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『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから17
ある本📕からの抜粋↓↓↓【二人の初代】…日本の天皇家は、「王の子が王になる」家系。そして、それがユダ族のダビデ王朝が断絶されたとされる当時から今でも続いている世界唯一の家系-賢司は血統を絶対原理とした日本の皇位継承の発想が、世界を見渡しても異常なくらい独特なものであることに氣づいた。男系の世襲こそが唯一の正統性の源泉であり、それ以外は一切許さない。何か宗教的なものさえ感じる-一方、西欧で皇帝はもともと血統というよりは実力者への継承で、王権も女系や他家に移ることもあった。中国では数千年の歴
【宮崎】宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田の狭野神社【狭野神社御朱印】【狭野神社御朱印】【狭野神社御朱印】式年遷宮奉賛御朱印【狭野神社御朱印帳】【拝殿】【御祭神】神日本磐余彦天皇(神武天皇幼名:狭野尊)社伝によると第5代孝昭天皇の御代神武天皇ご降誕の地に創建されたのがはじまり。神武天皇の
私は、独自の「原日本紀」仮説というものを用いて、日本書紀の紀年復元を行っています。そして、そこから見えてきた数々の新説を著書や本ブログなどで公表してきました。昨年からはYouTubeでも動画にまとめて配信を始めました。すると、「原日本紀年表」の全体はどのようになっているか?というお問い合わせをいただきました。確かに、都度都度、新説の周辺の復元紀年のみによって解説していてはわかりにくいかと自覚しましたので、先日、復元紀年の全体を動画にまとめて公表いたしました。「原日本紀年
腹ごしらえはバッチリできたところまでが前回。『【奈良旅】完全自家製麺!天然ダシが自慢の情熱うどん「荒木伝次郎」』しあわせの森公園で芝桜を堪能したあとは腹ごしらえ(*˘︶˘*).。.:*♡『【奈良旅】芝桜まつり2024!しあわせの森公園』4月初旬から4月中旬にかけて、…ameblo.jp腹ごなしと言っては何だけれど、橿原神宮はなんだか定期的に訪れたくなる場所だ。令和22年(2040年)は、御祭神神武天皇が橿原宮址で第一代天皇として即位されてから2700年の佳節を迎える。
こんにちは!龍神画家の弥生ですドラゴンクリスタルチャネリングカードの44枚の龍画の画家てす***初めまして!龍神画家弥生はこちらから⇒こんにちは!!私最近、歴史にハマってまして、世界の龍マップを作ってます。そんな中、びっくりした事が起こったのでシェア💕皆様、古事記、日本書紀は、名前は知ってるよね。でも実は、もう1冊日本の歴史書として、書かれていた本は知ってるかな?それは、『先代旧事本紀大成経』(せんだいくじほんぎたいせいきょう)ある時まで
倭の五王の最初の王「讃=菟道稚郎子皇子(うじのわきのいらつこのみこ)」の即位を、西暦419年と設定しました。その前代の天皇である応神天皇の崩御年は、その前年の西暦418年です。本来なら、次に考察すべきはその応神天皇なのですが、応神天皇紀を正しく理解するためには、その前の神功皇后摂政紀、さらにはその前の仲哀天皇紀と総合的にみていく必要があります。それは、「神功皇后」の存在をどのように解釈するかが、前後の年代観を大きく左右すると思われるからです。そこで、まずは神功皇后について考えることにします。
うさぎ兄弟の使用人@nRBkD85nCYbIBTN【速報】愛子さま学習院大学の卒業が正式に決定大学側が今年度の卒業生一覧を発表(TBSNEWSDIGPoweredbyJNN)卒業するのって普通じゃないの?何故こんな当たり前の事を速報しなきゃならんのだ。今まで皇族が大学を卒業するって速報無かったじゃん#Yahooニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e0d0f5bff98c81d13c0fcd749d5aa8714
こんにちは。今日は牡羊座の金星と水星が一直線上で重なる日です。度数は17度!じりじりとしますね😅💦さて、今日は九州旅行の続きですが、現在の宮崎県は古代は「日向(ひゅうが)の国」といいまして、これは「ひむかい」という意味で、初代の神武天皇は宮崎県生まれ、なのですね✨✨ものすごく温暖な沿岸部で、海を隔てると、四国にもめっちゃ近いのです✨✨なんとこの国に、出雲の神々が日向国一宮として祀られているのです。いや…祀られているのは…三輪山の神で
結論)神武東征の起点は徳島市渋野町/佐野神社にあり❕※俺の森家としての故郷である。♥シャーマンは、自宅→吉野川→徳島眉山天神社→渋野八幡神社→(新四国曼荼羅霊場82番札所)長谷寺→佐野神社→森家の爺ちゃん婆ちゃん、佐野家の父さんのお墓参り→勝占神社(祭神.大己貴命=大国主命)→地蔵院→諏訪神社、事代主神社→徳島眉山天神社→吉野川→自宅へ♥YouTube:※文字離れが著しい日本人の為に、動画で織り成す、言霊たち❕#渋野町#初代天皇は神武天皇#森家一
健磐龍命を祀る阿蘇神社「一の神殿」。*画像はWikiより■表記健磐龍命(タケイワタツノミコト)紀…阿蘇津彦その他、武五百健命、阿蘇大神、阿蘇大明神など■概要初代阿蘇国造である速瓶玉命の父とされます。「阿蘇山」に鎮まる神霊が阿蘇大神(阿蘇大明神)であり、健磐龍命のこととされます。◎景行天皇の九州巡幸の途上、十八年の段に以下のように記されます。━━天皇は阿蘇国に到る。その国は野が遠くまで広がり、人が居る様子はない。天皇曰く「この国に人はいるのか?」と。その時、阿蘇津彦と阿蘇津
丹生川上神社中社:奈良県吉野郡東吉野村小968八年振りの奈良だ。インバウンド観光客でごった返す京都駅で近鉄特急に乗り換え、橿原神宮前駅へ。レンタカーを借りて明日香村から吉野川沿いを行く。途中、対岸の「平宗」という柿の葉寿司の店に寄る。江戸時代末期、文久元年(1861年)に創業。昭和天皇に献上された鮎の寿司が看板商品のようだが、ここは迷わず好物の焼鯖寿司を頼む。金峯山寺参道の柿の葉寿司はかなりしょっぱいが、この酢飯の味付けはほどほどで、甘味もあってたいへん美味である。丹生川上神社下社には天川村
セオリツヒメ(瀬織津姫)の記事に色々メッセージくださっておおきにです〜興味持ってる人が多くて、めちゃ嬉しーヲシテ文献(ホツマツタヱなど)の内容を、ちょいちょい説明していきますーヲシテ文献とは何ぞや???まだ読んで無い方は先にこちらをhttps://ameblo.jp/naboochan/entry-12355306383.htmlヲシテ文献(ホツマツタヱ等)は、古事記日本書紀の元書です。とにかくホツマツタヱから解くとセオリツ
明日4月25日夜8時〜土佐邪馬壹国勉強会ラジオ始まります。46回目のテーマは神武天皇長兄の五瀬命の家系図を検証していきます。古代日本には一人で数々の名前がありました幼名本名字名(あざな)氏名姓名諡号(しごう)諡(おくりな)とは興味深い日本の建国からの系譜を旅しましょうお楽しみに!
第517話こんにちは菊水千鳳です前回の日記(金峯山寺参拝編2)の続きです。旅行の2日前のこと。金峯山寺へ行く方向で決まり、意気込んでいたら、俺の部屋に崇徳天皇さまがいらっしゃいました。(崇徳天皇さまは、京都の白峯(しらみね)神宮にいらっしゃいます)崇徳天皇さま【今回は奈良ということであるようだな奥の方まで参るがいい山を登るとその先にみえてくるのは異界の山峰であるぞ昔は小さな祠があった程度であったが次第に山伏の修練の場となっていったのよあれこれどのくらいの年月
『『建嶋女祖命神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~土の女神と出雲の神々~』『『勝占神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~古代海人族の聖樹~』『『金山神社~立岩神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~八咫鏡の生まれた町~』『『王子…ameblo.jpさて、出張の合間の神社巡り阿波徳島編の一日目を先日書き終えて、二日目に取り掛かりたいところだが、少し小休憩を挟みたいと存じます。阿波古代史に深く潜るためには欠かせないことのひとつ。それが『太龍寺』である。山号舎心山四国八十
ご訪問ありがとうございます。さて、前回リブログでご紹介した「2人のハツクニシラス天皇」では、九州から来た「神武天皇」と第10代の「崇神天皇」について一人の始祖を分化させた疑いがあるということと崇神天皇は「ミマキヒメもしくはミマツヒメ」のところに婿入りをしてミマキイリヒコになった可能性を考えてみました。しかし、考古学会には神武東征を否定する見解があります。例えば、国立歴史民俗博物館名誉教授の白石太一郎さんは、畿内から九州への土器の流入はあっても、九州から畿内への流入が極めて少な
今夜‼️夜8時〜メンバー内ディスコードラジオ「土佐邪馬壹国勉強会ラジオ」始まります。45回目のテーマは神武天皇長兄の五瀬命の家系図を検証していきます。陽国王家の系図陰国王家の系図そして名前の秘密㊙️🤫氏名姓名諡号諡(おくりな)とは興味深い日本の建国からの系譜を旅しましょうお楽しみに😄😄😄
こんにちは♪早水公園の満開のあやめとなりにある早水神社⛩️に仁徳天皇の妃の髪長媛の誕生の地とされる参拝🙏しゃくなげの花が咲いていた髪長媛が使ったとされる泉で顔や手を洗うと美人になると言い伝えられている♪皇子原神社⛩️の入り口夫はここの駐車場で待ってる雨結構降ってきている☔️傘さして行ってくるよかなりの階段がんばるよもう少し途中階段脇のお花をみながら皇子原神社は1号古墳の上に鎮座している狭野神社の元宮にあたる紅葉🍁がきれい〜春の紅葉傘を杖代わりに階段降り
こんにちは😃久しぶりののんびりとした週末を過ごしております。台風は大丈夫だったでしょうか?今年はスーパーエルニーニョ現象が起こっているようで、まさしく備えが大切ですね😅さて、今日は古代ヤマト国のかつての王の話です。近畿地方を統治していたかつての王と言い換えても大丈夫です😅邪馬台国の前身の統治王でもありました。なんと話は2000年をさかのぼりますが…このかたの子孫こそ、東北の縄文時代の神、アラハバキ王国をまとめ上げ、なおかつ後に蝦夷(エミシ)と呼ばれる部族となりますよ。歴代の卑
邪馬台国論争日本と新羅の祖④「多婆那国」【序】過去記事で新羅の初代・赫居世王、第4代・脱解尼師今王、そして日本の初代・神武天皇が、それぞれイエス・キリスト(とりわけヨハネの黙示録のキリスト)が投影された人物である可能性を見ています。このことを念頭に、脱解尼師今の生誕地とされる多婆那国について考えてみたいと思います。画像と記事は関係ありません【生誕神話】倭国の東北一千里のところにある多婆那国で、王妃が「卵」を生んだ。王は「人が卵を生むのは不吉だ」と言いその卵
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第23回近親婚ネットのなかでは、朝鮮は毎年美女3000人を2000年に渡って中国に貢いでいたので、女性不足になって強姦民族になり、近親婚を繰り返したので遺伝子が劣化して、世界最悪の劣等民族になったとされていますが、実際には朝鮮のような儒教の倫理で長年運営されていた国は近親婚を嫌います。なにもしなかったのに名前だけは有名な厩戸皇子の父親は用明天皇で、母親は穴穂部間人皇女ですが、このふたりは舒明天皇の子で異母兄妹なのです。用明天皇の母は
おはようございます出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。古事記には、様々な神が登場しますが、神と人は、どこで区別されるのかは神の時代が終わり人の時代が始まったのは、神武天皇からとされています。それは、古事記の神々は、「死ぬ」ことがないですし、たとえ、「死ぬ」ことがあっても、オオクニヌシのよう
こんばんは!@Ricoです。関西巡礼遠征👣の続きですよ^^→ひっそりと、まだ続いとります奈良→東大阪と巡礼は進んできてまたまた再びの奈良✨斑鳩の里✨といえば、法隆寺さんを思い出すよね☝️が、しかーし。今回のねえさんぽ👣のテーマは神武天皇からはじまる原点ねえさんぽ。→饒速日尊との繋がりね✨よって、向かった先はこちら⬇️廣瀬大社さん✨法隆寺駅前には、こちらの碑↓今回、法隆寺駅からレンタサイクル🚴♀️にてレッツゴー‼️8時ちょい過ぎの生駒なんでもないような景色が
前回は次の目的地、伊雑宮と伊勢神宮外宮について書きましたが、特に、外宮の豊受大神を封じ込めているのが多賀宮ではないかと考察しました。今回は伊雑宮について。以前に伊雑宮のただならぬ重要性を感じさせられたのが、「伊勢-白山道」さんのブログ記事でした。伊雑宮の近くに霊能力者であり剣の達人でもある「フツノミコト」と呼ばれる人がいて、カラス天狗も操っている。昭和の話その2-伊勢ー白山道(※ここから書きますことは、最初は常識の範囲内で書こうと思いまし
邪馬台国論争日本と新羅の祖③「西暦57年」【神武天皇と新羅王・赫居世】新羅の祖は、新羅側では赫居世(生誕:前69年?、即位:前57、没・退位:後4年3月)とされ、日本側資料(新撰姓氏録)では、神武天皇の兄である稲飯命だとされます。なお過去記事で神武天皇と赫居世(稲飯命)は、共にその数値等からヨハネの黙示録の救世主(再臨のイエス・キリスト)が投影された人物として描かれている可能性があることを見ています。撮影阪急苦楽園口駅近く夙川沿画像と記事は関係ありません
日曜日は冬至、今日❨24日火曜日❩はク🐿️マスイブですさて月曜日12月23日は何の日でしょうか?「クリスマスイブイブ」ではありません❗正解はデデデデデデデデデ前の天皇誕生日でしたということと、桜井識子さんの「和の国の神さま」を読んだから神武天皇神様が本当にいらっしゃる神様ということが分かったので、お話したくて橿原神宮に参拝させて頂きました。「和の国の神さま」を読むまでは、ほんまにおるか?どうか?わからん神武天皇に興味の欠片もありませんでした。小学校の遠足で参拝しましたが、何も覚えて
今から16~17年前のこと。取引先訪問を終えた帰路でのバスの中。ウトウトしていた私の耳に飛び込んできた車内アナウンス。「次は五十鈴町」一瞬で商談中より冴えた頭で我に返り、私は窓の外を見渡しました。しかし見えたのは、どこにでもあるような住宅街。「五十鈴町」という地名から、私は伊勢の五十鈴川や天河神社の五十鈴を連想したのです。帰宅してからすぐにネットで検索。大阪府茨木市五十鈴町。その町名の由来は、どうやらその地に鎮座する溝咋神社(みぞくいじんじゃ
『出張の合間の神社巡り(阿良須神社)~不思議の国の蟻巣~』『出張の合間の神社巡り(元伊勢内宮皇大神社①)~森って素晴らしい~』『出張の合間の神社巡り(下鴨神社)~さざれ石の秘密~』『鴨と丹塗矢と御歳の女神の内緒…ameblo.jp↑のつづき。さて、関西出張3日目は奈良駅である。いつも以上に時間が限られており、行ける神社はひとつくらいだ。普通に考えれば大神神社だとか、橿原神社、石上神宮などが思い浮かびそうだが…たったひとつしか選べないのなら、ここしかないと私は思った。奈良駅周辺
いつも私たち夫婦のブログを読んで頂きありがとうございますYouTubeショートを更新いたしました2023.9.7大分県にある宇佐神宮経内『水分神社』から『御霊水』にて撮影。今年初めに宮崎県高千穂『八大龍王水神八大之宮』で、銀色の光を纏う龍神と出会いました。四柱いる八大龍王と呼ばれている龍神のお顔と神話とのつながり銀龍神のみ、お顔が分からないまま『宇佐神宮』へと繋がりを探しに導かれました。経内の地図を見ないまま禁止エリアへ行かされ銀龍神が降りられる『水分神社』へ導