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【最終更新日2024年4月17日】(思い出す度に少しずつ更新しています)赤ちゃんの棺が必要になってしまった方向けに、赤ちゃんの棺の一例と火葬場のことについて載せておきたいと思います。赤ちゃんのお見送りの仕方については様々な方法がありますが、個人的にはご家族が納得されて、後悔のないお見送りであれば、どのような形でも良いと思っています。以下は自分で手配した場合ですが、産後は心身疲弊していますので、どうか無理なく身の回りの人たちや葬儀屋さんに頼ってくださいね。赤ちゃん用の棺について大人と
推しのグッズこのブレスだけは買った光るブレスオフにしておけば街にもつけて歩けそうもうすぐ推しのライブあたしは行かないけどねこのブレスはめて会場に入るのかあなんかwkdk!いろんなトリックあるのかな行った人の話聞くの楽しみ〜!とたまに気分を盛り上げないと押しつぶされそうなので・・ススの同僚、年齢詐称でほんとは今82歳だと知って驚いたこういう嘘をついても個人店ならバレずに仕事にありつけるわけなの?履歴書には嘘を書いていたわけよね年齢詐称くらいは許される世の中?なん
死産から火葬までのながれや、持ち物などに関する内容です。▼赤ちゃんの棺と火葬自体に関してはこちら『赤ちゃん用の棺・火葬場・お見送りの仕方』【最終更新日2022年12月11日】(思い出す度に少しずつ更新しています)赤ちゃんの棺が必要になってしまった方向けに、赤ちゃんの棺の一例と火葬場のことについ…ameblo.jp病院や火葬場によって持ち物等は異なりますが、大きな流れは変わらないと思うので記録してみます。普通の出産と違って、子どもを失ったダメージに加えて、祝われないし、ただただしんどい過
納棺師と言う仕事最近は理解していただけることが多いのですがそれでも「は?(なんですか、それ)」と言われることもまだまだあります。故人様のお世話をしてこちらがかかわらせていただいて感謝なんですが葬家様から「ありがとう」とおっしゃっていただける本当にありがたい仕事です。ただ、色々な事情によりお立会いが無い、お顔色、表情などにご納得がいかない、お別れ時間が足りないなどなど色々なクレームが来る場合もあります。こちらの力量不足ではありますが中には正直、こちら側には
🌺ようこそ🌺いらっしゃいませ〜温泉オタクが乳がんになり、2019年1月左胸を全摘し片乳になりました。でも湯巡りは楽しく続けているよ、ていうブログです。なのですが、、、🔹2020年4月田舎に暮らす母81歳(当時)が脳出血で倒れ、右手右足麻痺で車椅子に。🔹2020年11月半年間リハビリ病院に入院した母を、86歳(当時)の父が自宅で老々介護する生活がスタート。🔹2021年4月有料老人ホームにふたりそろって入居。🔹2024年3月この両親セットの老人ホーム生活がもうじき丸3年というタイ
本日のblogは7年前★『極貧でしたーーーっ』先週は呑みにも出ず揉み揉みもなく外食もなく外泊も休憩もなくパチにも行けずおち〇こもイけず出るのは龍ずぃ~がらみの諭吉ばっかついでに便乗の綾もありおっさん破綻し…ameblo.jp極貧・・・の貧ってつくだけでもーーーーっアチラの話しとしか思えませんよねん?オイラだけ?ちなみに本日長めですよ(申し訳ない)先月の綾さんの誕生日をまさかの霊安室で迎えることになるという・・・★『卒業の時期で
皆様、#ニャン吉の為に心の温まるメッセージや祈りを本当にありがとうございます💕💕昨日、タロットの通り20時にあの世に静かに苦しまないで大きな息を10回ぐらいしてそっと旅立ちました。今日は、二人で火葬場に来ています。皆様、ニャン吉に安らかに行けるように祈って下さいまして本当にありがとうございます💕💕明日も仕事しようと思いながら二人で辛くて家が広く感じます。なので明日19日金曜日は、お休みさせて頂きますね🥲優ちゃんに「明日、仕事行って来ようか?それとも休もうか?」「寂しいからおろか?」
翌日、告別式。夫の大好きだったものと、手紙を入れて、夫が大好きだった、夜勤の会社の制服を上からかけてあげました。最期のお別れの時…お花を棺に沢山入れてもらって、その時に、担当のTさんが、「最後は、喪主様がお顔を撫でて、話しかけてあげてください」と言ってくださいました。ありがとうとごめんねと、私を親にしてくれてありがとうと言いました。泣くなよと言われていましたが、この時は、泣いてしまいました。荼毘に付される為、霊柩車が到着。弔問客に見送られながら、私は霊柩車の助手席に、私以外の親族はマ
体内に電子制御の精密機器を埋め込んである私は、死亡して火葬する際に600℃以上の高温で焼くと機械が爆発する恐れがあるので、必ず事前に制御装置を取り出すか、火葬場職員に告げなければならないことになっています。ところで、昔、京都市北区の金閣寺の裏山に当たる場所に火葬場がありました。40年以上前に私が京都に行く時に買って、未だに持っている地図にもちゃんと掲載されています。写真中央左部分、ピンクのマーカーで印をつけた蓮華谷火葬場というのがそれです。数年前に閉鎖撤去されたそうです。私の大学正
【GOODAL(グーダル)公式】グーダルグリーンタンジェリンビタCセラムマスク5枚くすみそばかすシミメラニンスキンケアビタCビタミンセルフおこもり美容マスク肌荒れ韓国人気フェイスパックマスクパックシートマスク楽天市場1,260円翌朝、手術室に移動。旦那さんも一緒だ。陣痛促進剤の点滴をし、陣痛がくるのを待ったが、陣痛は来ない。私は赤ちゃんが死ぬのはやだと訴えてる様に感じた。そしてこのまま陣痛が来なければ良いと思っていた。先生「お腹痛くならな
昨日の夜遅く相方のおとうさんが亡くなりました。病院から夕方電話がありましたがその後亡くなられて家を出る時にはすでに亡くなった後。よほど近くに住んでいないと死に目には会えません。親父が亡くなったのも病院で看護師さんに発見されて死に目には会っていません。遺体の安置場所が足りないようでずい分郊外に安置されて葬儀の場所も時間もすぐには決まらず。明日の昼に決まったという連絡があったのが今日の午後。火葬場も足りなくて中々空いてないようです。遠方の葬儀で困るのがペッ
まるちゃん🐾のブログを見て頂き有難うございました🙇火葬場に着きましたまるちゃん🐾の近くに、我が家に来た時にまるちゃん🐾の実家から貰った。ぬいぐるみですぬいぐるみの中に、おやつとドックフードを詰めました大きな煙突からカゲロウが、出ています見て下さいと係りの人言われ外にまるちゃん🐾12歳11ヶ月と11日の生涯まるちゃん🐾には、感謝の言葉のみですまるちゃん🐾のおかげで、沢山の人にも出会う事も出来ました動物病院先生・看護婦さん・トリミングの人・まるちゃんの実家の皆様・しつけ教室の
こんにちは。お通夜が終わり、次男と最後の一晩を一緒に過ごしました。翌日は10時から告別式でした。午前9時に会場入口で挨拶高校のサッカー部中学の野球部地元の友達は2日連続で来てくれました。「今日は泣きません次男を笑顔で送ってやりますよ!」と言ってくれたので、私が「そしたら霊柩車に乗って出棺する時、何か声かけてな」って言うと「いいんですか」って聞いてきたので、「全然いいよ明るく出発したいしな」そういうと笑って「わかりました」と答えてくれました。告別式も終わり、いよいよ
退院をしてそのまま区役所へ向かった。私の腕の中には箱に入った赤ちゃん。「もうすぐお家に帰れるよ」と話しかけながら外の景色を眺めていた。景色は入院前と何も変わらなかった。区役所に着き、旦那さんと2人で中へ。「死産証書」はA3の用紙右側、左側は「死産届」になっていて自分達で記入する。記入した用紙を持って順番を待つ。窓口は戸籍課。2年前に婚姻届を提出した窓口と同じだった。まさか死産届を出す事になるなんて2年前は全く考えてもいなかった。すぐに番号を呼ばれ、手続きをしてもらった。「死
こんにちは。前回の続き、火葬場での様子から。先ず思い出すのは、姉の棺に取りすがって泣き崩れる母の姿。棺の上に線香を乗せながら、泣き崩れて…「姉さん、棺桶に涙を入れちゃいけないから」と、後ろから支える叔母(父の妹)も泣きながら…私はただ黙って見つめていたように思います。今は火葬の様子を見る事は出来ないと思いますが、あの頃は近くで見学することが出来たようで、とても鮮明に覚えています。火か
数年前、伯母が、大本に戻って行きました。伯母、存命中から、伯母の数字は「4444」だと思っていましたし、何気ない会話の中で、そのような話もしていました。お祖母ちゃんが私に対し、「M子(=伯母のことです)は、今のままでは未成仏になる。あんた、M子にお祖母ちゃんの言葉を伝えなさい。そして、その通りにするように言いなさい」と言って来たことがありました。ですが、最初は「何で、姪のあんたにそこまで言われなきゃいけないの!」と言われたこともありました。そこで、お祖母ちゃんは、私と二人で出掛けた伯母が
アンニョンハセヨアボジの葬儀の続きです。3日葬中日のこの日の午後、オモニの同級生御一行様が帰られたあと、アボジの弟たちで墓石をどうするか、話合っていました。オモニ宅の裏山に養ハラボジとアボジの墓を作るのだそうです。*アボジはその昔、"娘しかいないハラボジの家"に養子に入りました。夕方、あわただしくなったので何事か聞いてみると、17時からチェサを行うとのこと。係の人の説明では、亡くなった人の夜ごはんの儀式=チェサ係の人がお供え料理を運んできて、祭壇にお供え。普段のチェサとはちょっと違い
細川ひろし医師をご存知でしょうか?子供の頃から、政治家になりたくて、その為に医師になったとも聞いています。もちろん、その医師としての経歴も立派ですし、着々とその道を誠実に、勇敢に、突き進まれているサムライのような方です。欠点は1つ!毒舌。でも、ここまでの惨状になっている今、それくらいズバッと言う人がこの世の中には必要なんです!どんどん人が亡くなっているのですよ。賛成派でも反対派でもないですが・・・なんて言っている場合ではありません!細川医師の思いはこちらです
なるちゃんと対面中、私は夫に買ってきてもらったおにぎりとシュークリームを食べて夜ご飯とさせてもらった。なるちゃんとずっと一緒にいたいけれどそれも叶わないし、夜も遅くなってきたので、触れ合いや写真撮影も一旦目処をつけ、葬儀屋さんを呼んでもらった。葬儀屋さんは病院提携のところらしくて、夜遅くだけれど呼べば来てくれるみたい。この度は大変でございました。。という言葉が発せられ、白衣を着たおじ様が、部屋に来てくれ、夫に名刺を差し出し挨拶。病院の先生?と思う風貌だったけど、きっと葬儀屋さんであるこ
ほんの少しだけになってしまった娘を骨壷に入れて火葬場を後にします。あんなにぷにぷにで可愛くて、抱っこしていると「重たいなぁ」と感じていたのに、こんなかけらだけになってしまうなんて、、と虚しい気持ちになりました。娘はまだ赤ちゃんだったので、葬儀はごく身近な家族での火葬とお別れ会だけにしました。次はお別れ会の場所に移動します。座敷のあるお寿司屋さんで、火葬の後に伺う旨をあらかじめ電話で相談しておきました。お店の方は「故人の方のお席にも何かご用意させていただきますね。」と言っ
もう寝たきりじゃなくて遺骨になっておうちに帰って来た享年92歳母白い棺の中にいた母爆睡の時と同じ顔だけどすごくすごーく冷たかったでもやっぱり悲しみよりも長い間おつかれさまやっと休めたねって気持ちの方が強かったな火葬される前の最後のお別れの時も今までありがとうねって一番に言ったんだ。あと、おばちゃんやおじちゃん・・妹と弟やね駆けつけたいけど自分らも高齢だから新幹線乗ってまで行けなくてごめんねって、申し訳ないって何度も何度も言ってたよみんな
今日でちょうど葬儀と火葬から1週間。1週間前の今頃、息子は骨になって私の元に帰って来た。真っ青な空に白い雲が浮かんでて、とても静かな真夏日。霊柩車の助手席で息子の遺影を抱えて隣の運転手さんにスマホの動画を見せつつ話しかけた。『この動画、息子が産まれて直ぐに撮影した動画なんです。助産師さんに抱き抱えられて元気な産声をあげていますよねぇ…昨年の12月7日…8ヶ月後には骨になってしまうなんて…人生て何が起こるか分かりませんねぇ』と笑いながら独り言のように呟いている不気味な自分がいた。この日が
※死産に関する内容です。約3ヶ月半前のことを振り返りながら書いています。退院の翌日。火葬の日。火葬場は朝イチの予約なので、早起きして準備。夫と私に挟まれてねんねしていた娘。私:◎ちゃんおはよう!今日は忙しいよ!◎ちゃんのドライアイスを交換し、自分たちも身支度。火葬場には夫の母、私の両親と弟が来ることになっている。ちゃんとした葬儀はないので、みんなで相談して喪服ではなく黒っぽい平服でいいねということにしていた。棺に入れてあげる折り紙と花束、事前に買っておいた骨壷も持って行く。棺を
ススと飯は窓会食欲はないのだけど久しぶりのまともな食事時々寒くなるのは熱があるからかな父の施設から来た前はこれに父がOKを出していたのだよねこれで2万くらいにはなるのかな外国人多いねもうほんとにすべて金金金!生きるとはなんだろうとつくづく思うよあたしはまだきょうだいがいないから事がスムーズに進んでるけどいるとその配偶者も口出ししてきたりしてもう考えたくもない状態になりそうあんた一人で良かったよねと昔から親戚や近所の人に言われてきたけどほんとにそうだなとつくづく思うよ
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます私が侑來を亡くしてからお会いしている友人達は「最初から子供が居ない人」もしくは「我が子を亡くした人」が殆どなのですが今日は以前にもブログに登場したすぐ隣の部屋に住んでいるママさんとランチに行きましたそのママさんは3歳の1人っ子女児を育てているシングルマザーさんです今日はいつものバカ話に加えて「子供の死」について語り合いましたそのママさんは我が子の死はもちろん経験していないのですが、かなり
祖母が亡くなり。今、喪主側の叔父夫婦はノータリンなため、長女が葬儀屋と打ち合わせをしているよう。今回祖母は、生前、自分で墓を購入しており。田舎だからというか、寺院自体の管理規模がかなり手広くやっているところのようで。寺の中に斎場が併設されており、葬儀やら法要やらそちらで出来るそう。で、今回、祖母は【寺葬】にするのだが。病院で息を引き取り、寺が指定する葬儀屋に連絡すると、ご遺体をお寺にそのまま安置し、葬儀当日まで24時間、住職がいてくれるそうで。宗教心はないのだが、
こんにちは。今日が最後の寒の戻りでしょうか?空気はひんやりしていますがダウンを着ていない人をよく見かけるようになりました。(私は歩いてスーパーに行くのでまだ愛用しています。)昨日、100円ショップで日頃から愛用しているキッチン用の使い捨てダスターを購入しようとしたらその列だけ空でした。とぅとぅ目をつけられてしまったか~って感じです。その商品のパッケージには「アルコール60%配合」って書いてあります。あ~あ。。。インド旅行
11月30日(いいお尻の日)葬儀後、火葬場にて…お義兄さん「ブログの事なんだけど…全国のみんなが心配しているから、落ち着いたらアップしてくれる?」…???そんなに早く更新しないといけないものなのか?更新しなくても良いのでは?全国って!?私が更新するってなんか変じゃない?ママのブログだし...でも、お義兄さんの様子から多分、やらなくてはならない事なんだろうと感じましたきなこのブログを読み始め私が知らなかった事や感じ取れなかった事が綴られておりまし
死産から6日後、火葬しました。予約の流れとしては、産院に死産証書をだしてもらい、市役所にそれを持って行き、火葬許可証をもらい、火葬場の予約もその場でとってもらうという流れでした。火葬は、わたしたち夫婦と、わたしの父母にも悲しい想いをさせたので、父母にもきてもらいました。(できれば、住んでる市ではなく、わたしの実家の近くでしたかったのですが、市外で火葬を行うと3000円が60000円ほどになることを知り、諦めて父母にこちらに来てもらうことにしました。)当日朝、家を出る前に、棺のなかを
その日はなんだか久しぶりにゆっくりと休めた気がします。病院から電話がくる心配がなくなり、すぐそこに娘がいる。もちろん、良い結末ではありませんが。そこから数日は近くの親戚が来てくれたり、葬儀の打ち合わせをして過ごしました。そして葬儀の日、ごく身近な身内のみで火葬を行いました。まずは家に集まり、棺に娘とお花と思い出の品などを入れます。娘には可愛いお洋服を着せました。これでもう娘の姿が見れるのは最後だと思うと、また涙が溢れてきます。私が泣いてしまうと、皆言葉に困って