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こっそり家に行って通帳を回収してきた。元々息子のための積立だし、名義も息子のものなので問題はない。だけど、気づかれた時にどんな反応がくるかを想像するだけで怖い。元々は夫が知らない通帳のはずだった。でも、家を出てしばらくしてから、何とか渡してもらえないかと交渉した時。既にその存在に気づいていたことを知った。しかも、夫や義実家からのお金なんて入れていないのに怪しまれた。「うちの親から助けてもらった分はどれだけ入ってるの?」などと言われた時には驚いた。
息子のために積み立てた預金通帳。夫が外出している間に無事回収できたわけだが。以前置いてきたことに気づいた時、夫に渡してくれないかと交渉したことがある。夫はその時に渋った。夫の親からいただいた分もそこに含まれているのではないかと言われた。だから、きちんと出所を説明したのに納得しなかった。家の近くのファミレスで話し合いをすることになった時も同じ。イチかバチかでお願いしてみたのだが………。当日になって確認してみたら、やっぱり持って来てはくれなかった。
夫から息子への虐待がいつから始まったのか。はっきりとは覚えていない。乳児の頃はさすがに暴力をふるうようなことは無かった。でも息子の自我が芽生え始めてこちらの言うことを聞かないことが出てきて。夫が全てをコントロールするのが難しくなってきた頃から態度が変わったように思う。言うことを聞かないとは言っても、まだマシな方だった。俗にいうイヤイヤ期というのもほとんど記憶にない。大抵はニコニコしていて上機嫌な子だった。人見知りもほとんどなくて、道行く人に手を振っ
もうすぐGWがやってくる。会社の人たちも今から皆ワクワクしているようで、話題は休みのことばかりだ。どこに行くのかとか。何をするのかとか。色んな計画を立てているみたい。今年は飛び石になっちゃって残念だなとは思うのだけど。その中の一日は兄が自分の子どもたちと一緒に息子を連れだしてくれると言う。息子は今まで連休でも遊びに出かけたことがなかった。だからきっと嬉しいに違いない。最近は口を開けばその話題ばかりで、どれだけ楽しみにしているのかが伝わってくる
前評判が良かったので、今回はとても大きな期待を持って弁護士さんに会いに行った。良い人だったらそのまま依頼しようと考えていた。でも結論から言うと期待外れだった。一番問題だと感じたのは『モラハラ』に関して否定的だったこと。これまでのエピソードを伝えたのだが、反応はいまいちだった。「おじさんはね、そういう言葉は嫌いなんだ」と唐突に言われ、「今は何でもかんでもハラスメントって言うけれど。昔なら普通だったことがいっぱいあるんだよ」と諭すように言われた。
賃貸契約に保証会社を利用していることが判明した。私はこれを保険の契約だと勘違いしていたのだが。とにかく、保証人でなく保証会社ならもう安心だ。身内に迷惑がかかるようなことも防げるなんて素晴らしい。保証会社だと分かった時にはそんな風に思ってしまった。つまり、浅はかな私は万能なのだと思い込んでしまったのだが………。それは大きな間違いだと分かった。そもそも、保証会社だって慈善事業をしているわけじゃない。滞納したら、もちろん迷惑がかかる。利益が出るどこ
私たちが家を出たのは去年の夏のことだった。その頃は、離婚さえできれば私も子供も夫とはキッパリと縁を切れると思っていた。でもなかなか思うようには進まないものだ。未だにその離婚さえできていない。家を出た時の勢いはどこへやら。あの頃は『やっとこれで自由になれる!』という気持ちが強くて。喜びやホッとした気持ちでいっぱいだった。だけど、どこか足元はフワフワしていて。気持ちばかり先に行っている感じだった。今はあの頃よりも着実にやるべきことをこなしている。
夫から留守電が入っていて、義父が倒れたことを知らされた。一大事って言えば一大事なんだけど。大したことではないのに大げさに言っている可能性もある。それに私たちはもうすぐ他人になるんだよね?今はまだつながりがあるけれど、間もなく切れるご縁なのだから。これ以上深入りすることは避けなければいけないと思った。もちろん息子にも知られないようにしたかった。だから、留守電のメッセージはすぐに消したし、着信拒否設定も済ませた。これで安心だと思っていたのだが。私
義弟から私にお願いがあるという。それは、万が一離婚になっても息子を義両親に会わせてあげて欲しいということ。時々で構わないから、と。彼らが思い描いていた未来とはかけ離れた現実を歩むことになった。本当はみんな仲良く義実家の周りに集まって、助け合いながら暮らしたかったけど。それが叶いそうもないから、せめて義両親には心穏やかに暮らして欲しいと言う。義両親も年を取ってからこんな苦労をするとは思ってもいなかっただろう。息子二人とも家庭内で問題を抱えていて、なかなか仕
今日は息子や兄の子供たちが家の中でかくれんぼしていた。そんなに隠れるところも無いだろうに………。一応ルールはあるみたいで、玄関から外に出てはいけないらしい。それで息子が、「ベランダは?」と聞いたので、他の子たちが爆笑した。「○○(息子)ちゃん、それ言うとベランダに隠れるってバレちゃうよ」と言われて初めて気づく息子。。。そうね。宣言してから隠れるようなものなんだから、きっとすぐに見つかるよね。基本的にみんな仲が良いので、集まるとすごく賑や
ある時、息子が小さなプラモデルを欲しがった。息子は滅多にねだることがないので、「どうしても欲しい」という意思を見せること自体がレアだ。もうこんなものを欲しがるようになったのね・・・。小さな成長を感じつつ、軽い気持ちで購入を決めた。手にしたのは、とても簡易でパーツの少ないもの。これなら4歳の息子にも作れるかな?と思って買い与えた。家に帰ってさっそく箱を開ける息子。大人が組み立てれば2~3分で十分かもしれないが、そこは4歳児。不器用な手で格闘するも、なかなか進
モラハラ家族を持つ人に言いたい。「いつか変わってくれるかもしれない」などと期待するのは止めた方が良い、と。どのような衝撃的なことが起こっても、彼らの根本が変わるようなことは無いのだ。期待して裏切られると、そのたびに傷つくし、気づかないうちに自己肯定感もどんどん低くなって思考能力が奪われてしまう。そうなったら逃げ出すのが困難だ。我が家の場合も、夫は決して変わることなく、その行為は年々エスカレートしていった。息子への仕打ちが明らかに酷くなっていると感じたのは、小学校に
息子が4歳を迎える頃、わが家では新たなる異変が起きていた。これまで自分の思うがままに私たちをコントロールしてきた夫が体調不良に陥ったのである。夫の体調問題は数日とか数週間といった期間で収まるものではなく、その後も常に体調の悪化が家庭環境にも影を落とすことになる。最初は自律神経を崩したのかな?という軽い程度のものだった。イライラすることが更に増え、今思えば愚痴っぽくもなっていた。愚痴をきかないと切れるから、忙しくても「そうなんだー、大変だね」とその思いを何とか
冬の間、どんなに寒くても暖房はつけない。「寒かったらエアコン付けた方が良いよ」そう声を掛けても「勿体ないから良い」と言う。少ないお給料でやり繰りしている私を気遣っての言葉ではない。これっぽっちしかお給料をもらってないから、エアコンを使いたくても使える状況ではないでしょ?という意味が込められている。そんな寒々しい部屋で、息子は虐待を受けていた。目の前には夫が殴って穴を開けた家具があり、粉々になったクリスマスツリーやオーナメントも見せつけるかのように放置されていた。暴れる時
夫は働いていない。体調を崩したので、ある意味仕方のない部分もある。誰だって体調を崩すことはあるから。一緒に居る人は早く治るようにサポートしてあげなければ。そう思い、一生懸命家のことも仕事もした。夫が嫌な思いをしないように気を遣った。人のために動くことは全然苦にならないから、スムーズに受け入れられたというのもあるのかもしれない。最初はそれで良かった。そのうち良くなるだろうという期待もあったし。義両親も最初はとても気遣ってくれた。夫は自分の
日本では、このスバルのCMは流れなかったね。スバルペット愛護月間と題して虐待や捨て犬の保護施設から引き取られたり障害のある犬たちが、それらを乗り越えて元気に生きているエピソードを募集して皆んなで共有しましょうというアメリカスバル自動車のCM日本でもこういうCMあって良いと思うけど周る環境が違うかな…pic.twitter.com/7HANNstbYw—不変哲🦥(@fuhentetsu)October17,2021虐待、捨て犬、障害を乗り越えて生きている動物を
玄関で息子がもたついた。元々がのんびりとした子なので、焦ると余計に上手くいかない。「早く!」私も慌てていた。背後では寝室にしていた和室で夫が暴れていて、今にも私たちの方へとやって来ようとしている。それを押さえる義父も必死の形相だった。何とか義父が押さえている間に外に出なければ、と思い息子を急かした。不器用な息子は急かされれば急かされるほど上手くいかないので、「裸足で良いから!外に出てから履こう!」そういって手に持たせた。その間も常に背後で夫が暴れているの
夏休みや冬休みは、私が仕事に出かけてしまうと夫と息子の二人だけになってしまう。本来ならば幼い息子を見ていてくれる人がいるのは有難いが、私にとっては悩みの種だった。一年生の夏休み。息子にとっては小学生になってから初めて迎える夏休みだった。まだ始まったばかりのその日は、宿題もあって日中もやることがたくさんあったんだろうな、と思って「今日は何をしたの?」と帰宅後に声をかけた。その時、夫の微妙な空気に気づいてハッとした。息子が何も言わないように、すぐそばから鋭い視線を
モラハラ生活が長くなってくると、正常な思考能力や判断力が奪われていくものだ。あれは暑い夏の日のこと。朝から真夏日になるとテレビで気象予報士が言っていて、最高気温は35度を超えた。うだるような暑さの中、アスファルトが歪んで見えた。そんな中で体験したことなのだが、いまだに思い出すだけでぞっとする。いつも通り出社して朝のコーヒー作りをして、ゴミ捨てをした後にメールのチェックをしていた。やることがたくさんあるのだから仕事に集中しようと思うが、やはり家に居る息子のことが気になっ
度重なるモラハラに耐えかねて、とうとう義父母に『これ以上一緒に居るのは難しい』と伝える決心をした。事の発端は、夫が息子の文房具を滅茶苦茶に破壊したこと。首根っこをつかんで放り投げて、あわや柱に頭をぶつけそうになったこと。この二つが大きい。定規は割れて鉛筆は折られ、筆箱もぐちゃぐちゃになっていた。物凄い力で破壊したことが分かり、このパワーが息子に向けられていたらと思うと心底ぞっとした。今回も息子に非があるわけではなく、夫が悪いことは誰が見ても明らかなのに、当の本人は決して自分の非を
ビジネスホテルで朝食は出ないので、お腹が空いた私たちは早めにチェックアウトしてモーニングメニューを提供しているお店を探した。さすが繁華街。いくつものお店でモーニングをやっていて、色んなものが美味しそうに見えて目移りしてしまう。息子はカレーが良いと言ったのだが、弱った胃腸に朝からカレーは刺激が強すぎると思い、結局パンのお店に入った。ドアを開けて中に入った瞬間、とても良い匂いが広がっていてますますお腹が減る。(おかしいな。食欲がないと思っていたのに今なら大量に食べられそう…)など
偶然ご近所さんに会い、夫が大声で泣き叫んでいることを知らされた私はギョッとした。「えっ、それっていつの話?」そう聞いたのは、あの修羅場の声が聴こえたのではないかと思ったからだ。「昨日の深夜と今日の朝早くに」なるほど。何となく分かった。昨日私が電話に出なかったことに腹を立てて暴れて、今朝も早朝に電話をかけたのにつながらなかったから、怒りのやり場がなくて叫んだのだろう。自分のご機嫌を自分で取れない人だから、サンドバックである私たちが居ない状況で自分の怒りへの対処も分からずに
息子は忘れているかもしれない。明日はいよいよカウンセラーさんと話す日だということを。今回は急に『お話したくない』という感じになったので、私だけで話をする。その間、息子は外で待っていると言った。本人曰く待っているのは一向に構わないそうだ。中に入ってカウンセラーさんと話をすることが嫌なのだと。息子の中では参加しない方向で話が既に済んでいる。だから、もういつがその日だったのか覚えていないかもしれない。すっかり忘れてしまっているところに思い出させて悪いんだ
駅に迎えに来てくれた父と母は、拍子抜けするくらいにいつも通りだった。車の中で沈黙が続くことを恐れたが、それも杞憂だったようだ。父がラジオをつけていて、ちょうど面白い話をしていたのが良かった。それがとても可笑しくて、何となく笑っているうちに気がまぎれた。そのままお昼ご飯を食べに行ったのだが、そこでも息子が「お魚食べたい」と言うので、和食屋さんに入った。前から感じていたことだが、食の好みが父たちと妙に合う。子供が大好きなお寿司ならまだしも、息子が選ぶのは焼
虐待やモラハラといった過酷な環境下で過ごしていた人は、そこから抜け出せたからといってすぐに心が回復するわけではない。友人から聞いた『我が家とよく似た家族のこと』は私にとっても考えさせられる話だった。友人の助けもあり、暴力を受けていた彼女や子どもは家を出ることができた。働くことを禁止されていたので自由になるお金はなかったが、生活に使っていたキャッシュカードと通帳を持ち出した。抜け出した後はそこからかなり離れた場所にあるアパートで再スタートを切り、見た目には穏やかな生活を取り
夫と義父母との電話は、実は聞こえてしまっていたので気まずかったが、義父母はそれを知る由もない。いつも通りに話しかけてくれて、歯切れの悪い私に義父は「なんか今日は元気ないな」と言った。お昼時なので皆で食事をするのかと思ったら、夫がすぐそこのコンビニまで買い物に行ってくると言う。これは非常に珍しいことだ。一人で出かけると体調が悪くなった時に大変だからと、近所の公園までの散歩でさえ誰かと一緒に行こうとする人だ。そそくさと出かけている夫を見送り三人になると、義父がいきなり「も
夫のいる自宅には帰れないので、仕事に通うために月曜日からはホテル住まいをすることになった。なるべく安くて綺麗なところを探し、クーポンとかキャンペーンがないかも確認した。当初の予定よりもだいぶ安いところが見つかったとはいえ、週に4日も泊まるとなると痛い出費だ。それでも息子を実家で見てもらえるとなれば、気持ち的には安心できる。ようやく当面の生活リズムが決まったと安堵し、夫から遠く離れたことで久々の開放感を味わっていた。実家に居る時は、いつも目いっぱい深呼吸して好きな時に寝転がる
息子のつながりで知り合った友人から聞いた話なのだが。我が家によく似た状況の家庭があったらしい。子供の年齢や家族構成、夫が働けなくなったという点まで同じ。その人は、私とは違ってしっかりとした人。シャキシャキと行動し、間違ったことがあればハッキリと指摘する。決して気が弱いということもなく、学生時代はどちらかと言えばリーダーシップを発揮するような人だった。そんな彼女が就職後に会社で夫となる人に出会う。会社で出会ったという点も同じなのか………。最初はその人
夫の新しい電話番号は既に着信拒否にしてある。もちろん義実家や古い番号も。だから、知らない番号からかかってきたら大抵はセールスだと思う。セールスだって出てしまったら面倒なので出ることはない。本当に連絡を取りたい人は留守電にメッセージを入れるだろうし。そのおかげで『夫からかかってくるかも』と闇雲に恐れる必要がなくなって楽になった。かかってきた瞬間にドキドキしながらディスプレイを確認することもなくなった。すっかり安心しきっていた訳だが………。またしても知
母子家庭の多くは厳しい生活を送っている。そんなニュースを目にしたのは、私たちが家を出てから数か月が経過した頃だった。その頃、仕事中でも帰宅後の深夜でも夫からの連絡が頻繁にきていた。鳴りやまない電話。埋め尽くされるLINE。恐ろしい記憶はまだ鮮明で、連絡が来るだけで震えた。会社でも携帯を見てしまうと動悸がして仕事が手につかなくなるから。わざと見えない場所に置いた。だけど内心は気にしていて、ちょくちょく見てしまうという悪循環。帰宅後にかかってきた