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いつも私のブログにお付き合いありがとうございます皆様に元気もらい感謝しています愚痴になるので気分を悪くしてしまう方はスルーしてくださいね先日、大学病院の神経内科の検査入院でスティッフパーソン症候群の疑いで、筋肉が硬くなる症状が出るので、リハビリを進められ近くの総合病院に週1で通院してますこの病院では骨折でも通院していますリハビリを受けるのには月1回は神経内科の診察を受けないとリハビリを続ける事ができません今日は神経内科の診察とリハビリがありましたリハビリを受ける前はリハビリ室の入口
母がA先生に対してばかにしてると文句を言い同じ病院B先生に診ていただく事になりました。B先生に対しては何も文句は言わなかったのですが「なんでどこもなんともないのに電車とバスで行かなきゃ行けないんだばかにするな」と怒り…できればドネペジル(90%飲んでませんでしたが…)や認知症の進行が心配だったので神経内科で診ていただきたかったのですが怒り狂う母を連れて行く事が困難になりB先生にご相談させていただき「ドネペジルはイライラしたり攻撃的になる副作用もあり、飲み続けられていないし意
母が認知症の病院①を遠い💢行く必要ない💢と嫌がり…紹介状を書いていただき電車とバスを乗り継ぎ30分ちょっとの病院②にお世話になる事になりました。こちらでお世話になったA医師さんは受診の度に今日は何日ですか?キツネの手の形も模倣100➖7の計算など長谷川式認知スケールの様なご質問をしてくださり「ばかにしてる失礼だ誰に物を言ってるんだ」と怒り3回受診した後…このまま怒り狂う母を止められず…担当医表を事前にチェックしておきA医師がお休みの日の曜日を言いその曜日でないと
今朝書いたブログのつづき。結局紹介された気管系の病院でも分からなかった。。今思えば、来年1月に予約している大学病院を生真面目に1月まで待ってないでさっさと行けば良かった。。それだけ私には妻の病気に対しまだ何とかなると思っていたのかも。。結局はALSと診断されれば、早いも遅いもないのだが。容態はさらに咳込が激しく、言葉も筆談となってしまった。今度は妻の勤めていた病院に、ほかの気管支系の大学病院を紹介してもらった。今までの経緯を説明した。先生曰く、気管をカメラで確認したし、おそらく気管
神経内科と歯科の受診へ行ってきました。神経内科は薬の副作用が強くて飲めないと言うことを話ました。そしてもう薬はいいです。このしびれと付き合っていきます。というと、なぜか先生は大喜び。「その方がいいとおもうは、薬に頼らないほうがよくなると思う。」「気持ちがそこにいかなくなると、きっと治る。」神経内科の先生は以前と同じく私が作り上げた病気という考え方なので、薬も気休めだったのかも。とりあえず神経内科の診察は本日で終了。しびれのことを考えるな言われても、ずっとしびれた状態で暮らしているので。
いつも私のブログにお付き合いありがとうございます皆様に元気もらい感謝しています昨日は大腸癌術後4月6ヶ月の検査と結果の日でした今回は血液検査とCT検査でしたが、3月に神経内科の検査で入院中にMRIとCTを造影剤を使用して検査しているので免除になりました結果はどちらもクリアできましたただ血液検査で肝臓の数値が少し高くて肩の骨にヒビが入った事を話しして痛み止めを結構飲んだと言ったらアセトアミノフェンは肝臓に負担が掛かるので中止し、代わりにセレコキシブを処方してくれました痛みだいぶ良く
こんにちは早朝、背中がピクピクなって目が覚めまた。ピクピクは、あちこちなって随分なるけどめったにならない所がなるとびっくりです慣れることは、ないのかなぁ…三女が仕事休みでイオンへ買い物珍しい自販機発見オレンジを自販機の中でその場でクラッシュ。めずらし~い、美味しそうってことで三女さっそく、買ってみた。こんな感じででてきた。新鮮な感じで美味しいよ~感想でしたぁ休憩がてらソフトクリーム町のあちこちでお花がいっぱい春は、散歩楽しいです。ついつい
紹介された治療院に行く日が来ました。当時は南青山にあり、表参道駅を出るのに時間がかかり、治療院まで10分さらにかかり。。2回目からはタクシーにしました。場所は岡本太郎記念館の正面でした。先生は30代の男性でした。神経系の疾患を数多くみていて、私が所属していたリハビリセンターのPTやOTも見学に来たことがあるという話でした。同僚からも情報収集していたのですが、そこで情報を得ることはできなかったことになりますね。。一通り動きをみてもらい、カラダの状態をみてもらうと、後頭部に強い衝撃が残
いつも私のブログにお付き合いありがとうございます皆様に元気もらい感謝していますお腹や足の強張りで歩くのが大変になって、検査入院から16日経ちました金曜日に点滴をし、その後はセルシンと言う薬の治療をしていますスティッフパーソン症候群に一番使われてる薬のようですねネットからの情報ですが日に日に歩きやすくなり、リハビリで、腰や股関節の固くなってる所をほぐしてもらい、自身でもストレッチして頑張ってます神経内科、脳外科の病棟なので看護師さん達も排便障害の事は理解できてないようです毎日、トイ
ここからは、色んなSNSの別アカの取り方知らなかったので、Facebookに自分のみ公開設定して書き始めた記録をこっちに移行していきます2019・7・8(この日から書き始めましたこれ以前の文はここでも書いたので削りました。なので、前回の記事の続きです)この辺(6月半ば)で自分で検索で頸肩腕症候群だ!!と思い新しくオープンする整形外科に勤務するお客様にに相談しました。オープンが7・1で、待てないかも。。と思ったが、温泉でも行ってみようかと、産まれて始めての日
実家から徒歩10分ほどで到着の総合病院へ母はお留守番、私のみでの訪問です。はい。薬が増えた。トラゾドン塩酸塩錠50mgメマリー錠10mg母の症状を伝える・不法侵入の被害妄想は少なくなってきた・物取られ妄想が強くなってきた・夜の睡眠は変わらず…物取られ妄想への不安が大きくて不法侵入者妄想が弱くなってきたようだと伝えました夜の睡眠は特別眠れるようになったというわけではない…なんとも言えない医師はーとりあえず、母の問題行動で同居している父が困っている事があれば、そちらを優先的に
去年の年末に紹介状を持って大学病院へ。主治医が女医さんってことがわかって一安心した。しかし。。どうしたんですか?何が心配なんですか?と言わんばかりに問診が始まった。いろんな症状がありすぎていつも問診には困ってていたので紙に書いて持って行った。しかしそんなものは見てもらえずとりあえず診てもいいけどみたいな感じで診察が始まった。今までやってきた握力や力の入り具合、腱反射の診察だった。右側の腱反射がちょっとあるけど、これだけじゃ判断できないと。とりあえず運動不足だろうからウォーキングから
摩訶不思議な症状に苦しみながら改善策はないか?色んな療法を試しているあおいです昨日の朝から右手がいつもよりグー✊をしやすくなっている気がする…指が震えたり手のひら母指球筋が萎縮して昨年7月くらい?から採血時でもグー✊と力を入れられなくなりお茶碗を持って食べることもできずでだけど昨日朝、ふとグー✊をしたらスムーズにできたまだ力はあんまり入らないけど気のせいかもしれないけどいい方向に向かってるなら嬉しい…ここ最近は米粉パンや野菜ジュースを続けてますパイナップルまで
一年前の今頃は慎重に漕ぎながらでも、自転車に乗って婦人科の病院に行くことが出来ました。めまいの為に漢方薬もらって一週間経っても改善がなくて、大学病院の神経内科に紹介状を書いてもらった頃です。おそらく脊髄小脳変性症でしょうと、大学病院で言われ、検査入院10日程かかりますって。病気の説明を聞いてから、本当に自分の身におきているのに実感が無いけど、無性に切なくて、悔しくて。主人がどうだった?って普段の会話の感じで聞いてきたから私は普段の口調で「難病だっ
数日前、神経内科へ行ってきました。しびれ、握力低下についた病名。「機能性神経障害」説明を聞きましたが、納得いくような、いかないような。ほぼ異常はないのに脳が誤作動をおこし、症状が出るとのことでした。先生曰く「厄介な病気」だそうです。と言われてもこの話になる前にの医者が言った一言「脊椎悪かったんだねえ。」そおです。この医者こそ以前手足のしびれでかかったとき「精神的な問題です。」の一言で片付けた医者。そのあと脛椎、腰椎の手術をしました。なので今回の病名もにわかには信じられずにいます。
ALSも症状の出方に違いがあります。手や指、肩周りからの「上肢」から発症する人と「下肢」から発症する人、喋りにくい、呂律が回らないなど「球麻痺」から発症する人と、稀に「呼吸筋麻痺」から発症する人と居ます。私は上肢と呼吸筋麻痺の同時発症ではないかと言われています。右手の軽い痺れや、震え、握力低下などから発症しました。ビリビリとした強い痺れではなく、本当に弱い微量の痺れが私は続きました。最近は指輪がぶかぶかになりました。現在、右手には針筋電図にて萎縮が確認されています。もし似た症状で不安
追記しました筋萎縮がおきて色んなことを調べて色んなことを試したそもそも筋萎縮が起こる直前まで今年の1月からは低糖質高タンパクな食事を始めた筋萎縮なんて考えたことはなかったしピクつきもなかっただけど体重は少しずつ減ってしまっていた2月にピクつきが始まってからも食事は継続していて3月下痢が続き体重も減り続けるため4月からは糖質といってもお米の量を増やして体重を増やそうとしたでも増えなかったこの頃手のひらの筋萎縮に気付く6月の入院で筋萎縮の加速で自分自身の身体の変化
こんにちは王様です。神経内科で、ALSの診断を受けた時、心当たりのある最初の身体の症状を聞かれた。違和感の始まり、それは、2015年1月頃、その時のことを詳しく書いてみよう。くまりんのALSの発症は、右側上肢と考えられる。最初、「一回」と言いながら、右手人差し指だけを、一本立てることが難しくなった。「今、考えてみれば、これが自覚症状の始まりだった」まあ、「一回」のハンドサインが出来なくとも、日常生活で、どうしても困ることは無い。「おかしいな」と思いながら、そのままだった。
同じような症状な人がたくさんいるでも似ているようで違う人もたくさんいるALSでないか心配している人もたくさんいる動けてるのに動けないという人もいるTwitterでずっと球麻痺だと呼吸が辛いと言ってる方がいる検査異常はないようだでもその人、ランドセン(リボトリール)からセルシンに変薬されていて間違いなくリボトリールの離脱症状だだけどALSだと思い込まれてるしALSの方からも違うのでは?と言われても絶対ALSだと言ってるし…それだけ、離脱症状って知られていないんだと思う
いつも私のブログにお付き合いありがとうございます皆様に元気もらい感謝しています今日は私の55回目のお誕生日です50歳の誕生日を迎えて数週間してから大腸がんが見つかりました大腸カメラの画像を見た時は死を覚悟し、半年、1年何の位の余命なのかと思い、娘は看護学校、息子は高校3年生で、大学受験の年でした当時はショックも大きかったけど、家族をどうしようという気持ちが強くて、何としても家族の為に1日でも長く生きなきゃと必死に治療頑張りましたここまでくるのに、排便障害にな悩まされ、再発転移の恐怖も
入院は、約1週間付き添いになるのであらゆるものを持っていかなければならない。キャリーケースにありったけの荷物を入れた。病室は個室で、大きな柵があるベッドに窓際にソファーベッド、テレビや棚があった。最初は神経の検査からして一日中かかった。眠る薬を入れられわずか半年の息子。一日中検査で、小さな子供には負担を感じました。腕に痛々しい点滴が繋がれ、小さな身体で検査といえども、両手に線が繋がれている状態で何とも痛々しい。離乳食始めたばかりの息子だったが、病院で勝手がわかりにく
忘れもしない2018年9月1日土曜日私は家から近く、神経内科があり、重症筋無力症を診察している病院へ行きました。この時私は自分の体の症状をネットで検索し、重症筋無力症に辿り着き、この病気に違いないと思っていました。神経内科初診時は①腱反射→減弱②胸部CT→問題なし③筋肉CT→問題なし(筋肉の萎縮などはみられない)④採血→筋炎など筋肉に炎症が起きている可能性はない。重症筋無力症関係のものや膠原病関係の物は結果が2週間後に出るからその日に来てと言われました。そのためこの日ははっきり
こんにちは。2021年9月ALSの疑いがあると言われた者の妻です。どうぞよろしくお願いいたします。あまりにも予測不可能なことになり、これまで経験したことのない何とも言えない感情にどう対処していいか分かりませんでした…少しだけ今は現実を受け止められてきています。備忘録としてだけでなく今後何かのお役に立つことがあるかもしれないという思いもあります。そして私自身のためにもブログを始めようと思いました。
筋萎縮が起きてから色んなブログをみたALSの方のブログALSではないかと感じている人のブログこれはあくまでも個人の考えです神経難病って色々あるし筋萎縮するものってたくさんある神経だけじゃないステロイド、インスリン睡眠薬、ベンゾ系、筋弛緩薬、鎮静剤で引き起こされることもあるわたしは6月に母指球筋の萎縮と呼吸苦が出た時もしかしたらALSかもしれないと本気で思ったしかもすぐに入院にもなりそうなのかもと絶望したあの頃は呂律も悪かっただけど筋萎縮以外の皮膚症状が7月に起
皆さん、こんにちは。ドクターPです。『百聞は一見に如かず』という言葉があります。教科書を百回読んだり、人から伝え聞いて想像して勉強するよりも、実際に見ることの方が何倍も勉強になります今回は筋萎縮性側索硬化症(ALS)でも有名な『線維束性収縮』の実際の動画を作成してみました。お役に立てれば幸甚です。卒後15年目総合内科医の診断術ver.2Amazon(アマゾン)9,460〜21,758円神経内科ハンドブック第5版:鑑別診断と治療Amazon(
看護師の妹の医大時代の友人で大学病院で勤務してる看護師さんの紹介でいい脳神経内科の先生がいるからと聞いて行ってきました。大学病院の附属の総合病院の先生でALSなど神経難病の臨床医で沢山の患者さん診てきた先生みたいです。予約、紹介状なしで行きました。脳神経内科の患者さんは少なくすぐ呼ばれました。問診もすごく丁寧で、今の症状から異変を感じてからのいろんな症状も。そしてすぐ、細かい診察。立ち上がりを見るときと手を差し出してくれる優しさ😭そしてお時間大丈夫ですか?今日できる検査をとりあえずしま
41)SHIGEMIは1014年失明寸前の緑内障で街医者から市民病院経由、紹介状を持ち関西医大枚方病院眼科へ。関西医大病院は毎回、診察前に血液検査をします。検査を見た眼科のドクターから「この方血糖値が異常に高いですが」と異常を発見してもらえました。関西医大での入院は半月以上先と言います。それですぐ入院可能な市民病院に入院しました。一ヶ月の退院後、良い天気でしたから散歩がてら歩いてレオパレスへ帰っていました。するとSHIGEMIが「母さん、腰がおかしい」と歩けなくなりました。街医者
やっと、髄液検査とグロブリン点滴入院。問題のない採血データも確認したので。。初日の髄液検査ではCIDP特有のタンパク上昇は無かった。正常。しかし、限りなく発症も末梢から、強張り、CIDPぽい症状と。現状、軸索性感覚性ニューロパチーの状態であり、今回はトライアルグロブリンとなった。私は大病院4つ目。一つ目ではトライアルグロブリンは保険が効かない、、ステロイド効くかもよーやる?と。ステロイド第一選択は嫌で拒否。感覚が低下はあるけど、注視して経過みようと。直ぐ治療するに至らない
メスチノンを朝昼晩1錠づつ飲むことを指定されまた2週間後様子を見ることになりました。メスチノンは効きました?たぶんですけど、服用すると体が動きやすくなりました。それ以上に腹痛、下痢の副作用がすごかったですけどね(;∀;)ちょうどこの頃、闘病垢のツイ●ターを作って、同じく重症筋無力症の患者さん達と交流を始めました。そこには、メスチノンは"神様"とか、下がった瞼が急に開いた!!とか、スムーズに話せる様になった!!と、いう、メスチノンの物凄い効果を感じさせる話を目にして、私にはそこまでの感
胃カメラした後も、朝のこわばりとかがあり、倦怠感が続いたり、変な気持ち悪さがありました。仕事行ってもご飯食べたあと気持ち悪くなって早退したりしてました。そしたら血便がいきなり出て、今まで血便とかほとんど出てなかったので焦り、急遽大腸カメラをやることに。結果は問題なし。なんだ俺の病気は?と考え始めたが、分からない。背中や手とかこわばることを伝えても、血液検査で筋肉の数値も問題ないからと言われ、心気症だと言われて終わりました。そして、原因がわからないので、初診で大学病院を受診するも、今までの経過を話