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ブログを始めてかれこれ15年の月日が経過しました若年性乳癌を患ったあの日から16年経過ということですな久しぶりにほんの少しブログを読み返してみたら、毎回毎回定期検査や不調のたびに再発や転移を恐れていますそれもそのはず、怖いんですよね。ただただ、怖い。死に対する恐怖以上のものを私は知らない。夜も眠れぬほどの恐怖は今でも忘れられないんですよね。でも、それと同時に溢れてきた生きることに対する執着心。執着心と言えば。。ブログを15年継続、Yogaを20年近く継続していたあたり(妊娠のた
私は元々、和食がものすごく大好きです。野菜の具沢山の味噌汁に卵を落としたものと納豆ご飯があればもう何も言うことはありません欲を出したら魚もあればもう何もいらないお刺身も好きですが、ネバネバしているものがとても好きでトロロやめかぶもたまらない。外食も和食でいきたいですが、子どもたちが産まれ、実際はパスタやラーメンやうどんが多くなってきました今まであまり食べなかったものを食べています。お父さんが好きなカレーライスやさんだったり。スパイスカレーが美味しいとわかった私はランチでもカレーを食
末娘、遂に2歳になりました2年半前、鴨川シーワールドにいったのがもう遠い昔のようレンタカーを借りて海が見えるホテルに泊まり、ナイト水族館に行きましたその道中、お父ちゃんとお仕事のお話をしたり、子どもたちのお話をしたり。将来のお話をしたり。。本当に楽しかったなぁずっといい思い出として残っています。その前後に妊娠もわかり、とても幸せな毎日を送っていましたが直ぐにお父ちゃんが会社にいけなくなりました。それから私達家族は大きい選択を幾度となく繰り返し、人生の岐路に立ちました。何度も振り返
2年前に本の出版の夢を叶えた私。あれから、ずっと色んな場所においてもらえるように声をかけさせてもらっています。東京にいる友人が、かかりつけの病院に声をかけてくれて、置かせてもらったり地元の友人も積極的に親身になってくれて、自分の職場にと教育現場においてくれたり。。私は若くで乳がんになったよ。これまでとても大変な人生でした。腫瘍がめちゃくちゃ大きかったんだよ治療がフルコースだったよ23歳から30歳まで治療したんだぞ頑張ったんだよ!って言いたかったわけでは無いよそれを伝えるために
仕事を1時間早退して長女の親友のお母さんとスタバでコーヒータイム何も考えずにただただ夢や希望を話したり娘たちのことを話したりものすごく幸せな時間を過ごしました正社員に転職したママ友。子どもたちのことを第1優先にしながら働きたいと。いろんなことを考えていて、いつもハッとなることが多いのでいつも学びがあって楽しい過保護なのかなと悩んだり考えたりしているママ友とは違い、隙あらばいけ!いくんだー!と手放しまくる私。本当に全く違う考え方かもしれないけれど、ものすごくわかることもたくさんある
2月から勉強し始めた食育インストラクター毎朝夕、職場往復時に車内でDVDを流したり、早めに職場について駐車場でテキストを読んだりと隙間時間全てを利用して詰め込んでいましたようやく全5回のテストが終了文章を記載する問題で誤字があり(ブログでも多い誤字。。なんなんだと自分に憤慨)悔しい1つは98点。。2つは満点。あとの2つのテストは採点待ちであります。この2つが合格すれば食育インストラクターの修了資格認定試験に挑む切符を手にできます採点が待ち遠しい自分が好きなこと、興味あることはも
母親が、見なくていいように鏡にカバーをつけようかと提案してくれたでも他の家族は鏡見たいだろうし、濡れちゃうから大丈夫と伝えたしばらくはシャワーに入るのが嫌いだった自分の身体を見るたびに、ない胸がズキっとした全摘後、再建を選択しない人も多くいる私にはできない選択だったけど、命を優先しなさいと言われて議論する余地がなかった次の治療の抗がん剤と放射線治療を進めたい先生と、再建できるのか気になる私ただでさえ薄くなっている胸の皮膚は、放射線をした後に伸びることができず、放射線後の
長女は小学二年生体毛を気にするお年頃私が7歳の時とフォルムが同じで、とにかく毛量がすごすぎて髪の毛を乾かすだけで腱鞘炎になりそうな勢いです因みに私はその頃の写真を見直すと兵隊の黒い帽子を被っているような写真に仕上がっています。少し言いすぎたな。写真で見るとこんなに帽子大きいのか。半分にカットしたくらいか最近娘はお風呂上がりに自分で乾かしているので、休み休みドライヤーをやっています吸水タオルやキャップが洗濯されていたら、やはり倍の倍の時間がかかるとブーブー文句を言っていましたそん
前回の手術は部分摘出で傷も大きくなかったけど、今回は全摘で傷も大きい分痛みも大きかった思っても見ないところで痛みが出たベッドから起き上がる時、腹筋を使ってる時に胸筋も使っているのか術後数日は自分で起き上がれなかったナースさんに起こしてほしいとお願いしたら、自分で起きて下さいと嫌なことを言われたと入院中にできた友達に漏らしたら、その子が看護婦さんに抗議してくれた正義感が強い子だった残りの入院中は、胸に包帯を巻いていて、先生が術後の傷口を見るときだけ包帯を取ったまだ自分の
MorningRoutineだった春休みのお弁当作りは力尽きたかのように終わりました左は娘弁。右は私弁ちゃんと全部手作りなんだけど前日にメンチカツは作りましたいやはや、とても大変な日々だったけど高校生になったら毎日なんだもんね3歳差の3姉妹。。待って待って待って。約9年続くのか、弁当作りしかも50歳から還暦前まで考えないでおきましょう。さてと。今日は早起き!!子どもたちを母にお願いしてミセスオブザイヤー初顔合わせに行ってきますファイナリストの仲間たちとスポンサーの方々が
前回からの続き最初から読んでくださる方はこちら#精密検査の結果私の癌のこと。気が気ではなく、上の空の1週間を過ごした私。精密検査結果をいよいよ聞く日がやってきた。検査を受けた人ならわかると思うが、この検査まちの間が、本当につらい。何をやっていていも、ずっと頭に、こびりついているこの感覚。※今の私は、もう結構年月がたってるけどそれでも、検査の度に、息苦しく眠れない夜を過ごす・・2度目の検査結果の紙を渡される私。ステージは○○で、私の乳がんは
退院の直前、最後に身体に入れていたリンパ液を抜く為のチューブが抜かれた時が、多分一番痛かったまだ跡が残っているから、10年経った今でも思い出す今回の入院は友達ができたから、毎日毎食一緒に過ごした友達を残して退院は少し寂しかったけど、家に帰れるのは嬉しかった1週間後漸く退院家族がお祝いしてくれたTakingthetubethatwashelpingtodrainmylymphfluidonthedayIleft,wasprobablyt
術後の痛みその③は、心の痛み身体的な痛みは薬で抑えたり、触らないようにしたり、手伝ってもらったりしたら緩和される29歳にして、片胸を失った心の痛みは辛かった胸を残したら私は生きていけない、この世にいない人になってしまうと自分に言い聞かせても今まで29年間あった身体の一部が、急になくなることは辛かった元々小さい大した胸ではなかったけど、女性として、何かが欠けてしまった気がしたTheotherpainIhadafterthissurgerywasthepa
お風呂をずっと恐れていた鏡があるから自分の身体と向き合わざるを得ないから見ないようにしようと思えば思うほど、見てしまうものシャワーを浴びているどこかのタイミングで鏡の中の自分の身体と目が合ってしまった辛かったシャワーしながら泣いた部屋に戻ってからも泣いた見たことない新しい自分の身体に慣れるまでには時間がかかったIwasscaredofusingtheshoweraftergettinghomeaftersurgeryTherew