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レモンのブログにお越し下さりありがとうございますもうすぐ60歳になる何のスキルもないただの主婦がひとりで暮らして行く決意をしましたそのブログはこちらからどうぞ『別れる決意』レモンのブログにお越し下さりありがとうございます過去記事は一時撤収していますキラキラしたブログではありません50代後半、60歳が目の前にある主婦の方を中心に…ameblo.jp1人でも心豊かに暮らしていくために模索するブログです離婚への伏線かもうすぐ4月だと言うのに寒いですね昨年のあの日から私にとって
『熟年離婚』をするためただいま別居中50歳過ぎてから初の一人暮らしをスタートな、る、べ、く後ろは振り向かず前進のみ!!これからの人生のことを考えよう*******************2月25日に帰国したばかりなのでホットな情報をお伝えできると思いブログも急がねばならないシャキッと毎日綴りたいのはヤマヤマだけど。。。相変わらず追いつかず二週間でビザを取ることを決めて準備しました↓2024年2月19日申請「マレーシア・マイ
いつまでも寒いなだからか桜が咲ききらない天気も悪いしね暖かい春の日にダンナと話したこととかふと思い出したりするもう二度とは訪れないあの春の日なんだかやたらと時間に追いまくられている4月の第一週にやることがあるので全て前倒しで今やっているからそのせいかもしれないけどさ何も考えずにふらっとどこかに行ってみたい重いコート脱いだらそんな事してみたいなあちょっと都会に繰り出していってもみたい上野ZOOにも行きたい動物に癒やされたい今は春休みだから新学期が始まってからのほう
夏くらいの離婚に向けて準備していこうと決めたんだけどその前に、財産分与を決めなくてはいけない。仕事辞めてヒマな夫年金事務所に相談に行くらしい。私も一緒に行く?と誘われたけど一緒は嫌なので断った。確かいま相談しても何も決められず離婚が成立した後に一緒にいくんだよね。夫、相談にひとりで行くらしく私の年金番号とか加入年月とか聞いてきた。第3号の分割といっても結局、増えてもせいぜい2.3万と聞いた。こんなことならもっと早く扶養抜けて働いときゃ良かったなあ。第3号は立場が弱い
成長するに従って子どもたちはだんだんと私にだけ相談するようになってきた。それを全てひとりで対応するのは不安だったし、悩みながらだったけど夫を頼るたびに失望するから頼るのはお金に関わる話くらいだった。母親とはそういうものだと言われればそうかもしれないから特におかしなこととも思わなかった。ただ、持ち重りのする子どもたちの問題を夫と共有出来ないことはしんどかった。そのうち、子どもたちは父親には知られたくないことをたくさん相談するようになってきた。私は、お墓まで持っていくよう
離婚裁判が長引いているサレ妻です。アラフィフ子供3人。いやはや裁判って本当に時間がかかります・・・・数年経過してて・・・その間の、揺さぶりは正直、半端ない。本当に離婚するのか?やっていけるのか?子どもは大丈夫なのか?教育資金の不安は?生活費は?老後は?考えたらキリがないほど、不安焦り情けなさ自己否定いろんな感情がバンバン襲ってきます。そのたびに、浮気が分かった時の衝撃を思い出してみる。さんざんな結婚生活のつらいことを思い出し
離婚に向けて別居する為にフリーランスではなく社会人として働く予定の43歳「お福」です。フリーランスとして6年目になりました。6年前は長男6歳、長女3歳でした。この頃に正社員として働くのは不可能だったと思います。長男の小学生デビュー、長女の幼稚園デビュー・・・思い出しただけでも大変でした。まず小学校1年生って帰宅時間が速いんです。給食スタートも遅く、その為フルタイムママでも時短や午後休みなどで一時的に対応していたと思います。「保育園よりも帰りが速い」と話題ですよね。本
こんにちは最近、更新が飛び飛びになってしまってすみません。て、こうやって書くとみんなが私の記事更新を待ち侘びてるはずと思い上がってるようで恥ずかしいのですが。ちょっといろいろ重なって気持ちが沈んでしまってこういう時、無理は良くないなと思うので少しの間、更新をお休みします。離婚の話とは違うところで私にとってショッキングな出来事がありそこからいろんなことが積み重なりネガティブな輪に入り込んでしまいました。こういう時は無理せずにじっと時が過ぎるのを待つのが最良かな、と。ま
早朝、メイクさんが最後のメイクを整えに来てくれた。前日,担当者の方に棺の中に入れてあげたい物を揃えて欲しいと言われていた。渡せなかった沖縄土産のシャネルの口紅・・・棺の中に入れる事を担当者に伝えたところそれを聞きつけてくれたメイクさんが「渡せなかったと。おしゃったと担当者の者から聞きました。最後にシャネルの口紅をお嬢様に付けさせて頂きました。」お願いした訳じゃなかったのに、一度も付ける事の出来なかった口紅を娘に付けてくれた。
世間一般に、おめでたいお正月に、娘の事故のお話は不釣り合いかと思い私の実父の話をしたいと思います。昭和15年1月4日松の内に生まれた父。平成31年1月5日、誕生日の翌日に亡くなりました。女性に事欠いた事がまるでなかった父親は、不倫の達人とでも申しましょうか。本人はそんな風に言っておりましたが、果たしてどうなんだか?その父親の下育った私が、見てきた男と女のラブゲーム俗に言うアダルトチルドレン、だったのかもしれません。不倫に関しては、どうしても客観的に見てしまう。臆病な
離婚を前提に別居をするために4月から正社員として働く予定の43歳フリーランス「お福」です。入社手続きのため色々な資料を記入したり、必要な資料を準備したり・・・フリーランス6年目のため企業に属して働く大変さを実感している今日この頃です。さて子供がいる夫婦が離婚する場合、子どもが何歳の時に離婚するのが多いのでしょうか?私の場合は2024年3月時点で長男12歳、長女9歳です。2024年4月以降に離婚したら、長男が13歳、長女10歳になります。とりあえず別居し、協議離婚に応
長期出張から戻ると、郵便受けはいっぱいになってましたそして、郵便受けの奥深くに日本年金機構からの封書がやっときました❗️標準報酬改定通知書(厚生年金制度)(離婚時の年金分割のお知らせ)ですいやいや、タイトル長っこれで将来受給する予定の見込額が分かると思ったのですが、変更された金額が羅列されているばかりで、全くわからない💦もちろん、ちゃんと全部合計して試算すれば分かるのでしょうが、もうめんどくさいとにかく、標準報酬が変更されていることは確認できます。私の結婚してからのこれまでの扶
パチンカスの話も、ダンナの悪口もアホくさいし、いい加減、飽きてきたのでーーーーー(*^.^*)そろそろ、離婚に至るまでを綴りたいと思います。短気で、モラ夫で、アホで、パチンカスで,嘘つきでドロボーで、心が無くても(まだ言う・・・(゚ー゚;)生涯添い遂げるつもりでいましたよ。・・・子供を成人させるまでは。ダンナはATM、何も期待しない、アテにしない、会話は必要最低限、必要な事は、いかに短い言葉で簡潔に話をするか?・・・を考えてから、話をしていました。友達にも、グチ
俺の勤める老人ホームで男性スタッフが2名退職した。女性が二人入り、かつまた二人が入ってきた。女性が多数入ってくるとどういう現象が起こってくるかというと、まず仕事がはかどる。個別の仕事が早くなるし、早く終えることが出来る。介護のような労働集約的職場では女性が圧倒的優位性を示す。男性にはない圧倒的マルチ能力性だ。男性社会とはこういう身体能力差を埋めるために作られたハンディ制であったが男女平等が推進されると、能力差が極まってしまう。女性が期待する男性が少なくなってくるのは当然の帰結と
こんにちは。離婚カウンセラーのゆらこです。卒婚とは、主に熟年夫婦が婚姻関係を維持したまま、別居して独立した生活を送ることを言います。熟年離婚にはデメリットも多いため、卒婚を希望する方も増えています。ところで、卒婚にもデメリットがあります。今回は、卒婚のデメリットをピックアップしてみますので、参考にしてください。1.病気になったら助け合わないといけない夫婦である以上、助け合う義務があります。相手が病気になった場合、何もせず放置しておくわけにはい
ここでは、負のイベントである「離婚」を経て、新しく自分らしい生き方を見つけていく過程を書いています。離婚は辛いことで、出来ればあってほしくないことです。日々諍いが絶えず、消耗し、ボロボロになります。私たちはきちんと決着をつけての離婚ではなかった(子どもの養育費の関係や、金銭的なことで元夫にコントロールされる生活は続いています)ため、ついに末っ子が巣立つタイミングで今後のことを納得いくまで話し合う必要が出てきました。このブログを書いていた数年前のような(離婚して籍が抜けているにもかかわ
元夫の一存で「子供が大学卒業までの養育費」という取り決めが、白紙になりました。離婚協議書は絶対ではない離婚の際に、何度も2人で内容をやり取りし、喧嘩もし、弁護士に書類作成費用の10万円(きちんとした内容と書式の協議書を作ってもらうのに10万円とは、もうびっくりでした)まで払って作り上げた離婚協議書。実印まで押した離婚協議書は、元夫の一存で結局紙切れ同然になってしました。その内容はこちらから離婚相談から離婚協議書作成など。そして現在の問題について
アラカン婚活ブログは本日はちょっとお休みします。先日、娘の結婚式がありました。以前、結婚式のことですごく悩んでこのブログで皆さんにお尋ねした件です。その結果のご報告です。『離婚した元夫婦の子供の結婚式について教えてください』アラカン婚活からちょっと話しがそれます…先日ブログにも書きましたが娘が結婚することになり話しが具体的になってきていろんなことが現実味を帯びてきました。今悩んで…ameblo.jp『離婚した元夫婦の子供の結婚式参列について』先日のブログに多くのコメントと体験談を寄
息子は、期末テストも終わり、学校は、お休みだらけ。(本当に、お休みの多い学校な気がする)おともだちと、映画に行く、なんてかわいいもので、お台場で1日遊び倒したり、ディズニーランドで1日遊び倒したり、箱根まで日帰り旅行してくる、とか、なんだか、恐ろしいぐらいに諭吉さんがとんでいくことをしてくれていますで、私のイライラの原因は義父とオット(義母は亡くなっています)結婚したときから、私のことが気に入らなかった義父。『女が大学行くなんて、、』とか『国立大学は、ビンボー人がいくとこだ、、』とか『う
(現在は再構築に向けて、夫が必死に頑張っています)娘とLINEの続き《翌日の昼頃不倫発覚後6日目》「今夜は弁護士無料相談の日だよウキウキ」「4日後の11時から心療内科の予約取れました」「お母さんが行くの?」「そう。受付からお会計終了まで2時間くらいかかるんだって」「早いんだか、遅いんだか」「裁判だか調停で有利になるように、精神が不安定になったっていう証拠を作らないと。心配しないで。本当はそこまでじゃないよ。睡眠薬もらって診断書を貰うつもりです」「おお。」「アイ
なぜ夫(パートナー)が家にいるとイライラするのでしょうか?このイライラを因数分解することによって、原因解明に近づけます。現在、子どもは成長し小学6年と3年になりました。これ位になると一人で遊べますし親の出番てそんなに多くありません。しかし乳幼児期、小学校入学前までは保護者が一緒に居ないと外出できない状態です。その時、夫(パートナー)は何していた?うちの場合はほぼいませんでした。出張も多く、そうでなくても終電で帰宅し早朝に出社する生活でした。ですので子育て、家事は私が全てしてい
恋人は年収1700万稼ぐハードワーカーですが、子沢山で全員が地方の大学院を進学。就職した時に恥じない、フリにならない一流で修士までとらせてあげるのですから、親の貯えがないのは仕方のないことかもしれません。子供が一人、就職したにもかかわらず、子供費を減らそうとしない奥さんの溺愛ぶり。子供がす立つまでは別居婚を続ける熟年離婚予定のカップル。関係が冷めているので事務的な繋がりしかありません。子供費用を管理してしいるのも奥さんなので、彼が意見をしても相手は戦いを挑んでくるので、ブラスの結果にはな
1月末家族LINEに夫からメッセージ。まずはビルの前でポーズを取る夫の写真よく見たら、夫の会社のビルだ。続いてメッセージ。今日で出勤最終日でした。人生の3分の2を過ごしてきた会社を辞めるのは寂しいけどこれからの人生を楽しみますそれから、就活は始めてるけどうまくいってないとも書いていた。長いことお疲れ様でしたと思うけどなんで再就職決まってから辞めなかったのかとつい考えてしまう。オレは一流企業で部長やってたんだからVIP対応で中小企業の管理職にすぐ決まるでしょと思ってた
だいたい夫の勤務はフレックスなので勤務時間中もこうして比較的自由に外出している。おおかた、近くに来たついでに寄ったのだろう。そして、今までも何度もこうして平日の昼間に密かに我が家に来ていたに違いない。いつも散らかってるからわかり辛いけど朝出た時と帰ってきた時のものの配置が微妙に違ってたりいつも触らない場所のドアが開いてたりあれ、と思うことはあった。もちろん、まだ夫の名義の家だし出入りするのを辞めてくれと言える権利はない。ただ、誰もいない時に黙って入るのはやめて欲しい
現在はフルタイムで働いている私ですが、離婚した当初は専業主婦→熟年離婚→職探し→1日4時間のパート→1日6時間のパート→フルタイムという流れでここまで来ました。短時間パートから長時間パートへと移行していき今に至るわけです。もっと早くから、もっと年齢が若いうちからさっさとフルタイムの仕事を見つけておけばよかったのですが、精神的にまだまだ甘かった私。子育てのタイミングなどもあり、しばらくパート生活をしていました。この時の経験を書いた過去の文章をまとめてみました。
熟年離婚から3年が経とうとしています。らせん階段を登るかのように、ぐるぐると回りながら同じ失敗を繰り返したり、小さな成功体験があったりが続いています。1人でも生きていけるようになりたいと思ったり、誰かと手を取って歩き、誰かに頼ってしまいたい。という気分になったり。揺れる日々です。元夫は、時々、それも必ずお金関係の電話をかけてくる以外は、ほとんど存在すら忘れている状態です。ちょうど今年はコロナ禍。単身赴任中の夫が関東に戻ってこれないのを不思議に思う人は少ないようです。彼の心の中ま
『熟年離婚④更年期』2月初旬にめまいを発症しせっかく1月からスタートした仕事を辞めてしまった私条件は決して悪くない仕事だったのに50代女性の転職更年期症…ameblo.jp今日は更年期というタイトルでブログを書いてみようと思ったあれ書いたことあるような?念の為以前のブログを調べてみた昨年2023年3月20日(本日2024年3月19日)”熟年離婚④更年期”というタイトルでブログを書いていた自分でも驚
子ども①に言った時最初ただ純粋にびっくりしてなんで?と聞いてきた。そりゃ聞くよね。バイトに応募して「なぜうちの店で働こうと思ったのか」という質問と同じくらい当たり前だ。だけど正直、この質問が一番答えにくかった。だって、結婚当初からうまくいかなくてあなたたちを育てながら何十年もタイミングを見計らってきたこととかあなたのお父さんがどんなことを今までやってきてどんなことをやらなかったか。本当のことなんて絶対言えない。性格の不一致、夫婦2人きりになった時に一緒にいる
夫がまた新しい女性と不倫してることに気がついたのは2年前の春突然ダイエットを初め元々太ってなかったのにダイエットアプリを使って食事制限を始め半年間で8キロも痩せてしまい普通体型から運動は無しで元々が筋肉ゼロなので単なる痩せ体型に変身した事誰のために痩せる努力をしたのか突如として?迷彩服や?服は、H&Mだ!と言いだし若造りファッションを始めたのも、謎だったさらに、話す事が自分の子供(20代)と同じ話題で盛り上がれる50代のおっさんが20代と同じ
暑中お見舞い申し上げます暑い暑い夏。暑さで思考も停止してしまいがちですね。離婚後、50歳で専業主婦から卒業し、仕事を始めた私ですが「働くということ」に関して、これまでの経緯をまとめてみたいと思います。専業主婦時代夫が働く人、妻は子供を育てる人。完全に分業化して生活が進んでいました。今思い返してみても、この時期に夫婦がもっと歩み寄って、話をする時間をとって、2人で過ごす努力をしていたら、今に至ることはなかったのだろうなと実感します。とはいえ、何もしなかっ