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私は医療関係者ではありませんので医学的なところの真偽はわかりません。私から見た夫の身に起こったこと、私の思うことを書いていきます。夫の肝硬変がわかってから2年経つ頃、夫は吐血しました。食道静脈瘤の破裂でした。どうなったら危ないのかと夫が医師から聞いていて私は夫から「血を吐いたら終わり」と聞いていました。肝硬変が進行すると食道静脈瘤ができて、破裂する危険があります。夫も胃カメラで検査しましょうと言われていて、その検査前でした。吐血しても夫は意識はしっかりしており、吐
最初の食道癌から丁度、5年後に食道癌が再発しその再発から丁度、4年経過しました再発の殆どは1年以内に死ぬはずなのに。。。22歳でくも膜下出血になった時も開頭手術をして後遺症全く無しと言う奇跡の回復<くも膜下出血時>『22歳の時の病気Part.1』今まで22歳の時になったくも膜下出血(29年前)について書いた事がないのでボケる前に記録として書いておきます。僕は大学入学前は弁護士になりたいと考えていました…ameblo.jpそもそも病気になると言う事自体身体が弱い証拠な
2022年12月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆過去記事『これからは無輸血手術が、世界の主流となるかもしれないと思いました』の記事で、日本で無輸血手術を行っている病院のサイトのリンクをいくつか貼らせていただきました。『これからは無輸血手術が、世界の主流となるかもしれないと思いました』『日本の真相!2』を読んでいたら、ご著者の船瀬氏は「無輸血手術が、近日中に世界の主流となる」と書かれていました。どれ
今日(正確にはもう昨日)は妻の56回目の誕生日でした一昨年に吐血したときは55回目もどうか😥という状況でしたが…乾癬性関節炎に伴う痛みや咳(これも…段々ひどくなっているから間質性肺炎にならなきゃ良いな…って思っている)の症状はあるものの肝硬変の数値は安定しているので変な言い方だが…私的にはまた一つ年を重ねられた事がとても嬉しいあの日を思い出すと眼の前が真っ暗だったから辛そうだけど…横に居てくれるのは…今日は体調も少し良さそうだったので妻の欲しいものを選んで貰ってプレ
海のシーズンが終わると休みの日は朝からよく旦那と言い合いしていた。「朝から飲まないでよ!」「休みの日に飲むのが何がいかんのだ」「おかしいでしょ!朝から酒飲むお父さんなんて普通じゃない!」「普通って何?何で朝から酒飲んじゃいかんの?」何でいけない?何でだ?「常識じゃん!」。。。「子ども達バスケで俺、やる事ない」「、、、一緒に練習見に行こうよ」こんなやり取りを繰り返す。なぜ酒を朝から飲んではいけないのか?そう聞かれてはっきり答えが出せなかった。もう、私は何が常識で何がおか
あろうことかこの私コロナに罹ってしまって‥2日目高熱と倦怠感吐き気に襲われております心あたりがあります母と伯母と同い年の従姉妹とで真鶴いってきました。そのあと横浜中華街で食のお祭り?かと思うほどの賑わいだったにもかかわらず私だけノーマスクでした。あらら…気にしてなかったけど帰宅後2日してから喉がメチャ痛くてヒリヒリ‥今まで経験したことのない痛みだった‥やはりコロナ陽性だった初めての経験‥身体のやり場がないほど辛い‥強制的に夫がキッチンにた
こんにちは!「常勤医師異常に少ない」医師ら悲鳴…東京女子医大病院で人手不足“病床利用率”5割勤務実態ない元職員に2000万円給与か|FNNプライムオンライン名門医大が大変ですね。さて彼は・・・人類は太古の時代から治療の中心は・・・佐賀県は・・・岡山ではB型、C型肝炎が治癒できるようになり肝臓屋は仕事がなくなるのかと思っていましたが、今後は脂肪性肝硬変を防がないといけません。では今日はこのへんで・・・
先日、脾腎短絡と言う予想外の結果を聞いた。調べてみると肝硬変が出来て門脈圧亢進症が起き、行き場を失った血流が勝手に静脈を作ったものだと分かった。この静脈がどういう性質のものなのか。脾腎短絡と言われても、医学書には当てはまる物が無い。言葉を分割して調べてみると、脾臓と腎臓の間に静脈が出来たと言う事らしい。予習をして病院に向かうと、予備知識どおりだ。門脈圧亢進症出で出来た血管は脆く、静脈瘤破裂を起こし一刻も放置出来ないそうだ。「もう一つ、臨床から肝臓に気になる所があると言うので、造影C
その日は試合で遠征に出ていた。骨折している息子はキャプテンの為、骨折していてもベンチに座る。卒団も控えていて今のチームの仲間との時間も後わずか。旦那は相変わらず痛み、出血はあるが昼までは酒を飲まずに(自分で作れないのでお義母さんが作ってくれない)我慢して寝てるらしい。毎日LINEをするが返事はない。「今日は〇〇に行くからね」一応旦那にもLINEしてあった。試合中、旦那からものすごく久しぶりに電話がかかって来た。後から掛け直す。「家に帰りたい。迎えに来い」「試合の帰りに迎えに来
水曜日に血液検査と腹部超音波検査を行った。診察を待っていると、次に自分が呼ばれる番になった。なかなか呼ばれない。時間が長く感じる。検査結果が悪かったのか?毎回この時間は嫌だ。いつも、最悪の事を考えている。前回の初めての受診では、最悪は肝臓癌ステージⅣであった。その次が他の癌。その次が肝硬変であった。今回の結果は、最悪の一番下、変化なし。今まで腹水や黄疸に怯えていたが、次回検査の8月まで、また怯えるのか。でも、少し不安は和らいだ。何とかこのまま、生きていけますように。酒は
息子が骨折の手術が終わり退院したけど手首の尺骨、橈骨両方ポッキリ折っていた為痛みがひどく天井の柱から長い三角巾を引っ掛け腕をつっていた。そんなこんなで年末は旦那は自分の実家で過ごしてもらった。旦那には毎日励ましのLINEを入れる。お義母さんは何日か自分の息子と過ごすうち、やっと旦那の病状を把握。何度も電話で説明してたけど年末までは旦那も自分の親の前では頑張って普通を装っていたらしくなかなか信じてもらえなかった。「もう、入院しないとダメだね」「〇〇ちゃん(私)は〇〇くん(息子)を
日本人の3人に1人が脂肪肝であるといわれています。肥満体型の方だけでなく、いわゆる痩せ型体型の方でも発症することがあります。脂肪肝の人が今日からすべき生活習慣などについて医師が解説します。脂肪肝とは脂肪肝は、肝臓に脂肪がたまった状態を指しており、成人の2〜3割が発症し、肝臓の病気の中で最も多くを占める病気です。特に、肥満者の80%は脂肪肝がみられるといわれています。脂肪肝とは、余分な糖質や脂肪が中性脂肪に変化し、脂肪が過剰にたまり肝臓全体の30%以上を占めている状態のことを指します。
こんばんは。今日も夜勤です。なので、ネタがないので、生い立ちでも綴っていこうと思います。ゆるーくね(╹▽╹)まずは、私の母が、私が中学3年生のときに書いてくれた手記を公開したいと思います。画像なので、見えにくいかもですが…母の手記にもある通り、私は、妊娠週数29週目…妊娠8ヶ月頃早産で、しかも逆子で生まれました。1450gの極小未熟児…今でいう極出生体重児です。もちろん、色んなところが未発達のまま生まれたため、人工呼吸器や点滴、何本ものチューブに
1月4日から私は仕事が始まった。娘の学童の迎えを19時までに行かなくては行けないので旦那の様子を見に義実家に5分ほど立ち寄った。旦那は黄疸とむくみ、腹水、足はパンパンに腫れていた。「ちゃんと薬飲んでる?お酒飲んじゃダメだよ」と言うと何やらか細い声で返事する。もう、しっかり会話する事もできない。12月22日までトラック乗って仕事に行っていたのにたった2週間でこんな風になっちゃうの?信じられない気持ちと仕事の為に相当無理していたんだなと思う気持ち。警察を呼ばれてもおかしくないくらいの
仕事をもらえる会社が2社になった。でも、前からもらっていた会社が旦那の変化に気付き、「まずは体を治さなきゃ」と仕事の数を大幅に減らしてきた。そりゃそうだ。。。旦那は10月からもらい始めた会社1本で本格的に動き始めた。朝5時に起きすぐ出かける。現場が遠方ばかりで帰りも遅い。いや、仕事終わってからすぐ家に帰る力が残っておらずコンビニやSAで少し寝てから帰ってくる。正直飲んでいたと思う。帰って来て玄関で横になりゼーゼー言いながらしばらく休憩してほとんど夕飯を食べず寝る。また朝起き
夫が起こした車の事故。5回。だったと思います。自宅駐車場でぶつけた2回もいれて。2年間の間に5回。1回目の時はまだ夫は仕事に行ってました。うつ病で休む前のこと。仕事の帰りに停まっていた前の車にドーン。一般道で、なんでこんなにぺちゃんこ?私の車あと最低でも2年は乗りたかったのにで、新車を買ったら買ったばかりなのにまた事故る。私の車‼️この時はもう仕事は休んでたかな。1回目の事故も仕事を休みたいという気持ちにさせた理由のひとつだと思います。さすがに3回目はないだろうと思
本日は次男のお薬をもらいに受信して来ました年中さんのころから大腸と排出が弱くてお世話になって小3まで入退院で大変でしたが...小3後半からやっと少しずつ学校へ通学できるようになり。小4になる頃には毎日行けるようにもう、すっかりお薬飲まずに半年。絶好調に問題なく元気になりました長きにわたってお世話になってる小児科の担当医の先生そろそろ中学生になったら卒業かなぁ〜寂しい気もする帰り道はまた遅めのランチでお魚屋さん今日はバター焼きで、ペットショップも寄ってゼウス
移植しても、移植しなくても通院も薬も続けなければならない。同じ入院するなら、同じように死ぬまで通院し、薬を飲み続けないといけないなら、前向きな方がいい。未来がある可能性がある方がいい。もしまた一緒にニコニコできるならほんの少しの間、皆で我慢すればいい。子どもが独り立ちするまで子どもと私と二人で生きていけるのかそれも怖かった。支えになる人が、そばにいないのは今も不安です。当時の夫ははっきり言って足手まとい、お荷物でした。何度も事故をおこし、仕事はいけないし、育
おはようございます今日はお天気がいまいちですねさて12日は母の日でしたね私の母は私が19歳の時に十二指腸癌で亡くなりましたもう29年経ちますがやっぱり寂しくて恋しくて涙が溢れてきますなのでお仏壇にカーネーションを飾りました今は自分も人の親になり、自分の親の偉大さに気付かされました私は一人っ子なので今ある家族しか私にはありません。父も2019年6月に肝硬変からの肝臓がんでこの世を去りました。気付いた時にはもう末期でした。私が子供を産んでから幾度もお母さんがいてく
夫はアルコール依存症になり、肝不全で亡くなりましたが、不安障害とうつ病もありました。休み明けにしんどいから仕事を休むといい、そのまましばらく休みたいと精神科のうつ病の診断書を持って会社に休職を申し入れました。夫には前妻との間に子どもがおり、その子どもの親権は夫。子どものため、会社のため、土日祝も関係なく働いてきたのを結婚前から知っています。私も、頑張ってきたんだもの、ちょっとくらい休んでも大丈夫よと承諾しました。とは言ったものの、通勤片道2時間かかっていた私。まだ1歳にならぬ子ども
結婚する前から旦那は酒好きで外食時はいつもビール。家族で出かけた時も昼からは飲むからいつも運転代わっていた。結婚してからも色々あったけど元気で仕事も頑張ってた。女関係は色々あったけどもう夫婦の間は家族愛しかなかったのでそれが原因でどうのこうのはなかった。結婚する前から正社員で働いていた私は産後も8ヶ月、6ヶ月で仕事に復帰して働いていた。それでも夫婦で協力してお迎えや家事をやって過ごしていた。6年前、息子が小学校に上がってから始めたミニバス。バスケの練習に土日に行くようになって、家族
精神科で紹介状を書いてもらいすぐに消化器内科を受診した。血液検査、尿検査、CT。結果は、「血液検査の結果は肝硬変でもおかしくない数値だけどCTではまだ肝硬変にはなっていない。硬くなりつつあるけどまだ大丈夫」「でも、いつなってもおかしくない状況」「吐血もあるとの事だから食道静脈瘤の疑いもあるし2週間後に胃カメラをしましょう。禁酒して来てください」との事。2週間禁酒?できるはずない!そう思った。その頃の旦那の症状は、毎朝の吐血、血便、倦怠感、顔つき。手の震えなんてもうずっと
7時お目覚め。体重19.4kg。採血有り。朝ごはん、ご飯半分と牛乳。8:50〜9:35オンライン授業。オンライン授業中に、お預かりの相談。二男くんの体調しだいだけど、火曜日の午後から水曜日の朝まで私だけ自宅に帰る予定。終わる時間にお部屋に戻るとマイクとカメラオフにして「しんどい」と泣いてる。カメラとマイク入れて終了のご挨拶だけする。一日中しんどい。お昼ご飯はご飯二口。ご飯終わってコンビニに行こうとしていたら採血結果。WBC:0.87千HGB:7.6PLT:4千T-BI
夏休み、バタバタと忙しくしています。ブログ読む暇も書く暇もあまりないなー。子どもたちも寝たし、今日はあまり眠くないので、最近の近況を書き連ねておこうかなと思います。***入院中の義父のこと。検査結果が出ました。腹水の原因は肝硬変で、細菌感染を起こしているとのことでした(腹水からがん細胞は検出されなかったので、がんは関係ないらしい)。抗菌薬を点滴してもらい、血液検査の数値は回復してきているようです。ただ、腹水は抜いても抜いても溜まってきてしまう。抜くと体内の圧の関係で余計溜まりやすくなっ
アルコール依存症夫1週間前はすごい顔の浮腫で歩くとフラフラで仕事も出来なかった3日間ほどお酒も飲まなかった飲めなかった?だがまた昨日の夕方からビールを2リットル飲んでいた黄疸出てるのに…昨日の朝はお酒飲んでいなくて正常だったから尿の色聞いたらオレンジ色と言っていた黄疸は1年半前から出ている夫は肝硬変と診断されている本当に肝硬変なの?というくらいお酒を飲んでいる身体が限界まで飲み身体が受け付けなくなるとやめると劇的に良くなるズットその繰り返し早く終わって欲
旦那の具合はますます悪くなる。足は全然、浮腫が治らず整形外科で水を抜いてもらうけどまた溜まる。そしてついに大きな病院の外科に行く。私は仕事で連れて行けないのでお義母さんに頼んで連れて行ってもらった。背中も痛いと言っていたのでCT、血液検査。結果、脾臓が亀裂していた。脚立から落ちた時に背中も打った時の物。整形外科では足しか診てもらってなかった。「もう、時間がたってるから血は止まってるけどよくこの血小板の数値で止まったなー。足の浮腫も水じゃなくて血液だね。内出血が止まらないから
間質性肺炎で肺移植をし、その後肝硬変で肝移植をした夫の闘病記です。移植病院医師からは、初めての症例と言われた程、稀な病気の経過を辿りました。苦しい闘病生活だけではなく出来なくても最期まで生きることと楽しもむことを目標としていた夫と同じ病気のかたの参考になればと思っています夫が食べる量が減り、痩せてしまったときに比較的快適に過ごせたものをご紹介します。夫は、特にお尻痩せに困っていました。車椅子に乗っても、椅子に座ってもお尻から骨が出てしまっていて触
私は若い頃から飲み会大好き!でした。なので付き合う人もお酒を飲む人ばかり。18歳から四年付き合ったやまちゃん。その人とは大学のサークルの先輩で10個上。他の大学を三年でやめて私の大学に入り直していて、さらに留年しまくってて、出会った時は28歳の大学生でした。その頃もお酒大好き。そして、女癖も悪かった。結局、就職して遠距離になり、やまちゃんが実家に帰り元カノと復活したことでお別れしました。18年後、同窓会的なので久しぶりに会い、連絡をまたとるようになりました。飲み会でサークルメンバーが集まる時
先週はいつもより忙しく、せわしない日々でした。なぜかというと、義父の退院が急に決まったから。***近所で一人暮らしをしている義父が体調を崩して入院したのが7月半ば。肝硬変で、腹水が溜まっていました。一度は良くなってきたものの、9月初旬にまた悪化。一時は胸水も溜まって息が苦しくなり、酸素を入れなければならないほど予断を許さない状態でした。その頃、主治医から電話がかかってきて、「これ以上できる治療法はないので、今後は対症療法のみになる。もしもの時はどうするか(延命措置を取るか否か)考えて
間質性肺炎で肺移植をし、その後肝硬変で肝移植をした夫の闘病記です。移植病院医師からは、初めての症例と言われた程、稀な病気の経過を辿りました。苦しい闘病生活だけではなく出来なくても最期まで生きることと楽しもむことを目標としていた夫と同じ病気のかたの参考になればと思っています『いろいろからまる酸素のチューブ間質性肺炎』間質性肺炎で肺移植をし、その後肝硬変で肝移植をした夫の闘病記です。移植病院医師からは、初めての症例と言われた程、稀な病気の経過を辿りました。苦しい闘病生活