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■「死生観を考える」第9回■日時:2023/1/15(日)20:00~22:30■場所:オンライン■参加者:5名■内容:【9】死後の生■資料:死生観を考える_ver1.00.pdf(→改訂版:死生観を考える_ver1.10.pdf)*改訂版資料のダウンロードはコチラMicrosoftOneDrive1drv.ms死生観を考える_ver1.10.pdfSharedwithDropboxwww.dropbox.com【8】生きる意味■死の意味
命あるものは,なぜ,死ぬのが怖いのか。それは死後,どのような世界が待ち受けているのかを,輪廻してきた魂が記憶しているからである。小さな虫ですら,殺されるのを恐れて,生命の危険を察すれば逃げ惑います。つまり「一寸の虫にも五分の魂」が在るといわれるように,地球上の生きもの全てが,死を恐れるのです。本物の霊能者なかには,地球は霊界の刑務所だと言う人もいるが,小生もその説は正しいと思っている。地球の人間は,人間中心主義で,必要以上に自然も動物も破壊する。人間同士の争い(戦争)も絶えること
死んだばかりの人(普通の亡くなり方をした人)は,最初は少し戸惑っても,自分の死に大きなショックを受けはしない。愛する人達と多分,来世でも再会できるのではないかと,分かるからである。あくまでも「愛する人」とである。死によって,愛する人との繋がりが断ち切られることはないのである。また,この世に残った人たちが,愛する死者を思い出している限り,死者は,本当の意味で逝っていないのである。死者は,限りある肉体の,物質的な個体性を失ったにすぎない。どんなときでも,旅立った魂は,呼びかけられたら,い
普通の亡くなり方をした人の魂は,一旦,肉体が死んでしまうと,その後,肉体がどうなろうが,ほとんど関心をもたないことが多いようである。これは,肉体の死が決定的なものであることを悟り,受け入れるからである。そして,ほとんどの魂は,一刻も早く,霊界へ入っていきたいと思うようである。しかし,自分が死んだ場所に,この世の時間にして,何日間は,とどまりたいと思う魂も少なくありません。たいては葬式が終わるまでです。この世の時間と,あの世の時間の流れは違うようで,霊にとっては時間の流れが速くなるようであ
私の行者仲間で,多くの人の相談に乗っている人がいます。その人は,よく言っていますが,人にあくどいことをした人間は,100%,遅かれ早かれ,例外なく不幸になっていると。多くの人をみているが間違いなく不幸になっていると。例えば,ある人の話。ある男性が,結婚相手(奥さん)と,奥さんの両親と住んでいたが,先に奥さんの父親が亡くなり,その後に,あろうことに奥さんが病気で亡くなりました。その後,男性と奥さんの母親,子供だけになってしまったのですが,男性は,奥さんがいなくなってしまった以上,元は他人
魂は,生まれ変わる時,生まれ変わる人生を,基本的に,あらかじめ自分の意志で選んでいるといいます。突然の病気で急死したり,誰かに殺されたり,災害や事故で不慮の死を遂げる人生は,その人が不運だから,そうなったというより,魂が,そのような人生を選んだといいます。それは,魂に,明確な動機があって,それらの出来事に関わっているのである。魂にとって,転生で最も重要なことは,何を学び得るか,気づくか,カルマ(因縁,業)を解消できるかということである。前世で,人を殺せば,次の人生では,罪滅ぼしに,人に殺
死にゆく人たちは,魂がそれまで宿っていた肉体から分離するという,変容のプロセスを経験する。死は,「すべてが終わること」だと考える人もいるが,実際には,その逆というのが真実である。人間は,死ぬときに肉体を失うが,永遠の生命エネルギー体(魂)は,本当の世界(霊界,大霊)と融合する。普通の亡くなり方をした人は,地上に縛りつけられていた肉体から解き放たれ,安らかな,懐かしい場所へ早く帰りたいと感じるようである。肉体の命が終わりかけると,人は誰でも,高い次元の意識と触れ合うことができるようになりま
死後に何か辛い思いをしたりひどい後悔をしたり孤独にさいなまれたりするという事は、ありません。死んでしまったら「生きてる人ともう会えなくなる」と思い込んでいますが・・・違います。死とは融合なので死んでしまったら生きてる人(の本体)と融合してなんつーのかな・・・・ずっと一緒だし、ずっと共有出来るし会える会えないというレベルではなくなるという感じです。例えるならば・・・
家族で誰か亡くなった後に,四十九日経たない間は,家で故人の気配を感じることがある。読者でも経験のある人はいると思う。実際に,四十九日の間は故人の魂は,自宅や,親しかった人のところにも行くものだが,寺で,四十九日の法要をして,墓に納骨をすると,それを境に気配は無くなってくるものである。そのような意味では,四十九日の法要と,納骨は非常に重要である。しかし,四十九日過ぎても,百日忌過ぎても,自宅で故人の気配がするようなら問題である。そのような時には,仏壇で手を合わる時に,故人に対して,
盗む罪とは,人のお金を盗むのはもちろん,借金を返さないのも盗む罪になり,悪いカルマが生まれます。悪いカルマを生むと,他人にしたことが,自分の子孫に返ってきます。たとえば,盗む罪のカルマなら,子供が人の借金の保証人になり財産を失い,家庭を崩壊させたり,自ら命を絶ってしまったりと,カルマ(因果応報)の宿命がふりかかります。もっとも,人のお金を盗んだり,借金を返さないような人間は,子孫がどうなろうと関係ないと思っているのでしょうが,自分自身にも壮絶な生き地獄,死後の地獄が待っています。
私が亡くなったら…の話はなかなかできない。軽いノリで言うしかない。先日、旦那に私が亡くなったら再婚してね。と伝えた。1人が好きだけどなんだかんだ寂しがり屋だと思う。私より話を聞いてあげて優しい人に一緒にいてあげてほしい。昔の大好きだった頃だったら、こんな風には思えなかっただろうな…笑ところで旦那の反応は、俺が先に死ぬから関係ないとのいつもの返しでした。ま、伝えたからいいや。その後娘にそのやりとりを話した。娘は昔から対人が得意で老若男女スッと馴染める子。
命日は霊にとって,何よりも忘れられない日であるというのは,それが現世から霊界へと,大きく自分の生涯を変えた日だからです。霊にとっては最も忘れられない一日です。私たちは,命日をうっかり忘れてしまうことがあります。しかし,そんな私たちに対して,霊たちは,自分の命日が近づいていることを教えようしてくるのです。ご先祖の命日には,生前好きだったものを供えて,手を合わせましょう。本当の供養とはそうゆうものです。
『死後』地上界の人々と繋がれない【現実】に直面します❗親しかった人や大切な人が亡くなると、私たちは悲しみ嘆きます。もうあの姿かたち、声を聞くことが二度と出来ないんだと「寂寥感」が沁みわたります。<心>に「言いようがない傷」と「孤独感」を刻みますその時ほど、この限られた<五感の限界>を感じ、少しでも<霊的な力>があれば、出来ることがあるのに、と思います。では一方、亡くなった側は、どんな様子なのでしょうか❓どう思っているのでしょうか❓この死後の様子や状態について、「
憑依霊には,生前の飲酒や薬物,性交などの習慣が強く残っていることがあります。憑依状態の中でも,生前と同じように酒を求めることになります。そうすると,憑依された人間は,自然と酒を飲みたいような気分が湧き起こってくるようになります。それまでは一滴も酒を飲まなかった人が,酒を欲しがるようになるのです。憑依霊は,人間を通じて間接的に飲酒の快楽を味わうことになります。霊は自分で飲んだつもりが,実際には人間を通じて飲んでいることに気がつきません。憑依した人間に酒を飲ませては,自分が飲んだと思って