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2020年12月26日⑦あの女が帰った後しばらく動けなかったバァバあの女は、涙ぐむコトもなかった…一言「申し訳ありませんでした」だけで良かった…自分のコトを自ら話し聞かれたコトに淡々と答えれる、あの女はこういう状況に場慣れしているように感じたよゆみ…ゆみが言えなかったコト代わりに言ったよ…母ちゃんは震えるほど怒りを感じたのは初めてて…うまく言えなかったのかもしれないけど…って心の中でママに報告したんだよバァバのお友達も顔を出してくれたそのお友達…
私には、心の支えの数が、少ない気がする。妻一筋で来たので、異性の友人はほぼ居ない。心の支えが少ないと、1つでも失うと、今回の妻の死のように、影響が甚大になる。だから、心の支えを増やしていこうと思う。FacebookかX(旧Twitter)で、同じ境遇の方で、チャットメッセージし合える人を募集します。※この記事の下にある、FacebookかTwitterのロゴをクリックして下さい。LINEご希望の方は、私のアメブロIDがLINEIDですので、検索して友だち追加してみて下さい。ありがと
授業中、学校敷地内での飛び降り自死。第一発見者は学校見回り職員の方。*その日は冬休み明けの健康診断があり、着替えが終わった順に生徒たちは自分のクラスに戻ることになっていました。が、クラスに戻って来ない生徒が1名、それが我が子でした。机の上に残されていた『いしょ』を生徒たちが発見して、担任をはじめその日学校に来ていたPTAの方々や見回り職員さんたちで校内を探し始めたらしいです。すると三階の渡り廊下に、上履きシューズがきちんと揃えて脱いであるのが見つかったそうで、そ
昨夜、見る事が出来なかった彼女とのメールの数々を少し見返してみた。やはり時系列がかなりずれていることに気づく。3月頃から愛犬の寝たきり君の様子も危うくなっていたり、私の躁転もかなりのものだったり、旦那へのストレスだったりで、記憶が本当に頭の中でビー玉をばら撒いたような状態になっているのが本当によくわかる。記憶力の良さを友達にからかわれる程だった私がなぜここまでなのか自分でも驚く。ある日彼女が学生時代の友達に会いに行った事を息子経由で知る。以前から彼女には本音を話せる『親友』がいないので
こんにちは。千春です。ブログを読んで頂きありがとうございます。少し遅いですが母の日についてです。私は誕生日が5月なので娘から母の日と誕生日プレゼントを一緒にちょっとスイーツをもらってました。亡くなる前に娘がDiorの香水が欲しいと言っていて少しでも元気になればと購入してあげました。普段はプチプラの化粧品でした。私もDiorのハンドクリームいいなと言っていたら私が働くようになったら買ってあげると、その言葉だけで嬉しいなぁと思ってました。その時、香水とハンドクリー
ViewthispostonInstagramApostsharedbyミディアムシップ日本で一番のよねひろ(@yonehiro_medium)ミディアムシップのオンラインマンツーマンレッスンの感想を生徒さん#やすこだまさんが、レッスンの感想又くださいました↓ありがとうございます😊😀感謝です✨感想こちら↓Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourf
自死遺族になってからの感情は実に様々だ。怒り、悲しみ、後悔、自責などから人によってはそれに伴いうつになり希死念慮も発生する。私の場合事が発生した時は「怒り」だった。それから軽いうつにもなったが今も支配してる感情は「怒り」だ。考えれば考えるほど負の感情と一生解決しない疑問しか浮かばない。良い思い出、感謝などあっても結局その感情とあの日見たあの変わり果てた姿がフラッシュバックするだけ。すでに現実でおとされてるのに考えてもおとされる。まさに負のスパイラル。そして家族はともかくとして近所の
小中と全く身だしなみに無頓着だった蒼。高校入学してからの2週間くらいは少し早く起きて寝癖を直し始業時間に間に合うようにいつも元気に玄関を出ていってた。交流を深めよう、という趣旨で入学してすぐ校外学習があったのだけどその班長にも立候補してママ!僕班長だからこの紙にサインして!!(危ない乗り物に乗る事への同意書のようなもの)と、嬉しそうに張り切ってた。そんな蒼の様子がおかしいな、と思い始めたのは4月の後半。その時期に差し掛かると起きたてのリビングの空気感があの頃を思
何を見ても、どこへ行っても”母の日””お母さん、ありがとう”の文字や言葉が目に入って来る5月。その度に辛くて目を背け、耳を塞いだ。昨日はテレビでwithMUSICをつけていたらTaniYuukiさんのお母さんへ送る歌が流れ始めたからこういうの、残酷なんですよ…と辛くなってチャンネルを変えた。去年の母の日、息子はホントにお金がなかったのだろう…メッセージだけ送ってきた。余裕が出来たら何か送る・・・その約束は果たされないまま息子はいなくなって
ママはさ…不器用な人…この世界では生きづらさを感じていたのかも…?正直者がバカをみる世界…それならば少しぐらい悪さした方が良かったのかも…?なんて思う…バァバの独り言…
二年前に24才の息子を自死でなくしました、今でもまだ信じられなくて、電話番号も、ラインも、メールもけしてません。ラインにおもいをかいて、いつかきどくがつかないかと、かきつづけています。誕生日には、電話したら違う人がでたり、自宅より新幹線で行く場所なので、葬式以来、いけてません。悲しくて、仏壇に参れなかったり、写真を見るのさえつらかったり、亡くなった地名をテレビで言うとビクッとしたり、就活とか、受験とか、同い年くらいの男の子を見ると辛くて、そとにでたくないんです。友達には、後ふたりおるんだからがん
あの日、キミ達はお空へ逝ってしまった。ゆみ29歳かなと9歳れいと6歳あたしの大切な嫁にいった娘と、孫たち原因?パパの不倫秋頃、パパの📱を見て確信したんだよねゆみは…そのコトを聞き、親として娘と孫たちが辛い思いをしたらかわいそうだからもちろん、あたしのいる実家にも帰ってきたら?とも話したし娘だけでは解決出来なそうだからパパのご両親にも一報入れた方が良いと思ったんだよね…でも、お願いだから、何もしないでね!と言われちゃって見守ってたんだけど…ゆみは、10月
息子を喪ってから何を考えていたか。茫漠とした悲しみのなか、それは直ちにこの世を去ることではなかった。一人になった身だからこそ始末しておかなければならないことはある。そのころは健在だった母と、息子の葬儀一切を取り仕切ってもらった弟に迷惑をかけるわけにはいかない。自分の身辺整理だけはしておきたかった。息子の諸手続きだけでも労力を要し、憔悴していた私は、出来るだけのことをしておかなければ向こうの世界には行けないと思っていた。そして留まる理由は生きている者だけとは限らなか
今日も天使の喜ぶ生き方を!Rayです。読んでくれてありがとう。今日は大切な存在を亡くされている方へ向けた記事です。大切な存在を無くした時、生きる気力を失ったでしょう。でも愛あるあなたは、自分が不幸になったら、あの世の大切な存在が悲しむだけでなく罪悪感を感じることも想像ができる。だから幸せに生きていこうと心に決めたことでしょう。それでも深い悲しみを負った心身は言うことを聞いてくれないかもしれません。悪夢に悩まされた脳はそれ以
今日、仕事帰りにスーパーに寄った時、小学生の(低学年くらい)女の子がジッと私を見てきた。数メートル位の距離でも分かったけど、超〜娘の小学生の頃に似ている😱うわぁ〜似てるなぁ…メガネっ子は大抵似て見えるか🤔って通り過ぎたのだけど、今度は女の子が戻ってきた。私の周りを一周して来たから『こんにちは🤗』って言ってみた(しかし似てる😓)すると突然『あのぅ…お話ししたいのですが、知らない人と喋っちゃイケナイって言われてるから喋れないんです』とか言ってきた🙀私は買い物カゴに娘のところに飾るお花を2つ💐入れて
母が自死だったってことを言うべき?言わざるべき?そんなことを今考えている。言って何の意味がある?言って何が変わる?私は今フリーターであり、アルバイト先に2,3歳歳下の女の子がいる。その子は小学生低学年の頃に父親と死別している。私はそのことを彼女から直接ではなく別媒体を経由して知った。ある日、その子とゆっくり話す機会があり、こちらから話を振ることなく親と死別しているという話になった。「自分もそうなんだよね。」と言ったら、何で亡くなったのか、を彼女に尋ねられた。そら来た。こんな
よく聞くスピリチュアルという言葉。これって目に見えない世界のことで日本語では精神世界をさすことが多いそうですね。肉体や物質以外のものであり、心や死後の世界(霊)、宗教などのことを指しているとか(ネットの受け売り)今は亡き主人の母(息子の祖母)は霊的な力があった人でよく小さいころから人が見えないものが見えていて嘘つきと言われていたそうです。あそこに子供がいるとか今前をおじいさんが通ったとかと言っては大人に怒られていたとか…。主人の実家はニットの製造をしていた
警察に電話しなきゃと思うのに、すぐにはできなかった。自分が正気でいられるか不安で、誰かいなければと思った。それで、今までずっと私の愚痴を聞いてくれていた姉に電話した。「すぐに行くから!」無力だ、と思った看護師なのに何もできない。今まで何人も心臓マッサージした。蘇生したこともある。なのに、死者には何もできないのだと、思い知らされた。姉を待つあいだ、ずっと話しかけていた。なんで?なんでひとりで行ってしまったの?なんで?迎えに来てくれるって言ったのになんで?苦しかったやろ?痛
彼女をかかりつけの心療内科に連れて行く事になっていた。彼女は「絶対先生に怒られるから、一緒に診察室に入って下さい。」と、虚ろな目で私に言った。「うん。行くよ。大丈夫。」と答えた。りっくんを発達支援施設に送って行ったので、心療内科に着くまで、大人3人の時間になった。自分と同じ様な夫婦関係だと思っていた友達2人が妊娠した事の話になった。彼女が始め何と言ったのか、よく覚えていない。脳天気な旦那が「そんな事で悩むんかなぁ?」と本当に無神経なひと言。彼女が「もう嫉妬が止まらないんで
キャンプでは熟睡することが多いのですが野良猫が5〜6匹テントの中に入ってきた夢をみたりイマイチよく眠れませんでしたが清々しい朝です☀️朝のお散歩🚶♀️ホットサンドクッカーでわーい!ホットケーキだ〜11時過ぎまでのんびりして撤収完了☑️コリスにお土産を買って🚌に乗りました最高のバースデーキャンプをありがとう😊
初めましてRayです。数ヶ月前に長女が自死しました。泣いて泣いて泣きまくり悲しみに暮れていたある日、ふとある考えが頭に浮かびました。私が悔やみ悲しみ続けるということは彼女の選択を間違っていると否定している。彼女の人生を否定したくない。私を泣かせたと罪悪感を感じて欲しくない。そんな思い。確かに死を選ばないで生きる事も出来たかもしれない。この世の常識で判断したり、世間の考え方を参考にするのなら、命を無駄にしたと考えられるし、自死はいけないことなのかもしれな
息子が旅立って4ヶ月経とうとしている。GW前半、主人と私は旅行に行くことに。息子海の方へ行く?私うん、行くよ。息子船に乗る?私船は乗らないよ。息子船は危ないから乗らないほうがいいよ。北海道観光船事故の直後だった。そんなこと心配してくれるなんて。珍しい。初めてかも。でも嬉しかった。それから3週間もしないうちにいなくなるなんて、、まだ信じられなよ。悲しいよ。寂しいよ。辛いよ。会いたいよ。お昼庭にアゲハ蝶が飛んでた。息子?小さい時からじっとしていられない子だったか
信じられないかもしれないが、夫が亡くなったあと私は割とすぐ次のパートナーを探し始めていた。今思えば、夫への怒りと誰かに認められてこんな状況になってしまった自分にもまだ価値はあるということを自分に言いきかせるための行動だったかもしれない。心から安心するために支えが欲しいために突然心にできた大きな大きな穴を埋める作業に血眼で必死になっていた。出会ってくれた男性たちには事実をさらけ出した。大体はそこでOKしてくれたら話を進めるという流れだった。私を責める人は誰一人いなかった。それはあり
今日は娘の友達が遊びに来てくれた。海外から先月帰国しお土産と母の日のお花を持って来てくれた。うちで一緒にお昼を食べて、海外での苦労話や置いてきた彼のこと。日本でのこれからの仕事のこと、ご家族のこと…出発前にもたくさん話したけど、しっかりとした考えを持ち、強くなったような気がした。そして輝いていた。ここに娘はいない。その気持ちは見ないように…私も今の私の気持ちの変化や他のお友達ともお参りに行ったり出かけたりした話もした。最近、心の浮き沈みを娘の友達にも話すことがある。友を失った悲しみ
今日も天使の喜ぶ生き方を!Rayです。読んでくれてありがとう。自分の本当の思いを口に出せますか?もしも出せないのなら、相手を見下しているかもしれません。遠慮や礼儀という言葉にするといいことに思えるけど、甘えられない相手ということは、=自分より下、もしくは器がちっさいと思っているのです。自分が言おうとしている言葉を相手が受け取れないだろうと思ってる。要するに自分が信頼していないだけなのです。もしも言ってみて本当に受
3月21日未明貴女が一人寂しく旅立ってから6年だね…今年も貴女に逢いに行けなくてごめんなさい…来月の21日に七回忌の法要をきちんとするからね…まだ…認めたく無くてまだ…諦める事が出来なくて毎日、毎日…貴女は私のせいで一人寂しく旅立ったんだと自問自答を繰り返す…ごめんね…許してね…何故もっと…もっと…貴女に愛を伝えなかったのだろう?伝わっていると思っていたのはおっかぁの思い込みだったょね?私が貴女を産むという選択をしたのは私の自我だったの
ある日突然の、我が子の自死(自殺)というショッキングな出来事から生まれ出た“悲しみ”は、感情のコントロール不能、泣けば泣きっぱなし、時に放心状態に陥ったり、かと思えば怒りの矛先が自分に向かったり他人に向かったり、一番思いやらなければならないはずの同じ苦しみを味わった家族に向けられたり……、まるで手が付けられない癇癪を起こしたような状態が続く時期もありました。悪気は無いのであろう他者の言動にも神経質に傷つき怒り、時にそれは嫉みにも豹変したり、心の中は濁流で渦巻いていたようにも思います。
お正月…今日は、なんにもせずに終わってしまった…グータラのバァバでごめんね…夜中、雪が降ったけれど雪かきするコトない感じで良かった…ママがバァバのお家に来ている時に雪が降ると…ママが雪かき…バァバの母さん…キミ達の曽祖母さんだよ…バァバの母さんと同じように…前のバァバの駐車場に雪山を作ってキミ達にソリで遊ばせていたね…ママが小さな頃遊んでたように…なんだか身体が熱い…熱を計ったら37°…平熱が低いバァバだから少しだけ熱があるみたい…お休みになったから気が
何も分からぬままブログをはじめて何日か経ちましたが、こんな稚拙な文章&かなり暗い内容なのにたくさんの方に見ていただきとても感謝しております。またアメーバブログのシステムがよくわかってないのでフォローしてくださっている方にもしかしたら失礼なことをしているかもしれません。。もし失礼があったら申し訳ないです。。自殺というと自殺者にフォーカスされがちですがその一人の周りにはたくさんの自死遺族がいること、自死遺族はその悲しみを一生背負っていかなければならないことを知ってほしくてブログをはじめまし
2023年6月19日。息子が大阪で借りている自室で亡くなっているという連絡が入った。6月8日に電話で話した息子はいつもと変わらない様子だった。今月いっぱいで仕事を辞めて、実家に帰ってくる息子に私は引っ越し荷物を詰める新しい段ボールを注文して送った。それが6月8日に届くから、受け取ってねと電話で話した。「わかった。でも出掛けてるかもしれないから再配達してもらうかも。」そんな会話が最後になってしまった。10日に、掃除した実家の息子の部屋を動画で撮って送った。あな