ブログ記事121,539件
本の出版からそろそろ1ヶ月、本の感想を知りたくて、ちょこちょこamazonレビューを見たりしています。amazonのレビューも一時期(今も?)荒らされまくり、その後ファンの方々がたくさんレビューをしてくれて…と中々見ない星5と星1が多い不思議な分布になっています😅amazonのレビューは僕らではどうしようもないので(良いレビューも悪いレビューもamazonに消されまくってる😅)それはいいのですが、僕が見るときは買ってもいない人の荒らしレビューを見たくないので、フィルターをかけてama
人の身体は、おおよそ約60%が水分で出来ていると言われていますから、なにを飲むのかということは結構大事だと思います。僕は癌になる前は甘いスポーツドリンクばっかりがぶ飲みしていましたから、糖分が栄養源の癌君たちはさぞや嬉しかったでしょうね(笑)。癌になって気を付けたことはたくさんありますが、ミネラルウォーターも大事だと思ってちゃんと考えて選びました。これは、みなさん知っているでしょう。奇跡の水と言われているお水です。
今は前向きに乳がんの自分を受け入れて……でも乳がんは私に必要無いものだから"必ず癌は私の身体から去る!"と確信して恐怖もなく生きれている私ですが……最初乳がんを知った時の恐怖は今でも忘れられません正確に言うと恐怖が強すぎて記憶もあいまいになるぐらい。(人間、痛みが強すぎると、生きていく為にその痛みを忘れるというけど、それと似た感じ)だから今となってはその時の恐怖を実感はできないけど……どれだけ絶望して恐怖したかは覚えています最初のきっかけは胸の小さ
今、振り返ってみて私が一番しんどかった時期が2019年9月末に余命宣告を受ける前の2019年の4月頃歩けなくなり始めた頃から始まりましたこの時の事を詳しく今まで書かなかったのはあえて書かなかった訳ではなくあまりにも、その時の私はもう毎日を生きるのに大変で必死で正直、記憶もあいまいで思い出すのも少ししんどくて……でも、この時の事はこの経験が誰かの何かの参考になるかもしれないしいつか書いておきたいと思っていたのでようやく少し落ち着いた今、思い起こしながら
この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[中編]の続きになります時間と共に良くなると思っていた腰。これが中々思うように良くならず…それに伴って、いきなり介助が24時間必要になり家族も大慌て。髪の毛は洗えないまま10日の時が過ぎましたもう、身体も、精神的にも限界だった頃訪問看護の方達に来てもらう事になりました初めて訪問看護の方に来てもらった時……その時の私はしんどすぎて腰だけじゃなく足なんか左太
2018年12月、妻に癌が見つかり長く短い闘病生活が始まりました。癌発覚と同時に妻は毎日、日記を書いてました。闘病中の妻の思いをノートの記述を通して紹介したいと思います。(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・今朝4:40に38.0℃あり、アセトアミノフェンTP.O。日中落ち着いていると思いきや14:50、右乳下しこり周
もうすぐ終わり。2月を最後に治療せず普通の生活を送れてたけど10月に癌サイボーゾック暴れ出して緊急入院し12月に入って、癌であることを公表してから初めていただいたお仕事をしクリスマス直前にまた癌サイボーゾックが暴れ出して緊急入院わがままを言って退院させてもらいドバイでのんびりのはずがお仕事の打ち合わせに時間がかかりのんびりできず色々あったけど、沢山の人に助けられて支えられて、めちゃくちゃ元気に生きてる全てに感謝ありがとう来年も楽しく元気に生きるよ
この駅に着くと、いつも何となく胸騒ぎがする。重粒子線治療が終了してから、あっという間に9ヶ月が過ぎた事になる。早いなあとつくづく思う。3月11日に6ヶ月間、服用し続けた抗がん剤からやっと解放されたものの、常に倦怠感は付き纏い、一日たりとも爽快感を味わい知る事はなかった。私の自律神経は、何か行動しょうとする、その都度都度に、いつもシーソーの様にゆれ動いていた。その抗がん剤が終了しての、初めての検査であるから、どうも落ち着かない。血液検査を済ませて、MRIの検査に
2018年12月、妻に癌が見つかり長く短い闘病生活が始まりました。癌発覚と同時に妻は毎日、日記を書いてました。闘病中の妻の思いをノートの記述を通して紹介したいと思います。(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・もう1月も終わりか・・・今日、SPをもらって少し便が出た。まだ少し残っている感じするけど。まあ、なんとなく洗濯いくまででも、
患者様に、ドキドキしながら先生のブログチェックしてます、応援してますって、毎日たくさんの方に応援いただいています今日、滋賀医大に先日撮影したPET-CTの結果を聞きに行ってきました。肝臓とその近くのリンパ節が2個光っていて、腫瘍マーカーが少しずつずっと上がり続けていることからも遠隔転移だろうということでした。肝転移かーーー。今後の方針として、子宮頸部の小細胞癌は稀だから再発への治療法も確立しておらず、どう治療していくべきかが難
2018年12月、妻に癌が見つかり長く短い闘病生活が始まりました。癌発覚と同時に妻は毎日、日記を書いてました。闘病中の妻の思いをノートの記述を通して紹介したいと思います。(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・深夜0:30右側腹~腹部中央あたりに重怠い感じあり。時々、右乳下しこり部分少し痛い感じあり。ロキソプロフェンP.
先日私の記事をアメバのトピックに掲載して頂いたようで沢山の方のイイねやフォローを頂きありがとうございますこれからもつたない文章ですがありのままの私を飾らずにお伝えできればと思います!こんなミミポポを今後ともどうぞよろしくお願いしますっ(↑この時の私は既にいつ出血してもおかしくなくて常に大量のガーゼを持ち歩いて…それでも大好きなスタバに行っては腫瘍を気にしながらも友達とお茶していました笑)そんな訳で……飾らずに……私の今の日々の過ごし方を書いてみようと思います笑
「がん」の闘病記録最初から読んでくださる方はこちら私らしくいるための部屋!?お部屋のリフォームをしたいな~とこの連休はSNSで、海外の部屋の写真ばかり見ていたパリの部屋。マイアミの部屋。バンコクの部屋・・どれも素敵~♡とだいぶ見尽くした私は、そのうちの自分の入る老人ホームどこにしようか。なんて考えたりしてっ老人ホーム超高級ヨーロッパとググったりしてっ色々と妄想っ・・(安上りな私)子供のころから、インテリアとお部屋の間取りを見るのが
2018年12月:癌発覚2019年10月に他界短いようで長い闘病生活の日々について。。。**********************************おはようございます。2018年10月に看護学校同窓会に行き、「疲れた」と言い、早くに帰宅していた妻。。その後も体調がすぐれないで、風邪薬を飲んだりしてました。そして12月の、あの日。。。久しぶりに仕事に行って、着替えていると同僚に黄疸を指摘され即座に退勤して家の近所の循環器内科を受診。即、総合病院に行くよう
この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]の続きになりますこの頃私は家の中でも両杖無しには歩けなくなっていてしゃがむ事、地べたに座ることもできずついに、アルバイトにも行けなくなりましたそんなある日、冷蔵庫の上のものを取ろうとした瞬間グキッて右肩甲骨が鳴ったのが分かりましたその瞬間から激痛で右手を上げることコップやお皿さえ持ち上げられなくなりましたそして既に両杖をつかないと歩けなくなっていた私は肩甲骨を痛めた事によって杖をつけなくなり
今まで、腫瘍や病状の変化や状況の変化を主にブログで書いてきたので……乳がん告知された26歳2012年〜2016年までの4年間の、あまり腫瘍の変化が無かった時期の事を書くことが無かったのですが実は、、身体の変化は無くても心の変化は大きくあったので今回は心の変化にスポットを当てて、思い起こし書いてみようと思います実は元々の私は…[全編]で書いたように乳がん告知される前の私はずっと10代から働いていたアパレルで仕事人間で……でも、クラブや派手な遊びは大好きで、真
このブログは小さな家に暮らすアラカン主婦の日常を綴ったブログです。目が覚めるようなネタはありません。特別美味しい料理もありません。ファッションセンスもありません。あるのは愛です♡どこにでもいるおばちゃんのリアルな日常を見に来てくれたら嬉しいです。ケアマネジャー整理収納アドバイザー防災士自己紹介再婚物語平屋の家のこと子を捨てた親のことアメブロのお題からです。今月の13日は祖母の命日でした。大正生まれの祖母です。子供の
最初からっミミポポ『【花咲乳がん①】初めて皮膚を突き破った時』この記事は2020年ブログの振り返りを含みます34歳で余命宣告された私ってこんなんミミポポ『改めまして!ミミポポですっ①』こんにちは!ミミポポですっこの…ameblo.jp止まらない花咲乳がんの進行30歳で腫瘍が右胸の皮膚を突き破ってから34歳で2ヶ月の余命宣告を受けるまでもちろん放っていた訳では無くその時の私なりに毎日必死に何とかし
前回の記事がニュースに取り上げられ、アクセス数がすごいことになって、ビックリしています。(写真が10年以上前ので、恥ずかしすぎる笑)それだけショッキングな話題ですよね💦心配のお声をたくさんいただきましたが、今は傷も全く痛くなくて元気なので、私は大丈夫です。今回は、がんが発覚するまでの流れを書いてみます。長いので、3回に分けます2019年2月人間ドック受診今年の2月に、初めての人間ドックを受診しました。大学卒業後に会社員として働いていた頃は年に1回健康診断を受けていましたが、フリ
「がん」の闘病記録最初から読んでくださる方はこちらサボテンの花が咲いたとき。最近の週末は、実家に帰ることが多い。帰るといっても、都心から一時間程度なので、ドライブがてら寄るといった感じ🚗なんだけど。私の母親は、その当時にしてみると私を高齢で産んだので私の両親は、同級生に比べると10歳位、年上なのだ。最近は、しょっちゅう風邪をひくし体のあちらこちらが痛いといったり。。そんなわけで、心配なのでちょこちょこ帰っている🚗のだそんな実家で、久しぶりにボケー
※閲覧注意※この記事は、腫瘍の動画が含まれます今日は今、使用してるイブランス2クール目の2週間ごとの経過観察の為朝から、病院行ってきました採血だけした結果……ほぼ、2週間前と変わらず特に悪くなってるとこもなく順調との事でそのまま続行になりました!けれど!腫瘍は更に2週間前より小さくなり身体中にあったしこりも全部小さくなってて!中には、もう触った感じでは無くなったものもあります!とにかく、そんな感じで順調で良かった良かったーそして!題名にも書いた私の腫瘍が大き
こんにちは。エリカです。7月のニューヨーク肋骨の痛みで呼吸が深くできず、ちょっと走っては止まりの連続で、そのうち歩くだけでも息が上がっていました。空手で肋骨にヒビが入ったときと似たような症状だったので、日にち薬で良くなるものだと勝手に思っていました。日本で整形外科を受診したらすぐに良くなると軽く考え、ランニングシューズやウエアをスーツケースにつめ、初めての皇居ランを楽しみに帰国しました。なのに、もう走れない...(涙)
岸あさこです😊お読みいただき、ありがとうございます✨🧡テープが話題になっていたので、少しご紹介させていただきます!術後の傷に貼るテープの商品名アットノンサージカルテープマイクロポアちなみに私は、サージカルテープマイクロポアを使っていましたよ😊ケロイドも防ぎます。白のサージカルテープではなく、茶色にしてくださいね。白テープ貼りっぱなしだと肌を痛めます。細いテープではなく、幅広2.5センチのものです。こちらです。
明日投稿する動画の編集をしていて、みずきが余命宣告を受けたのはいつだったかな?と当時の日記を見返してみました。11月初頭にPET検査の結果を聞いているので、その時に「何もしなければ4ヶ月、延命治療して半年から2年」と言われたのだったと思い出しました。気づけばそこから8ヶ月経ち、半年は2ヶ月前に過ぎていました。あっという間の8ヶ月でした。幸いみずきは抗がん剤が奏功し、手術ができるところまで来ることができました。しかし、もし治療がうまくいっていなければ、みずきとの時間はもう
私が癌になって約8年その時から沢山の食事療法を試して色々、知識と共に変わったけど…結局、コレだけは絶対食べないと変わらないもの。それは砂糖ですこれは白砂糖だけに限らず蜂蜜やメープルシロップ、甜菜糖などの甘味料も含みますもともとチョコレートとかプリンやケーキが大好きだった私は最初糖分断ちするのは本当辛かったけれどしんどいのは最初だけで止めてしまえれば今度少しでも砂糖とか入ってたら"うぇっ甘っっ"ってなってむしろ気持ち悪くなった多分これは、以前の私
乳癌日記Amazon(アマゾン)1,568円手術前に、どこをどう切るかの説明をしてもらってます。思ったよりも大きくえぐられるので、ちょっとしょんぼりしております・・・。でも、よくよく聞くと、昔は皮膚も、ぴっちりと切って縫ってたそうなんですが、今は、少し余裕を持たせて縫い合わせるみたいです。そうすることにより、再建するときに、やりやすくなるんだって。しばらくは、皮がもたつく感じになるみたいだけど、再建した暁にはきれいな胸になると思えば…。
以前、もう腫瘍も皮膚に飛びだしてるけどそれでも、食欲もあり元気に動けてた頃……私は、よく定期的に断食をしていましたというのも、断食をすると食べないことにより内臓が休まりその時に、身体の回復力だったり普段、力を回しにくい所にパワーが行き結果身体がみなぎるからです!私は、だいたい3日くらいの断食その後、3日かけて復食(3日使ってなかった胃を同じ日数かけて少しずつ慣らしながら戻していきます。この復食が断食をする上で1番大事!とも言われています)する事が多かった
2018年12月、妻に癌が見つかり長く短い闘病生活が始まりました。癌発覚と同時に妻は毎日、日記を書いてました。闘病中の妻の思いをノートの記述を通して紹介したいと思います。(基本、原文そのままで掲載してます。一部、省略したところもあります)2018年12月11日(火)朝から掃除や買い物、福祉サービスへの連絡、夫へ色々の引継ぎで病室につくと疲れた。とりあえず、明日は安静(検査後のため)でお風呂入れないからシャワー浴びて夫に洗濯物を持って帰ってもらう。夫が帰った後、ベッドで兄者に一
私の腫瘍が皮膚から飛び出して来たのが2016年30歳ぐらいの時今思うと自分でもビックリなんですが…というか"バカだったな~"てつくづく思うのですが……最初皮膚から腫瘍が出てきたのを"あ、外に腫瘍が出たのは中で広がらずに身体の外に出してくれてるんだ"そう思いましたその後すぐに、これは悪化だと気づいたのですが本当にこの時の私は身体を見る方向が偏っていたように思いますだから今はその失敗を反省して偏った見方に捕らわれないようにと思っていますそして、腫瘍が飛び出
まずはコレ読んでねっミミポポ『【私のやれること①】初めに...大切な事✨』34歳で余命宣告された私ってこんなんミミポポ『改めまして!ミミポポですっ①』こんにちは!ミミポポですっこの度!Amebaの担当さんからご連絡いただきこの…ameblo.jpイイね🤍コメントありがとうございます!めちゃくちゃ励みになり力をもらえていますっ還元くん欲しいけど…末期がんと闘う方へ朗報です!✨最近はまりにハマって昨日熱弁した還元くんミミポポ『【私の