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斎藤一人さんの心に響く言葉より…不幸そうな人をよく見てみるとね、そういう人って、愚痴や泣き言、人の悪口を言っていることが多いんです。例えばお茶は、水に茶葉が入っているよね。煎(い)れる前に茶葉を抜いたら、ただの水にしかならない。何が言いたいんですかっていえば、物には必ず構成要素があるということです。お茶には、水と茶葉という構成要素がある。それと同じように、あなたに今起きていることは、そういう構成要素があるからなんだよ。嫌なことばっかり起
9月の半ば娘は彼氏とUSJに出かけたちょっと歩きにくい事は伝えてあると言い嬉しそうに朝早くに出かけて行ったたっぷり遊んで夜10:30過ぎに帰って来るといつもよりたくさん歩いたせいか足を引きずるようになったやっぱり薬効いて無いのか…プラセボ効果だったのか…あー心配(><)どんな感じ?と聞いても本人も説明しにくいようで可哀想足先の痺れが段々広がっているとも言う…何とかならないかなー(´・・`)それでも泣き言を言わずに仕事に出かけて行った偉いよ(T_T)
小林正観さんの心に響く言葉より…誰でも、日常でできる「悟り」訓練法があります。それは、「五戒」を守ることです。五戒とは、「不平不満」を言わない、「愚痴」を言わない「泣き言」を言わない、「悪口」を言わない、「文句」を言わないということ。この五つを口にしなくなって、三ヶ月(人によっては六ヵ月)ほど経つと、突然まわりから「あれをやってくれ」とか「こういうところに顔を出してくれ」と頼まれたり、たまたま無職であったりすると「こういう仕事があるのだけれど・・・」など
遊びに来てくださり、ありがとうございます3歳の男の子ママ+時短勤務のぱるると言いますこちら、自己紹介ですこんばんは久しぶりにブログを書いています。仕事で凹みすぎて呑んでますキッチンドリンカーですあーマジ辛い毎日、ワタシ何をやってるんだろう虚無感でいっぱい。。泣き言とかいうなって言われると思う。甘ったれるなって言われると思う。時短勤務で仕事出来ないあんぽんたん。だけど、、辛いものはつらいよ今日は酔えるだけ、、うん。
先日、次男のアパートに修理業者の方に来てもらいました。私があちらに滞在中は混み合っていて来てもらえず、今回次男が一人で対応します。「業者さん、来ました」からの「業者さん、帰りました」という、ラインでのシンプルな報告を受け、様子を聞くため電話しました。別れの朝以来、初めての会話です。電話を通して聞く声は「え?どちらさま?」と尋ねたくなるくらい違って聞こえて、また仰々しくて。元気?から始まって、ちゃんと食べてる?天気はどう?布団は毎日畳んでる?など、気になっていたことをいろいろ尋ねました。
この間の話しですが…(´;ω;`)土曜の晩に母に付き添いを代わってもらい旦那と久しぶりにデートしました。その内容はいいとして…(笑)娘の胸のカテーテルが抜糸してからなかなか治りが悪く…血が出たり浸出液?と言われる黄色い汁が出たりで毎日消毒していましたがその土曜日に…しかもわたしが病院出てから液漏れしてる!!!と、なったみたいで消灯ギリギリで処置室に行った娘ちゃん。眠くて無理やり起こしていたみたい…その間に母がミルクを温めて早く寝かせてあげよう!と行ってる間に泣いて汗
娘が私から離れられなくなって、飲みに行く事もほとんどなかなっていた中で、出産前までお世話になっていた上司に自分から連絡をして飲みに行く事に。仕事のことを考えながら会社に行くわけでもないので、久しぶりにイヤホンをつけて音楽でも聴きながら待ち合わせ場所まで向かう事に。ところが困った事に聞く音楽全てが心にグサグサ来てしまい涙が出て来てしまう飲み会では自分の今の過酷な付き添い生活を面白おかしく話して楽しくお開きしたんだけれども、また帰り道には涙が止まらなくなり…誰かと話した
こんばんは。韓国にいます🇰🇷12月から住んでますこちらに来るまでバタバタでしたビザは無事に取れて11月下旬だって順調だったのに飛び立つ数日前にいろんなことが一気に起こり本当、疲れましたし、彼を恨みましたでも感謝する部分もありますまだこちらの生活に全然慣れてないです…学校と家の往復↔️が多くて授業は楽しいのですがあんなに望んでいた韓国生活🇰🇷今はまだ幸せを感じられなくて夕飯にプチッと鍋を作ったのですが…なぜか、榎茸にかぶりついた瞬間、泣けてきてしまいました自分で決めて
最近、気持ちが落ちていて特にここ数日は自分でもひくぐらい落ちてました。なにをしていても涙が溢れてくるし久々に泣き伏し口からは「心菜に会いたい」しかでてこない。自分でもびっくりするほどでした。いつもならブログなどで気持ちの整理整頓をしていますがそれもできませんでした。今日、やっと落ち着いてきたので綴っています。心菜が旅立って2年。3年目になってこんな日がくるとは思ってはいませんでした。あの日から大波小波はありますが、泣くことは毎日で日常。波乗り
息子にご飯に誘ってもらい行ってきました父さん(夫)が亡くなって以来、つい食べることを忘れてしまう日々が続いています不思議と息子と一緒の時は、ご飯が美味しく感じてきちんと食べられるのはなぜなのかな?家でも息子にたいした料理も作ってやれず、申し訳ない思いでいっぱいですが、文句ひとつ言わずに、たまに私のご飯も作ってくれます「まあ、今は仕方ないよ」とか言っちゃって優しい息子くんその優しさは誰に似たのかな?やっぱり父さんだよね息子の作る料理はとっても美味しいんです息子よガストでバイト
父さん(夫)の病状が悪くなり始めた頃から、ずっと大丈夫って言い続けて来たような気がするもしかしたら、父さんのリンパ腫がわかった頃からかもしれない実家の母や兄や姉義母や娘や息子にも友だちにもだもちろん父さんにも本当は心の内を話しても良い人達にも…みんな心配してくれて気遣ってくれる「うん、大丈夫!」ずっとそう言ってた今年の1月に亡くなった父が、いつも言っていたらしい心配でヤキモキしている母が何度も様子を聞こうと電話しようとしている時「こんな時は泣き言か強がりしか出ないのだか
※かなりひねくれた内容になっておりますご気分を害してしまう恐れがございますのでご了承くださいm(__)mショックから1日ベッドの上で過ごしました。食欲もなく誰とも会いたくも連絡もとりたくなくひたすらググッては泣き→寝る→痛みに悶える→服薬の繰り返しで突発的に涙がでるんですよねブワーッって。強がりな性格もあってか今までどんな困難も割りと立ち直りも早い方だったし気丈に一人で乗り越えてきたつもりでしたが今回ばかりはきっっっっっつい収縮の痛みでさするお腹にはもう赤ち
不登校の子どもが暴れていつも全身あざだらけだったママ友がいます。彼女はいつも堂々としていて頼りになる人でした。その当時はなんであんなに強いんだろう?と思っていました。私は息子が不登校になってわかりました。不登校を経験したら親は強くなるわ私ももう怖いものなどないです。どんな事にもどんな人にも立ち向かえる。不登校に比べたら大したことない。自分が死ぬのも怖くない。あの最強ママ友に近づけたなぁ。悟りが開けそう。そんな境地です。
私は頸髄損傷による痛みに悩まされてから、ブログの方から情報もらってり、また精神的にも助けられました。今まで、ブログで嫌な思いはしたことは一度もありません。でも、私はブログは自分のために書いてます。自分の辛さを自分では処理できなくて、心の辛さをブログに吐いたりしています。誰かと繋がっていたくて、ブログを書いたりしています。いきなりは無理かもしれません。少しずつでいいから、少しは誰かの役に立つブログにしたいです。まずは自分のため→次は娘のため→いずれは闘病の方を励まされるような…そんなブログ。愚
今日も気分の起伏はありましたが、無事に何事もなく1日を終える事が出来ました。退院して検査結果を聞いてから、家で妻は僕に涙を見せていません。もし逆の立場だったらと考えると、想像を絶する恐怖と絶望だと思います。・数年で死んでしまう可能性が高い・子供はまだ小さい・そうなってしまったら、全ての事を一人でやらなければいけなくなる・生活する上でのお金心配それなのに妻は健気に僕の面倒を看てくれます。・薬の飲み忘れはないか・寒くはないか・食べたい物はないか・行きたい所はないか・好物のご飯
なるちゃんも皇太子妃、皇后と呼ばず、ずっと雅子呼びだったっけ??妃としての自覚がねぇからとも限らんよなぁ。佳子様の事も公の前で佳子ちゃん呼びだったしなwww国民の前で好き勝手生きていいようにするための免罪符がマタコによる医師団見解w妃としての自覚がねぇから、こっちは【親善】だと思ってるが、マタコにとっちゃ、海外に行くのはあくまでも【旅行】w遊び暮らせる王様のような生活を送れると思ったんだろうなぁw海外に中々行きにくいと泣き言ほざいていやがったからなぁ。国を背負っ
私が笑いながら「難病二個持ちよ〜」というから誰も本気にしてくれない、どころか「へー見えないね」でおしまい。ま、それはいいのだけどこの浮腫みきった指、そして毎朝手が曲がらない現実。お食事している時も、お箸で掴みそこねる。お焼香している時も、抹香指からこぼす。最近は一日中、体が痛くて横になっている始末。おーまいがーー、です。両膝の半月板損傷に加えて股関節が痛い。これ、どちらかの病気に関係するのかなあ。。それでも外に出るときには思い切りの笑顔。だから誰も私の病気を取り
はじめて書きます。今日は2021年、受診日でした。多系統萎縮症、そう診断されてから3回目です。まだ受け入れられません。でも、症状は待ったなしです。この半年で、毎日の生活で病気を意識しないことはなくなりました。これから先、長い道のりをどうやって過ごしたらいいのか、悩んでも悩んでも、答えはでません。泣き言ばかりかもしれません。そんな気持ちを書くことで整理していきたい、そう思っています。
土曜日のお昼ぐらいから、左足付け根が激痛に襲われていた。もう、ただただ痛みと格闘をしていた。これが後遺症の最高峰。最近では、膝にステロイド騒動から3ヶ月ぶりだった。麻薬系の痛み止め、トラムセットを飲んだ。一度に、2カプセル💊を飲んでいた。この後遺症は、ひたすら我慢をするしかない。今朝は、立てるまでになれた。顔が不安気やなぁ~こんな体調になると、連休は怖いし不安になる。これから、いつものトリガーポイント注射💉ねは治療に行きます。ドクターに、泣き言を山程訴えると思う。兎に角、
老いては訪れる加齢によるあれやこれやの不調と仲良くねっ❤️とはなかなか行かず初心者ばあさん?ばあさん初心者としてはもがくんだなぁ悲しくも切なくも虚しくもビビりにもなるんだなぁ老いることとは不自由さと明日をも知れぬ体調の中で日常をどうこなすか何言ってんだか!この歳でどの歳で??㊙️もうそげな泣き言かいな?情けなかぁぁ〜〜と元気な高齢者に言われそうですが環境状況関わる人間達銭っこなどによる個人差があると思います初心者ばあさんの通る道なのか?私だけ