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ご覧いただきありがとうございます~『気付き』のためのタロット~TAROTReaderの瑠璃です。”タロットは転ばぬ先の杖”『気付き』は新しい未来への第一歩!プロフィールはこちらです。古いプリンターはシアンとマゼンタがもうインク切れのマークが付いていましたが⇓『新しいプリンターを出してみましたが・・・。』ご覧いただきありがとうございます~『気付き』のためのタロット~TAROTReaderの瑠璃です。”タ
栄養療法界隈では常識となっているビタミンCは1000㎎を1時間おきがベスト!という飲み方風邪には「ビタミンC」もすっかり定着している感じがあります。一方でビタミンCは風邪を予防しないノーベル賞学者が与えた影響の罪深さ:朝日新聞デジタル朝晩の冷え込みが気になってきましたね。風邪の季節ですが、読者のみなさんは変わりなくお過ごしでしょうか。筆者はめっぽう寒がりなので、はやばやと冬物を出してきて妻に笑われています。この連載は、医学知識…www.asahi.comビタミンCサプリの
先日の母が倒れた一件ね。母は心配するから私には連絡するなと言ったらしい。そんなわけいかないからと母にナイショで連絡をくれた弟。そう、こんな大事な事、娘に連絡しないわけいかないだろうに。でも自分だって、手術後追加治療になったなんて言えず、抗がん剤治療をすることを母には内緒にしたし、アナフィラキシーの処置を受けているときでさえ、遠くから微かに聞こえた、ご家族に連絡をという看護師さんの声に、苦しい息で、自宅には電話しないで、母には言っていないからとお願いしたっけ。生還したから良かった
6:40におトイレでお目覚め。割と機嫌良い。朝ごはんはピザ2切れとコーヒー牛乳。朝ごはん中に採血あり。オンライン授業の準備していたら回診。授業終わってからエコーすることに。授業前にしんどくなりお休み。ずっとしんどいとぐったり。9:50エコー。お腹の腹は腸管の浮腫。お昼ご飯はご飯半分食べる。さんもかなりずっとゴロゴロ。14時過ぎにやっと採血結果。WBC:1.2千HGB:8.6PLT:13千T-BIL:4.7凝固系改善なし「FFPの効果はあまりありませんでした。な
1月22日は息子の中学校の説明会だった。午後半休を取って中学校へ行った。説明会の最中、14時過ぎ、病院から電話があった。いつもの病状報告だと思い「今、学校で後からかけ直します」と言うと、「大量の吐血をしました。もしかしたらこのまま亡くなってしまうかもしれません」と先生から言われた。「ご家族も一緒に病院に来てもらった方がいいと思います」と。心のどこかでやっと終わるか!と。でも、きっと大丈夫だろうな。と。途中退席して子ども達の小学校に電話し、早退。病院に向かった。お義母さん
K様、今月で二年目。ナニが二年目かといいますと《抗ガン剤治療》スタートして。「還暦」過ぎています。K様曰く「ガンとケンカするのではなく「天寿ガン」として付き合いたい」と。お友達が「抗ガン剤の副作用」に耐えられず治療が中断、そしてアッという間に旅立たれたのを見ているから漢方薬や薬局サプリメントで主治医の計画通りの「抗ガン剤」の種類と濃度を維持したい=副作用緩和したいと。そして二年が過ぎました。《天寿ガン!》不老不死を願っていた秦の始皇帝も最期を迎えました。これは自然の摂理。《
2022年6月1日生体肝移植2024年4月30日移植後1年11か月。4月22日に息子が救急搬送されたばかりなのに!94歳の義母がまさかまさかの救急搬送!お昼に食事の用意をしていると珍しく義妹から電話がかかってきた。「おばあちゃんに電話をかけたけど応答がないの」妹は普段1人でパン屋さんを営んでいる。すぐに母の様子を見に行けないため義姉であるわたしに連絡がきた。夫を先に実家に向かわせた。わたしは血圧計、体温計、サチュレーションを用意し夫よ
1日目の夜「なんて不謹慎な!」と思う人も居るかもしれない。私は兄がそんな中、外へ母を連れ出した。まだ死んでいないのにホテルで母と2人、葬式なんかしたくないしそれよりも、明日の話の手土産に母との思い出を作ってアイツに持って行きたかったのだ。1つ目の居酒屋はパリピが沢山居て断念。近くにあった年配の方でも落ち着いて入れそうな寿司屋に入った。飲む気満々の私はハイボールを注文。あまりにも母が可哀想になった為「ノンアルビールならいいんじゃない?」と、勧めてみたら、了承してく
ご訪問頂きありがとうございます!我が家は子供3人の五人家族繊細な年中長女、自由奔放な年少次女、マイペースBaby長男を育て上げ、無事に老後を迎えるべく奮闘していますお得な情報や楽しいこと、新しい発見を求めて、ブログを書きたいと思いますAFP保有していますいいね、フォロー励みになります少し前までちょっと元気になってみんなで回転寿司に行ったりしたのに…圧迫骨折で入院して退院の日にはすごく食欲旺盛でラーメン、チャーハン、餃子をUberして殆ど完食しててびっくり
というか、上がっとるがな。3月検査の血液の数値だ。γGTPは昨年12月を底に、きれいに上昇している。PLTも10月に18.9を記録したところから、どんどん下がって7.8。やれやれ。γって、なかなか曲者ですな。吐血入院時が506で、4日後に410、さらに6日で375、一ヶ月経って343、さらに1ヵ月で242。おいおい、このままいったら、半年で100台までいくかな…と思ったら。231(よしよし)→267(あれれ)→267(おかしいな)→今回が295(……)。で、
なんでこんなに歩かせる…まだ、夫が生きていた頃。肺移植の為に大学病院に通院していたのですが…酸素ボンベを持っても公共交通機関に乗る体力は全く無く、少し動くと息切れでぶっ倒れそうになる夫を車で送って行きました。夫が通院していた大学病院は都内にあり(バレますね笑)、駐車場からはこれでもかという程歩く。車椅子に乗っても尚、受付までに息切れをするという…。送って行けない日には、夫がひとりで行くこともあったのですが(運転は許されていました)コーディネーターの方に駐車場まで無理を言
3月はじめに開始に提出していた傷病手当の書類。なかなか振り込まれないなあ、と思っていたのですが。今日封筒がきて、審査決定が遅れます、とのこと。まだ振り込まれないのかーてか、会社に3月はじめに出したのに、受付日5月9日。会社、提出してくれていなかったのか?それとも健康保険協会で止まってたのか?遅延の理由は医師の確認が必要になりました、だって。書類に不備があったのかなあ。振込までこんなにかかるって、シングルだったり、ダンナしか働いてなかったりしたら、生活破綻するよね。うちは私も働いて子どもも
昨日は会社は休み。肝硬変になる前は、昼から風呂に入り、酒を飲んでいた。酒をやめてから、やはり何か飲みたくてノンアルコールビールを飲んでいた。でも、今はノンアルコール飲料はやめている。美味しいと思わなくなった。最近、YouTubeで禁酒、断酒の動画をよく見る。たくさんの動画が登録されていることに驚いた。とてもタメになる。わかった事。やはり酒は薬物、毒物だ。アルコール依存症飲酒運転による死亡事故喧嘩、殺人痴漢さまざまな病気うつ、自殺など、など。これほどの問題があるの
間質性肺炎で肺移植をし、その後肝硬変で肝移植をした夫の闘病記です。移植病院医師からは、初めての症例と言われた程、稀な病気の経過を辿りました。苦しい闘病生活だけではなく出来なくても最期まで生きることと楽しもむことを目標としていた夫と同じ病気のかたの参考になればと思っています『いろいろからまる酸素のチューブ間質性肺炎』間質性肺炎で肺移植をし、その後肝硬変で肝移植をした夫の闘病記です。移植病院医師からは、初めての症例と言われた程、稀な病気の経過を辿りました。苦しい闘病生活
仕事をもらえる会社が2社になった。でも、前からもらっていた会社が旦那の変化に気付き、「まずは体を治さなきゃ」と仕事の数を大幅に減らしてきた。そりゃそうだ。。。旦那は10月からもらい始めた会社1本で本格的に動き始めた。朝5時に起きすぐ出かける。現場が遠方ばかりで帰りも遅い。いや、仕事終わってからすぐ家に帰る力が残っておらずコンビニやSAで少し寝てから帰ってくる。正直飲んでいたと思う。帰って来て玄関で横になりゼーゼー言いながらしばらく休憩してほとんど夕飯を食べず寝る。また朝起き
肝硬変の診察に行ってきました。頑張りましたので、数値が回復してました❣️プロトロンビン活性値は、2週間で67→94になりました!アンモニアも157→<14。次回の診察も、3週間後になりました。代償性肝硬変の自分の肝臓に、感謝です。さてさて、次の診察までも努力します。お酒は永遠のお友達。作っている方々の努力を思うと、ずっと楽しみたいです。そのために自分がやるべきことはわかってます。だって、肝硬変になって13年も生きてる。お酒のせいには、絶対したくありません。ちいさいおうち(岩波
なんと…家の体重計でこの10年くらいの最低体重が表示された👀壊れとるやろw連休合間に内科で測ってから昨日食べなかっただけで4キロ近く減るわけないし顔もゲッソリしてない。知人に土曜はまた、ピザ、カレー頼みました、ピザ🍕残して冷蔵庫…当たり前にいきなり食べるもんだからお腹こわした、毎度懲りない。鼻水もでるから、ベンザブロックにお腹の💊に、寝たいからデエビゴも。💊だらけ🥹モンスター飲んだから効かないかな。精神は安定してます、東京が久しぶり出かけ何回かLINEくれるからかな。よく知らな
妻です。本人が記事を書ける状態ではないため代わってご報告致します。少し長くなります3月18日の記事で胃静脈瘤の破裂があったことをご報告していますが、発見後に一度クリッピングで止血処置をしました。しかし2日後に大量のタール便…夜間だったこともありバルーンでの圧迫止血し、翌日カメラで状態を確認するとのこと。その頃本人から電話があり、不安でたまらない、声が聞きたかったと。バルーン挿入中の一部始終を通話中のまま、音声で聞いていました。本人はパニックで大声で叫んだりしていました。後に主治医か
『マドンナはまた、病気のために疲労し、歩くのに苦労していることを明かし、回復への闘いについてこう語ってもいた。「今年の夏に病気になって、ベッドからトイレまで文字通り歩けなくなった。1日おきに主治医に電話して、なぜ元気がないのか、『いつになったら自分らしさを取り戻せるの?いつまたツアーに出られるの?』と尋ねたわ」「主治医は『外で太陽の光を浴びなさい』としか言わなかった。『外でビタミンDを摂りなさい。そうすれば腎臓が働き続ける』ということだけだった」』マドンナ、感染症で臨死体験集中治療室で4
8日に3人で旦那の様子を見に行った。もう、会話できない。ずっと寝てる。子ども達は冷静。「もう仕方ないよ」旦那は聞こえてたのかな?大事で大事で仕方なかった息子。息子も父ちゃんが大好きだった。酒ばかり飲んで私達家族の話を聞かず飲み続けた旦那。娘に至ってはもう、本当に厳しい。母として娘の将来が心配になるほどの厳しい意見。ここには書けないほどの冷静さ。これから先の事が心配で不安でたまらなかった。死ぬのか、生きるのか、一生このままか。そして、9日。朝、職場に着く直前お義母さ
12月に入りいつ倒れてもおかしくない様子の旦那。毎日よろよろで帰って来る。トイレが間に合わない為、紙パンツを履いたり尿漏れ様のパット付きのパンツを履く。下着はいつも血液だらけだった。私は仕事から帰ってまずは旦那の下着を洗う。血液で汚れた床を拭く。玄関に脱ぎ散らかしてある旦那の作業着などを集める。そんな生活が続いた。12月22日。「しんどくて帰れない。今日はこのままコンビニで寝て行く」と連絡があった。この日が生前最後の仕事になる。23日。私は発熱の為子どものクラブをママ友
息子が骨折の手術が終わり退院したけど手首の尺骨、橈骨両方ポッキリ折っていた為痛みがひどく天井の柱から長い三角巾を引っ掛け腕をつっていた。そんなこんなで年末は旦那は自分の実家で過ごしてもらった。旦那には毎日励ましのLINEを入れる。お義母さんは何日か自分の息子と過ごすうち、やっと旦那の病状を把握。何度も電話で説明してたけど年末までは旦那も自分の親の前では頑張って普通を装っていたらしくなかなか信じてもらえなかった。「もう、入院しないとダメだね」「〇〇ちゃん(私)は〇〇くん(息子)を
旦那は出会った時からお酒好きでいつも飲んでました。休みの日は朝から飲み、常に缶酎ハイを手に持っての外出。それでも会社経営していた事もあり仕事はしっかりやっていました。そして、亡くなる2年前、海で自分の水上バイクが波で揺れ肋骨を骨折してからみるみるうちに肝硬変が進みました。お酒の飲み過ぎで血小板が少なくなっていた旦那はなかなか出血が止まらず体はむくみだしました。それでも元々体力はあったのでなんとか復活して働いていましたが海の事故から一年後、脚立から落ちて左足首負傷、脾臓亀裂。その怪我が
その日は試合で遠征に出ていた。骨折している息子はキャプテンの為、骨折していてもベンチに座る。卒団も控えていて今のチームの仲間との時間も後わずか。旦那は相変わらず痛み、出血はあるが昼までは酒を飲まずに(自分で作れないのでお義母さんが作ってくれない)我慢して寝てるらしい。毎日LINEをするが返事はない。「今日は〇〇に行くからね」一応旦那にもLINEしてあった。試合中、旦那からものすごく久しぶりに電話がかかって来た。後から掛け直す。「家に帰りたい。迎えに来い」「試合の帰りに迎えに来
病院に着くと旦那は救急処置室で点滴をしていた。腹水の検査など(何をしたか覚えてない)があるから色々な書類にサインをする。しばらく待合室で待ち先生に呼ばれる。「肝硬変末期です。肝不全も起こしています。このままだとかなり危険な状態です。入院が必要だけど本人が絶対入院しないと言っています。本人が入院の意思がなく暴れたりしたら(アルコール依存症なので)結局迎えに来てもらわなくてはいけないのですがどうされますか?」こんな内容だったと思う。。やっぱりな。末期か。。。入院したくないと言うの
肝硬変になった時、夫は最初「10年生きられない」と言われた。ただ、お酒をやめれば、生きながらえるかもしれないとも。10年生きても子どもは小学校を卒業してない。やはり気になるのは予後、余命。ネットで調べました。ここから先は、もしかしたら読むのに覚悟が必要な人もいるかもしれません。当初は余命10年足らず。そのまま良くならず。自分が医師から聞いたこと、ネットで調べたことなどから1年後くらいには夫の余命は2、3年なのではないかと思うようになりました。たぶん、子どもの卒園まで保たな
枇杷の種を食べて癌が消えた体験談お父さんは入院を断り、肝臓がんの治療を断りびわの種だけでがんが消えました。肝硬変による足のむくみ、腫れもなくなりました。がんを治すのは医師ではなかったのです。病院ではなかったのです。---------------http://topics-today.com/2726.htmlより「びわの種の粉末を飲みはじめて一週間後の診察で、肺にあった癌が小さくなってる」との診断結果があった、と知人から、以前に耳にしたことがあるんです。---
ご覧いただきありがとうございます~『気付き』のためのタロット~TAROTReaderの瑠璃です。”タロットは転ばぬ先の杖”『気付き』は新しい未来への第一歩!今のあなたに必要なメッセージをお届けします!“Cardimagesare©CopyrightU.S.GamesSystems,Inc.”勝利の予感。思うように進めずに諦めかけていた事がやっと動き出しそう。あとは前進あるのみ理想を叶えるために行動を起こしましょう。
旦那の具合はますます悪くなる。足は全然、浮腫が治らず整形外科で水を抜いてもらうけどまた溜まる。そしてついに大きな病院の外科に行く。私は仕事で連れて行けないのでお義母さんに頼んで連れて行ってもらった。背中も痛いと言っていたのでCT、血液検査。結果、脾臓が亀裂していた。脚立から落ちた時に背中も打った時の物。整形外科では足しか診てもらってなかった。「もう、時間がたってるから血は止まってるけどよくこの血小板の数値で止まったなー。足の浮腫も水じゃなくて血液だね。内出血が止まらないから
1月4日から私は仕事が始まった。娘の学童の迎えを19時までに行かなくては行けないので旦那の様子を見に義実家に5分ほど立ち寄った。旦那は黄疸とむくみ、腹水、足はパンパンに腫れていた。「ちゃんと薬飲んでる?お酒飲んじゃダメだよ」と言うと何やらか細い声で返事する。もう、しっかり会話する事もできない。12月22日までトラック乗って仕事に行っていたのにたった2週間でこんな風になっちゃうの?信じられない気持ちと仕事の為に相当無理していたんだなと思う気持ち。警察を呼ばれてもおかしくないくらいの