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癌になって気になるのは生存率。より、私が気になるのは無再発生存率です。癌になったものはしょうがない。再発転移さえ起こさなければ、ただの出来物をとっただけの病気ある病院のホームページに、その病院の1996年〜2022年にかけてのサブタイプごと、病期ごとの無再発生存率が記載されています。まずは乳がん全体の無再発生存率早期発見がいかに大切かわかります。次にサブタイプごとの無再発生存率ルミナルAと、トリネガでは20%も無再発生存率が違うんですねショックです。そして、私と同じステージ
今日は主治医から連絡があり、来週に予定している再発確定のためのCT撮影を単純撮影から造影CTに変更することになりました。先月に受けたセカンドオピニオンの先生からのアドバイスで、快諾していただけたようでよかったです。さて、前回腎盂癌ステージⅣの2年生存率は10%と書きました。しかしこれは調べてみたところ誤った数値だったようです。正しい数値は、2005年~2009年に腎・尿路(膀胱を除く)で尿路上皮癌でステージ4と診断された274例では生存率は1年55.2%,2年30.6%,3年22.7%,
ここに辿り着いた方へありがとうございます。私は乳がん治療中です。術後の結果を載せておきます3月中旬に、温存切除の手術ルミナルAステージIグレード2腫瘍の大きさ8ミリリンパ菅血管浸潤なし転移なしエストロゲンレセプター100%プロゲステロンレセプター100%HER2陰性ki-6720.2%ということで今日は放射線科を受診し明日からの放射線治療に向けて胸周りに、たくさん印を付けてもらいました。明日から16回やり抜きます!そして、その後乳腺外科
vol.119がん宣告から丸6年がん宣告から丸6年が経った。7年生進級だ。当時、咳が止まらず、胸も痛くなって、近隣の病院に診てもらった所、すぐがんセンターに行ってと言われ。色々と検査し、6年前の今日、「肺腺がんステージ4です」の宣告を受けた。そして分子標的薬の開始。現在までに、•クリゾチニブ(ザーコリ)約1年↓•アレクチニブ(アレセンサ)約3年7ヶ月ガンマナイフ治療のちに右半身麻痺出現↓•ロルラチニブ(ローブレナ)現在約1年3ヶ月途中、東洋医学に挑戦
やったぁ!今年もこの日を無事に迎えることができました乳がんステージ4の診断から丸12年12年前……娘がお腹にいた臨月の頃の私は地獄の痛みに毎日たえていましたほとんど動けないし、1度横になったら…1人で起き上がれないぐらい…どうにもならない強い痛みです本来の予定日は、まだ2週間先でしたが、赤ちゃんは十分成長しているし、私が限界でした娘には申し訳なかったけど、2週間早く予定帝王切開で生まれてもらったのでした娘よ、ごめんしかし……娘が生まれて、ものすごく幸せな気持ちと、
前回の続きです。もし転移してた場合、シスプラチンだけと2種類の抗がん剤(シスプラチンとパクリタキセル)を使った場合とで、治る確率はどれくらい変わるんですか?2種類使ったら何%上がるんですか?と聞きました。そしたら、婦人科の先生が今パーセンテージがわからないから、ちょっと外で待っててください。と言って、診療室を飛び出していきました。どこかに調べに行ってくれているみたい。しばらく待っていると戻ってきて、うちの病院
2020年5月25日術後1ヵ月と1日手術前の辛かった症状が取り除かれて、この時すでにウォーキングで4キロ歩いたりしており、かなり体が回復していました。退院後にアミラーゼの数値の経過観察で1度診察を受けていましたが病理の結果を家族も同伴でないと教えられない規則があったようで、何も知らずに1人で行ってしまい結果をしつこく聞くも教えてはくれずこの日改めて夫と病院に行きました。病院の食堂でモーニングこの日術後1ヵ月で完食しています。胃切除後も不思議と人並みに食事ができ、
-̗̀今日の体調̖́-首の痛み、耳鳴り、味覚障害首の痛みで目が覚めちゃった昨日夕飯の時旦那さんと晩酌で飲んだらものすごい動悸がしてきてちょっと苦しかった…大好きなビール飲めなくなったら嫌だなぁ*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*ちょっと重い話していい癌サバイバーさんなら一度は検索したことがある生存率について…ブログパトロールしてると生存率についてものすごく語ってる方がいらっしゃいます。YouTubeでもたく
こんにちは、乳がんステージ4のるーです。今回は、主治医から受けた確率について確率をはじめて聞いたのは、告知の時ステージ4でどのぐらい生きられるのかと伺った時、受診している大学病院の統計では5年生存率は25%と言われた。これがしばらく、私の心を掴んで離さなかった。数字で表されると、イメージしやすい。100人に25人4人に1人。5年後生きている人が4人1人って、衝撃的だった。別な統計を見るともっと良い結果も出ている。それでも、50%は超えていない。その後
そのときに買った本は0歳から6歳までの病気についての詳細とホームケアの方法や症状の写真が記載してある病気事典。仕事でも常に後輩たちに想定できうることを全て想定して仮説を立ててから行動しなさい!とかなんとか偉そうに言っていたので今後も起きるだろう心配事に備えて事態が起きたときに慌てず行動できるように色々な情報を知っておこうと隅から隅まで本を読んだ。あるページで、胸がどきり、として手が止まった。それは、胆道閉鎖症についてのページ。「うんちの色が白い赤ちゃんは注意!」1ページの内の4分
11/17術後2度目の外来で、やっと病理検査の結果が出た初めの所見通り、『膵管内乳頭粘液性腺癌』手術前は4センチで、十二指腸にもはみ出てるが、転移なしだったのに、、、腫瘍の大きさ6×3×2切除したリンパ節に三ヶ所転移ありステージ2bらしいそして再発率は高いとのことんーリンパ節もかぁここまで聞いて、私も多分旦那も頭真っ白何も質問できずというか、これ以上聞くと怖いし泣きそうだし生存率とか再発率とか、先生も敢えて話さなかった手術前この癌は普通の膵癌と比べて予後の良い癌で、
今日から入院です。予定では2ヶ月半。私はお産以外で入院するのははじめて。あれもこれもと持って来た荷物は大量に…入院前にもしかして抗がん剤で髪が抜けるかも?!と髪を短くカットしまた。上咽頭癌の方は放射線治療の部分の脱毛があるみたいだけど、まれに抗がん剤でも抜けてしまった方がいらしたので思い切ってショートボブに。今日は採尿レントゲン心電図と、検査をし放射線課の先生と耳鼻科の先生からの説明あり、生存率50%と聞き落ち込み、家族の前では平然としていたが帰った後一
ブログ巡りしてて。初めて聞きました折れ線型自閉症という言葉。しかもググってもよく分からんかった自閉症の中でも、一旦出かかっていた言葉が、出てこなくなるという現象が折れ線型の目安になるそうなんですが…予後が悪いようで。(生存率ではなく、後の成長具合が悪いという意味でしょうか?)👆2歳くらいまでは普通に成長していて、いきなり成長が後退するそう。発語ということで恐らく2歳前後の話になるのかな?と思うのですが、これ原因とか解明されてるんですかねまぁ手っ取り早い話、成長が後退するんだと思う
退院して10日後、術後初めての外来。今日はT先生だ。検査の結果は、、、ガンは3つだった。下2.5cm×1.5cm、上1.5cm×1.5cm、右上0.7cm×0.3cm。いずれもホルモン受容体陽性乳がん。他のタイプはなし。まあひと安心。これからしばらくホルモン剤を毎日一粒飲むだけ。酒もタバコもやらない方がいいがそれ以外はなんでもOK。ゴルフも登山もまた普通にできるようになりそうだ。あとは急に太らないように、と。更年期以降になると、ガン細胞が脂肪からエストロゲンを取り込もうとするから。また骨粗鬆
ガンと診断され、一番気になることステージ私の場合はステージ3期でした。3でもA〜CがあってさらにCは1と2がある私はステージ3C2期でした。頭の整理が出来てない状況できいたので、主治医の先生に書いてもらいました。混合ガンらしいですw流石に生存率までは怖くて聞けませんでしたまずは5年。2027年1月25日そのころはどんな生活を送ってるんかな?
私がブログを再開しようと思ったきっかけは知り合いが悪性リンパ腫になった事自分や近い人の病気が見つかると病気の事をネットで検索してしまう予後や生存率を見てショックを受け、長期生存している人をブログなどで見つけると安心し希望になる同じ病気に苦しむ方に夫と息子の情報を残せたらと思い再開しました息子の病名は脈略叢乳頭癌(グレード3)全摘後の5年生存率は58%現在息子は再発無く発症後9年目夫の病名は神経膠芽種(グレード4)5年生存率は10%10年生存率は0%現在夫は再発無く発症後9年目
がんになると、再発の不安から抜け出せないですよね乳がんは、生存率でいうと他のがんより高いので、『乳がんは、治る病気だよ』『乳がんは、生存率みるとほぼ皆、生きてるよ』なんて言われたことがあります。でも、乳がんになった人にしかわからない、不安『10年後にも再発』がつきまといます。一般的ながんは、5年で生存率はグッと下がるとされています。ちょうど昨日次女の定期検査があり、5年たった次女も、これから再発の可能性はほぼないでしょうと言われ安心しました小児がんでも、リンパ性白血病は、5年以上
初めての育児に悪戦苦闘しながらもようやく子育てに慣れてきたと感じていたあの日小さいながらも幸せな日常から不安と絶望の日々に突き落とされたあの日2010年3月24日ちょうど10年前の今日は生後4ヶ月だった息子に脳腫瘍が見つかった日です息子にとっても私達夫婦にとっても長く辛い日々の始まりの日でしたこのままでは余命2週間…生きられても5歳迄…最初に入院した病院からの余命宣告に絶望していた私達家族に手を差し伸べてくれた現在の脳外科の主治医息子の腫瘍は血の塊の様な腫瘍だった為に、手術中には
肝内胆管癌、ステージ2の告知を受け、何か生存率に影響のある要因があるのか無いのか色々調べていました。すると、2つほど報告が見つかりました。いずれも、腫瘤型のタイプのみが対象です。********PETの光り方と生存率*************すると、肝内胆管癌の場合、PETの検査の結果、その光り方の数字である所のSUVという値があるのですが、この値と生存率に関連があると言うことが分かりました。WorldJSurg(2019)43:1323–1331という報告で
2018年10月2日、甲状腺全摘出手術の退院から1週間ちょっと。9日予定だった受診日が1週間早まり2日の受診となった。僕はこの日仕事で出張のため、弟と僕の妻が一緒に受診した。摘出した甲状腺の病理検査の結果がいい渡される。「甲状腺未分化がん」・摘出した甲状腺を調べたら未分化がんであると。・甲状腺のがんの1%程度の確率でなるがんであると。・未分化がんの診断の時点でがんの大きさや、進行の状態にかかわらずステージIVと言う診断だと。・なぜ未分化がんになるのかはわかってないと。・極めて進
検査着に着替えて機械の中へCTと比べると時間が長く閉鎖的な空間、機械の音私はこれからどうなるんだろう家族のこと、仕事のこと、死のこといろんな事が頭をよぎりました。胃カメラでは、細胞を摂取できるかどうかの検査。前回の胃カメラでは麻酔が効かなかったので申告して検査に挑みました。緊張からか血圧も上昇。検査中目を覚ましたがすぐ眠りにつきました。その後診察、ほぼすい臓がんで間違いない事がわかりました。細胞を摂取できること。腹膜播種がみられるなど。私はただぼーっと説明する先生の話を聞いてま
後どのくらい生きられるのだろう。3年くらい大丈夫なのか、それとも半年もたないのか?ネットで調べないわけにはいきませんでした。探しているとロシュ社の記事に以下の文面を見つけました。切除不能なHCCの予後は不良であり、全身薬物療法の選択肢は限られており、1年生存率は50%以下です8)。ただし2015年の統計のようです。テセントリクアバスチンはおろか、レンビマも承認されていません。生存率はこれよりかは上がってるはずです。ですが、抗がん剤が効かなかったことも考慮して余命は1年と考えるよう
突然の子宮肉腫という告知。CTの予約をしてその次の週にその結果を聞きに行くことになってからの3週間、前日までの私はもういなくなってました。自分の世界がこんなにも変わるなんて。病気に関して無知な私、すぐ死ぬ気満々でした(笑)携帯での検索の毎日。子宮肉腫も種類?があって私は何でステージはなにか…何もわからない。とりあえず、稀な病気で生存率が低くて肺に転移しやすいって書いてあった。あと、腹腔鏡下手術だと、腫瘍?が散りやすく転移しやすいとか(||゜Д゜)何か息苦しい…胸がいたい、そんな
”そこから予想される近い未来”ガンから守ってくれている遺伝子が阻害されると…人の体のシステムには「ガン細胞から守ってくれている」数多くの機能や免疫システムがあります。そういう中で、有名なものとして、「p53」という遺伝子があります。まあ、私も最近知ったんですけどね。これが、ガンの発生や、あるいは増殖、転移といったものを抑止してくれるものであり、以下のようなものです。九州大学のニュースリリースよりp53は、多くのヒトがん患者で機
忘れないうちに、メモ書き的な感じで婚活で出会った男性と2回目に会うタイミングで、帰り際にちょうどふたりだけの空間ができたので、言ってみました。「あの。言っておきたいことがあって。…私、大きな病気してるんですけど、大丈夫ですかね…?」多分こんな感じで切り出したと思います。(ドキドキしてたから、すでに記憶が曖昧)「ここ。気づいてました?」と首のテープ痕を見てもらい、去年、甲状腺を片側摘出したことを説明。(ちなみにテープが見える服着てましたが、全く気づいてなかったらしい)そして、甲状腺が
この記事のつづきです『10年前から悪性腫瘍を育てていた。』この記事のつづきです『過去に受けた手術も1%の症例数でした』この記事のつづきです『グリオーマという脳原発悪性腫瘍』この記事のつづきです『画像上の全摘出ができた…ameblo.jp「ここまで聞いてどう?あきさん、今どんな気持ち?どう思ってる?」先生はのぞき込むように私の目を見て聞きました。「いやぁ、びっくりしました。本当にびっくりしました」思わず大きな声が出てしまいます。だってめっちゃスケールが大きくて、私のような平凡
とうとう恐れていた最悪のケースでした。まさか、19年前の肝腫瘍が悪性だったなんて。というか、もしかして別のもの??だとしたら、前の肝腫瘍はどこいった??でも、たしか場所も同じような所だった気がするし。と、いまからすれば、いろいろ気になりだして、考えがまとまらなくなります。もちろん、それ以上に、これ大丈夫なの?まだ、生きられるのか?でも、消化器内科の先生は、外科の受診は、慌てなくて良いけど、半年ほっとくのはどうかと??!なんて、微妙なこと言っていたし。まずは、生存率のデータを探すが、ス
2021年5月内視鏡検査で胸部食道に大きな腫瘍を確認。病理検査の結果待ち。ネットを検索しまくり、段々知識も増えて行く。咳が出るのは大きくなった腫瘍が気管を圧迫しているのが原因であれば、多分既に食道がんステージ4。ひょっとしたら気管にもう浸潤しているかも知れない。いづれにしても手術は出来そうにない。どうしても目が行くのが生存率のデータ。いろいろな医療機関が過去の患者の生存率を公表しているが少しづつ違っている。ちょっと良い結果だと救われる気もするが、逆のデータもある。あちこの
こんばんはコンバージョンサージェリーの生存率のグラフを動画や本で時々見かけるのでその元ネタはどこかと探していてふと思いました。生存率が何%であっても人は人。データはデータ。自分にとっては「ゼロか100%」でしかないんだと。いくら調べても所詮は安心材料(不安材料)にすぎないですしね。でも、せっかく調べたのでグラフくらい貼っておきますかねAdjuvantsurgeryがコンバージョンサージェリー群。Controlが非手術群です。
息子に脳腫瘍が見つかり余命2週間…手術をして生きられても5歳までだろうと言われたあの日その後夫に脳腫瘍が見つかり、10年生存率は0%だと言われたあの日そんなあの日の事が昨日の事のように思い出せなくなった今日は、夫の膠芽腫が見つかった日からちょうど10年目になります息子は脈絡叢乳頭癌グレード3夫は神経膠芽腫グレード4何でよりにもよって夫と息子が脳腫瘍になるんだろう…それも悪性だなんて…何で息子は障害を負わなくてはならなかったんだろう…最初に入院したのがあの病院でなけば息子は違う人生