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2024.04.16(火)夫入院3456日目母の物を片付け処分していると祖母の物も出て来ます読めない〜手書きの家系図、当時の戸籍謄本ここからは以前にも載せた物です私が生まれる前に亡くなった祖父のマント高島屋でオーダーしています一応今のところ置いておきます
母は祖父(母の舅)からのモラハラに苦しんでいた。祖父は短気だ。感情を表現するのが下手で、繊細だ。真面目な職人。母はポジティブ、おおらか、はっきりものを言う。嫁である母との相性が良くないことは、今はわかる。祖父は母への怒りがたまると、自分の妹、娘、ひいては取引先の社長まで家に呼びつけ、その前で母を罵る。私が小学生のころからだ。私の父は、仕事終わると遊びに行く。飲みや麻雀である。祖父は父のいない夜を狙う。父のいない夜に、母を罵る。私と妹は自室に行く
今日の夕方病院から電話祖父の急死命ってあっけないよね結局誰にも看取られないで逝った適当に生きてたから誰も悲しまないその後久しぶりに父と電話第一声が「大丈夫か?」ってどうやら自分が死んでないか気になってたみたい両親離婚してるから離れてるし連絡もしない「元気で生きてるならそれでいい」とか言ってたけどどうせもうすぐ死ぬよ?父も母も50代だしもう子供じゃないからいいっしょ一人っ子だから中々妊娠しなくてやっと授かったから母は多少悲しむかな?でも死ぬための準備を整えてる
私の祖父が、生前、私に自分が子供のころの恐怖体験を話してくれたことがあります。それは「河童の話」祖父が、ある時、小学校時代の不思議な体験をしたと、話をしてくれました。小学校5年生のときに、同級生、男子5人で川に遊びに行ったときのこと。同級生の一人、山口くんが、得体のしれないものに引っ張られ、川の中に引き摺り込まれそうになったそうです。「あれは河童と呼ばれる妖怪じゃな」と真面目な顔で語るのです。「川で遊んでいると、山口の悲鳴が聞こえた。わしが振り向
祖父が狩った鹿を母が食べた時祖父は猟師の免許を持っていて、行政から要請が入ると害獣駆除に赴く。ある日、祖父が久方振りにウチに来た。それも大量の鹿肉を持って。今夜は鍋だぁなんて言っていて、両親も大喜び。鹿鍋に舌鼓を打ちつつ祖父「捌いてから日が経ってるから良い感じに熟成されてるな」父「柔らかいなぁ、これ雌鹿?」「ああ、デカかったから仕留めやすかったよ」てな感じの会話を祖父と父がしていた。母はそれを聞いた途端に箸を落とした。「え、これ鹿なの?お義父さんが狩
昨日は、普通だった母親認知症にも波があるようだ。とりあえず良かった☺️満州鉄道で、仕事をしていた祖父の関係で満州で産まれた母親は、満州からの引き上げ組だ!起きたとき満州から引き上げてきて~、、、と泣きながら起きていたなんのゆめをみたのやら??でも、よく亡くなっていない人がいると言っている。これだけボケていたらそりゃー心配して出てきてもおかしくない。祖母も認知症で最期は酷かったと聞いている人間は、常に選択の人生なのに最期は選べないのね~。
長女、次女が祖父、父との食事から帰宅食事場所から家までは乗り換え無しで帰ってこられる。お店で別れられれば…父親と娘たちだけになることはない。そうでなければ、車で祖父を送り、その後の自宅までの時間は父と娘たち…頭の痛いことを言われるだろうと思っていた娘たちはそれを回避したいと考えていました。でも、『じゃあ、私たち電車で帰るね』と父親に言えない娘たち。結局、車で送ってもらい帰宅しました帰りの車ではほとんど会話はなかったそう。長女の希望で焼き肉になったのに長女は途中で気持ち悪
楽天写真館からメールが届きログインしないとデータが消えますよとのこと。何年振りかにログインをしたら息子が赤ちゃんの頃の写真がありました。また今はなき祖母と息子の写真も。眺めていたらうるっときてしまった。80才台で乳癌に罹患して91歳で他界した祖母。同い年の祖父がもう直ぐ誕生日で97歳になります。もう亡くなって5年以上経つのか。早いなぁ。写真って残るから良いなぁ。子供達が大きくなって写真を撮る回数が減ってるけどもう少し撮ろうかな!
夫が家を出て、もうすぐ4年去年の春先から次女への連絡が頻繁になり(一人暮らしを始めたので)私のコロナ感染をきっかけに家族ラインでのやりとり(子供のことや戸籍上、どうしても必要なことがあるので、返信がくるようになったのは、とても助かっています。)また、先日は書類のやりとりでわずかながら数年振りに顔を合わせた。(これもお役所関係のことでした。)去年はのめり込む程の相手がいなかったのか家族との距離を縮めてきている感じはありました。大晦日に家に来るのも年始にご飯のお誘いがきたの
筆者の父方の祖父母は、どちらも教師であった。あるとき、筆者の祖父は言った。「人を感化できる教師になれ!!」筆者の祖母は言った。「1番目立たない子の小さな変化に気づける教師になりなさい」筆者は、「どっちやねん!!」と思っていた。人に話聞かせたらええんか、人を見たり話聞いたりしたらええんか、「どっちをやればええねん!」と。「矛盾してるやん!」と。筆者の祖父母はもう他界しているので、矛盾した遺言をどうしようかと筆者は思い悩んでいた。だが、最近になって思う。それは必ずしも
真ん中娘がね最近私の祖母にやたら会いたい会いたいと呪文のように唱えてましてなんだかいろいろな思いがねありましてね多分、母親とはうまくいかないのでなるべく私は会いたくないんだけど笑祖母に預けられ育ったようなとこあってもう。いつまで元気かもわからないし実際自分が祖父に会えず亡くなった経験があるから余計になんだか無理してでも真ん中娘を私の祖母に会わせてあげたくて無謀だなと思いながらも本日、妊娠8ヶ月にして3人の子ども達を1人で連れて地元へ電車移動で帰りましたなぜか、今日に限って
昨夜、また寝かしつけのサポートに行きました。上の孫は遅くても9時には寝付くのですが、下の孫はお昼寝をするので、寝付くのに少し時間がかかります。2歳児クラスの最後あたりからずっと、保育園の送りの時に、ちょっと離れ難くなっていて、少し離れるのに時間がかかる日が多いので、新しいクラスで不安があるのかな?少し不安定だなと感じていたので、上の孫が寝入ってから、下の孫をトントンしていた時に、私「◯◯ちゃん(下の孫)さ、ばぁちゃんが◯◯ちゃんのこと大好きなの知ってる?」と言ってみま
私の祖父が生前よく言ってました。「人間は病気では死なん。寿命で死ぬんだ」実際、祖父は昔(まだ良い薬が無い時)結核に罹患し…その当時は療養所に入ってました。それから後にも口腔がんに…しかし…96歳まで何やかんやと生きてました。祖父本人がその言葉を証明してくれた。私は「血液のがん」でも、お薬のよく効く「MALTリンパ腫」で寛解した。多分…神様が私には、まだまだこの世でやらなきゃいけない事が沢山残ってる。だから生かせてくれてるんだ。最近、切実にそう思える出来事が…父親の介護母が元気
私が小学校1年か2年のころの夏休み・・姉と私は、祖父に連れらて、(今思うと)純和風の門構えの家に何度も行きました。門を入ると、そこには、大きな杉の木があって、その日は、ミンミンゼミが鳴いていて~家に入ると、「いらっしゃい・・あら、お孫さん?」私の母よりずっと若~い、きれいなお姉さんが、姉と私を交互に見くらべて、年を聞かれました。奥の座敷からの景色は、なかなかのもので・・おやつを姉と食べたあと、夕方、庭に出ると…そこには、たく
大相撲夏場所番付発表大の里が小結に昇進所要6場所で新三役|NHK【NHK】5月12日に始まる大相撲夏場所の番付が発表され、新入幕から2場所連続で11勝を挙げた23歳の大の里が小結に昇進しました。…www3.nhk.or.jp【会見全文】大相撲大関琴ノ若が祖父のしこ名「琴櫻」を襲名|NHK【NHK】大相撲の大関琴ノ若が5月行われる夏場所の番付発表に合わせて、元横綱の祖父のしこ名、「琴櫻」を襲名しました。www3.nhk.or.jp接種していたら最後の花道になるか
\30%OFF×20%OFF/ガードル骨格ウェーブ大転子リングアウト骨盤ガードル下半身引き締め下半身痩せ太もも痩せ骨盤ゆがみハイウエスト大きいサイズハード骨盤産後ガードルお腹引き締め痩せ全3色全5サイズラディアンヌ楽天市場1,743円ラディアンヌ更に20%OFFです。こんばんは。私の祖父は厳格で子供嫌いな人だったそうです。私の記憶の中でも無口で怖い人という感じ。そんな祖父へ子どもの頃お手紙を書いたみたいで、そのお返事を見つけました。
祖父が亡くなりました。もう名前を呼んでもらえないこと家に帰っても祖父の姿はないこと寂しいけれど、長く、長く、いろんな役目を果たして終えた一生に、心からお疲れ様と伝えたいです。一緒に過ごす一瞬一瞬にたくさんの愛と宝物をもらっていたんだなぁと感謝でいっぱいです。ちゃんとお別れしに行ってきます。
火がすごかった~!太陽牡羊座だから?(違)今日は母方の祖父母の供養もお願いしました。恥ずかしいことにこれをするために初めて祖父の名前を知りました。あと半年で終戦というところでの戦死だったので会ったことが無い祖父。祖母に宛てた愛情いっぱいの手紙が残っていて優しい人だったんだろうなぁ会いたかったなぁ今まで名前知らなくてごめんなさいと供養の間にお話ししてみました。途中、蝋燭がだんだんと倒れて行くのが気が気じ
ちいの父、東京下町の出身なのです。が、すでに人生の大部分を京都で過ごしています。でもって、ここ数年、脳みその老化が著しい……で、リブログ元の記事で少し触れた、ボンボンショコラを作っていたメーカーが取引先だったという話、実はだいぶ違うことが最近判明しまして父の父、つまり私の祖父が、ヤシマボンボン…たぶん『八州ボンボン』?に勤めていたようなのです。祖父は私が幼少のうちに亡くなったので、残念ながら全く知らないのですが、『ヤシマのボンボン』は、たぶん…50年前頃…は、かなり有名なお
昨日は上野にある東京芸術大学のあたりを散歩していました。僕の祖父が行っていた大学で行く前に名簿があるかなとネットで検索してみると、、、、ありました。和田藤十郎と書いてあります。大正11年に入学していました。きっと田舎からでてきて黒い学生服を着てガリ勉くんみたいに頑張っていたのでしょう。学生の作品が展示されていて販売もされていました。どれも個性的で素敵でした。入試も行っていたみたいで新入生が門の前で写真を撮っていました。大正11年といえば西暦でいうと1922年なので
※夢の内容を書いて、心の整理をしているだけなので、見たくない方はUターンしてくださいこんにちは最近は眠くなることが多く、毎日1〜2時間はお昼寝をしています吐いたりする悪阻は無いですが、眠り悪阻はあるようです今日も10時半から1時間半ほど寝ていたのですが、目が覚めた途端、大号泣してしまいました。夢に祖父が出てきたことと、私が叶えてあげたかったことの半分を夢の中では叶えていたからです。去年の9月に祖父が亡くなったのですが、それ以降私の夢の中に祖父が何度か出てくることがありました。祖母や
急須を片付けながら祖父を想う鹿吉です。こんばんは!祖父が他界してから随分と経ちます。十年ひと昔と言いますが、それ以上経っても祖父との思い出は色褪せることなく心に、記憶の中に、そして想いの中に生き続けております。祖父を想って私が書いた書を想う縁(よすが)として飾ってあり、父が毎朝きちんと祖父の好きだった緑茶を淹れては供えております。渋いお茶が好みだった祖父でございますので、ケチんぼ父の淹れる薄いお茶には文句ばかりかもしれませんが、健気に偲ぶ気持ちいっぱいにお茶を淹れる息子の姿
今日の東京は午前中曇りで(写真下)、午後からは晴れました(写真上)午後はちょっと暑いくらいの陽気に思えましたが、皆さんの地域のお天気は如何でしょうか今日はお寺に沢山の外国人が来ていました。団体ではなく、バラバラでしたが、ここ何年か、お寺では見かけなかったのですが、急にです!今週末は、浅草の浅草寺(せんそうじ)でも、料理道具が揃う合羽橋(かっぱばし)でも、多くの外国の方を見かけました。やっぱり、今、外国人が旅行に来はじめていますから、これからは日本のお寺が、日本観光の目的
突然ですが、お餅とお米だったら断然お米派の鹿吉です。こんばんは!毎年お正月を過ぎるとお餅の出現率が上がる我が家。その勢いは3月に入っても変わりません。父と母が必死で消費しておりますが、私が戦力にならないことで思うように減らないようにございます。「今日はお餅、食べてね」と言われるとあからさまに私ががっくりと肩を落とすので、母もやる気をなくすようで小さな火種が落ちることもあるくらいです(笑)嫌いなわけではないのですが、あまり美味しいと思わないのでございます。基本的におか
出血から数日経った日の朝。私はスマホへの着信音で目を覚ましました。電話には間に合わず、履歴を見ると実母から。折り返し電話をかけますが、出ません。母から、夜中にメールが届いていたことに気付きました。受信していたのは前日の0時前。メールを開くとじいちゃんの病院に行ってきます。という内容でした。この「じいちゃん」とは、私にとっては母方の祖父で、子ども達にとっては曽祖父にあたります。祖父は、年齢が90歳を越えていて、今年の春先から一気に体調が悪化して病院に入院をしていました。ほどな
☆アクセスありがとうにほんブログ村☆ランキングに参加してます☆昨日の札幌晴れ最低気温、5.7℃最高気温11.0℃昨日、娘が遊びにきてくれました頂いた筍をお裾分けする為ねお手製の山菜ランチでお持て成し味噌汁については後日、詳しく・・・娘、筍ご飯をお代わりしてました上の真ん中、ワラビのお浸しが以外に好評でした梅を細かくたたいて入れたのが良かったかも4月から1年生になった旭ですが昨日は集団下校の練習とかで帰宅が15時頃になるんだとか・・・驚い
ご覧いただきありがとうございます私はパート主婦のゆーゆママです。夫、息子(6歳)、娘(1歳)の4人家族。投資で失敗した夫。消費者金融からの多額の借金で、現在は債務整理の手続き中。これまでの事はテーマ「お金」で書いています。これからの生活をどうしていくのか…どうなっていくのか…今現在の日常も含めて、ゆっくり気ままに書いていこうと思いますいつもありがとうございます(^^)今回は日常ブログです。もしよろしければどうぞ〜先日、母から連絡を受けました。タイトルの通り「余命宣告」で
#じーじとばーばんちの思い出について書こうと思う鹿吉です。こんばんは!私はよく祖母宅に泊まっておりました。祖父の朝が異常に早いことも、祖母の信心深さが早朝から炸裂することも、朝ごはんのお味噌汁がめちゃくちゃに美味しいことも、同じ職場に行くのに祖父は車で祖母が自転車で行くことも、そして自転車を押しながら一緒に歩いて私を学校へと送ってくれたこともとても心をほわっと暖かくする思い出にございます。祖父の朝は4時でございました。祖父宅に泊まるとお布団を座敷に3つ並べて川の字で寝ま
そのことを聞いたのは、私が10歳の時だった。父「ある日、家に帰ったら母親がいなくなっていた。父親に聞いたら「出ていった」と言われた。母親にはそれきり会っていない。どこに行ったかもわからない」父は6人兄弟だった。父の母(私の祖母)は、家を出る時に子ども全員(6人も!)を連れて行くことはできなかったと思う。誰かを選べば、選ばれなかった子は一生悲しむ。なぜ自分は選ばれなかったのか…と。それなら、全員残していった方がいいと考えて、一人で家を出たのだろう…と。私
修羅の門の主人公陸奥九十九の父不破現(うつつ)。彼は不破でも100年に一人と言われるほどの身体能力を有する強者だ。ところで100年に一人はどのくらいすごいのだろうか?不破の世代交代が仮に20年毎だとしよう。そしてその間に平均2人の子供が生まれると仮定すると100/20*2=1010人くらいの不破の一族が生まれ、そのうち5人が不破になる。本人が「不破」でないので不破の一族の中でとしても10人に1人。どんなに多くても20人に1人だろう。つまりクラスに1~3人くら