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2019年5月。夫婦ともに身体も心も疲弊してしまい休職状態でした。この時に今の菅首相が新しく令和の年号を発表し平成の時代が終わりました。この頃私の症状は微熱、浮腫、黄疸、倦怠感、筋痙攣、痒み、易疲労感等の肝硬変にみられる症状はほぼ全てあり、毎日体調が悪い日が続いていました。無理して動けば動けるものの疲労を溜まれば浮腫も酷くなり高熱が出ることもありました。そして脾臓をとったことにより免疫力も低下していて蜂窩織炎に何度も悩まされました。その様な姿を見せてしまう度、妻も酷く疲労して夫婦共に倒
私が自分の体の異変に気づいたきっかけが肌と目の黄色化、いわゆる黄疸でした。鏡で自分の顔を見たら、黒目と白目ではなく黒目と黄目なことにハッとしてよく見ると顔以外にも腕やお腹、足に至るまで何かのフィルターなのか、それとも自分の目にエフェクトがかかったのか、というほど全身が黄色くなっていました。そこで腹水や足のむくみにも気がついた訳で。もちろん、血液検査でもビリルビンの値は、ずば抜けて高く、客観的な見た目と数値共に立派な黄疸患者でした。1回目の入院を経て少し数値が下がったと思ったら、しば
先週はいつもより忙しく、せわしない日々でした。なぜかというと、義父の退院が急に決まったから。***近所で一人暮らしをしている義父が体調を崩して入院したのが7月半ば。肝硬変で、腹水が溜まっていました。一度は良くなってきたものの、9月初旬にまた悪化。一時は胸水も溜まって息が苦しくなり、酸素を入れなければならないほど予断を許さない状態でした。その頃、主治医から電話がかかってきて、「これ以上できる治療法はないので、今後は対症療法のみになる。もしもの時はどうするか(延命措置を取るか否か)考えて
救急車で搬送されて、即日内視鏡による緊急手術をし、翌日は主治医の先生によって、改めて出血箇所の特定と、きちんと止血ができているかの確認の為、再度内視鏡による検査を受けました。手術は無事終了し、体調が回復するまでしばらく入院する事になったのですが、救急車に乗る時に持ってきたものといえば、診療関係以外のものは現金ぐらいで入院に必要なものは一切持ってきていません。。。着替えやアメニティなどはレンタルを申し込み、下着や靴下類は病棟内のワゴン販売で購入する事ができたのですが、このワゴン販売が
K様、今月で二年目。ナニが二年目かといいますと《抗ガン剤治療》スタートして。「還暦」過ぎています。K様曰く「ガンとケンカするのではなく「天寿ガン」として付き合いたい」と。お友達が「抗ガン剤の副作用」に耐えられず治療が中断、そしてアッという間に旅立たれたのを見ているから漢方薬や薬局サプリメントで主治医の計画通りの「抗ガン剤」の種類と濃度を維持したい=副作用緩和したいと。そして二年が過ぎました。《天寿ガン!》不老不死を願っていた秦の始皇帝も最期を迎えました。これは自然の摂理。《
先日大学病院に全身検査の結果を家族(父・姉)同伴で聞きに行って来ました。全身検査の結果は問題なく、あとは家族の同意を経て院内の倫理委員会、移植ネットワークへの登録というながれになりました。父や姉は何かあった時にすぐ駆けつけられるよう関西の病院への転院が好ましいと担当医にごり押しで、そうなった場合またその病院の倫理委員会にかけるところからリスタートになることや3ヶ月毎の採血検査など引越しや病院手続きなどある為担当医はこのままこの大学病院ですすめてはどうか、ご家族で話し合
幸せ物質のセロトニンは、脳で作られるのはわずか0.2%ぐらい。残りは腸で作られる。つう話をしていたのは、確か、最近めっきりテレビにも出なくなった腸の名医だ。・・確か、藤田センセー。藤田紘一郎センセーか。センセーは正直に真実を話すので、スポンサーが嫌がってあのひとが出演するならスポンサーは降りると言われてNGになることが多かった。テレビ番組はスポンサーがいないことには制作出来ん。藤田センセーの場合は、消臭剤とかアルコール除菌メーカーや医薬品会社ね。センセーの話だと、食中毒や
1週間後の検査結果。主人がついてきてくれることになりました。心強いです結果は難病指定の原発性胆汁性胆管炎(げんぱつせいたんじゅうせいたんかんえん)??なんて難しい名前予想外の診断でしたなんか聞いたこともない病気にかかってしまったよこの病気は自己抗体の抗ミトコンドリア抗体が陽性になります。その抗体が肝臓の中にある胆管というところを攻撃してしまい、ひどくなると、胆汁うったい→肝炎→肝硬変と進む原因不明の難病、自己免疫疾患です。血液検査の結果何勝手に、私の身体のなかで特殊な抗体を作り出
肝硬変になった時、夫は最初「10年生きられない」と言われた。ただ、お酒をやめれば、生きながらえるかもしれないとも。10年生きても子どもは小学校を卒業してない。やはり気になるのは予後、余命。ネットで調べました。ここから先は、もしかしたら読むのに覚悟が必要な人もいるかもしれません。当初は余命10年足らず。そのまま良くならず。自分が医師から聞いたこと、ネットで調べたことなどから1年後くらいには夫の余命は2、3年なのではないかと思うようになりました。たぶん、子どもの卒園まで保たな
迎えた4月。旦那は相変わらず。顔つきも覇気がなく歩き方もなんだかしんどそう。やっぱり体の調子が悪いんだと実感させられる。子ども達もそれぞれ進級して、息子6年生。娘3年生。「運動会では選手リレーになれそうか?」とクラス替えした息子に聞いていた。6月にある小学生最後の運動会をとても楽しみにしていた旦那。「応援団長になれよ」息子への期待は大きかった。「頑張るけど、父ちゃんお酒やめてよ」息子が言うと、「急に0は無理だ。でも、少しずつ減らすように父ちゃんも頑張る」と、何度も息
今日は定期外来で腫瘍マーカーも項目に入れた血液検査だった訳なのに、血液検査結果をもらい忘れるという失態。各項目特別悪化はしてないけど、改善も見られず…。いや、逆に今まであまり変動なかったASTとALTが高めに推移してて、血色素、血小板はまた元通りに下がってたような気がする。腫瘍マーカーは基準値超えだったけど、特に問題があるほどの数値じゃなかったみたい。いかんせん検査結果をもらえる前提で結果を流し見してたので、詳しく分からなくて残念無念。。これに関しては明日朝イチで病院に電話して、出か
酒の量がどんどん増える。家にいる時は焼酎を飲む旦那。4リットルの焼酎が4日でなくなる。決算の際に旦那の財布、領収証関係の物を整理して税理士さんに渡す際に知ったけど、コンビニのレシートにはいつも酎ハイ500。昼はもちろん、仕事終わりの帰りの時間にも酎ハイのレシート。現場が遠ければ遠いほど本数は多い。一体どれだけの量を1日に飲んでいたのかは不明。家族で休みの日に外食に行っても店に着く前からすでに酔っ払ってるから店の中でもポヤポヤしてる。眠たいのか泥酔してるのか。もう、私は旦那と外に
7月の半ば。仕事で帰宅すると旦那が誰かと電話していた。「2週間くらい休むので、よろしくお願いします」?姿を見ると左足に包帯。「脚立から落ちて左足を捻挫した」「病院行ったけど折れてはいなかった。2週間くらいで治るらしい」との事。あーあ、また怪我した。それくらいにしか思わなかった。その時は。自分から病院に行くなんてよっぽど痛かったんだろうなとは思ったけど足が痛くて歩くのもやっと。這いつくばって動いていた。「もう寝るわ。2階まで登るのしんどいから下で寝る」とリビングのソフ
ストロング系の缶チューハイがヤバいらしい。アルコール度数が8%や9%の柑橘系で飲みやすい。安くて、早く酔えるので人気があるらしい。私はタマにしか飲まなかった。いつも飲んでいたのは、キンミヤ25度。グラスに氷入れて。割材と6対4で飲む。いいえ、6がキンミヤだ。氷を考慮しても、25%の半分で12.5%だ。これを休みの日は昼から風呂に入ったあと4杯。夕食後にも4杯以上(覚えていない、大体寝落ち)もちろん、夕食食べながら日本酒2合。ストロング系どころではない。やはりアルコール依存
最近は特に病状に変化はなく、利尿剤のおかげなのか、腹水をそこまで感じることはなく。ただ肝硬変による脾腫のせいで血液検査結果は血小板が3万台になったりヘモグロビンが7台目前、ビリルビンはやっと7を切るようになったけど白血球は毎回ほぼ2000弱になって倦怠感に加えて疲れやすさも増加。PT活性値も常に37%ぐらいで黄疸の痒みの引っ掻き傷から出る少量の血もなかなか止まらない。おかげでパジャマ血の跡だらけ。iPhoneとAppleWatchのヘルスケアで日々のバイタルを(サボ
肝硬変の診察に行ってきました。頑張りましたので、数値が回復してました❣️プロトロンビン活性値は、2週間で67→94になりました!アンモニアも157→<14。次回の診察も、3週間後になりました。代償性肝硬変の自分の肝臓に、感謝です。さてさて、次の診察までも努力します。お酒は永遠のお友達。作っている方々の努力を思うと、ずっと楽しみたいです。そのために自分がやるべきことはわかってます。だって、肝硬変になって13年も生きてる。お酒のせいには、絶対したくありません。ちいさいおうち(岩波
こないだ、たっぷり眠れて起きるとお天気が良かったので、思い立ってハロウィンのディズニーに行ってきました。そもそもなぜか、ディズニーを制するもの朝にあり!と言うマインドでいつも開園前に行って閉園まで楽しまないと、と思い込んでいたので今の体調では無理だと諦めていたけど、そもそもパークの雰囲気が好きで、そんなにアトラクション乗らないし昔ほどパークのフード食べられないので朝から行かなくてもいいんじゃない?と思ってのんびりお昼過ぎにシーにインパ。ほぼ2年ぶりのディズニーは、変わらず素敵で
月1の高血圧の薬を取りにクリニックに行ってきました今日は前に血液を取ったら肝臓の値も悪化していたのでそっち専門の医師に呼ばれました初対面のまだ若い女性医師お酒は今もビール1本くらいですか?あっ。いえっ。。。もっとです…過去の私別の医師に嘘をついていたようですほんとはその後焼酎とかワインとか飲んじゃってます…量を聞かれてなんならワインは1本平気で飲めます…缶酎ハイも3本くらいは…(500)そんなに?食べるものや量も聞かれて今後の目標を言われまし
まだまだ昼間は暑くて、在庫不足だった処方薬をもらいに散歩がてら調剤薬局へ。予想以上に体力消費したから、前みたいな低血糖起こすまいと帰宅してから水分と少し前(いつ?w)に買ったイチゴのショートケーキを食べて水分糖分補給完璧!と家の用事や荷物の受け取りをしていると、急に水分取りすぎたせいなのか、おなかが忙しくなってきた。。。摂ったはずの水分が、これでもかってくらい体内から出て気分も悪くなるし、今度は低血糖予防もしたし、なにがなんだかわからない。でもよく考えると、そういえばイチゴのショー
12月に予定通り脾摘手術と肝生検を行いました。手術前には同意書とか説明書に色々署名することになります。この説明では最悪術中に起こる最悪な場合をたくさん説明されます。死んでしまう可能性も伝えられます。色々と嫌な想像をさせることを聞くことになるのですが、しっかり話を聞けばどのような医療行為でも起こり得ることばかりなので結果全て安心しておまかせするのが一番かなと今では思いますが、初めて手術を受ける場合は手術を受けるのをやっぱりやめようかなとか不安になったり、怖いとは思ってしまうと思います。
今日は三か月に一度の病院での検査の日です。煉瓦作りの外壁が特徴的なK大付属病院です。末期肝硬変と診断されてからもう何年経ったのでしょう…「酒を止めれば少しは長く生きられますよ」と当時の先生に言われました。せめて猫より長く生きたいと思い禁酒を決断。(花が多い病院の中庭です。待ち時間をここで潰します。)一日でウイスキーのボトルを一本、開けるような日々だったので自分はアルコール依存症だと思ってました。飲みながら仕事の絵を描いてました…断酒は苦労するだろうと思ってましたが意外
点滴から流動食、個室から4人部屋と徐々に回復して退院に向けて流動食から五分粥へ変更して、経口で栄養がある程度とれるようになりましょうということになりひとまずよかった!と思っていました。しかし、このまま退院してもまた吐血しないか不安で、それを看護師さんに相談すると午後の回診で主治医の先生から、ちゃんと退院しても大丈夫だと判断できたから退院の日が決まるんですよと言ってもらえ、自分はもう大丈夫なんだと安心したのが良くなかったのか退院の目処がついたその日、急に体調が悪くなり食事がとれず栄養
株式会社を経営していた旦那。とりあえずアルコール依存症だったけど従業員の子もいて仕事は問題なくやっていた。親方で現場に出ていた旦那は自分が休んだら仕事が回らないと肋骨を折ってからもすぐ復活してしばらくは元気だった。でも、肋骨を折ってから8ヶ月。去年の3月に初めて「腹が痛いから病院に行こうかな」と言った。私は正直チャンスだと思った。自分から病院に行くって言うなんて!!と。アルコール依存症からくる肝臓だと絶対思った。片っ端からアルコール依存症を診てくれる精神科を探した。そし
いつもコメントやメッセージをいただきありがとうございます。必ずお返事させてもらっています。卵巣癌は、初期症状がほとんどなく、気付きにくい癌だと言われていて、わたしのお母さんも気づいた時にはステージ4に近い状態だった。腹膜播種があり、手術をできない状態だった。そんなお母さんでも、5年前に初期症状があった。お母さんが亡くなったあとお母さんの昔の携帯でメールを見返してたら、2018年に、「最近腰痛がひどい」と書いてるメールがあった。もともと肩こりがひどくて整体やマッサージに通ってた
退院に際して、最後に行った血液検査のデータが上がってきた。肝臓系と、CRP=炎症関連は、こんな感じだ。※注/左が救急外来の処置前の数値、右が退院前最後の数値●AST、ALT=血清トランスアミナーゼASTは異常値は脱したが、相変わらず高い。標準13~33だものね。AST>ALTは、急性肝炎、肝硬変、肝癌の場合の典型的数値で、AST/ALT比が2を超えるのは、アルコール性肝障害の特徴なのだとか。救急処置時は、これがなんと3.3、退院時でも1.87だから、血液は嘘をつかないというわけ
外来に行くと、やはり肝性脳症が進行していて、利尿剤の処方量減ってリーバクトがなくなりました。ゼリー状のリーバクトは苦手だったので嬉しいですが、逆を返せばもう肝性脳症に効くお薬がないということ。。唯一肝性脳症が(頭が)がすっきりするのはアルブミンらしく、今度肝性脳症の症状が出たらすぐに病院にいって注射することになりました。。アミノバレンもダメ、リーバクトもだめ。しかも利尿剤を飲んでるのに、(ラシックス)今朝トイレが壊れたw悲惨な事に直るのが16日。もう踏んだり蹴ったり
進行がマイペースの肝硬変となって果たしてこんなペースでいて、脳死肝移植は受けられるのはいつになるのか。生体肝移植を受ける人は計画的に入院、手術をして回復して。それはとても良いことで、本当にそう思うのは嘘じゃない。ただ心がどこか自分自身に対してモヤモヤしてしまう。生体肝移植をした人だけでなく人生のステップを上がった人など自分はただ立ち止まっているだけの様な気分になる事が増えた。もうこのままでいいや、そんな気持ちにもなる。脳死肝移植をうけられる保証や、ここまで頑張れば
大学病院での受診に通いつつ、前から気になっていた奥歯の虫歯が痛くなってきたので、歯医者さんに行くと、奥に生えている親知らずがその虫歯に向かって生えていてその接している箇所が虫歯になっていました。診察したその日に歯医者さんから、親知らず抜いて治療しましょうと言われたので、今血液内科にかかっている事を話して、一旦大学病院の先生に相談する事に。すると、血液内科、臓器移植外科共にそれぞれの理由で抜歯NG…。免疫力が低く細菌感染のリスクが高いのと、出血した際制御できない可能性がある為、どう
足の浮腫は少し引き、仕事に戻った旦那。でも、明らかに体調が悪い。現場に出ても今までみたいに動けずいつもなら1日で終わる現場も3日くらいかかってしまう。元請けも仕事が前みたいに入れれず1日働いては2日空いてと1週間で3日しか仕事がないような状態。「他の元請けを探す」「このままじゃ会社を続けられない」旦那は仕事に対しては本当に焦りを感じていた。精神的にも辛かったと思う。「大丈夫だよ!父ちゃんがお酒やめて前みたいに働けるようになったら絶対仕事戻るから」励ました。でも、休んでいる日は
2024年3月22日昨年2023年12月、夫が亡くなりました。夫は不安障害、うつ病、アルコール依存症、肝硬変という病気を抱えていました。直接的な死因は肝硬変からの肝不全ですが、お酒をスッパリやめられていたら、もう少し長く生きられたはずです。肝硬変がわかってから3年半の闘病生活。入退院の繰り返し、経済的な不安。もしもの時どうすればいいの?保育園に通う子どものこと。苛立ち、たくさんの不安を抱えながら生活してきました。そしてそれは今も続いています。夫の病気のこと、生活、振り返り