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悪性腫瘍の広範手術から十回目(42か月)の定期検査。手術から24ヶ月経過後はCTとMRIをそれぞれ半年毎の検査をしている。今回はMRI。実はついうっかりして検査の予約を忘れてしまっていた。過ぎてから気がついて病院に電話をすると、再度診察を受けてそこで検査の予約をするようにとのこと。結局当初の予定から3ヶ月遅れてしまった。自業自得なのだが、こんな事があると嫌な予感が頭をよぎる。後悔しながらも検査は25分で終了。検査結果は来週の診察待ち。
はじめまして、45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が後腹膜腫瘍だと判明!!8月14日に富細胞性神経鞘腫(良性)の結果が出ました。『〈病理結果〉2・後腹膜腫瘍の富細胞性神経鞘腫とは?』はじめまして、45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が…ameblo.jp入院
本日、後腹膜腫瘍の病理検査結果を聞いてきた!ベビーヘッドの正体は!?後腹膜腫瘍は80%が悪性と言われ、悪性だったら、抗がん剤や放射線など自分がやりたくない治療は一切せずに経過観察で行かせてもらおうと、相応の覚悟とともにおじちゃまに失礼のないよう治療を断るシュミレーションまでしていたが、良性だった!!術後2ヶ月近く経ちついに決着がついた…!家族も一安心できたのがなにより嬉しい。とりあえず本日は病名報告まで。明日以降、おじちゃまとの会話など今日の詳細
8月上旬、最初の手術から11日目。傷の診察と抜糸をして今日で終了・・・・のつもりで居た。診察室に入ると先生はPCの画面を見ていた。私が「おはようございます。」とあいさつをして椅子に座ると、「意外な結果だったな。」と小さな声で一言。「とりあえず傷を見ましょう。」と言われ衣服をずらして傷の部分を露出すると、先生は「ああ、いいですね。」と言ってフィルムをはがした。「抜糸はしないんですか?」と聞くと、「糸だけだから大丈夫。」とのこと。手術説明の中で、「腫瘍は病理検査に出すが手術後すぐに
オクトレオスキャンから2週間後、受診。主治医の先生が画像を見ながら一言。D:本当に光るんだねぇ。ほら、見て、ここ。1個だけ光ってるでしょう?私:光っていますね。まあ、細胞も採って、確定診断もされているから、光っていても、「ああ、そうですか」という感じだった。間違いなく、膵臓に神経内分泌腫瘍が存在していますということだろう。他は光っていないから、神経鞘腫とか大腸粘膜下腫瘍とかは神経内分泌腫瘍の一味ではないのかな。今になって思うのは、「本
数あるブログの中本ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます夫さん脊髄の神経鞘腫の手術から50日目ついに明日退院となりました車椅子⇔ベッドの移乗は見守りだけで移乗できるようになりピックアップ式の歩行器(キャスターがついていないもの)で10メートルほど歩行が可能になっています。MDSについてはHbがやや低いものの他は問題なく順調行動するさい段取りを理解するのに時間がかかるのは脳梗塞の影響なのかなぁ。。。退院に備えて車いす、スロープ、歩行器を準備4月に65歳に
はじめましての方はぜひこちらからご覧ください!『登場人物紹介』登場人物紹介このブログに登場する主な人物と関連記事をまとめたよ!はるひ生涯独身の45歳ヨウムのジェット王が大好き。王の下僕。2023年6月22日、漿膜下筋腫・…ameblo.jp45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が後腹膜腫瘍だと判明!!8月14日に富細胞性神経鞘腫(良性)の結果が出ました。入
はじめましての方はぜひこちらからご覧ください!『登場人物紹介』登場人物紹介このブログに登場する主な人物と関連記事をまとめたよ!はるひ生涯独身の45歳ヨウムのジェット王が大好き。王の下僕。2023年6月22日、漿膜下筋腫・…ameblo.jp45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が後腹膜腫瘍だと判明!!8月14日に富細胞性神経鞘腫(良性)の結果が出ました。つ
悪性腫瘍の告知を受けてから1週間過ぎた。ずっと病気のことを考えるのはやめようと決めて、意識的に他のことを考えるようにしているが、ふと気が付くと病気のことを意識している。いつまで生きられるんか、今年の年末まで生きられるだろうか?再発したら、転移したら、今度はどのような手術を受けることになるのだろうか?でも、症例の中には5年以上生存している人もいる。もし、あと何年生きられるかわかれば計画的な生き方もできるかもしれないのに。そうか、自分で決めればいいんだ。どうせ分からないんだから思い悩んで
検査結果の診察から10日後、二回目の手術のための入院。今回は、一回目の良性腫瘍切除の一泊二日の入院とは違う。悪性腫瘍切除後の広範切除と腿からの皮膚移植による4週間の入院である。会社へも4週間の休暇を申請し。あとは先生にお任せして4週間過ごすだけ。手術は大変だが、お任せすると心に決めたら気持ちは落ち着いていた。4週間の旅行に出かかるとなるとさぞかし荷物はたくさんになることだろう。でも4週間の入院の荷物は意外と少なくて済む。病院着とタオルはレンタルを使える。下着は洗濯機を使えばよいので
2020年10月初旬、2回目の手術当日。朝食は抜き。T字帯の上に手術着を着て8:20に手術室へ、病棟の看護師さんに連れられて徒歩で向かう。たくさんある手術室の一つの入り口でバスタオルを肩にかけてもらい手術台へ。センサーや点滴の注射針、血圧計等を取り付けられ、いよいよ睡眠薬の注入でその後記憶なし。以前に、全身麻酔は仮死状態になるので三途の川のほとりまで行くことになるから、川の向こうから声をかけられても渡らないように、と教えられたことがあった。声をかけられて目覚めたときはまだ半分眠って
2020年8月下旬。一泊入院で神経鞘腫の切除手術を受けた。部分麻酔なのでまず最初に手術ヵ所に注射。その後メスが入る。痛くはないはずだが切っている感じがわかり何とも言えない感じがする。腫瘍を掴むのがうまくいかないようで、「もう少し開くか。メス。」の後は痛かった(気がする)。ようやく腫瘍を取り出したところで傷口とともに写真撮影。その後、傷口の止血、洗浄の処置をして縫合。フィルムを貼って完了。車いすで病室に移動して点滴。1時間ほどで終わり、看護師さんは「これでもう歩くことができます。歩い
神経鞘腫の手術をしてから右肩甲骨付近の痛みは減ったのですが、右手の痛みは減らず……まだかなりの痛みがあるようです😭トラムセットはMAX量😱リリカも減らず……右手の痛みは脊髄腫瘍の術後からひどいので、なかなか治るって事は難しいようですね。そこで、この病気が分かるきっかけになったペインクリニックの先生の所へ……痛みを抑えるのはブロック注射しかないと言われたそうです。週一で通う事になりました。先生も薬の量が多い事を大変心配していました。しばらくブロック注射で頑張るそうです。何か良い
退院から七日目、再手術後の診察日。昨夜は、検査結果が気になって眠れなかった。再追加切除で腰骨の一部を切除したらどうなるのか?もう歩けないのではないか?仕事はどうする。趣味のスポーツや武道もできない。どうなったらどうする?同じようなことを繰り返し考えていた。ここ、病院の待合室でもそう。ただ、最初の告知は何の覚悟も準備もないままだったので、今回は覚悟をしようと思った。しばらくして診察室へ。先生は傷を見ると「もう大丈夫です。お風呂も温泉も入れます。運動もいいですよ。」と言っていた
2020年所から時々左ももの前側にしびれを感じるようになった。歩く時なのか、踏ん張った時なのか、なかなかその再現ができずに、おかしいなあと思っていた。
入院5日目。毎朝5時ころに看護師さんがドレーンから出た液の回収に来る。1日の液量が50ML以下になればドレーンを抜くことができるとのこと。一昨日からの量は、90ML→70ML。今日は残念ながら60MLとまだドレーンは抜けない。朝食後の回診でも先生から「ドレーンはまだ抜けないね。」とのこと。仕方なく、この日もドレーンバックを肩から下げて院内をゆっくり歩く。まだ手術跡は痛いが、傷そのものというよりドレーンをさしてあるところのような気がする。傷のある左足をかばって歩いていると、右足も変な
告知を受けた翌々日の朝、日課の早朝の散歩に出かけた。川沿いの舗道は川の流れる音と小鳥のさえずりがすがすがしい。ふと思った、その時その時を気持ちよく過ごせないか、と。病気のことを考え続ける苦しみを忘れて気持ちを転換できないか?長くは生きられないこと、いつ最後の時がくるのかわからないこと、それは全く変わりはないが、いつもそれを恐れてそのことばかりに心を支配されるのでなく、今生きていることを素直に感じて心を安らげられないか?少なくも、川の流れの音を聞き、小鳥のさえずりに気が付いた時には、一瞬
入院6日目、手術から5日目。今朝も早朝5時目に看護師さんがドレーン液の回収に来た。ボトルを斜めにして、斜めに刻んである容量表示を読み取る。自分は寝ているので見えないが、「50」と聞こえたような気がした。50だとするとドレーンが抜けるのだろうか?そうすればもっと自由に行動できる。起床ご自分でも見てみたが、50なのか60なのかよくわからなかった。朝食後の回診では手術していただいた先生はいらっしゃらなかったが、別の先生が「後でドレーン抜きますね。」と言っていただいた。待ちに待ったお言葉
2020年8月初旬、MRI結果とその後の対応についての診察。MRIを見ても切除に際して問題はなさそうとのこと。そのうえで、「切除はできますが、今でなくてもたとえば2年後に仕事が落ち着くからその時に行うという方法でもよいです。どうしますか?」と言われ、「今でもいたっみがあり気になるので早く処置してほしいです。」と伝えました。それでは、ということで7月下旬の手術の予定が決まりました。「日帰りでもできますが、複数の手術予定があるため開始時刻が特定できません。一泊入院だと病室で待機できますがどうしま
2020年9月下旬、病院での診察日の前日。当日までは考えるのを止そうと思っていたがやはり心配が頭をもたげる。再発と遠隔転移はあったのだろうか。もし同じ場所に再発していたら何を切除するのだろうか?左腰の皮膚のすぐ下は腰骨、とすると腰骨の一部を切除?そうなれば左脚も失うかもしれない。そうなると目指す武道はおろか歩くこともできない。また、もし肺に転移していたらどうだろう?転移が始まれば切除と次の転移の鼬ごっこになって、やがては手術できなくなるのではないか?と、同じようなことが頭の中でぐる
お元気ですか?人々が元気で笑顔でいられますように。。。すべての子どもさんが大人になれますように。。。何かを伝えることが出来たらと始めました。平成23年から現在にかけてのことです。・限局性強皮症・神経鞘腫(右前腕)・心房中隔欠損症・膀胱癌(T1G2)・脊椎関節症(乾癬性)この3年間での手術➡経過観察中と治療中のものです。生きて行くためにこれからも頑張ります。ちょっと大げさです。初心者ですのでわからないことも多々あります。何かあれば教えてくださいね。よろしくお願いいたし
しこりの診察を受けるとしたら何かなんだろうかとネット検索し、どうやら整形外科らしいという感触を持つようになっていた。でも、すぐ受信しようというほど気持ちは追い込まれていなかった。なので、しばらくはふろのマッサージを続けながら様子を見ていた。2020年5月下旬にたまたま時間ができたのでふと思い立って近くの整形外科を受診した。先生はのしびれとしこりの症状に対してレントゲンを撮っての診断は、「神経鞘腫という神経にできる腫瘍です。悪性ではないので様子を見るということで構いませんがどうしますか?」とのこ
4月になって、ある日風呂に入って体をマッサージしているときに左腰にしこりがあるのを発見した。そこを押さえると例の左もも前側がしびれた。しびれの原因がここだったのかと気が付いた。そして、その場所は帯をきつく締めるところだから、それを繰り返すうちに一部が固くなったんだと勝手に思い込んだ。その後、そのしこりをほぐそうと、ふろに入るたびにマッサージを繰り返した。でも、柔らかくなったり小さくなったりする気配すらなく、そのうち診察を受けた方がいいかなあと、ぼんやり考え始めていた。
術前の外来で手術の説明。MRIで確認してもらって、腓骨神経の主要な部分からは距離がありそうだけど、やっぱり麻痺が残るかどうかは術後までわからないとのこと。担当医の先生の経験上、最近はたまたま麻痺が残る症例に出くわしてないけれど、感覚的には5割程度の患者さんには何らかの麻痺が残って、1割程度の患者さんは恒久的に改善しないイメージらしい。下垂足になった場合、どんな経過をたどるか質問してみた。画像を見る限りは深刻な下垂足にはならなさそう、多少背屈しにくくなったとしても、