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おはようございます。ガン末期になりますと本当に食事が喉を通らない。どうやっても飲みこめない。飲みこめば吐き気、腹痛に後で襲われます。苦しく痛い。刷り込まれ余計に食べられなくなる。どんなに美味しい奥様の手料理でも味わう前の飲みこめない状態ですので、食べられないがん患者さんを責めたり、自分を責めたりはしないでくださいね。それでも不思議なもので週に一食か2週間に一食、食べられる事があります。私も一昨日、栄養士さんが売店にまで追いかけてきてくれて、偶然目に入ったレトルトカレーが食べたいと言いました
妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿に耐えられず、弱る責任を私やその周りと思い込み、20日でもう一家まとめて撤退すると宣言したらしい。私のところには、一言も連絡がなかったが別に恨まないし、仕方ないと思う。長い闘病生活
コメントを下さる皆さんへコメントありがとうございます。今の体調は全てのコメントに目を通せる良い状態です。本当に嬉しく、感謝しながら読ませていただいています。コメントのお返事が書けないことを心苦しく思っておりますが、お理解くださいませ。申し訳ありません。がんになりもっと早めに意識すれば良かった事といえば食事です。がんを意識するのは早すぎると思えるくらいのタイミングで色々なものを食べておいたほうが良い。食べ放題も行けるうちに行っていたほうが良いと思っています(笑)私は今はとにかく食
前回の告知からPET-CT検査まで3週間待ち長いよねこれでも最短らしいその間だんなさんは普通に会社に行ってました週末は子供の部活動の試合の応援車の中での待機時間が長いPET-CT検査は車で1時間ほどかかる病院私の運転で連れて行きました数日後、検査結果を聞きにーPET-CT検査結果は食道胃接合部の腫瘍リンパ節&骨の転移CT検査結果とほぼ同じですこれからの治療方法について先生よりお話抗がん剤治療で延命というのもあるが結局抗がん剤が効かな
片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃんが答える。頭をなでる。綺麗な髪いいんだよ。ありがとう。と妻に問いかけるが、返事はない。ぼんやりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。眠れない
皆さん、おはようございます。3月末の入院以来、やっと正気を取り戻した感じです(笑)だいぶ弱っていましたので、皆さんにご心配をおかけしましたが、優しく暖かい多くの、コメントに励まされ、体調や精神状態も落ち着いてきました。コメントを読みますと、嬉しくて本当に涙が溢れます。ありがとうございます。転院後の体調悪化に一番影響したのは、痛み止めの変更だと思っています。経口投与のナルサス10㎎から、注射剤ナルベインへの変更、皮下注射の痛み止めのようで、内容はほぼ一緒。投与量の調整に日数が掛り、苦しんでい
朝おばさんと一緒に病院へおばさんがマッサージして、喜ぶ愛ちゃん早々に帰るおばさんゆったり、アニメを見て過ごす。りょうくん手を掴む愛ちゃんりょうくんあいしてるゆっくり話す。何か変な気がして、妻の体調を確認する。いきがくるしいゆいちゃんとまさしをつれてきて母に電話して、子どもたちを呼ぶ落ち着かない愛ちゃん少し休んでと言っても、目を閉じようとしない。ねむるのがこわい子どもたちが到着ママと言って、愛ちゃんに寄り添う。長女はたくさん話す。この前書いたアンパンマンの
今日は仕事終わりに妻の病院へ面会に行った。ナースステーションには、たまたま主治医の先生がいた。少し話をいいですか。先生と面談室へ先生が妻の腹水について説明する。昨日撮ったレントゲンには、小腸にガスが溜まっている様子が写っている。さらに、お腹の中がぼんやりとしている。これは全て腹水で、だいたい2リットルくらいある。これを明日抜いて、ガン細胞を取り除き、点滴で体内に戻す。また、腸閉塞を起こしているので、静脈栄養法のための手術を早めたい。今麻酔科にできるだけ早く出来るようにかけあって
おはようございます。生活リズムの乱れというと、闘病生活には天敵のように感じていましたが、今となり感じているのは、乱れがあるだけ体力がある?と感じています。がん終末期では、寝ている状態がほとんどで、そもそもリズムも何もなく、起きているだけで体調が良い。体力も何とかある方だと感じました。数か月前に「ブログを書けているうちは平気」と励まされたことを思い出しますが事実こうして書くことも休みやすみ、1日2度に分けて1日分を書く事が日常となっています。体力の低下は一度起こると、回復したり持ち直すことは
私のブログに訪問してくださり、ありがとうございます今週は通院日でした行きの車の中では吐き気がいきなりっ!車のダッシュボードを漁りナイロン袋ゲットして待機したけど、何とか吐かずに病院へ到着ここ10日ほど朝は吐き気がするのよね放射線治療の副作用かしら病院に着いてからすぐに採血そして主治医の診察で血液検査の結果が最近では1番良いとの事「CA15-3は少しあがってるけど放射線治療の影響かもしれないし、放射線を当てるまでの上がり方より緩やかになってるので心配ないでしょう」「放射線当
■2024/4/22(月)大学病院の病棟ビルの中に『緩和ケア病棟』が有り、夫は別の病棟から、昨日そちらに転棟しました。■『お試し退院』を医師が計画中です。この方法ですと、本当の『退院』より早く、自宅に帰れるそうです。■私は4/12(金)に夫が入院以来、夫の病室に仮設ベッドで泊まり込んでいましたが、今日4/23(火)帰宅しました。■夫の仕事の件で、社長と営業部長が4/20(土)に病院に面会に来てくださいました。緩和ケア病棟に転棟緩和ケア病棟の医師と、本人のいない所で面談が有りました。
こんにちは、はーちゃんです。こーちゃんがいなくなってからもう、10日も経つんですね。早いような遅いようなよくわからない感覚です。今日をもって、色々な介護設備が我家から全て無くなりました。在宅で看取ると一緒に頑張ってきた設備が無くなる後から来る寂しさもあるんですね。忘れてたので、予定外に少し辛かったです。医療関連(点滴や薬・たん吸引機)→4月13日に回収されました。酸素発生器→4月18日に回収されました。在宅介護設備(介護ベッド・車椅子・トイレの手すり・お風呂の椅子)
朝起きて、子どもたちと一緒に出勤職場に行き、上司に相談して、介護休暇の申請を行った。来週から1か月完全休暇上司には、素直に妻の側にいたいと言った。思い出作りのためではなく、一緒に生きるために。妻を助けるために。残務処理等を行う。妻から、ちゃんとサプリを飲んでいると連絡があった。まだ、妻は諦めていない。職場の先輩から、たくさんの応援をもらう。気にすんな。家族のことだけ考えろ。何でも引き継げ。頑張って。大丈夫。何でも手伝います。上司からも、何も気にするなと言ってい
夕方病院に行く。昼間に買っておいた冷製スープがお気に入りのようで、よく飲んでくれた。食事の後、今まで貯めていた妻と私のスマホ写真をパソコンで見ていた。若い頃の私達が写っていた。大学生の頃の写真デートの写真ディズニーの写真美味しいご飯を食べた時の写真新婚旅行の写真どの写真を見ても、自分の妻の可愛さに驚いていた。見れば見るほど、楽しい思い出が蘇る。この写真に写っている私は、世界一幸せだったと本気で思える。そんな写真ばかりだった。妻のスマホには、私の写真がたくさんあった。気
おはようございます。相変わらず息苦しさと胃酸逆流に悩まされております💦ちなみに、酸素飽和度は安静時、94-95でトイレなど少しでも歩くと86-87とかになってます💦酸素ボンベつけるレベルですがつけてない😅という苦しさの中、オンコサーミア(温熱療法)をやっているクリニックに話を聞きに行ってきました!1人で行ったのですが、近隣の駐車場が地下のしか空いてなく、しかもB3に停めて、B1までは階段しかないという地獄😱途中で倒れるかと思いました😅やっとのことでクリニックに到着し、担当医師
私の親からの提案土曜の夜から、実家で子どもたちを預かる。ただ、うちの親の仕事があるので、預かったら、もう平日病院へ行くことはできない。延期はほぼ不可能始まれば、そのままそして、これは実家への移住も前提だった。つまり、明後日で子どもたちと離れ離れそれどころか、もとの保育園に帰る道も、ささやかな3人ぐらしも…?家族四人で集まれるのは?妻の気持ちは?私のささやかな生活を送りたいという気持ちは?親はすぐに決めろというできるわけない電話を切って、寝ている妻をのそばで苦しむ。苦し
長女と私で妻の面会妻の点滴交換などで暫く談話室で待つ長女がいうママ死んじゃだめだよねそうだね。ママ死んだら、、許すずっとずっとずっと許す!許さないじゃないの?だって、ママ好きだもん。ずっとずっと好きだから。声が、でなかった。なんで、こんなにいい子なのだろう。ママとたくさんお話しようね。病室へ妻はうっすら意識があった。長女が枕元に立つ。妻に、なかなか話しかけない。ママに、お話して。長女は、ママ、絶対に元気になってね好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。世界で一
こんばんは、はーちゃんです。2024年4月13日午前9:15こーちゃんは安らかに永眠いたしました。私の大好きで強くて頑張り屋で心が広く優しくて尊敬できる大切な人です。1年間本当に病気に心は負けずに戦い続けられました。お疲れ様です。尊敬します。私が1人にならないように頑張ってくれてありがとうございます。いつも手を繋いでこーちゃんとは寝ていました。朝方4時頃、ふと目を覚ますとこーちゃんの手足だけ冷たくなっていました。慌てて体を触ると前夜同様熱があり、呼吸もしてたの
4/116時主治医と面談です主治医に聞きたいことをメモしておかんの入院に必要な物資をまとめて病院へ現地で姉と合流予定。病院について病棟のエレベーターホールへ行くとおかんが荷物を持って歩いてました(笑)わいあれ?ねーさんは?母え?来てねーけど。これもういらないから持って帰ってくれや。緊急入院だったため当日着てた服とか必要無い荷物を渡され今日持ってきた荷物と交換。母面談前にここで喋ってると怒られっから病室もどってるわわい荷物に飲み物とか入ってるから重いよ!母大丈
今日の夜の愛ちゃんは、とにかく飲み物を飲んでいた。お茶を飲んで、オーエスワンを飲んで少しむせるが、昨日よりは飲み込む力が戻っている。ただ焦るように飲むので、心配だった。落ち着かせながら、飲ませていると、死が、こわいとつぶやく。そして、また一生懸命水分をとる。今度は、ベッドに座って、身体を動かす。足を揺すったり、立とうとしたり。その時は、家に帰るとつぶやいた。抱きしめて、大丈夫だよ。と声を掛ける。絶対に治して、一緒に帰ろと話す。妻は、頷いて、そして休んだ。夜の間、妻
夜今日も妻の具合は悪い息が苦しい息ができないと言って、何度も苦しむ酸素マスクでゆっくり呼吸をさせる。話も噛み合わないことが多いたまに、愛ちゃんじゃなくて、神様と話している気持ちになる。そういう時は、ただただお祈りする。元気な愛ちゃんを返してください。なんでもしますから。お願いします。気づけば4時間、愛ちゃんのお腹をさすりながら、お祈りしていた。妻は、つらい苦しいこんなに辛いなら生きなきゃよかったありがとうさようならと言いながら、何度も苦しんでいた。その度に
家族に迷惑をかけている皆さんにも申し訳ない訪問診療に行った時患者さんは泣いてそう言いましたそして入院させてくださいと入院できるところを探しながらがんの痛みをコントロールし数日後かなり身体がらくになり生活の質はぐっとあがっていました今は家に居たいならいましょう!と在宅チームが言うとありがとうございます皆さんのおかげです妻と居られるから家に居たいですそう男泣きされますみんな涙居たいだけお家にいましょうね必ず支えます
昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
旦那の病室で私、長男、主治医(2人)、看護師6人で話しをした話は治療と言うより今後今の癌病棟かホスピスか自宅かどうするかと、言う話だった自宅は今の状態だと危険だと判断旦那はホスピスを希望した私は今の癌病棟を希望した旦那は、今の主治医、緩和のドクターに絶大な信頼を置いているホスピスに移れば担当医が変わる今これほどの不安な時期にそれは旦那にとって本望ではないはず「ここにいてもいいんだよここでも、私ずっと一緒に居られるから夜もずっと一緒だよ」私がそう言
子どもたちを迎えに行き、洗濯、風呂をこなす。長女が昼寝をしていないせいで、たまにぐずるが、上手くなだめながら家事をこなす。夕食を食べながら、妻が不在で子どもたちと過ごすのが初めてだと気づく。妻が体調を崩してから、子どもたちの世話をすべてやっていたので、全く気にならなかったが、それでも寂しさがこみ上げてくる。何となく、妻の名前を呼ぶ。愛ちゃん。私の心の中で、妻が、なーに?と応える。私の中に妻がいるのを確認し、安心する。本当は、本物に返事をしてほしいのだけど。もう一度妻を呼ぶ。
昼過ぎに子どもたちや弟夫婦、ジイジとバアバでおやつを食べた。おやつを食べながら、妻の病気の話をする。弟の妻は、先日父親をがんで亡くしていて、その闘病の辛さを近くで見てきた。その奥さまから、色んな話を聞く。話を聞いて、まずべんきになったのは、体力勝負だということ。やっぱり闘病がながければ長いほど、体力が大切らしい。妻に筋トレするように言ったが、大丈夫だろうか。「スロースクワット8セットやったよ」妻からのメッセージに笑ってしまう。弟の奥さまも、それなら大丈夫と言ってくれた。そう。
今日は妻の親が遊びに来た。妻は吐き気止めの副作用で寝ていて、その様子を見て心配していた。これまでの経緯や医者からの話を説明する。ご両親は何でも協力すると言ってくれた。妻が起きてきて、両親から励まされる。少し照れながらも受け応える。妻の母はとても元気な人で、妻を治すと、他に選択肢はないと強く言っていた。とても心強かった。妻の母には、次の投薬の際に1週間ほど泊まって家事の手伝いを頼んだ。これで、子どもたちの負担を減らせればいいと思った。妻を寝かせて、ご両親と長女長男のいる保育園、
日本ケアラー連盟代表理事の児玉真美さんの本を読了いたしました。安楽死が合法の国で起こっていること(ちくま新書1759)[児玉真美]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}児玉真美・・京都大学文学部卒。重度障害者のお嬢様がおられ、日本ケアラー連盟代表理事、著述家。私はかねがね「日本における高齢者の苦しみの多い終末期医療」に関して疑問を持っており、欧米の高齢者医療の終末期は延命治療をやめて緩和ケアに入るのに対し、何故日本では死の間際の高齢者に、高額な延命治療費
子どもたちを送って職場へ妻は、カートで腹水を抜くので午前中の面会は控えた。お父さんも気晴らしに温泉に行った。職場で皆さんに挨拶みんな背中を押してくれた。職場を午前であがると、先生から電話患者さんの体調が日に日に悪くなっている。緩和ケアに移る日どりはまだ決まっていない。そこで、外科病棟にいても子どもたちと会えるように取り計らう。ただ、条件があって、患者さんが危篤状態になっても、長時間の心臓マッサージや人工呼吸器をつけるなどの延命措置を行わないことを承諾してほしい。すぐに答えが出
ブログを書き終えて、妻の様子を眺めていると、目を覚ました。身体を起こしたいという。身体を起こして、窓のほうを見る。外には、川や堤防の桜が見えている。窓を開けて、少しでも景色をきれいにする。川向うには結婚式場が見える。この結婚式場は、私達が式を上げた場所だった。七年くらい前のことだ。こんな風に式場を見るなんて、思ってなかった。愛ちゃんに、立って外を見てみるか尋ねた。強く頷いた。立ち上がることは、最近殆どなかったから愛ちゃんは、外の景色をきちんと見ることがなかった。点滴の位