉継の
岐阜県垂井町、竹中半兵衛の出身地です。垂井駅前の竹中半兵衛像、町を挙げて推してます。竹中氏陣屋跡の櫓門です。ここまで駅から徒歩70分くらい。田舎道では徒歩の者などおりません!しかも平日。滅茶苦茶不審者‼️竹中氏陣屋跡は櫓門も立派ですが、これを良い状態で残してこられた地元の方々が立派です。大名ではなかった竹中氏に城のような陣屋(実際に幕藩体制前には岩手城と呼ばれていたらしい)が許されていたのは、豊臣秀吉家臣でありながら関ヶ原で東軍についた故か?そして、明治になった後には、城ではな
オイラの辛気臭いネタをご覧いただき、ありがとうございます。さて、ウリナラ最大の敵「チョッパリ叩き」は元気が出るものでありますw【韓国】反日映画「破墓(パミョ)」観客動員数1000万人突破墓を掘り返し飛び出した日本の悪霊をやっつける墓には豊臣秀吉軍の武将が葬られていた(PC、スマホ推奨です)2chまとめブログ。政治経済ニュース、東アジアニュースを中心に。台湾、チベット、ウイグルのニュースを取り上げています。hosyusokuhou.jp*関連ニュース韓国で反日オカル
「大原松露饅頭」最高でした✨松露饅頭の由来は、豊臣秀吉の時代に伝わった焼きまんじゅうが起源という言い伝えがあります。それを江戸時代に、時の唐津藩主小笠原公に献上したところ、コロコロした形が、松の根本に自生する球状のキノコの一種に似ていることから「松露」と名づけられたそうです。ただ、饅頭といっても、こしあん入りのカステラ焼き、という感じです。なんと❕一つ一つ手焼きなんです🎵すぐに食べることを条件に、焼き立てを購入することも可能ですあったかくて、皮が香ばしく感じて、ホントにおいしかった
セキュリティクリアランスと大谷選手の通訳、そしてK野、緑のたぬきもみなさん、おはようございます大雨が続きました穀雨は豊かな米の実りをもたらしてくださいます今日は晴れの所もあるでしょうたまった洗濯もいいです自然とともにアリガトウ「3月27日」の國史です「懐良親王、没」弘和3年(永徳3年、1383年)後醍醐天皇は建武の新政が崩壊した後各地に自分の皇子を派遣し勢力を築こうとします懐良(かねよし)親王は征西大将軍として肥後国(熊本県菊池市)を拠点に九
私は…満足に今を至る!!私は…満足に今を過ごす…。関東と関西のテレビの違いは少しある。関西芸人のテレビ番組が関西にはある。それから、関東には若いアイドルの冠番組がある事。関西でも関東のニュースを番組しているが夕方には関西は独特の関西のニュースをしてる事。関西のテレビ番組のイメージは私は…きつねうどん。関東は、たぬきそば。私は…神戸で野生のたぬきを見た事があり、たぬきは可愛らしい顔をしていたな。なんとも憎めない顔をしているたぬきだ。徳川家康のイメージが関東には色濃くある。関西
【「目標達成型」と「天命追求型」】白駒妃登美(しらこまひとみ)氏の心に響く言葉より…私は、目標をかかげ、そこにひたすら邁進していく、いわばアメリカ型の成功哲学を20年以上追い求めてきました。受験勉強、就職活動、客室乗務員時代、そして子育て、すべてにビジョンを描き、目標を立ててやってきました。それなりに結果も出て、楽しかったのですが、でも、私は息切れしてしまったのです。目標を達成できないとき、サボってしまうとき、そんな自分を責めていました。
耳川の合戦(天正6年:1578)で大友家の軍勢を叩き潰して以来、破竹の快進撃を続けていた薩摩の島津家は、天正14年(1586)には関白・豊臣秀吉が遣わした仙石秀久らを戸次川の戦いに撃破して九州を席巻しました。しかし天正15年(1587)4月。豊臣方の主力が到着すると攻守は逆転し、戦線は日向国(宮崎県)まで後退して、島津方は要衝・高城(高鍋町)を囲まれていました。寄手は豊臣秀吉の実弟・秀長を筆頭に小早川隆景、宇喜多秀家、黒田孝高、宮部継潤ら西国の大小名およそ10万。高城がいかに堅城
3月23日16時45分〜17時、時代劇専門チャンネルの「歴史を訪ねて日本の城関東・甲信越編3」で、以下の四つの城が紹介されました。①小諸城(長野県小諸市)1554年に佐久地方統治の拠点として、武田信玄の命で、軍師の山本勘助が縄張したとも伝えられる。1582年の武田家滅亡後は、不安定な政情にあった。1590年の豊臣秀吉の小田原征伐後、仙石秀久により小諸城と城下町が整備された。1702年に譜代大名の牧野家が入封し、明治維新を迎えた。1626年に三層天守閣が落雷で焼失後、再建さ
昨日は、愛子さん10歳の誕生日でした〜芸能人だと、キスマイの玉森くん、オリラジの藤森くん、あと、豊臣秀吉も3/17誕生日ですなんか、嬉しい愛子の大好きな食べ物をたくさん用意したよローストビーフまぐろちらし海鮮ちらし野菜スティックケンタッキー銀だこ近所のスーパーが今まで住んだエリアでないタイプのスーパーで、惣菜が充実していてホント助かります2人のリクエストでクレしんのこどもビール🍺本当に泡が出て凄いもう10歳私もママ10年です最近は手がかからなく
MIRAIZAOSAKA-JOのWebサイトから引用私たちは大阪城のなかにあるパワースポットで知られる「大阪城豊國神社」に行ってきました。最寄り駅はたくさんありますが、私たちは京阪電車京橋駅から徒歩で向かいました。豊國神社に向かう途中で大阪城を見ることができます。はじめて見る人たちはこの時点でパワーを得られそうです。WeareabletoseetheOsakacastleonthewaytotheHoukokushrine.Forthefirst
豊臣秀長再来年の大河ドラマはこの人だという。タイトルは『豊臣兄弟!』。言わずと知れた豊臣秀吉のただひとりの弟だ。兄弟は他人のはじまりというように古来、兄弟は父の持つ権力をめぐる骨肉の争いの最たる対象であった。源頼朝とその弟・義経足利尊氏とその弟・直義織田信長とその弟・信行伊達政宗とその弟・小次郎徳川家光とその弟・忠長いずれも最後は不和となり、弟がその命を奪われている。秀吉の家は例外であった。そもそも秀吉に家などというものがない。彼はいわばこの世の最下層から出てきた者なの
前回の記事では、京の大仏・東山方広寺について紹介をしました。かつて京都に奈良の大仏と双璧を成す大仏があったのです。方広寺は京都のお寺ですが、mixiで東大寺コミュニティの管理人をして以来東大寺にこだわって来た小生には、妙に気になるお寺でありました。関連…と言うよりも因縁と言った方がいいでしょうか。今回、方広寺のことを記事にするにあたって、よく方広寺について調べてみようと思い、一冊の本を取り寄せました。『秀吉の大仏造立』(河内将芳著・法蔵館刊)。奈良大学教授の著者が、方広寺を造立した豊臣秀
いにしえの古都、鎌倉。アメブロでは未記載分も含めて、すでに四回ほど訪れている。やはり紫陽花の季節は素晴らしい。しかし御朱印巡りには、大混雑となり不向きでもある。御存じのとうり、鎌倉には複数の霊場が錯綜している。鎌倉三十三観音霊場(番外二ヵ所)。鎌倉二十四地蔵霊場。鎌倉十三佛霊場。鎌倉五山(番外:南禅寺)。六阿弥陀。鎌倉江の島七福神。そして、坂東三十三観音霊場、東国花の寺百ヵ寺霊場、神奈川二十五寺にも鎌倉エリアが十一ヶ所含まれている。「鎌倉行
アフターにっぽん城まつり~名古屋城から岩崎城へ。愛知県日進市:岩崎城。日本100名城などではないけれど、小牧長久手の戦いにおける局地戦が展開された歴史由緒ある地。德川家康vs豊臣秀吉、唯一の直接対決、小牧長久手の戦い。大河ドラマ「どうする家康」においても中盤最大の見どころとして描かれ。局地戦ゆえ、映画・ドラマでほとんど描かれることの無い岩崎城の戦い。どうする家康において登場するかどうか、密かな注目が集まるもシーンとしては登場せず。戦略絵図の一部でかろうじて描かれ
2023年11月23日深見先生が旅館の施設に入った時、上から神様がふわっと降りてきたそうです。(亀岡湯の花温泉渓山閣)(巨大な龍の神様の言葉)ここ亀岡は地獄の住人を救う聖地である明智光秀は亀岡城を築き湯之花温泉に度々来て天来のひらめきを得たりすなわちこのまま織田信長の世が続けば時代は地獄の如き圧政と武断強権商業の時代となる天皇家は滅び古来より続く神ながらの伝統や文化家柄も全てなくなる日之本の御国は西洋の国と変わりなくなり国民の誇りや幸古来
【受難節・四旬節・レント】2024.2.14(水)~3.30(土)●2024.3.3(日)体と魂の安息日。主の日。主日。天地創造・人間創造をされた主なる神さまを礼拝する日。寒い日でしたが、私たち夫婦も、祈りながら・体調を整えながら、阿武山福音自由教会での礼拝に、出かけて行くことが出来ました。感謝主!今日は、3月第1主日ですので、[聖餐式]がもたれました。主イエス・キリストが、私たちのために、体を与えていた
花の慶次、これにて完結なり。さて久しぶりに京都に帰ってきた慶次、つーわけで新キャラ登場。結城秀康!徳川家康の次男ですな。長男の信康が切腹させられたので徳川家の長子となったわけですが、秀吉への人質に出されたので徳川家の家督は弟である秀忠のものに。さらに秀吉の養子になったものの秀頼が生まれちゃって邪魔になったのでさらに結城家に養子に出されたという可哀想な人物です。徳川と豊臣、どちらの相続権も持っていながら両方取りこぼしたわけですからね…つーわけで父家康から疎まれながら育った秀康。深い言葉です
吉水神社【内容】「初期書院造りの傑作」といわれる書院建築で、世界遺産でもあります。作法が「二礼十七拍手一礼」と珍しい形です。17の神様を祀っているからだそうです😳後醍醐天皇が「南朝の皇居」と定め、ここを拠点として「吉野朝」の歴史が始まったそうです。皇居ですから、すごい場所ですね😳ちなみに後醍醐天皇は、ここ吉野の地で病のため亡くなっているそうです。最後の地でもあるわけですね☝️源義経が静御前と弁慶を連れて、頼朝兄さんから逃げのびてきた場所でもあります。境内には、弁慶が追っ手をドン
今回からは近江八幡にある八幡山城の紹介です。2024年3月15日に訪問しました。第1回目はその歴史です。二の丸展望館から見た風景です。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いで、豊臣秀吉が勝利します。1585年(天正13年)の紀州攻めと四国征伐で、副将格として武勲を立てた豊臣秀次は、論功行賞では近江八幡43万石(豊臣秀次は20万石、宿老に23万石)を与えられます。豊臣秀次肖像画です。秀次関連の系図です。兄弟の弟:秀長には女子2人だけで、秀次は秀吉の姉:
日本最大の名鐘の1つと言われるこちら↓方広寺方広寺鐘楼·〒605-0931京都府京都市東山区茶屋町527−4★★★★☆·仏教寺院maps.app.goo.glこれがきっかけで大阪冬の陣が始まり、豊臣家が滅亡しました。この四角く囲ってある文字「国家安康君臣豊楽」を、家康は自分の名前を二分し豊臣家の幸福を祈念するものだ。と怒ったんです。本来はそんな意味はなかったのに。家康はただ争う理由が欲しかったんですかね。その後、この鐘は呪いの鐘として2度と鳴らないように200年近
こんにちは★まずはこちらラブスクのプッシュ通知なんですけどwwこじゅさんwwまぁ、こじゅさんのことだから政宗だらけのパーティー編成だろうし叫びたくもなるんだろう!想像できるから笑っちゃいました!誓い愛★秀吉さんです~。リクエストいただきました(^^)某さま、ありがとう★因にリクエストというのは「買ったけどima見解もみたいぞ!」という場合のことで「買ってないから教えて」じゃないことをきっぱり宣言しておきますねー後日談のみですが・・おことわりスミマセン、これスクシ
香川県の聖通寺山はもともと瀬戸内海に突き出た岬だったそうで、今は西に宇多津町、東に坂出市の市街が広がり、北には瀬戸大橋から岡山県までも望む標高122mの山。山頂一帯は「常磐公園」として整備されていて、北側に建つ結婚式場「サン・アンジェリーナ」からの眺望はひときわ絶景です。ここは展望台にもなっていますから、ちょっと覗いていきましょう。「聖通寺山展望台」–宇多津町観光協会:四国香川県(utazu-kanko.jp)うわー、瀬戸大橋が丸見え。瀬戸内海を隔てて本州までも望めま
みなさまおはようございます😀2月最後の日曜日楽しんでいますか❓ワタクシ、今日は。。訳あって車の中からの更新です🚗車といっても。。ご覧のとおり〜地下駐車場からです😅お行儀が悪くてすみません🙏本当は今晩、ゆっくりアップしようと思っていましたが、最近は年のせいか22:00過ぎに睡魔に襲われるようになってしまって(←以前の私ならギンギンのゴールデンタイムでした🤩)お約束する自信が無いからひとまずちょこっとだけ今、アップしますね💛さて〜前回は、【天剋地冲】は「さよなら👋するのには絶好
藤吉郎の素性木下藤吉郎は「八」の部族の出身(注)徳川家康は純血日本民族の内、サンカ葵族の出身で、秀吉もやはり、サンカ木の陰族出身説を提唱したのは鹿島昇氏である。従って、天下取りは、同じ純血日本原住民系の内ゲバだったことになるが、秀吉は天下平定後に、外来勢力仏教と手を結び、原住民を弾圧した。一方の家康は、原住系を団結させ手厚く保護して、関東に江戸幕府を建てた。だから関ケ原合戦というのは、西軍は外来系大名と、東は原住系大名の対決という図式が成り立つ。
私が小学4年生のとき。5月GWです。姉が高校3年生で大学受験を希望していました。父と姉と私の3人で京都の大学を見学をしに行きました。大学の見学を終えて三十三間堂へ行き、その後、豊国神社へと行きました。豊国神社(とよくにじんじゃ)御祭神豊臣秀吉公本殿でご挨拶をすると、男神様が出てきました。当時、秀吉さんなんて知りませんでしたなんの予備知識もないままに来ていました。男神様は、代理の神様なのだと教えてくれました。豊国大明神が行方不明になっているのだと事情を話してくれました秀吉
デスクトップ上の整理途中に気付きました。長期間、意識もせず当たり前のように存在した画像数枚画像のプロパティを見ると、画像の制作年月日は2020年1月18日4年間もスルーしていました・・・この様な本を買いましたと、簡単に紹介した記憶が有るのですが・・・本日は、その画像を使ってのネタです。文庫本『秀吉の悲劇抹殺された豊臣家の栄華』PHP研究所1989年8月津田三郎発売時価格¥420(税込)文庫書き下ろしとありますから、ハードカバー本はありません。現在では絶版
本日、2026年の大河ドラマが決まったと、発表がありました。主役は、なんと豊臣秀長!!26年大河ドラマ『豊臣兄弟!』主演は仲野太賀主人公は天下人の弟・豊臣秀長(外部リンク)https://www.oricon.co.jp/news/2318104/full/現在、歴代大河ドラマで最も古い時代を扱っているのは、平将門を主役に据えた『風と雲と虹と』(1976年)将門は、もちろん平安中期の人。これが一番古いということは、奈良大河はまだやってない…。だから、蔦屋重
3月15日は、豊臣秀吉が京・醍醐寺で「醍醐の花見」を行なった日。(新暦に直せば4月20日のこと)慶長3年3月15日(1598年4月20日)、京の醍醐寺三宝院裏で豊臣秀吉が、豊臣秀頼、北政所、淀殿、諸大名を集めて大規模な花見を実施。輿(こし)の順は、最初に北政所、2番目に西の丸殿(淀殿)、3番目に松の丸殿(京極竜子)、4番目に三の丸殿(信長娘)、5番目に加賀殿(前田利家娘)、その後に前田利家正室・まつが続きました。醍醐寺では新暦に置き換え、毎年4月の第2日曜日に『豊太閤花