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現在の状況をかんたんに三行でまとめると…毒親育ちの私、二十年以上、絶縁していた父の遺産を放棄。そしたら母から連絡が!故・父のきょうだいに遺産を取られちゃう!とのこと。母の言い分を3行で言うと、こう。娘の私が一筆書けば、妻の取り分が増える。そしたら、自分が死んだとき残る遺産を全部あげる。だから言う通りにして。…とのこと。取り合いになるようだから、遺産はプラスの額だったみたいですね。遺産を父のきょうだいにやらず、母の生活費にするならすればいいとは思いますが…父のお金ほしさに、母
おはようございます父のしんだときのことを書こうと思って、ちょっと馬力が必要だなって足踏みしています。あんたんとこの父ちゃん、しんだんやってな!「と、ひとから言われた😭」「他人にそんなこと言われる筋合いないわぁ😡」と、芋子が泣いて電話してきたのでした。そのとき、かめのこは夜勤明けで、相方とくつろぎの外食中でした。JR松山駅前の居酒屋ゑびすにいたのだった。10年ほど前のこと。当時の写真も何もないですと、ここまで書き進めていたところ。緊急地震速報⚡️地震が起きる前、ランチを食べに行
運命の糸に絡まる心「Destiny」は、主人公の西村奏と野木真樹の運命が、予期せぬ方向へと進んでいった点で先が見えなくなったような・・・ただ最後に悪の運命が待っていたようなすれ違いがありましたね・・・深まる謎、交錯する運命このドラマの登場人物たちの運命が複雑に絡み合っている内容にチョット惹かれたような気がしたのですが!!西村奏の過去における父・辻英介の存在が重要なキーとなっている点が気になるところですね。一方、野木真樹との出会いが奏の人生に新たな風を吹き込む様子は、まるで
早すぎた父の死父が亡くなったのは私が26歳の時。突然だった。父は1人で暮らしていて、地元から遠く離れた場所に住む私に電話を度々かけてきては「ちどり、早く帰ってきて」「もうお父さんを看れるのはちどりしかいないよ」なんて言い出すようになっていた。当時の私からすれば「親らしい事もしてもらってないのに何で今更私が面倒を見なきゃいけないの」と、思っていた。病院からの電話どうやら父は入院していたらしい。心配してはいたが、すぐ退院出来るとの事でホッと胸を撫で下ろした。1
2019年8月に、難病から腎不全となりました。はじめまして(*´ω`)2019年11月現在はGFR33タンパク質30gの食事制限で腎臓を守る生活しています。このブログは、難病が発覚するまでの経過を、思い出しながら綴っています。父が危篤状態になった時、立ち会えるのは私だけでした。父には実子が3人いますが、全員、関係がよくない状態。一人は何年も前から完全なる音信不通。一人は、母から連絡しても無視。一人は、最初に一度だけお見舞いに来てくれたけど、
昨日、ゆっくり運転で自宅へ帰ってきました。実家ではコタツに入っていたのに、宮崎は半袖w季節がずいぶん進んだような気がする。今回の父の死。本当に色んな感情が渦巻き、そしてやることもたくさん。よほど疲れていたのか、昨日はぐっすりでした。父の血圧が下がり、透析を行えないと母より連絡があり。でも、ワタクシは仕事中。とりあえず、22時過ぎまで仕事をして。いろいろ準備をして、自宅へ帰る。いくら、心配でも前回帰省してから、ずーっと仕事で。この日も朝からずっとだったので、途中仮眠を取りながら
看取り日記より〜その日は16:09主治医から電話があり、胃液で誤嚥したり腸が破れて体内に便が漏れたりもうギリギリの状態で生きていると告げられる。熱は37度ほど翌朝まではもたないらしく直ぐに病院へ向かう。まだ暫くは居たかったが短時間で帰された。コロナ禍だから仕方ない。当直の看護師には、もしもの時は早めに連絡をしてもらうようにお願いした最後は、孫にも会えるようにお願いした。20:25分看護師から電話あり、血圧が測定できず、やっと取れたが、60しかないとのこと直
母を入院させ、私の中では先ずは丸三日くらいはただただ寝続ける予定だった。ひたすらひたすら。んが、何故だかある意味不思議に健康的な一日をまず過ごしてしまった。いや、本当に健康的ならそれに越したコトはないのだけど先ずは「あゝ1人って素晴らしい」正確には(母のいない)1人なんですが(笑)。で、しばらくシャワーしかしていなかったので、明るいうちから湯船にお湯を張って、ゆっくりお風呂に入ろう!と思い立ち、脱衣所とお風呂場の境目に何故か出来ていた洗濯物干しスペースを整理何故ここが干し場になっ
40年近く前の中学生の頃(年齢バレバレ)9月のある日父が帰って来なかった。早朝に電話が鳴り、母が対応している母「はい、何か間違えてないですよね、わかりました」2階から話を聞いてるとかなり動揺しているのがわかる母「さくらーお父さんが死んだって今警察から電話があって、一緒に警察に行こう」記憶では早朝6時前後、急いで準備をしてから警察に(しかし、何で警察??)警察はよくドラマであってる感じでした安置所に案内され、身元確認!寝ている様でした
昭和47年7月オイルショックの始まる少し前に、会社創立。それからは、不景気との闘いでした。小さな工場から、どんどん大きくしていって、初めは、見向きもしなかった金融機関に、あちらから「融資させてくれ」と頼まれるまでに、15年くらいかかった。手形を割ってくれず、金策に走り回って、夜も眠れなかった日々。私が、夜中に目を覚ますと、布団に座って、目は閉じているのですが、ずっと会社の事を考えて、眠れていなかった父。寝言で怒鳴り散らして、大声出している父。やっ
皆さんお元気ですか?久しぶりにブログを開けてみました過去を振り返ると、色んなことを思い出して泣いてしまいそうでなかなか開くことができませんでした父の四十九日も終えました。悲しみや寂しさは全然変わらないけど節目として、前向きに切り替えれたら良いなと思います思い出してたまには泣いてしまうかもですがだけとそれも含めて「私」なので自分の気持ちに正直に生きていこうと思います。父が亡くなってから色んな感情、色んな出来事を味わう日々でした。父を亡くし改めて生と死に向き合いこれ
クリスティ・プイウ監督によるルーマニア・フランス・ボスニア・ヘルツェゴビナ・クロアチア・マケドニアのコメディ映画。出演はミミ・ブラネスク、ジュディ・スタテ、ボグダン・ドゥミトラケ。<あらすじ>パリの週刊誌シャルリー・エブドの事務所がテロリストの襲撃を受けた3日後、父の死から40日後の土曜日、40代の医師ラリーは、家長であった父を偲ぶ親族の集まりに向かう。そこで出会った人々から父の思い出、さらに意外な話を聞く。<雑感>この作品は長尺で、3時間近くある。その間ずっと会話をしているだけだ
ありがとうございました😊父が亡くなり、早くも7日が経とうとしております皆様、温かいお言葉、たくさんありがとうございます無事、お通夜、お葬式を行うことが出来ましたまだまだ、悲しみは癒えないですが、いつまでも下を向いていてはいけませんね。父の死は、間違いなく、私の人生で一番の悲しい出来事でした普段から、仲は良く、楽しく過ごしていた時間がこんなに突然なくなるなんてこんなにも自分が落ち、こんなにも涙がまだ残っていたのかと思うほど流れ落ちた母や、大好きな、愛犬ナナちゃんが、亡くなった時も落
妻の認知症の衰えは想定外だった…昨日⋯妻の父親の葬儀がありました。『【在宅介護日記】妻に父親の死を話してみると⋯』妻は父親の死を理解してくれるだろうか…妻の義父が急逝したことを妻に伝えました。『【次女弁当と在宅介護日記】訃報の悲しみと安堵の狭間に⋯』義父に言えなかった妻と…ameblo.jp妻に義父が亡くなったことを伝えても何の反応が無かったのですが、せめて最後の姿を見せようと、妻を葬儀へと連れていくとこに⋯。認知症の進行が更に顕著になった妻⋯喪服への着替えもひと苦労⋯💦着替え
今日の空はこんなにも、青お父さん育ててくれて、ありがとう家族のために一生懸命働いて、お疲れさまどうか安らかに再、始動1人でも多くの結婚したいをサポートこれがわたしの使命なので見守っていてね
ご無沙汰しておりました。色々大変な事がありまして、、なんやかんやバタバタしていたんですが、ちょっと落ち着いたので再開しようかなと思っています大変な事、というのは先月父が他界したんです。父はまだそんなに歳でもなかったですし、特にどこが悪いとか入院してるわけでもなかったので急なことでした。小さい頃は凄く良い父親でお父さんが大好きでした。ここには恥ずかしくて書けないですが、母が亡くなってから中々の破天荒ぶりを発揮して、こちらの健康を害するのでうんざりして実家を出ていました。元気で長生きして
死別ブログを読み始めたのは「夫の命が危険です」と言われて数日してから。もしかしたら明日明後日に夫がいなくなってしまう。そう思うとネットで色々検索してしまった。人様のブログを読むというのはもう長年のしている事だが死別ブログは一度も読んだことが無かった。その存在すら知らなかった。呑気に暮らしていた私は主婦のおしゃれな暮らしとか料理ブログとか、そんなブログばかり読んでいた。死別ブログは当事者にならないとなかなか巡りあわないだろう。母が夫である私の父を亡くしたのは60代になってから。
2005年4月26日お通夜4月27日社葬泣くことも、死に顔をしっかり見ることもなく、準備におわれ、社葬は始まり、私の友人たちが、「あんなに大人の男の人が、泣く姿、初めて見た」と、言ってくれるほど父に関わった多くの人々が嗚咽し、泣いてくれていました。そんな中、私は、父が手術した日に心に決めた通り、涙を一粒も流すことなく、社葬を終えました。社葬の翌日ほとんど眠ることもなく、従
明日は父のお葬式です。余命半年から1年を信じて行動してたのに。40日でお別れ。下り坂を転げ落ちるように体力が無くなり、骨と皮になった父。それでも、もう少し時間があると思っていたのに。最後は寒い、寒いと言い。暖房を強くし、電気毛布を敷き、電気カーペットで温まり。だのに今は霊安室に居ます。ドライアイスを当てられ、冷蔵庫の中に居ます。明日、冷蔵庫から出られる。体が無くなり、自由になれるよ。お父さん…明日、自由になれるから。父が亡くなり、その瞬間から統合失調症の弟の様子がおかし
葬儀中、彼は母の車椅子をずっと押してくれた。母も彼に感謝でいっぱいと言っていた。私からもありがとう。本当にありがとう。父からも、ありがとうと言っていると思う。"太郎、すまんな。ありがとうな"って。
先日、札幌西区役所から届いた文書は衝撃的だった。父の死を知らせる内容と、「行旅病人」という初めて聞く言葉。色々な意味合いのある言葉のようで、「行旅者又は住所及び居所のない者若しくは明らかでない者であって、引取者がなく、かつ、警察官が救護の必要があると認めて引き渡したもの」という事も書かれている。ここだけ読むと、父は氏名、現住所、本籍がはっきりしない状態で亡くなり、死後に名前などが判明し、私の姉弟達に連絡がきた・・・のか?そこでこの文章を読み進めると父はどこで見つかり
父の死を知った私でしたが、長年絶縁してきたため、葬式への参加も辞退。すると、しばらくして母からの手紙が。内容は…まとめると、こう。・父が亡くなり、銀行口座が凍結された!・そのため、生活費が困る・なるはやで相続の書類に判を押して送って!父の遺産ですが、プラスなのかマイナス(借金)あるのかもわからない。私には知らされてない。ウチもフリーランスでカツカツ自転車操業暮らしなので、ぶっちゃけお金なんてあればあるだけほしいけれども、そんなリスクある相続はできない、ムリ。たとえプラスの遺産だ
アサシンクリードヴァルハラのリンカン学校ではなくリンカンシャー篇がやっと終わりました。リンカンシャーはちょっと北の方にある紅葉が綺麗なエリアです。そしてフンワルドという人物の護衛ミッションから始まる。フンワルドをまず自宅まで護衛するもいちいち戦闘時に近寄るので巻き添い死して蘇生するの繰り返しでうざい。そして自宅まで行ってから今度はフンワルドの父の行方を捜索するはめになる。いちいち敵兵士のいるエリアを通っていき、戦闘になったり、痕跡を調べたりでけっこう手間がかかった。しかし手間をかけて
初めての方へ39歳の時夫が突然旅立ちその5ヶ月後2歳の一人息子も旅立ちました息子の看護師さんだった方が今のパートナーとなり昨年娘が誕生しましたそんな私の日々です*****************************************こちらに住んでいて私くらいの年齢の日本人女性に会うと「チュー妻」か「現地妻」かどちらかかな…何となく考える「チュー妻」とは「駐在員妻」つまり旦那さんのご都合で海外に住んでいる人と現地人と結婚して海外に住んでいる人チュー妻はいつ
なんだか嫌なタイトルですが。。。正直父の死を知らせれた時から葬儀を終えても。。。いつその悲しみが襲うのだろうか。と思っていたのですが。。。。それが訪れない。我ながらやっぱりおかしくないのかなあ。と思ったりもしたので理由を考えてみました。一番は、よく考えたら日常に父がいなかった。じゃないかと。普段から頻繁に連絡を取り合っているわけでもないし、会うのは年数回。1回2時間程度。なので”いなくなった”と言ってもそれって普段と変わらないじゃん。ってことなのかなと。あとは癌だとか、余命1年くら
こんばんは。今日で父が亡くなって四十九日。法要は家族の都合で明日。子供が生まれてから3年以上続けてきた『みてね』という画像共有アプリ。義両親と夫婦でやってて、父がスマホにしてから何度か招待を考えたけど面倒だな…と義両親とどこにいったとか、どんなことをしたとかわかっちゃうのもなんか面倒でたまにLINEで送ってるからいいやって思ってた。でも、やっぱり後悔は出てくるもので…アプリをダウンロードしてあげて、招待してあげればよかった。いつでも写真みられたらきっと喜んだだろうな。写真
実家に行って郵便物をチェックしてみると、父宛の手紙が届いていました父が入社して一番初めに配属になった事業部の同窓会の案内でした。父の会社はのちに社名も変わり、その事業部も無くなってしまったのですが、あえてその旧名称と事業部名での同窓会父は同窓会が大好きで大学の学部や野球部の同窓会、中学校同窓会、入社して初めての部署の同窓会お誘いがあれば決して断らず、全参加どの同窓会も後から写真が送られてくるのですが、必ず集合写真の端の方で嬉しそうに笑っている父がいました。幹事の時も、そうじゃなく
介護旅行・終活・世界遺産のことはお任せ!小田原のアラベラです。先日、私が活動している<小田原シニアライフ協議会>の終活セミナーが開催されました。具体的には<エンディングノートの書き方講座>でした。参加者は少なかったのですが、その分受講者の状況に応じたお話ができたと思います。ある受講生は2年ほど前に父親を亡くされたそうで、その時にいろいろな事情もあり、疎遠になっていたので、死後の様々な処理や手続きに大変苦労されたとのことでした。今は母親が健在だけれど、
大切なお話があります。https://t.co/IPWyoLbg6n—小野琴己(@kotomi__ono)September2,2021元ハロプロ研修生小野琴己のお父さんが新型コロナウイルス感染症でお亡くなりになった。小野がまだ18歳ってことはお父さんは40代半ばから50代前半って考えるのが妥当だよね。そういう年齢でも助からないケースは充分あり得るってことだ。個人的にはもう還暦も見えて来てるし肺炎の既往歴もあるもんだから極力リスクを負わない生活を心がけ
真実に近づくほどに愛が歪み始める4月9日火曜よる9時スタート<初回拡大SP>#石原さとみ#亀梨和也#宮澤エマ#田中みな実#矢本悠馬#サスペンスラブストーリー主演・石原さとみが3年ぶりに連続ドラマ復帰!名脚本家・吉田紀子が完全オリジナルで紡ぐ≪20年の時を超える切なくも濃密なサスペンス×ラブストーリー≫が幕を開ける!検事の西村奏(石原さとみ)は、疑惑を残したまま命を落とした父・英介(佐々木蔵之介)に思いを馳せていた-。父の