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全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)308頁仏子よ、もし菩薩大士にしてこの経を聞くことをえて、帰向し、受持し、信順するならば、知るべし、彼等は真実の仏子であって、如来の家から生れ、あらゆる如来の境界にしたがい、あらゆる菩薩の正法を具足し、一切種智の境界に安住し、あらゆる世間の法を遠離し、如来の行ずるところを出生し長養し、一切の菩薩の諸法の彼岸にいたり、如来の自在において心に疑うところなく、究竟して無師の地に安住し、ふかく一切の如来の境界に入るだろう。(旧字体、旧仮名遣
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)306〜307頁仏子よ、このような経典は、ただ不可思議のおしえを修むる菩薩大士、一向専心に菩提を求むるもののためにのみ、分別し解脱されるのであって、余の人々のためにせられない。なぜなら、この経はただ菩薩を除いて、他の一切衆生の手にはいらないから。仏子よ、たとえば転輪聖王の有する七宝の如きものである。この宝に因るがゆえに、転輪聖王となることが出来る。ただ王の第一夫人の生むところの太子で、聖王の相を具足し成就せる者のほかに、世に一人として
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)307〜308頁仏子よ、それゆえにこの経を聞く菩薩大士は、歓喜し、恭敬し、頂戴し、受持すべきである。なぜなら、菩薩大士にしてこの経を信楽し、すこしく方便を行ずるならば、かならず決定して無上菩提をうるであろうから。仏子よ、菩薩大士が無量億那由他劫に六波羅蜜をおさめ、道品の善根を修習するとしても、未だこの経を聞かず、聞くといえども信じ、受持し、随順しないならば、それは仮の菩薩であって真の菩薩とは云われない。なぜなら、如来の種姓(すじょ
菩薩とは「真実の幸せの境地を求める人」菩薩メイクは内側から外側から愛と光を表現します。そのアイテムとして光り輝かせてくれる「フェイスカラー」ですシルバースマートにきれいに見せてくれるゴールド甘い温かみのある金運UPの顔になるあなたも菩薩メイクしませんか?明るくふわふわ波動の皆様へ✨🥳感謝してます✨☆☆---☆☆「水素若若美人」体験談♪☆☆---☆☆【仕事帰りはすごく疲れているのに…!?<40代女性>】まるかんのお店で水素若若美人を2カプ
ガーシー執行猶予5年で確定しました~今日の23:59までに検察が控訴しなかったら、ガーシーの執行猶予5年が結審しますまさかギリギリに控訴したらどんだけ意地悪いんだよ!wってなるから夜中の12時まで起きていたいけど起きていられるかなぁ・・一度帰って夕方寝しないと(そして二度と目覚めませんでした・・www)今日はおじさまの3度目の目の手術これで見えなくなったらもう失明かなぁどうか右目だけはなんとか見えるようになりますように自宅でトイレ行ったり自
仏法の真髄は「師弟」に――青年部拝読御書「諸法実相抄」⑩=完2022年11月4日第10章「宿縁を述べ重書を送る所以を示す」(御書新版1793ページ7行目~1793ページ14行目御書全集1361ページ15行目~1362ページ3行目)青年部拝読御書「諸法実相抄」を研さんする連載の最終回は、第10章を解説していく。ここでは、「日蓮が身に当たっての法門」を与えられた理由について学ぶ。(創価新報2022年10月19日付)【御文】追って申し候。日蓮が相承の法門等、前々かき進らせ候
●金剛薩埵(こんごうさった)(※画像はwikipediaから)別名を「秘密王」。大日如来より直接に秘密の教えを受け、これを龍樹(2~3世紀頃の学者)に伝えたとされる密教の第二祖たる菩薩。サンスクリットでは「ヴァジュラサットヴァ」。ヴァジュラとは短い棒の両端に刃を付けた古代の武器のことで、古代インド神話に於いては天帝インドラの電撃器の名である。その堅固さから最も硬い金属(若しくはダイヤモンド)を意味する「金剛」と訳される。サットヴァは「人」と訳されるが、その読みの音か
●【募集】気功技術「愛燦々(あいさんさん)」「菩薩の左手」伝授&「縁起力」アップ遠隔気功ヒーリング今年最後に久々に超人気企画をリリースします。シンクウと言えば「愛燦燦(あいさんさん)」と言われることもあるほど、この気功技術は超強力です。僕のブログを読んでいただける新しい方も増えてきましたが、良くこの愛燦燦(あいさんさん)という言葉が出てくると思います。ぶっちゃけこの技術だけで気功師レベルの気の扱いができるようになる、強力な技術ですし、メニューに出していない理由は一応僕の中
·法華経28品の一覧表とあらすじ(概要)o法華経迹門の各品§序品(じょほん)第1§方便品(ほうべんぽん)第2§譬喩品(ひゆほん)第3§信解品(しんげほん)第4§薬草喩品(やくそうゆほん)第5§授記品(じゅきほん)第6§化城喩品(けじょうゆほん)第7§五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)第8§授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第9§法師品(ほっしほん)第10§見宝塔品(けんほうとうほん)第11
皆様、おはようございます昨日からの続きです!私見ですが、欲まみれでスタートすることは、とても良いと思います。なぜなら、お諭しが分かりやすいから自分がダメであればあるほど、ビビるお諭しがドンドコドンドコドンドコドンドコドンドコドンドコドンドコドンドコやってきます。でもね、ここでへこたれて「もういいですやめてください!」と言っても、もう遅いのですそれが、聖天信仰に入るとやめられないと言われる所以ですようこそ、大聖歓喜天の世界へ!魂が菩薩に上がって
朝は相変わらず冷え込みますが午後からは陽気に恵まれてきました。街行くひとも、カーディガンから薄手のダウンコートまでまばらな季節感にあふれていました。さて、とても春らしいカラーの菩薩様のご紹介です。額の風合いもぴったりでとてもお気に入りの女神たちです。相変わらず龍のオーダーが多いのですが私が描きたいのは女神シリーズなのです。菩薩の絵を描くのが一番楽しいのです。以前もご紹介した富士五湖のひとつ西湖湖畔の民宿樹里庵のオーナー様からの御依
▼自己紹介はこちら古い読者の方にはおなじみのホップの菩薩ぶり。健在です。いや~・・・・・・・・・ほんと申し訳ない。『ホップ後光ビーム発動!』よくコメントでも頂くんですが「ムギさんとホップさんいつも仲いいですよね~。ケンカとか、しないんですか??」いや~うちはホラ。ダンナがアレだから(「蒲田行進…ameblo.jp↑ここにも書きましたが、そう、ホップはいつも言います。「怒りや憎しみからは何もいいことは生まれない。人に怒りをぶつけてもその人がまた怒って自分もさ
おまけ替え歌「ちぃたん☆のドロップキック(ラップ付き)」💥💥元歌「Shotinthedark」VOWWOWこんにちは~(*ˊᵕˋ*)更新またまたサボってすみません🙇♀️🙇♀️🙇♀️で今回は久々の替え歌ですけど、なんと過去に作ったもののリメイクですっ☆ꉂ🤣𐤔前作は⬇これです┏○ペコッ『替え歌「ドロップキック」』替え歌「ドロップキック」💥元歌「Sho
愚僧は呼ばれたことがないのですよ。ですから、呼ばれるというのがよくわからないのです。愚僧は、勝手に押しかけているんですよ。ご神仏は光の塊と表現しました。それくらい気高い存在。日本は八百万の神々がいらっしゃいます。そして、仏さまは、如来、菩薩、明王、天部とたくさんのご神仏がいらっしゃいます。一般社会に当てはめてみますね。ご神仏は、大企業の社長さま。強力なコネがあるとか、よほどのことが、ない限りいきなり、お話できないのでは、ないでしょうか?どうやって、コネクション
《新古今和歌集・巻第二・春歌下》146題知らず後白河院御歌惜しめども散り果てぬれば桜花いまは梢(こずゑ)をながむばかりぞ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず後白河院御歌桜の花よ。あれほど惜しんだのに散ってしまったので、今は、花のない梢をしみじみと眺めているだけだよ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
こちらに華厳経の現代語訳本があります。内容が素晴らしいというのは確かである(らしい)のですが、私にとって仏典を読むことは中々の苦行です。そんなことを言えば「仏教者が仏典理解を苦行と考えるとは何事か!!」などと叱られるでしょう。しかし、仏典というのは、文字に起こされたものである以上、やはり「慣れ」や「読解力」あるいは「センス」などが必要となります。あらかじめ、仏説が説かれた背景やあらすじを踏まえた上で読めば、頭への入り方は全然変わってきますし、そして何度も読めば、読む度に新規の情報が少なくな
ついついもの作りにはまっていて~(笑)みなさんの開運の未来をお伝えする~手相カウンセラーゆりよであることを忘れかけておりました~(笑)そんなあれで~今日はスゴ~い手相を載せちゃいますね。まずはブロ友さんの『ターラ菩薩の相』慈愛にあふれて~困ってる人を見過ごせない~❗優しくて慈しむ心に満ちた方(北斗の拳のユリヤのような方)このターラ菩薩の相は本当に珍しい相なので~今までお一人しかお目にかかってなかったのですが~みせてもらえた私も超ラッキーこの方、フィッシュも出ていて、半年くらい
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)432〜433頁一切のほとけの浄明な智慧のともし火を得たいとおもうならば、よろしく広いちかいの、願いを建てて、すみやかに道をもとむる心をおこすがよい。あらゆる功徳のなかで、最もすぐれたものは道をもとむる心である。かならず如来の無礙の智慧がえられる。一切衆生のこころは、ことごとく分別して知ることができ、あらゆる国土の微塵は、なおその数をかぞえ得べく、十方の虚空界は、一毛をもって量ることが出来るとしても、菩薩の初発心は、究竟して測ることがで
(『新・人間革命』第4巻より編集)10〈春嵐〉10ー彼女の夫は、勤行もし、妻の活動を積極的に応援してくれたが、仕事が多忙なこともあり、会合には、ほとんど顔を出さなかった。ある時、地元の壮年の幹部が、彼女に言った。「お宅の御主人は、活動に参加しないが、それは単己(たんご)の菩薩というんだよ。それじゃ、だめだね」単己の菩薩というのは、地涌の菩薩が出現する際、眷属をもたず、単独で出現してきた菩薩である。”単己”といっても、地涌の
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)306頁そのとき、もろもろの菩薩大士が普賢菩薩に申さるるよう、『仏子よ、この経をば何(なん)と呼び、また、いかにして奉持すべきでしょうか?』『仏子よ、この経をば一切諸仏微密法蔵経と名づける。それは一切世界の思議しえざるところ、如来の印したまふところであって、大智の光明、如来の種姓を開きしめして一切の菩薩の功徳を長養し、世のなにものにも壊られず、あらゆる如来の境界にしたがい、一切衆生を皆ことごとく清浄ならしめ、ほとけの究竟の法を分別し
私は独身で子供もいないけどフェリチンが59*女性はフェリチン10以下だと阿修羅になるが、100以上になると菩薩になる。らしい(笑)阿修羅て。。こちらは女神⬇https://youtu.be/woKq2sD8xho?si=tB20PQ5F857buq7b
朝日出版社から刊行となった『完本仏像のひみつ』を読んでみました。山本勉著、川口澄子イラスト『完本仏像のひみつ』(2021)朝日出版社現代の日本は仏像ブームだといわれています。しかし、それは新しい時代に始まったものではなく、日本に仏像が伝わった古代から今まで続いているのかもしれません。日本の仏像は、本家のインドや直接のお手本だった中国・韓国よりも、複雑で細やかに伝えられています。では、そもそも仏像とは何なのでしょうか。毘沙門天や不動明王はよく聞きますが、何なのでしょうか
さてさてなぜ、毘沙門天と不動明王はセットなんでしょう?調べてみました!《この姿勢はコシニヨクナイからだめ~www》まず、仏像についてです上層界から、如来・菩薩・明王・天となり・如来=悟りを開いたもの「如来」釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来など・菩薩=悟りを得るために修行するもの「菩薩」聖観音、十一面観音、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩など・明王=修行するものを煩悩から護るもの「明王」不動明王、降三世明王、軍荼利明
〈教学〉2月度座談会拝読御書2024年2月4日大悪大善御書拝読御文大事には小瑞なし。大悪おこれば大善きたる。すでに、大謗法、国にあり。大正法、必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。(御書新版2145ページ1行目~3行目、御書全集1300ページ1行目~3行目)〈池田先生の指針から〉大善に転じていく大悪が起きた時こそ、自身がどの
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)308〜309頁仏子よ、菩薩大士がこの経を聞くならば、まさに平等の意行、無量のこころをおこし、あらゆる虚妄の想をはなれ、直心を究竟し、面のあたり一切の如来を正念し、平等に修習して浄きこと虚空のごとく、あらゆる菩薩の行業を分別し観察して法界と等しく、一切智をまどかに成就し、あらゆる世間の垢濁をはなれ、清浄の心をおこして、一切の十方世界に充満し、深くあらゆる菩薩の法門に入り、平等に三世の諸仏を観察し、善根・功徳・智慧を具足し、深くこれらの
ネットでいろいろ調べものしてたら「般若心経ロック」という般若心経のロック調現代語訳があってそれがとてもわかりやすくて楽しいのでここに引用共有させていただきます(*^▽^*)以下、般若心経のロック調現代語訳です。「超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。
さて無敵のガーレンに挑むジャック、でも数年前まではガリガリでした。鍛えれば鍛えるほど筋肉は肥大化していくような印象はありますけどね。まぁここまでのオーバーワークを続けたら筋肉どうこうの前に骨がいっちゃいそうですけどね…そんなガリガリのジャックがドーピングという現代科学と出会った結果…ここまで劇的に変わるかどうかは別として、現代スポーツにおいて頂点を目指そうと思ったらある程度のドーピングは必要なのかも。興奮剤とかの使用の是非は別として、筋肉をつけるためのドーピングならそれはプロテインと大して
全訳大方広仏華厳経巻上目次緒言····························································一凡例····························································一解題華厳経の主題·············································一華厳経の内容·······································
観音様とは、正式に言うと「観世音菩薩」。仏教において、最高位は「如来(釈迦如来、大日如来など)」です。実は、観音様は、その下の「菩薩(地蔵菩薩など)」グループに属しています。さらにその下に「明王(不動明王など)」があり、「天(弁天、毘沙門天など)」があります。下へ行くほど、人間に近いと言うことです。実は、観音様は、そもそも「正法妙如来」という如来様でした。しかし、我々、人間を救うため、菩薩の位置まで降りてくださったと言います。私が、観音経を意訳しようと思ったきっかけになったお話です。
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)383〜385頁法慧菩薩の云わるるよう、『仏子よ、その人間の功徳は、初発心(しょほっしん)の菩薩の功徳の蔵の百分の一・千分の一・ないし不可数分の一・不可譬喩分(ふかひゆぶん)の一・不可説分の一にもおよばない。なぜなら仏子よ、あらゆる諸仏は、初めて発心するときに、十方のおのおのの十阿僧祇(あそうぎ)の世界の衆生に、あらゆる娯楽のしなを供養し、それを百劫のあいだ、ないし千億那由他劫(なゆたこう)のあいだ継続したいとおもって世に出現したもうの