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旦那の具合はますます悪くなる。足は全然、浮腫が治らず整形外科で水を抜いてもらうけどまた溜まる。そしてついに大きな病院の外科に行く。私は仕事で連れて行けないのでお義母さんに頼んで連れて行ってもらった。背中も痛いと言っていたのでCT、血液検査。結果、脾臓が亀裂していた。脚立から落ちた時に背中も打った時の物。整形外科では足しか診てもらってなかった。「もう、時間がたってるから血は止まってるけどよくこの血小板の数値で止まったなー。足の浮腫も水じゃなくて血液だね。内出血が止まらないから
大分時間があいてしまいました。夫の体の調子が悪く、今集中治療室に入院中です。間質性肺炎は、両肺移植で「完治」というのではなく「なくなった」という考えらしいのですが、難病というだけあってきっと元になった遺伝子レベルの「何か」(お医者さんが言ってた)が悪さしているらしく肝臓の繊維化(肝硬変)腎臓機能の低下などなど…ひとつ乗り越えると2つくらい困ったことが起こるもんで…我が家から大学病院までは2時間半。末娘を連れて、仕事後に週2回行くのが最近のパターンです。移植のその後と
仏教ではないので49日は特にないのですがなんとなく何もないのも寂しいので子どもたちとパパの好きなものを食べに出かけたり好きだった場所に行ったりして弔いました。夫は様々な病気を併発して亡くなりましたが、肺移植をしたことは全く後悔していませんでした。少しの間でも酸素がなく生活ができたこと。咳をせずに言葉を発せたこと。又外食に行けたこと。車を運転ができたこと。子どもたちとすごせたこと。本人の口から、「やって良かった」と聞いています。残念ながら、特発性間質性肺炎は家族性
夫が起こした車の事故。5回。だったと思います。自宅駐車場でぶつけた2回もいれて。2年間の間に5回。1回目の時はまだ夫は仕事に行ってました。うつ病で休む前のこと。仕事の帰りに停まっていた前の車にドーン。一般道で、なんでこんなにぺちゃんこ?私の車あと最低でも2年は乗りたかったのにで、新車を買ったら買ったばかりなのにまた事故る。私の車‼️この時はもう仕事は休んでたかな。1回目の事故も仕事を休みたいという気持ちにさせた理由のひとつだと思います。さすがに3回目はないだろうと思
不思議に思う1日中スッゴいビール飲んでいるのに動く動く顔は、どす黒い無駄に動く本当に肝硬変?肝硬変ってもっと動けないんじゃ?焼酎25℃ラッパ飲みすると全く動けなくなるビールなら500ml×10なら動けるこの違いは?アルコール度数?今日アルコール依存性夫言っていた『身体が疲れる』私の心(そりゃーそーでしょーよ💢毎日毎日5Lビール飲んだら健康な人だって疲れるよ)私『仕事忙しいからねー』夫『休むか?連休するか?』私『支払いが追い付けばいいんじゃん?』夫『休め
北九州市八幡西区黒崎健康免疫活性ダイエットサロンマイナスαこんにちは。院長の重松です。11/28のブログで東京大学薬学部が「みどりむし」の次にみつけた1万種類以上の物質の免疫活性率を調査してもっとも免疫活性率が高い11-1「いちいちのいち」という新種の乳酸菌を私の母に飲ませるというお話をしました。http://ameblo.jp/minus-alpha/entry-12223741705.html結果をご報告する前に母の病状を軽くご説明してお
最近眠剤が効かず、どうせ効かないならと昨日は飲まなかったら、案の定眠れず。肝硬変(肝不全)の肝性脳症症状の一つである睡眠リズムの乱れによるものなのか。眠気もない、おなかも空かないまま朝がきてお昼になってしまったので、運動をかねて新宿御苑にでも散歩に行こうかと思って出かけたのが今日の失敗。寝てない食べてないと、頭も体も動かない。まず、お家を出て最寄りの駅まで歩いてめまい?立ちくらみ?でヨロヨロする。そこで家に戻ればいいものの、いかんせん思考回路がバグってたのでそのまま出か
昨日、月曜日に採血した検査結果を聞きに行ってきた。特に気になるのが肝機能に関する数値だ。昨年末の検査でものすごい値をたたき出して、1月20日から禁酒に入った。その成果が問われる。5年前に同じタイトルで記事を書いたことがある。いまだに読みに来てくださる方がいるロングセラーの記事だ。このブログを書き始めるきっかけとなる5年前の禁酒の記録である。その内容を簡単に振り返るとこうだ。【健康診断でγGTPが586を記録。禁酒に入る。約3週間の禁酒の後再検査の結果γGTPは232へ半減。さらにそ
先日、義弟に会った時のお話です。義弟が友人とある飲食店に行った時のこと店主に『もしかして〇〇さんのご兄弟ですか?』と、声を掛けられたそうです。そうですと答えると、店主はペラペラと〇〇さん、お亡くなりなったそうですね。病気が分かった時は手遅れだったとか随分、お酒をお呑みになって、肝硬変であっという間だったそうじゃないですかかわいそうにね。一晩でボトル2本は空けるって聞きましたよ。それじゃあ、身体を壊しますよねどうにかならなかったのですか?肝硬変??義弟はウワサほ
仕事をもらえる会社が2社になった。でも、前からもらっていた会社が旦那の変化に気付き、「まずは体を治さなきゃ」と仕事の数を大幅に減らしてきた。そりゃそうだ。。。旦那は10月からもらい始めた会社1本で本格的に動き始めた。朝5時に起きすぐ出かける。現場が遠方ばかりで帰りも遅い。いや、仕事終わってからすぐ家に帰る力が残っておらずコンビニやSAで少し寝てから帰ってくる。正直飲んでいたと思う。帰って来て玄関で横になりゼーゼー言いながらしばらく休憩してほとんど夕飯を食べず寝る。また朝起き
昨日、入院11日目の午後に無事に退院しました。前日の胃カメラの検査状況によっては、入院が延びるかもしれないとのことだったのでギリギリまで決まりませんでした。虚血性大腸炎→大腸内視鏡のポリープや組織など病理検査に提出中肝硬変の疑い→肝臓と食道に静脈瘤が見つかり今後慎重に治療していく胆石→1.2センチあるが経過観察でOKいろいろと課題が残ったままの退院ですが、急性期の病院は基本2週間までくらいしか入院できないらしく一旦退院今通院で対応していくとの事ですが、また入院するかも…次の通院日は
1月4日から私は仕事が始まった。娘の学童の迎えを19時までに行かなくては行けないので旦那の様子を見に義実家に5分ほど立ち寄った。旦那は黄疸とむくみ、腹水、足はパンパンに腫れていた。「ちゃんと薬飲んでる?お酒飲んじゃダメだよ」と言うと何やらか細い声で返事する。もう、しっかり会話する事もできない。12月22日までトラック乗って仕事に行っていたのにたった2週間でこんな風になっちゃうの?信じられない気持ちと仕事の為に相当無理していたんだなと思う気持ち。警察を呼ばれてもおかしくないくらいの
皆さんこんにちは。今回はクエン酸+重曹水で起きた体の変化についてご紹介します。4月8日頃から飲み始めましたので、おおよそ2か月半が経過しました。そして、体には下記の様な変化が現れました。・脂肪の減少なんといってもダイエット効果です。人間の体はアミノ酸・グルコース・脂肪酸からエネルギーを生産しますが、クエン酸は特に脂肪酸の代謝を促進します。その結果、内臓脂肪が劇的に減少し約5Kgのダイエットに成功しました。・胃腸の改善以前はよく下痢をしたりガスでお腹が張った
〈Lー4肝機能は回復〉その確信が、少しずつ、不安へと変化していきました。いつまでたっても、人工透析による、血液浄化時間が、短くならないのです。むしろ、人工透析時間が、初期の頃より、長くなってきたようで、不気味な不安が、押し寄せるようになりました。七月中ごろ、病室にやって来たO医師に、思い切って、「夫の腎臓は、良くなるのでしょうか」と尋ねると、「いやあ、治らないでしょう。もう、二か月近く経っても、良くならないから」という返事。誰よりも、はっ
お別れの日がきました。夫は42歳で旅立ちました。肺移植をしてから2年4ヶ月。肝移植をしてから4ヶ月。夫は生きることを最期まで諦めませんでした。3度、余命宣告をされました。1度目は肺移植直前。2度目は肝硬変になったとき。3度目は低血圧から戻れなくなったとき。夫の体は、現代医学をもっても経験も知識もある先生方が集結してもいくら検査をしてもどこからこんなに病気が湧いてくるのかわからなかったようです。先生方は治療をしようと一生懸命に向き合ってくださいました。
運動会の日午前5時から仕込み午前7時🚗出発!長男部活の試合があり高速で送ってその後歩きで2㌔小学校運動会へ9時までに行く予定でしただけどなんとなんとアルコール依存症夫お酒飲まず仕込みして長男を試合会場まで送ってくれました✨朝8時30分夫帰宅して朝食を食べ私は歩いて小学校へ朝9時運動会始まり夫到着🚲🕶間に合いました👏そしてお酒飲んでない!久しぶりに夫婦で応援出来ました😭子供達も嬉しそう😭ランチ営業の為夫は10時3
二十日に傷病手当振り込まれました。家に帰るとハガキがあけてあって、仕事休んでてもけっこうもらえてるなあたしかに70日近くだから57万入金されてました。でも、そこから社会保険払わないといけないから。16万以上。そしたら残りは40万。40年勤続してる人が月20万以下ですから。定年前の人が。そこからさらに何万も病院代。しかも残りは何ヶ月よ。私は週末出張に行ってたんだけど、スニーカー買ってTシャツ買って外食いって。自宅療養の人、新しいスニーカーいる?家にあるスニーカー履いてたらいいんじゃないの?
葬儀でお世話になったお寺さん。私は義実家も含め両親健在。宗派も特になく葬儀屋さんに紹介してもらったお寺さん。このお寺さんとの出会いが私達家族の救いになった。通夜の日に初めてお会いしたお坊さん。会場の外でなかなかのエンジン音がした。真っ赤な車から出てきたお坊さん。私とそんなに歳は変わらないと思った。私は「よろしくお願いします」と挨拶をした。「この度はご愁傷様です。喪主さんはどなたですか?」「私です」と言うと。「あらま。」驚いていた。そりゃーそうだ。43歳で旦那を亡くす
無事、退院をしました。退院後の私に課せられた課題があって、それが水分制限。1日1〜1.5リットル。どうやら入院中の血液検査で、水分の摂りすぎとでたらしく、(低ナトリウム血症)入院中は点滴合わせて1.5リットルの制限でした。入院した時は脱水症状だから水分取れと言われ病院食がなかなか食べられないから水分とってたら過剰接種だと。。。なんやねん!利尿剤(スピロノラクトン、サムスカ、フロセミド)を大量に飲んでるから喉も乾くし飲みたくなるよそりゃ。先生曰く、腹水は水分の摂りすぎの
先週はいつもより忙しく、せわしない日々でした。なぜかというと、義父の退院が急に決まったから。***近所で一人暮らしをしている義父が体調を崩して入院したのが7月半ば。肝硬変で、腹水が溜まっていました。一度は良くなってきたものの、9月初旬にまた悪化。一時は胸水も溜まって息が苦しくなり、酸素を入れなければならないほど予断を許さない状態でした。その頃、主治医から電話がかかってきて、「これ以上できる治療法はないので、今後は対症療法のみになる。もしもの時はどうするか(延命措置を取るか否か)考えて
先日、脾腎短絡と言う予想外の結果を聞いた。調べてみると肝硬変が出来て門脈圧亢進症が起き、行き場を失った血流が勝手に静脈を作ったものだと分かった。この静脈がどういう性質のものなのか。脾腎短絡と言われても、医学書には当てはまる物が無い。言葉を分割して調べてみると、脾臓と腎臓の間に静脈が出来たと言う事らしい。予習をして病院に向かうと、予備知識どおりだ。門脈圧亢進症出で出来た血管は脆く、静脈瘤破裂を起こし一刻も放置出来ないそうだ。「もう一つ、臨床から肝臓に気になる所があると言うので、造影C
この土日は娘が旅行なので、ダンナと二人〜😭と思っていたのですが。ダンナ、ほぼ部屋から出てこず。私はリビングでのんびり過ごすことができました。ご飯の時間には部屋から出てきて食べて、薬を飲むとまた部屋に戻る。調子が悪いのか?でも、ほんとよくそんなにベッドにいられるなあ、というくらい。ベッドではタブレット見たりしてるけど。仕事復帰のことなど、言いたいことは山ほどあるけど、ケンカになっても面倒くさいだけなので、喋らないのが一番です!
12月に入りいつ倒れてもおかしくない様子の旦那。毎日よろよろで帰って来る。トイレが間に合わない為、紙パンツを履いたり尿漏れ様のパット付きのパンツを履く。下着はいつも血液だらけだった。私は仕事から帰ってまずは旦那の下着を洗う。血液で汚れた床を拭く。玄関に脱ぎ散らかしてある旦那の作業着などを集める。そんな生活が続いた。12月22日。「しんどくて帰れない。今日はこのままコンビニで寝て行く」と連絡があった。この日が生前最後の仕事になる。23日。私は発熱の為子どものクラブをママ友
息子が骨折の手術が終わり退院したけど手首の尺骨、橈骨両方ポッキリ折っていた為痛みがひどく天井の柱から長い三角巾を引っ掛け腕をつっていた。そんなこんなで年末は旦那は自分の実家で過ごしてもらった。旦那には毎日励ましのLINEを入れる。お義母さんは何日か自分の息子と過ごすうち、やっと旦那の病状を把握。何度も電話で説明してたけど年末までは旦那も自分の親の前では頑張って普通を装っていたらしくなかなか信じてもらえなかった。「もう、入院しないとダメだね」「〇〇ちゃん(私)は〇〇くん(息子)を
生きているうちに死ぬことを考えるなんて不謹慎必死で生きようとしている夫の隣で「もしも」のときのことを考えている私は冷たいのではないかなんでこんなに冷静でいられるのだろうなんで現実的なことしか考えられないのだろうなんで淡々と「そのとき」に向けての準備ができるのだろう私にはきっと感情が欠落しているのかもしれないそう考えていました。私が、夫の葬儀の資料を取り寄せたのは亡くなる3ヶ月ほど前でした。「もしも」のときには、きっと時間がないんだろうな自宅から病院
黄砂に煙ったわが街。選抜の決勝戦を楽しんでいます。決勝戦がこんなに面白いのは、久しぶりでは無いでしょうか?今週末の、息子の両家顔合わせにむけて髪を切りました。白髪染めももう何年かわからないほどしていません。いきなり、乾杯の音頭を任された夫。頑張れ、夫よ。肝硬変っていうのは、私の父のように点滴をして長期間入院してするものでも無くなっています。治療で、点滴されることはありません。内科なので、服用する薬と日常生活の勝負です。肝硬変だからといって、肝がんになるわけでもありません。もう
アルコール依存症、肝硬変の夫がお酒は飲みません宣言をしたからそれを「まだ」信じていた頃。車で事故起こしたり『車の事故は計5回』夫が起こした車の事故。5回。だったと思います。自宅駐車場でぶつけた2回もいれて。2年間の間に5回。1回目の時はまだ夫は仕事に行ってました。うつ病で休む前のこと…ameblo.jp自転車で転倒して子どもに怪我をさせたり大きな声でわめいていたり…『安全確保のため、夫の子どもと一緒の行動を制限する』夫は車で事故を立て続けに起こしました。代わりに買った自転車で子ども
酒を飲んでいる時は寿司が大好きであった。酒を飲みながら寿司を食べる。お茶を飲みながら、寿司を食べる人の気が知れなかった。肝硬変となり、酒をやめてからは寿司を食べていない。寿司🟰酒🟰日本酒だから。きっと、酒を飲みたくなる。あと、なま魚を食べたいと思わなかった。肝臓に負担がかかるのではと思っていた。でも、今日、家族で半年ぶりに寿司を食べた。自分だけ食べない訳には行かない。食べたら、美味しかった。スパークリングのノンアルワインを飲んだ。日本酒を飲みたいとは思わなかった。お
その日は試合で遠征に出ていた。骨折している息子はキャプテンの為、骨折していてもベンチに座る。卒団も控えていて今のチームの仲間との時間も後わずか。旦那は相変わらず痛み、出血はあるが昼までは酒を飲まずに(自分で作れないのでお義母さんが作ってくれない)我慢して寝てるらしい。毎日LINEをするが返事はない。「今日は〇〇に行くからね」一応旦那にもLINEしてあった。試合中、旦那からものすごく久しぶりに電話がかかって来た。後から掛け直す。「家に帰りたい。迎えに来い」「試合の帰りに迎えに来
9日に旦那は緩和病棟に入院した。もしもの時に救命措置は取らない書類にサインした。肝臓移植の対象外の為、治る見込みはない。酒を今からやめても肝臓の数値が戻って来る事は期待できない。「だから言ったじゃん。飲み続けたらこうなるよ」と言うと、「うるさい」と言った。でも、お茶とかテレビカードを置いていた時「ありがと」と言った。今思うと旦那が私に言った最後の言葉だった。10日、朝通勤前に遅刻して病院に行く。目を瞑ったまま。返事もしない。ずっと寝てる。アンモニアが脳にまで回っ