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そうなんです!久しぶりにダンナ様、仕事に行きました私明日からも毎日送迎する!ウキウキしながら家に帰ってきました。1時間くらいしてから電話が鳴ります。なんか虫の知らせか?ドキドキしながら電話にでました。そう、社長からだったんです!!「奥さん、すぐ迎えに来てください。これでは仕事になりません。話しかけても会話にならないじゃないですか!」私「すみません‥私より社長さんとお付き合いが長いので、もしかすると、いつもの主人になって戻ってきてくれ
長年躁鬱病のダンナと暮らしてると目を見たり、朝の行動でうつ状態か?躁転か?ピンときます。ダンナの場合ですが、病院に通う前は季節によって躁と鬱を繰り返してました。秋→鬱冬→ひどい鬱春→躁梅雨→ひどい鬱夏→激しい躁このサイクルでした。躁鬱病と季節とか、気圧?関係ないのか?そんな事を先生に聞いたり、調べたりしました。今でも関係性はわかりませんが…病院の薬を飲み出してからは、その薬によってか?わからないですが…うつ状況がひ
このところ暖かい日が続き、初夏を思わせる天気になっていますが、なかなか晴天が続かず、外壁のシールド塗装が進まない状態です。気温の上昇を地球の温暖化に解答を求める学者が多いですが、何か違うような気がしています。これまで積算されたデータを無視するわけではないですが、もし地球に意思があるとすれば、何か怒っているのではないのかという気がします。人類は地球にとって一番の外敵だと思われるので、人類によって蝕まれた傷を自浄作用によって修復しているように見えます。不安定な気候、自然災害は傷口を治
高3双子女子娘1ADHD娘2優等生の我が家です4日の娘2の心療内科受診後…『心療内科受診〜鬱』高3双子女子娘1ADHD娘2優等生の我が家です娘2今日は朝ごはんもお昼ご飯も食べないで寝ている年始以来の私の平日有給の日一人旅に出ようと思っていたら、大雨…娘…ameblo.jp今日は精神病院を受診した。娘2は病院に行っても行かなくてもどっちでもいいけど…と言いながら学校に行ったので、今日は私一人で受診した。学校にはかろうじて行けているものの…学校以外の時間は寝たきり…精神病院
精神障害&軽度知的障害者の妹(アラフィフ)が2月上旬に、現在入院している精神病院の近くにあるグループホームの体験宿泊をするという連絡をケースワーカーから受けました。2024/2/7の記事→【精神障害&軽度知的障害者の妹のグループホーム体験宿泊のことで連絡がくる】でもその後、なんの連絡もないのでグループホームへの入居がダメだった…と思われます。私もイチイチ「その後、どうなんたんでしょうか?」なーんていう連絡はしません。必要なことがあれば私に連絡がくるでしょうし、私も先月は体調が悪かっ
ひどい躁状態から一瞬と言っていいほど、眠りっぱなしだったダンナ、、、翌日の夜に目覚めました。目が死んでる、、、躁転してギラギラしてた目が伏せ目ガチになり今にも、また眠りそうです。何ヶ月か躁転でほとんど寝ないで動き続けて、それからずっと寝てたんやから、、、とにかくお腹が減ってるやろ、と思いました。その日の夕食はダンナの好きな豚汁とお刺身でした。起きた時に、すぐ準備できて食べられると思ったからです。会話もなく、なんとかテーブルに座り食べようとしますが、ため息ばかり、、結局ご
クズな元ダンナの再々入院中に始めた離活、まずは警察署へ行きました。ご訪問ありがとうございますシングルマザーのすばるです本業はコックさんスポーツ万能の長男ダイちゃん6万人に1人のレア障がい児タンタンと3人暮らし元ダンナはアルコール依存症で行方不明養育費は自分で稼ぐ!がんばります!アルコール依存症の元ダンナとの過去をまとめています。元ダンナのクズっぷりを最初からよむ前の話はこちらから。元ダンナ、依存症専門の精神病院に入院。
更新しようと思ったらデータが消えて、凹みました。久々に更新するためにログインしたら、更新がないにも関わらず日々500人位の方が見てくださっていて感謝いたします。毎回、今度こそは継続的に、と思うのですが、いよいよもって過去の記憶があいまいになる限界点が来ているような気がしてまた書き始めました。それと、やっぱり産後うつ関連の書籍が少なく、中でも「再発」を何度か経験してっていうのがないので記録として私が残しておきたいと思ったからです。需要がどこかにあるだろうと信じて、です。
ご訪問ありがとうございます。たおと申します。7月8日、精神病院で診てもらうため、伯父を迎えにいき、父と江坂の精神病院に向かったのですが、急患が入ったそうで、看護師さんがお詫びに来られました。その直後、5、6人がかりで凄まじく暴れる体格のいい男性を押さえつけながら奥の部屋に運ばれて行くのを目撃しました。。なるほど…しかしまあ待ち時間が長い長い…散々待たされてる間も、伯父は、じっとせず謎の行動ばかり。。朝から既に幻覚症状も出ておりました。。そんな時に、安倍さんのニュー
朝の4時過ぎ、義母の手術を終えて夫が帰宅した。2時間後には起きて仕事…そして今日は私も、母の移送という重大なミッションがある1時半にO精神病院に連れて行かねばならないので、12時半には老健を出るから、その10分前くらいには着いた。父はもう、歩いて老健まで来ていた…電車と、坂道徒歩30分かかるけどね!さすがだ受付で退所手続きをしてから、車を出入り口に付けるために一度その場を離れた。そして、戻ってきたら、老健の玄関先で抱き合ってる人がいる…。よく見ると、、、母である近づくと、
このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。思いつくままに書いており時系列順ではありません。あらかじめご了承ください。現役時代に抑うつ状態と診断され休む職員が少なくありませんでした。気になったのは診断書を書いたのが心療内科医ではなく一般内科で開業している医師であったということ。「職場で上司からイジメに合った」「能力以上の仕事を与えられて不安で眠れない」よく話を聴く前に診断書と治療薬を出します。不幸なこ
私のうつ病はいろんなことが複雑にまざりあって発症したのですがその1つが婦人病子宮筋腫でした3年半前に子宮と卵管を摘出したのでホルモンバランスが多少崩れて更年期障害とお付き合いしています私の子宮筋腫自体はそこまで大きくなく薬の服用で抑えていたのですが子宮の内膜にイタズラする筋腫だったのでそれも上手くいかなくなりミレーナという避妊具にも使われる器具を子宮に入れましたこれも上手くいかずその時には経過観察で4週間子宮筋腫の治療で病気休暇をいただきましたミレーナも上
2月5日はシャーロット・ランプリングの生誕78周年です。(1946年02月05日イギリス生まれ)それを記念して彼女の作品を紹介しています。■今日ご紹介するのは、シャーロットの初期作品の1つです。『蘭の肉体』(1974)監督パトリス・シェロー共演ブルーノ・クレメル、シモーヌ・シニョレ、アリダ・ヴァリ撮影ピエール・ロム【あらすじ】莫大な財産を相続したクレアは、叔母のバスティエ・ヴェゲナー夫人の陰謀により、精神病院に入院させられる。脱出に成功したクレアは、馬の飼育係で
数日後、母の転院に付き添いました。廊下で待っていると、看護師さんがタブレットで最近の母の様子を見せてくれました。そこにはニコニコと手を振っている母の姿が映っています。え?笑ってますよ?あの鬼の形相はどこへ?以前にお菓子を持っていって、孫の写真を観てからとても機嫌が良いとのことでした。その後、車椅子で現れた母は、嬉しそうな笑顔です。「お母さん、その服とても似合うよ」「あんたが自分で選んだからでしょ?」え?え?普通に会話してる。一ヶ月前の転院の時とは大違い
入院している方は、普通じゃない方(いい言葉が見当たらなくて)だと思ってました。(自分のことはさておいて)実際は、普通に見える人が多いです。しばらくすると、相部屋の人以外の話し相手でもできました。中には、2年以上の入院のひともいて、驚きましまた、もちろん病気のひどい人も見かけます。ほんの些細なことで怒り続け、叫びながら怒鳴り壁をたたき続ける人。(隣の部屋の方でした)だんらんルーム(新聞、テレビ、お話をする部屋)で、ズボンを下ろし下半身を出す人(この人はそれから隔離されたのか見なくな
精神病によって対応を変えなくて良いのか?それは普通のうつ病とかなら、精神病院の大部屋で看護師も気にしないし、どちらかと言うと入院患者同士でピアカウンセリングするので良いと思うけど、自閉症スペクトラムの精神病患者が精神病院の大部屋に入院する場合、大部屋には最大4人に入院患者がいる。その4人と寝食を共にして上手くやっていかないといけない。自閉症スペクトラムで4人と寝食を共にできるのか?そもそも、自閉症でコミュニケーションできるのか?
今日のことだけ考えて、明日のことを気にするのはやめましょう。ーゼルダ・フィッツジェラルド(17歳の時のゼルダ)狂乱の1920年代、ニューヨークのスターだった作家のF・スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダ・フィッツジェラルドです。(ヒロイン、デイジーのモデルはゼルダです)F・スコット・ジェラルドは、レオナルド・ディカプリオ主演の華麗なるギャッツビーの作者ですゼルダは1900年7月にアラバマ州モントゴメリーで裕福な名士のもとに生まれました〝ゼルダ〟という名前は小説にでてくるジプシーの
前記事の続きです。2024/1/12の記事→【精神障害&軽度知的障害者の妹から手紙が届く】現在、精神病院に入院している精神障害&軽度知的障害の妹(アラフィフ)の手紙の最後にあった○○と○○とやりとりしています。亡くなった私達の母方の祖母の実家が青森で、現在は母と同年代(70代男性)の親戚が住んでいます。「○○と○○」は、その親戚の名前なんです。青森の親戚(女性)の1人からかなり遅れて届いた年賀状に先日は元気な妹ちゃんの声を聞くことが出来、安心しました。と書いてありました。
前回の続きです。今年初めの頃のことを書いてます。号泣してる間にもAさんからの電話は続いていた。夫が、Aさんと話してくると言った。いやいやいやー、話してわかる人じゃないの、知ってるでしょ?ほっといてもあきらめない人なんもわかってるから。私は子どもの頃から、夫は私と出会ってからのほぼ30年、Aさんとはものすごく密に付き合ってきた。母と私がべったりだったから、必然的にAさんも一緒だった。Aさんの家族とも親戚以上の付き合いをしていたし、縁を切りたいと簡単に言えないくらいもつれあってし
今日は少し盛りだくさんで、神従姉妹がまず様子を見に来てくれ、午後よりケアマネさん訪問&ヘルパーさん+α。+αの影響で母がかなり興奮していたのもあり、ここのところの母の言動に私がイライラMAXで言い争いになったのもありますが、またしても「私を殺せばいい」と逆ギレ。ウンザリ😮💨するとイキナリ、手元にあったバッグを自分の額に何度もぶつけ出した挙げ句、泣き叫び出した何ごとが起こったのか訳が分からず、唖然としていると、そのままバッグを持って部屋をよろめきながら出て行ったので、目を離す訳にもいかず
前回の続きです。今年初めの頃のことを書いてます。意外とコルセット受け取りに時間がかかり、体力気力をつけておくため途中でお昼ご飯をささっと食べ、精神病院へ向かった。母は、廊下のベンチで、大きな掛け布団を抱きしめて、子どもみたいに寝ていた。いまもその姿が目に焼きついていて、思い出すと泣けてくる。ひとりで置いていかれて不安やったよね…。まぁ、私が置いて行ったんやけどね…先に手続きがあるので、寝ている母はそっとしておき、面談室に向かった。看護師長さんという方がいらして、うちの近くの人
相変わらず不貞腐れて食事をとらない母の為に、病院から、もうお菓子でも何でも良いので食べそうなものを持ってきて下さいと言われました。和菓子店で紫陽花の練りきりを買い、それと孫の幼い頃の写真を添えて、面会は出来ずに渡して帰ったのですが、きっとこれも投げちゃうんだろうな。その後、母はやはり転院する事になりました。リハビリよりも精神面の治療が必要だと。要するに『暴れるから、うちでは面倒は見られない』そうです。他の患者さんの迷惑になるのですから、仕方がないのです。相談員さんが
前回の続きです。(今年はじめの頃のことを書いています)ものすごく疲れてたけど、父に報告するために、実家に寄り、精神病院がどうゆうところだったか、面会のやり方などを説明した。父は、認知症実母を介護していたので、病院のこともよーくわかっていて、あの状態なら仕方ないなそして、もう家には帰って来れないかもなぁ…と言った。で、問題のAさんをどうするか…。毎日顔を見せないと納得しないから、調子悪いので家を出れない、とかいう言い訳は通用しない。父が、会社の携帯を返さないとあかんし、わし
ムスメからLINEが来た。またお金貸してって。既にウチに向かってる様子。お金ない。て言っても絶対返すからっていつもと同じセリフを吐く。いつも絶対返すって言ってるけど返してくれないよね?何十回と貸してるけど返してもらったの1~2回だけだし。通信制高校に編入するときも、自分がバイトして授業料払うって約束で編入したのに1度も払ってないよね?そのときも「絶対返すから払っといて」て言ったよね?バイト代も給料袋渡してくれたけど、それをテーブルに置いといたらお札全部勝手に持ってったよね?今ま
前回の続きです。今年初めの頃のことを書いてます。主治医が、もちろん面会制限をかけることはできますが、それをすると、ご家族さまへのあたりが、ものすごいことになるんじゃないですかね…?と仰った。たしかに…毎日何時間でもあの電話攻撃、なんなら会いにも来るだろう。そんなやつ無視したらええねん!というご意見があると思うが、簡単でない。あのしつこい性格では、決してあきらめない。警察に相談したこともあったが、痴話喧嘩的な扱いで、介入することができないらしい。30年以上の付き合いのAさんの
前回の続きです。今年初め頃のことを書いてます。昨日の騒動のことで、主治医から電話があった。Aさんですが、また朝から来られましてね…。いきなりの衝撃夫が話しに行ったよね?納得はしてなかったけど、話し合うからちょっと待ってくれって言ったよね?昨日の夜それを話し合って、なんで朝から行くねん💢私なんて朝からぐったりしてたのに、どんだけ元気やねん!もうほんと、こっちの話は何にも響いてない…そして、先生は、えーっと、どういったご関係なんですかね…?と、聞いてきた。そりゃそうだわ。
眠らない街、不夜城と言えば今は新宿歌舞伎町だろうか。私の時代は渋谷か六本木であった。……と、信じていた。つい先日までは。本当に眠らないのは新宿でも港区でもない。精神病院の閉鎖病棟である。消灯は21時で点灯は6時だが、その間ひっきりなしに廊下をスリッパでランニング(!)する人の足音、徘徊しながら独り言を言う人の声、謎のうめき声、拘束室から呪詛を飛ばす声が聞こえる。精神疾患者に休みはないようだ。それでも比較的25時頃になると人気が少なくなるのでその時間を狙って私はナー
閉鎖病棟へ入院して一日目は一睡もすることが出来なかった。相変わらず拘束室から男性の叫び声が聞こえてきたし、不安と恐怖でいっぱいだったからだ。自殺未遂をしてから初めて、こんな所に入るくらいならあの時死んでおけば良かった、と心から思った。個室の外はウォーキング・デッドの世界なので、共同トイレ以外は出ないようにしていた。共同トイレは50%の確率で流されておらず、扉を開けながら用を足している人がよくいたのだった…。夜中にそんな場面に遭遇するところを想像して欲しい。あちらもあ
の続きです『入院で落ち着くはずが…①』義母の通院入院手術、母の老健退所からの精神病院入院…さまざまなミッションを終え、ほっと一息と思っていたら、入院翌日に早々とO精神病院から着信アリなにごと⁉️…ameblo.jpヘッドギアかニット帽、「今度来る時に〜」と気軽に言われたが、なんやかんや往復2時間はかかるはっきり言って、めんどくさいわい…(−_−;)と冷たい娘は思っていた。数日後、父のところに晩ご飯を持って行った。(いつも晩ご飯のおかずをちょっとずつ分けて冷凍しておいて、週二回
今年初めの頃のことを書いてます。精神病院を退院するとき、私、もう懲りたわと、何度も言ってたし、うるさくすると、病院に放り込まれるということも、しばらくは覚えていて、痛がりはするが、大騒ぎすることはなくなった(当時は)。入院中に精神病院の相談員さんから、お母さまは要介護1では絶対ないので、区分変更を申請した方がよいですよと言われていたので、市役所に行った。事情を説明すると、また、でも、介護サービス使ってませんよね?それなら、区分変更も必要ないですよ。と、撃沈だった。母は