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ブログを書き終えて、妻の様子を眺めていると、目を覚ました。身体を起こしたいという。身体を起こして、窓のほうを見る。外には、川や堤防の桜が見えている。窓を開けて、少しでも景色をきれいにする。川向うには結婚式場が見える。この結婚式場は、私達が式を上げた場所だった。七年くらい前のことだ。こんな風に式場を見るなんて、思ってなかった。愛ちゃんに、立って外を見てみるか尋ねた。強く頷いた。立ち上がることは、最近殆どなかったから愛ちゃんは、外の景色をきちんと見ることがなかった。点滴の位
夜今日も妻の具合は悪い息が苦しい息ができないと言って、何度も苦しむ酸素マスクでゆっくり呼吸をさせる。話も噛み合わないことが多いたまに、愛ちゃんじゃなくて、神様と話している気持ちになる。そういう時は、ただただお祈りする。元気な愛ちゃんを返してください。なんでもしますから。お願いします。気づけば4時間、愛ちゃんのお腹をさすりながら、お祈りしていた。妻は、つらい苦しいこんなに辛いなら生きなきゃよかったありがとうさようならと言いながら、何度も苦しんでいた。その度に
覚悟を決めて過した夜愛ちゃんは、よく眠り、起きるとひたすら水分を飲んでいた。ストローでは飲めなくて、スポンジに含ませて与えた。歯を食いしばってしまい、スポンジを離そうとしなかった。水分をとるうち、ドンドン飲み方が荒くなっていく。喉がとにかく渇くようだ。一生懸命水分をとっていた。そのうち夜が明けた。とりあえず朝を迎えられた。愛ちゃんは、思ったより調子が良さそうで、味噌汁を食べて、アイスを食べていた。元気そうな愛ちゃんを見て、ありがとうと言った。愛ちゃんも返してくれる。ありが
昼過ぎうちの両親が見舞いに来た。妻を気遣い、優しい言葉をかけてくれた。妻は、お義父さん、お義母さん大好きだよと泣きながら言った。きっと、色んな思いで出た言葉なんだろう。私の両親は、涙をこらえていた。お義母さん、手をと言って、母の手を取る。りょうくん、クリームを持ってきて妻に、ハンドクリームを手渡す。妻は、ハンドクリームを受け取ると、黙って母の手に塗り始めた。手は震えていた。おぼつかない手つきだが、優しかった。ずっと母の手をマッサージしていた。父の手も同じようにマ
私のブログに訪問してくださり、ありがとうございます私が死を初めて身近に感じたのは阪神淡路大震災の時家の下敷きになってた母を何とか救助して地域の小さな診療所に連れて行き、ひと段着いた時に待合室では亡くなった方が長椅子に沢山寝かせられてたのに気付いたその時に心の中ではプチパニックを起こしてるのか、色んな事が麻痺しちゃったのか「何で私は生きてるんだろう」と生きてる自分の方がおかしく感じた時2回目は乳がんステージ4で手術不可能と言われた時乳がんと初めて分かった小さな病院ではふわふわした
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
昨日の夜妻からメッセージ手が痛いパンパンに腫れ上がっていた手の画像と一緒に連絡がくる。飛び起きて、そっちに行こうかと確認痛いけど、よく眠れてるから大丈夫と言われ、それでも心配で寝たり起きたり朝5時になって、すぐに湿布などを持って病院に手指の深爪からバイキンが入って、蜂窩織炎というものになっていた。朝、先生が来て、抗生物質や痛み止めを処方してくれることになった。妻は、ハキハキしゃべって食欲もあった。しかし、手はパンパンだった。途中、痛くて痛くて、泣いていた。ナースコール
余命宣告を受けて1週間。父から私と母の意見が知りたいと言われ【緩和ケア】か【抗がん剤】をするか。抗がん剤をしたとしてもその治療に耐える力がなく命を落とす可能性もあるとのこと。(医師いわく)抗がん剤治療がうまくいけば余命は2、3ヶ月伸びる可能性もあり。母の意見はお父さんの意思を尊重する私は今までお父さんに前向きになってほしいという気持ちからごまかし、ごまかしでお父さんが前向きになるような事を伝えてきたけど今回はもうそのごまかしも効かないだろうなと思ったから私は
金曜日から具合が超悪い腹水のせいかドキシルの副作用のせいなのかめまいがする食べれないでもお腹はすくお腹がすいて気持ち悪くなる食べても気持ち悪くなるお腹が苦しい痛い吐くなぜか左足も痛い大変だニャンコの世話をするのがやっとだどうしようつらいから寝る横になってるときが一番ラク先週はこんな感じだったけど今週は横にも伸びてきたような気がするどこまで大きくなるのやら腹水抜いてもすぐにたまるなら抜かないと決めてたけどこれはちょっともう抜かないとだめかも抜く
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
朝起きたら、愛ちゃんが胸が痛いという。痛くて、髪をかきむしる。足を暴れさせる。痛み止めをもらっているうちに意識がなくなり、看護師さんが危篤と判断妻の両親と子どもたちを呼び出す。脈拍、呼吸正常だが、意識なし。みんなでずっと呼びかける。主治医が来て、あと30分から1時間保たない。もし、心停止したら、その段階で死亡確認をすると言われる。1時間後意識ないが、脈拍、呼吸正常主治医にまた呼ばれる。どれだけ生きるかわからないが、とりあえずいつ亡くなってもおかしくない。全身状態が悪いので
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。
チャラララッチャラ🎺チャラララッチャラ🎺チャラララッチャラチャッ♪フーッこんばんは〜唐突ですが…「NGK」ってわかります❓じつは、先日の日曜日にワタクシ50歳にして、はじめての「よしもと新喜劇」を生体験してきました私の子ども時代、別に放送が始まるのを待っていたワケじゃないのに日曜のお昼についてるテレビって普通にこれが当たり前だったようなどうぞお入りください🚪ありがとう👵ズコーッみたいな(わかる?)はい、正解はコレですね!なんば(N)グラン
こんばんは、はーちゃんです。たくさんのお悔やみの言葉ありがとうございました。夫にも届いてると思います。葬儀までしっかり終えてこーちゃんを丁寧に見送ってきました。友引を避けての葬儀だったので、こーちゃんは2日ほど自宅でのんびり過ごしました。自宅にいるうちに、たくさんのねぎらいの言葉をかけたり感謝の気持を伝えたり愛情を伝えたり私自身の将来の不安をぶつけたりたくさんの虚しさを話したりしながらたくさん触って過ごしました。顔が変わらないように部屋を冷やしたり定期的に顔にワセリ
りょうくんだ。なんでここにいるの?お仕事は?私悪い子なのりょうくんは不幸せ私お金かかるしりょうくん綺麗なおウチ建てられない。私のせいで綺麗なおウチ好きでしょ?私も好きゆいちゃんと一緒にいたいの。どうすればいい?まさしとゆいちゃんと、ずっと一緒にいるにはどうすればいい?ねえ教えて?生きたいの一緒にいたいのみんなが好きお義父さんお義母さん父ちゃん母ちゃんみんなで旅行に行きたい温泉家族風呂がいい夕方、お義父さんから電話があった。来てくれ愛ちゃんが奥で叫んで
今日の昼頃、妻のお母さんが病院に行った。先週から、妻のお母さんは、愛ちゃんのことが諦められないから、先生に治す方法がないか聞いてみたいと言っていた。そして、先生と日程調整して、今日の昼頃にその場を設けてもらった。昼過ぎになって、お母さんから、終わりましたと連絡が入る。電話をして、結果を尋ねた。お母さんは、何度もため息をつき、うんとね、うんとね、と、口に出したくないことをまとめようとしていた。結論は、いい治療はなかった。先生には、今の妻の体力では、そもそも治療に耐えられないと言われ
夜が平和に過ぎた。妻は、お見舞いにいただいたミネストローネのカップスープを飲んで、美味しいと笑っていた。吐き戻しのひどかった頃は、胃酸が逆流しすぎて胸焼けみたいになっていた。1回目の危篤は、その痛みが酷くて意識がなくなった。それ以来、酸っぱいものやあったかいものは嫌煙していたが、ここで克服できた気がした。カップスープには、アマニ油を足して、カロリーとDHAをプラス食べられるものの幅が広がり、何より美味しいと思えるのがうれしかった。そのまま夜はよく寝て、、お義父さんと交代実家に帰る
夜、妻は良く寝てくれた。途中尿のことを看護師に相談し、カテーテルのチェックをしてもらったところ、一時的につまっていたらしい。一気に流れ出してくれた。ただ、一部に血が混じっていて、今後も注意が必要だと感じた。その後は、寝て起きて水飲んでを繰り返していた。普段よりよく寝て、朝を迎えた。筆談は終わって、話せるようだった。体にしびれがあるらしい。昨日のリハビリのせいと医師に言われた。この土日は、ゆっくり休もう。交代して、長男の入園式の準備長男におめかしの服を着せて、私はスーツを着て
子どもたちを迎えに行き、洗濯、風呂をこなす。長女が昼寝をしていないせいで、たまにぐずるが、上手くなだめながら家事をこなす。夕食を食べながら、妻が不在で子どもたちと過ごすのが初めてだと気づく。妻が体調を崩してから、子どもたちの世話をすべてやっていたので、全く気にならなかったが、それでも寂しさがこみ上げてくる。何となく、妻の名前を呼ぶ。愛ちゃん。私の心の中で、妻が、なーに?と応える。私の中に妻がいるのを確認し、安心する。本当は、本物に返事をしてほしいのだけど。もう一度妻を呼ぶ。
長女の面会後、お父さんに引き継いで一旦帰宅お母さんが子どもたちを見てくれていた。お母さんに状況を伝える。さらに、最悪の場合を覚悟しようと話す。そして、ここから先に余計なことを考えないで済むように、もし万が一の話をした。もし、愛ちゃんが亡くなったら、家族葬にしたい。私が入る墓に入れたい。そう言った途端、ボロボロ泣いた。あんまり泣くので、長男が抱きしめてくれた。お母さんも抱きしめてくれた。その時、絶対に言わないつもりだった言葉が出てきた。すいません。幸せにするって約束したのに
今日の早朝妻が鬱かもしれないとコメントをいただいた。鬱と考えたことがなかった。妻はいつも健康的で、鬱とは無縁の人だった。でも、ガンと戦って疲れてしまい、鬱になっているのかもしれない。そうかんがえると、妻の言動や態度を許せた。いっぱい戦っているのだ。疲れて鬱になってもおかしくない。むしろ、妻の心のケアをしたいと思った。妻の心を少しでも穏やかにしてあげたい。そう思えた。午前5時妻を起こして、お灸をしてあげる。その間、妻を優しく撫でる。妻の話を聞く。痛いと、他のことが何も
入院2日目妻は、いよいよ抗がん剤治療に入った。前回とてもキツかったそうなので、わたしも妻も緊張した。私は、妻のことを心配しながら、給与明細を確認する。今後、私は育児をしながら働かなければいけない。パートをしていた妻の収入はゼロだ。当然収入は著しく下がる。妻の治療費、家賃、子どもたちの保育費等等妻は、保険は殆ど入っていなかった。当然がん保険なんてなかった。だから治療費の補填は、あまり期待できなかった。入っていた保険も、入院費を多少出してくれるものだった。そこで先日、様々な積
1週間前の話になります。4月7日(日)親友親子とお花見に行きました毎年夫とお花見に来ていた場所行きたいな…でも色々な思いが駆け巡るだろうな…考えた結果、親友となら行けそう!と思い誘ったら、わざわざ電車を使って来てくれました付き合ってくれてありがとう菜の花と桜のコラボが大好きで幸せな気持ちになりました夫くんもきっと見てくれたよね今でもやっぱり思うよ。夫くんが1番いいし、幸せだった日々に戻りたいって。温もりを感じたいし、夫くんが1番側にいてほしいって。そう思うのはいい
長女と長男の熱が下がり、2人を保育園へ連れて行く。家に帰ると、妻が起きていた。昨日の夜は調子が悪かったそうだが、今日の朝は調子が良いらしい。妻と話す。頑張って、一緒に生きていこう。目を見て、手を握り、そう言い聞かせる。妻を助手席に乗せて、がんセンターへ助手席は、普段長女が座っているが、今日は手を繋いでいたくて、隣に座ってもらった。手を繋ぐ。少し骨ばっているが温かかった。がんセンターに着くと、受付を済ませて中へ東5階が妻の病棟だ。着いてすぐに手続きをして、一旦病室に入る。そ
こんばんは、はーちゃんです。病気を見つけてから、再び4月を迎えることができました。本来だったら一緒に桜を見に行きたかったのですが流石にそれはできない状態です。少しでも季節を感じられるように夫にいろいろな春をお伝えしたいなと思います。退院後すぐからせん妄が既にでており、「喉の乾き」と「座りたい、立ちたい」の欲が止まりません。やり切るまでずっと主張します。また、昼夜も完全に逆転しており深夜に特に激しくなるので私とお義母さんが交互に見守り要望を叶えていきます。頭痛も治まっ
夕方まで妻に付き添う。リハビリで車椅子にも乗れた。移動して、談話室でピアノを弾いて帰った。楽しそうな妻を見て、少し幸せになった。お義父さんが交代にきて、妻を任せて帰宅長男を迎えに行き、子どもたちと一緒に過ごす。母が夕食を作ってくれていた。この日は全くご飯を食べてなかった。食べたいとも思わなかった。最近、鏡で自分の姿を見ると、痩せたと感じる。夕食は本当に美味しかった。おふくろの味だからなのかもしれない。子どもたちも美味しいと言って食べていた。どんなに食欲がなくても、食べ始
いつもご来訪くださりありがとうございます2021年の4月に肺がんステージ4の診断確定となりました日々の体調や日常生活のことなど幅広く書いてみたいと思います拙いブログではございますがどうぞよろしくお願いいたしますランキング参加中心苦しいですがポチっとお願いいたしますm(__)mちょい魔王の手下の妻です。いろいろな手続きが終わってきて気が抜けたのか、風邪をひいて寝込んでしまいました。彼が病気になってからは風邪をひくこともあまりなかったのですが…前回の続きです。救急隊
昨日親知らずを抜いたら、夜中痛くて目が覚めた。その時に、「あ、今お母さんの夢みてたわ」と気づいた。夢の中でのお母さんは余命短いはずなのにわりと元気で家にいるなぜかお母さんがいなくなったあとの話をしてるっていう矛盾した設定。お母さんに、余命短いって分かってるの辛いよね。と話しかけてた。お母さんは、辛いよ。あと少ししか生きれないなんてほんとはすごく辛い。て言ってた。お母さんと泣きながら話してて、このことブログに書こう。と夢の中で思ってたわたし。設定めちゃくちゃだな。
夜中から朝妻は、仰向けで眠れていた。いつも、気持ちが悪いと言って、横になれなかった。今日は、ゆったり仰向けになって寝ていた。妻が物音を立てる度に起きたが、杞憂だった。朝聞いたら、熟睡できたとのことだった。朝は、アイスを食べて水を飲んでいた。体調に異変はなく、ストレッチをする。朝一番に主治医が尋ねてきた。びっくりするくらいの笑顔すごいですね。と笑う。昨日は、死亡確認の話をしていたから、本当にすごいのだろう。先生と今後の相談をする。体調が安定したので、再び緩和ケア病棟へ移る
夕方、病院を訪ねた。先生から、妻の容体を聞く。一番最近の検査では、ガンの進行は一進一退であるが、縮小している部分も確認できており、奏功している状態しかし、妻は現在胃がんの痛みと腸閉塞による痛みが強く、また、腹水の溜まりも早く、苦しい。現在は、麻薬系の麻酔を使って緩和しているが、それでもベッドから出られない事がある。妻は、昨日の夜、痛みが酷かったので、抗がん剤治療を一旦休みたいと希望したそうだ。なので、一旦抗がん剤治療はやめて、現在の痛みなどを軽減する緩和ケアを重点的に行う。とのこと