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『義弟の不可解行動』『死亡確認は嫁じゃないらしい』『デパートに寄り道で臨終に間に合わない嫁』『お義母様に触る触る』『涙声の夫』『細胞が癌になるまで10-15年』ht…ameblo.jp『買い回りオススメ千円シリーズ』『胸騒ぎ』『死亡確認は嫁じゃないらしい』『デパートに寄り道で臨終に間に合わない嫁』『お義母様に触る触る』『涙声の夫』『細胞が癌になるまで10-…ameblo.jpお義母様の葬儀なんやかんやと喪主の夫と私と葬儀社で決めていったようやく夫が
亡くなった母の病院からの搬送は夜中だったので、3時まで葬儀の打ち合わせになりました。諸々に必要な事を葬儀社が行ってくれるのは、突然の出来事への対応に追われている身には、本当に助かりました。そして、葬儀担当者の方が進行だけでなくて、家族への心遣いも素晴らしく、書類に追われて気づかない部分をかなりフォローしてもらいました。結局、葬儀場所にそのまま泊まって、翌日に通夜で、翌々日が葬式+初七日に。翌日に一度家に帰って、喪服や必要な物を持って戻ってからは、葬儀が終わるまでもう、ノンストッ
入院5日目水曜日。会社はまだ休んでる(本日有給)休みのうちにできる限りのことをしなくては。朝から片付けまくる。無心昨日あと1~2週間と言われた。お葬式は最低限で行うつもりだから、その後少しずつ家に人が来るかも…と予想して。お骨の置き場も作らなきゃだし。とりあえず片付けまくる。捨てるわけではなく、右から左に移動しただけ。納戸はパンパン。午後から役所へ。限度額適用認定証を申請。(健康保険)国民健康保険の人は役所へ。会社勤めの人は会社の健康組合へ申請です。その場で発行して
2023.02.12(日)お祖母ちゃん伯母ちゃん中高の友人達店長さん最後のお別れをした翌日家族だけの納棺式最期を看取った家族とケイ君のご両親とボク皆んなが見守る中、さーちゃんは棺に移された。ベッドでは普段使っていた布団をかけていたから、まだ眠っているような気がしていた。棺の中で専用の布団に寝かされた娘を見ていると、改めて娘が亡くなった事に切なくなった。リビングはフローリングだったから、25kのドライアイスの冷気が棺から出て床を湿らせてしまう。介護ベッドを一番低くして棺を
お気楽です。ブログしばらく、お休みしてました。前回のブログをUPした翌朝、長女から御主人の御母堂様の入院連絡。10年ほど前、乳がんの手術後、お元気だったんですが・・ガンが全身に転移して、先週末、入院されたそうです。病状から、お見舞いは躊躇してたら、一昨日の朝、お亡くなりになられたとの事で、取り合えず、病院へイメージ画像です。病院に着けば、ご遺体は、葬儀社の車で移動する直前でした。で・・午後からは、葬儀場、お寺の手配etc昨日も、細々と
故人様のお世話をするときに「あいている目や口を閉じてほしい」と言うご要望が多いのですが宗教によっては「目や口があいているのが成仏のお顔だ」と言われることもあります。ある時、葬儀社さんから「創価学会さんなので半眼半口にして」と言われました。ホールでのお世話だったので事前に処置とお着替えをしてご対面していただきました。うっすらと開いた目とお口、喪主様がなにか言いたげで。開き加減にご不満なのかと思ったら「目と口は閉じることはできないんですか?」と💦”あれ?閉じてよかっ
旦那さんの生前から少し悩んでいたのは旦那さんに何かがあったとき葬儀社はどうしようかということ旦那さんの親戚が葬儀社営んでいる普通ならそこに頼むのが道理でも色々あって少し疎遠に知ってる葬儀社がもう一つうちのお母さんとおばあちゃんを送り出したK葬祭とても良心的な価格で手厚くサポートしてもらった申し訳ない気持ちはあったけど大切なことだから旦那さんが元気なうちにもしパパに何かあったときに葬儀社はどうしたい?と聞いたらKさんでいいよママが一番信頼してるでしょ俺はママ
●死装束。死装束(しにしょうぞく)とは、亡くなった方に最後に着せてあげる洋服です。基本、宗教によって死装束も違ってきます。例えば、■仏教の方は、仏衣や経帷子。■新道の方は、神衣。■キリスト教の方は、洋服やドレス。■無宗教の方は、葬儀社にお任かせか、故人が愛用していた服。■もしくは、最近はエンディングドレス(死装束)を扱うネット店もあります。まぁ、普通は葬儀社との相談で決まり、お任せとなるでしょう。では、私達は死装束については、他に何もする事は無いでしょうか?実は、1つだ
おはようございます。本当に沢山の暖かいコメントありがとうございます。励みになりました。日がたつにつれて後悔ばかりが残りますもっと…優しい娘でありたかったもっと…帰ってあげればよかった優しくない娘だったな…と今回葬儀前にはじめて納棺式をしました。はじめてでしたがやって本当に良かったです。送り人の方2人と家族で母の身体をボディーソープで洗いクリーム…オイルをつけて髪、顔も洗いセットして顔剃りパックスキンケアお化粧です。着たい服・持たせたいものも入れて家族と葬
ご訪問ありがとうございます私の母だけでなく、夫の関西の母も救急搬送されて、同じ日に危ない状況になってしまいました。私が駆けつけた大学病院の母は意識がもどりましたが、夫の母は残念ながら夫が駆けつけて、すぐに、静かに息をひきとりました。続きです。前回の話はこちら⬇️『間に合った?』ご訪問ありがとうございます母が危ないからと面会が許された日の夜、夫にも夫の母が危篤だと連絡が入り、夫はあわてて義母の病院に向かいました。私は祈る思いで夫からの…ameblo.jp夫は悲しみに暮れる暇もなく、弟や
久しぶりにアンちゃんと帰宅するも、通夜や葬儀の準備が慌ただしく始まる。しかし私はこのアンちゃんを送り出すセレモニーに意外と癒され感動したのです。まずアンちゃんに悪いものがつかないようにお清めのお経をあげてもらう。その後湯灌師(ゆかんし)さんがアンちゃんの身体を綺麗にしてくれる。服を着替える時も女の子なのでついたてをして隠してくれる。オムツを替える時も男性は席を外して女性が担当してくれる。赤ちゃんとしてではなく、1人の人間、1人のレディとして扱ってくれる。なんだかすでに泣きそうだ…
父が亡くなりました心臓が悪かったけど元気にしていました苦しくて救急車で救急に行きそのままでした22時に救急車で病院へ23時に母から連絡があり0時頃病院に到着兄にも連絡して同じ頃到着もう父は亡くなって処置室から出ていました病院からは母が一人で説明を聞き私たちには母に言った以上はないので先生からの説明は無いと言われました事務的な対応でしたがそれが病院なんだと思ってます事件性がある訳でもないので病院で亡くなってもかかりつけではないので病院では死亡届けが書けないので警察の検死になる
本日、2024年3月17日に母、永眠。朝9時頃、施設から連絡があり9時30分頃に駆けつけた。亡くなってから30分くらいだったので身体は温かくて、顔色もよくて普通に眠っているみたいだった。3日くらい前から、肺炎になっていたので少し覚悟はしていたけれどでも37度程度の微熱だし、息も荒くないしまだ大丈夫だろうという気持ちもあった。「お母さん」と呼びかけて手や顔をさわっ
私の周囲の友人知人には、シングルが殆ど居ない。1人だけ居るのは離婚によるシングルマザー。死別はまず居ない。まして結婚・妊娠中にこの地方に越してきたのでこの20年あまりでできた友達は全てママ友。夫が亡くなったあと「あーあ私はこれから絶対的マイナー組少数民族になっちゃうんだな」って思った。醜いアヒルの子のポジション。あの物語は最後は美しい白鳥になるからいいけどね。やっぱりメジャーは強いよ多数派はそれだけで力があるよ。平均寿命よりも何十年も早くに伴侶を喪うようなこんな恐ろし
撮りだめしたランチの写真を見ながら去年の11月を振り返ってみます月曜日●芸術劇場前館長様の偲ぶ会●アルテ宮崎駅東のお参り●お昼は社員と「一平寿司」さんに行きました一平寿し[「宮崎を代表する郷土の味」として、“元祖一平のレタス巻き”を守り続けてまいります](ippei-sushi.com)火曜日●福岡遠征●住吉神社で御朱印を拝受●夜は博多のホテルオークラでの博多・経友会に出席
昨日は宮崎八幡宮・奉賛会の総会がニューウエルシティ宮崎で開かれましたニューウェルシティ宮崎[公式サイト]–披露宴、宿泊なら宮崎駅前(nwc-miyazaki.co.jp)総会と懇親会の会場久しぶりに私が司会進行役を勤めましたこの画像は司会席からの眺めです最近はめっきり司会の出番が減りましたが、たまには現場を踏んどきませんとねTH先生が議案の説明に立たれました
少し遡り、お通夜の話をさせてくださいお通夜、告別式は自宅、家族葬お通夜、告別式を自宅で家族葬でと思っていました義母姉に反対されましたが、夫の希望もあったので、押し通しました皆さんからのコメントで勇気づけていただいたのも大きかったです味方を得たように心強かったです押し通すことで、また揉めるのではと心配しましたが、すんなりと受け入れて下さり、ちょっと拍子抜けお通夜はここに泊まらず帰っていただくつもりとお話すると、あっさりでしたやはり臭いが嫌だったのですねでも揉めずに良かったです
昨日は、たくさんのコメントありがとうございました。こんなに良磨のために、涙を流してくれて、寂しがったり、悔しがったり、、、ありがとうございます🥺葬儀社との打ち合わせで、いろいろありました。私は東日本大震災でこっちに来たから、親族がこの土地にいない😱なんかいろいろ親族が持つ物とかあるし、、、お花は?お花がないと、棺桶に1本ずつ入れられないんだって😭親族一同1個だけ?良磨寂しくない?私の職場からももらえるかな、、、?良磨をたくさんのお花で送りたいのに😭って思っていたら、お花送って
なるちゃんと対面中、私は夫に買ってきてもらったおにぎりとシュークリームを食べて夜ご飯とさせてもらった。なるちゃんとずっと一緒にいたいけれどそれも叶わないし、夜も遅くなってきたので、触れ合いや写真撮影も一旦目処をつけ、葬儀屋さんを呼んでもらった。葬儀屋さんは病院提携のところらしくて、夜遅くだけれど呼べば来てくれるみたい。この度は大変でございました。。という言葉が発せられ、白衣を着たおじ様が、部屋に来てくれ、夫に名刺を差し出し挨拶。病院の先生?と思う風貌だったけど、きっと葬儀屋さんであるこ
本日4回目の病院。家にいたのは30分位でトンボ返り。電話したり、ちょっとご飯食べたり。亡くなってしまえば…病院としては早く送り出したいよね。看護師さんが、お見送りしてくださいました。ありがとうございました。1時半過ぎ、葬儀社の方の待つ出口へ。送り出した後、私も車で葬儀場へ向かう。他県から義母と義姉2と姪が向かっている。到着後は怒涛の打ち合わせ。お葬式は焼き場の関係で(友引が入ったり、混んでいたりで)最短4日後。水曜に亡くなり、日曜。葬式の予想人数から始まり案内文の確
入院11日目。水曜日。朝5時半前に電話が鳴る「ちょっと状態が悪いので、来てください」子ども達を起こす。土、月、火曜日と会社で仕事をして、だいたい今月分は終わらせた。今日は休みだから、連絡必要ないな…。日祝以外は自由に週1回休みです車で6時過ぎに到着。説明受け、しばらく病室にいたけど、特に変化なし。しばらくすると看護師さんが「落ち着いたようなので、どうします?戻られます?」と。とりあえず帰る。この前もそんな状況だったし。家には7時頃到着。今日は外せない授業あるとい
旦那さんが亡くなって葬儀場まで運ばなくてはならないとなった時旦那さんの体は一軒家の2階階段は途方もなく狭い旦那さんは身長180cm体重100Kg…………どうやって運ぶのだろう…と考えなくてもいいことなのに考えてしまいました今思うと私が悩むことではないのにね実際は旦那さんをくるくると白い布で包み男性が5人くらいで運んでましたお神輿?みたいにやっぱり餅は餅屋だと感心しました葬儀社の車に運ぶ時に近所の方にやはり見られてしまい右隣りの方には状況を説明お通夜と
久々に仮住まいの話です。実はここ、事故物件なんです不動産屋さんから借りた場合は告知義務が必要な家なんです。とはいうものの、私の家族の話ですから。私が半年住むことで事故物件ではなくなるのですがね。今から4年半前に8年以上絶縁していた、母親が突然たおれてなくなりました。年も明けてお正月が明けた1月11日親戚のおじさんから突然の電話が「おかあさん亡くなったって妹が言ってるけどほんと?」「いやー、私とは連絡取れないから・・・」「そうだよね
そして1年前4月17日は、告別式の日でした。実は告別式もどうしようか悩みました。旅立った後、次男と少しでも一緒にいたいので、直ぐに告別式するのはどうかと考えたあまり人も呼ばず家族葬にしようかいろいろ悩みました。正直、お金の事も頭を過りました。でも頭の中で、常にあったのが次男は闘病してから車椅子になり、ご近所さんや、ちょっとした知り合いに会うのは嫌がっていました。親も人と会うのを避けていました。学校と病院しか、次男の行動範囲はありませんでした。知り会いに会うと逃げるようにしていま
長い闘病の記録を上げさせてもらって、今度は少しライトな記事を書いたのですが、なんとなく今の気分と違ってて。ちょっとプチ重投稿で。(こんなことができるようになって、私進化したと思いませんか?w)夫の告別式を営んだ葬儀社から、一冊の冊子を貰った。そこには、四十九日や一周忌といった法事の類いの説明と、死後の役所関係の手続きの説明と、そして私の目に留まったのが遺族の心理について書かれた箇所。[病気で亡くなられたご遺族の方々は、しばらく医療関係者を恨んでしまうことがしばしばあります。一時的
主人私義母義父義妹義父さんの葬儀は家族葬何から決めればいいのか・・・・葬儀社の方が全て指示してくださりました。死亡届け火葬の手続きは葬儀社でしてくれました。お通やを済ませて最後の夜は義母、主人、義妹、私で生前の義父の話をしながら過ごしました。義妹の旦那は一緒にいる事なく帰ってしまいましたけどね・・・・葬儀、告別式も無事終わり義妹が帰ってしまうと少し寂しそうな義母でしたが悲しんでいる暇はなく葬儀終了してから何をすればいいのかはこれも葬儀社の方が色々な手
夫の身体を綺麗にし終わると看護師さんから、葬儀社への連絡をお願いされる。霊安室までは病院提携の葬儀社が院内搬送するのだが、その後は自分で手配した葬儀社へ引き渡すのだそう。葬儀社へ連絡して、お迎えの時間を看護師さんに告げると、病院の提携葬儀社がくるので病室で待つように言われる。娘は留守番の犬達のご飯をあげるため一旦家に帰っていった。義父と義母が病院で亡くなった後悲しむまもなく、病室からすぐ出ていって欲しいとせかされた事を思い出し夫も、すぐに霊安室へ運ばれてしまうのだろうと思いながら、
しばらくブログお休みしてすみません。8月2日19時38分姉が永眠しました。享年54歳。仕事の休憩中にたまたま電話が鳴り、『かなり脈が弱っていて、今朝から熱が出ていて、今夜が危ないかも』という夜勤交代の看護師から電話でした。職場の方に早退させてくださいと伝えて、姉の病院まで職場から近いので、タクシーで向かいました。母と旦那に連絡して、みんな乗せて病院来て!と。着いて、すぐ、あーもう意識が朦朧として、目は半開きで、呼吸も、、浅い。看護師さんが『
納棺師と言う仕事最近は理解していただけることが多いのですがそれでも「は?(なんですか、それ)」と言われることもまだまだあります。故人様のお世話をしてこちらがかかわらせていただいて感謝なんですが葬家様から「ありがとう」とおっしゃっていただける本当にありがたい仕事です。ただ、色々な事情によりお立会いが無い、お顔色、表情などにご納得がいかない、お別れ時間が足りないなどなど色々なクレームが来る場合もあります。こちらの力量不足ではありますが中には正直、こちら側には
総務省が12日公表した2023年10月1日時点の人口推計によると外国人を含む総人口は1億2435万2千人で前年同月に比べ59万5千人減少し、マイナスは13年連続日本人は83万7千人減の1億2119万3千人で比較可能な1950年以降で過去最大の落ち込みだった・・・って物凄く重大な問題だと思います一応、書き添えますが外国人は23万人増えてます日本人83万人減、過去最大総人口は13年連続マイナス(共同通信)-Yahoo!ニュース総務省が12日公表した2023