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辛いです夫の匂いがどんどん消えていく話しかけても答えてくれない泣かないでいられる日なんてないなんで生きてなきゃいけないのそう祭壇の前で泣きながら、答えてくれない夫と同じ空間にいるのが辛く、昨日は早々に布団に入った亡くなって初めて、夫が夢に出てきたどんな夢か起きたら覚えてないでも笑ってたのと、私の名前を呼んでくれたそれだけは覚えてる朝すごく嬉しかった夫が心配してるのかも夫が病気になってから、本人よりもすぐ泣いてしまう私を何時も抱きしめてくれた夫今は友人や同僚が抱きしめ
昨日は、ボランティアの傾聴の会に行って来ました前回月初めに行った傾聴の会とは異なり少人数の会でした聞き手が4人聞いてもらう側が3人私は一番最初に着いたので2名話を聴いてくださいました早めに着いたのでこちらの縁切りの神様に「この辛い気持ちを断ち切ってください」とお願いしてから…内容を話してただただ傾聴してくれたのですが主人が2014年に多系統萎縮症という難病を患い私がショックを受けて主人に慰
主人が亡くなって一年が過ぎた時、亡くなったという事実もまだまだ信じられてないような中で、一年が経ったことで、“去年の今ごろは居たのにな…”って、それがもう言えないと思った。同じ「居ない」という中にも、去年はいたと思えること、それがせめてもの微々たる慰め?のようだった、まだ近い記憶であったから、「本当に存在していたという事実」を感じられてた…そんな救いの気持ちだったと思う。それから一年どころか、二年三年四年…もうまる六年が経とうとしている。なのに私は、六年前の今頃は確かに居たのにな
うつ病のチェックなるものをやった結果でもさ、しょうがないよね…逆に私のこの状況で心を病まない方がおかしいと思う今の状況が好天する事なんてないし、これからも悪化していくだけでも、どれだけ自分の心が病んでいても私は息子を残して決して死なないよ息子を守れるのは私だけ
2月19日(月)日付が変わる直前の夜中23時30分ボスミンの吸入をしました。この日は主人が午後まで付き添うことになっていました。私は午前中、末娘(1歳5ヶ月)を保育園に預けに行きました。その時、息子の担任の先生が「最近、息子君の体調はいかがですか?息子君用にお友達が、ひなまつりのお飾りを作ってくれていて、もうすぐ、できあがるんですよ♪」と声をかけてくださいました。息子は年末年始に、一時退院していました。その際、保育園の先生に会いたいと言い、保育園に2度、遊びに連れて行きました
闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。2022年春『妻の花壇を見ながら久しぶりに夫婦で乾杯…』淡明細胞がんの中に紡錘細胞がんが合併(混じった)してしまった…くつです。紡錘細胞がんとは(肉腫様がん)通常、他の腎細胞がんに合併します。頻度は非常に少なく、…ameblo.jp2023年春『天国からのメッセージ』闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。天国からのメッセージ妻が亡くなる
死別後の平穏を怖いと感じますか?私のもともとのママ友で、死別シンママになった子がいます。死別したのは、私は東日本大震災の年、彼女は熊本地震の年でした。ママ友という事もあり、子どもの年齢も性別も、むしろ子供の月齢すら同じ。彼女とは、子育ての悩みも死別シングルの悩みも共有しながら進んで来ました。先日ご主人の命日に、8年経ったよと連絡をくれました。そこでお子さんとパートナーの方と献杯をしたそうです。本当に穏やか過ぎて平穏だったと。良かったねと思ったのですが
今日は夫へのお花を買いに花屋へ夫が生前ずっと買いに来ていたお花屋さん私は祖父が亡くなってから毎日お線香とお供えをあげていて夫が仏花の買い物担当だったからそのお花屋さんで「今週は夫の誕生日があったので、お花も豪華にしようと」とお店の方に伝えたら「この前、ワンちゃんのインスタグラムみたらご主人写ってて。お若くして亡くなったんですね」と言われたもともと夫は若く見える人でわんことも一緒にお店に行くから覚えててらして見つけてくださったようで。「若いから癌の進行も早くて。でも最期は家で
昨日のこと久しぶりに眠れない夜でしたその直前にうたた寝をしたことが原因とわかっていたけれど夜眠れないとろくなことを考えなくて2日前から感情が揺れすぎて溺れそうです…何とも抑えようがないただ涙が出てきてネガティヴから抜け出せないこれまでは頑なに誰にも頼りたくないって思っていたけど助けて…だれか助けて欲しいいつかこの気持ちの波が静まる日が来るのかな…
闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。CT検査の結果後に主治医より治療を止める?止めないの話し合いに。。本題の前に、、2024年春、最愛の妻の花壇です。チューリップ🌷これからどんどん咲きますよ。『お宅の花壇を楽しみに、、この道を歩いてますよ。。』闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。11月10日頃、、、朝晩は、冷え込んできたし紅葉の時期かぁ~それそろ…link.blogmura.co
毎日毎日1人になると考える。あっくんがいなくなったこの世で生きていく意味ってなんだろう。子供たちがいるから?これ以上周りの人を悲しませないため?家庭環境がいい家で育ってきたわけじゃなかった。私もあっくんも。高校生の時に出会った。幼稚園から1個上の先輩としてあっくんは近くにいた。ヤンチャだったあっくん。恐い印象しかなかった。同じバイトになって休みの申請を店長にしてたら終わってあっくんが声掛けてきた。なんで休むと?って。修学旅行ですって言ったらお土産買ってこいよって。え?
日々のつらい気持ちや行き場のない思いは溜まっていく一方で、それを誰かに話さないと自分の中から外に出していかないと満杯状態だから、、、このままではダメだよな。他のものが何も入らないそう思うようになって、行き始めたグリーフケア死別体験者が集まって話す分かち合いの会。ブログで教えてもらって、参加してみるという第一歩が踏み出せました。初回のときは緊張もありました。部屋に入室したら冊子が置いてあって、その表紙を見たら涙が溢れ出てきて、このときはずっと泣いてましたあの初回のときは、1人で抱
改めて思う、ブログで伝えたいこと2023年4月13日にサンクチュアリ出版さんで講演をしました。夫との死別経験だけでなく、自分の人生を振り返る時間にもなりました。今私は、死別後一番幸せと感じられる時間を過ごしています。だからこそ、伝えられる言葉が必ずあります。やってよかったこと、実はやらなくてよかったことはないのですが、でもやらないことで今の幸せに飛び石を進むように加速できたのかもしれないと思いますので、カットしてよかったことはわかります。それをこのブログでもお話して
こんにちは。KAIです。桜がやっと咲いてくれました。先月まで僕は東京都世田谷区民でした。琉夏と一緒に暮らしたマンションの荷物がきっちり江東区豊洲のタワマンへ移して江東区民になりました。引っ越しの前に琉夏の生前は桜の木の下で男同士のデートをよくしました。琉夏を小さなキャリーゲージへ入れて彼のカゴの中には好きな食べ物だけをゲージの上から下げてあげました。例えば小松菜とかイチゴやキャベツの葉と穂。僕はいなり寿司やサンドイッチやコーヒーを持って行きました。そして2人でお花見をしました。だから
子供を亡くした親にかける言葉②「言葉」このときの言葉は暴力にもなるし(よかれと思って言ったことが)心の底から人を傷つけてしまうかもしれません。私がおすすめしたいことあの時嬉しかったことを書きたいと思いますやさしいハグ普段は日本人になじみのないハグですがこのときは、自然にハグすることができました。「ゆっくり休んでね」そんな私への慰めと優しさを感じました。握手をする相手
20日が月命日今月は30回目看護してたときの記憶が蘇る特に月命日前15日にはもう昏睡状態で会話なんてなかったけどどんな状態でも生きてて欲しい気持ちともうこれ以上苦しんでほしくないという気持ちずっと襲われ続けてたそれを思い出すので毎月このくらいの日から具合が悪くなる何もかも億劫になってしまうだるくてやる気がおきない明日は本社で年一度の面接すごくめんどくさい洋服考えたりメイク考えたりそういうの昔は楽しんだのに今は毎日こなすように生きてる夢で頑張れと言ってほ
講演会が終わりました。本当に素晴らしい経験をさせていただき、今感謝の気持ちがいっぱいです。この講演のお話を頂いたのは昨年の10月。そして、昨日4月13日に無事に終了する事ができました。夫を亡くし、泣き暮れていた私ですが、人前に立ち自分の一番辛かった時のお話できた経験は、私にとって「死別を乗り越えた証」の様な経験となりました。ご縁を頂いた黒川みちさん、サンクチュアリ出版の山口さんに、この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。講演会で感
夫の夢を見た、あれは完璧に夫だった。私が先に車を運転してて、夫が自分の車で少しあとから来てて私が道を間違いそうになったら「何でそっちに行こうとするの、どう考えても、◯◯を曲がるでしょう」とイライラした夫から電話。目的地に着いて、夫はお気に入りの赤っぽいウエスタンみたいな服を着て銀色のダーツを的に向かって投げて満足そうな顔をしている。これからどこかに行こうとしてる私達。(犬もいた気がする)ここで目が覚めた。こんな赤い服↓あのイライラして怒るところは夫そのものだった。会えて嬉しか
過去の日記を元に書いています。2023.3.66か月16日休み明け月曜日。休みの日とは一体なんぞや。もうわからなくなった。何も休めない。うん、身体は休めてはいるのだろうけど。今更だけど、2023年になっていたのか…と気づく。もう3月なのに。今朝方、あなたの夢を見たよあなたはちゃんと生きているだけど、やっぱり癌なんだもうすぐ死んじゃう私はなんとかしなきゃって思ってた夢の中ぐらい元気なあなただったらよかったのにいじわるな夢だよね夢の中のあなたは久しぶりでやっぱりかっ
朝から気分が落ち込んでて今日は出社しなければならずふとすると涙が溢れそうになりとりあえずやらなきゃいけない作業だけなんとかやっつけて早退夫の苦しんでる顔しか思い出せない今日は交際記念日なのに笑顔が思い出せない土曜日は30回目の月命日来週は10回目の結婚記念日いろんな感情がごちゃごちゃしてて息を吸うのもしんどい
朝が辛いたっくんが亡くなってから朝が非常に辛く目が開けられないときもある…大切な誰かを亡くすという経験をなさっている方がいましたら…辛い時間帯ってありますか?私は朝と寝る前が今のところは辛いですたっくんがいない一日がはじまるずっと居ないと分かっていても毎朝これを思うの起き上がれなくて腰が重い朝起きたらおはよって言ってたのにね普通のことなのになんで私には、たっくんには、させてくれないのまたそんな1日が始まるan
両親の結婚記念日でした。子どもの頃から割と両親の結婚記念日はお祝いをあげてました。誕生日、母の日、父の日年間たくさんお祝いするけど特に両親の結婚記念日は覚えやすい日付なのでそのせいもあってお祝いしていました。色違いのぬいぐるみをあげたり、メッセージ送ったり、そして母曰くその日、父は必ず花をくれたと話していた記憶があります。だから父がいなくなってしまってから去年、そして今年父の代理として私から花束を送ってます。配偶者が亡くなったって結婚記念日は続いていきます
なんのために生きてるんだろうなんのために生かされているんだろうこんなにもひとりぼっちで孤独感だらけでなにを支えにして生きていけばいいんだろう私は一体どんな業を背負ってるんだろう自分の背負ってる十字架の意味を知りたい。孤独に耐えるだけの人生なんて辛すぎる。
ここでの繋がりの方たちなら、多かれ少なかれ経験があるのかも知れない。未亡人となり、この立場?が羨ましいとばかりに、自由で良いとか、お金に困らないとか勝手なことを言われたこと。最初に触れておくと、確かに世の中未亡人となりお金には困らない方も多く居られるのでしょうけど、私なんかは今のこの生活を維持するために働くことは「絶対」に必須。だからそんな素晴らしいご身分などでは全く無い。でも今、確かに私はかなり自由です。先日言われたんです職場関係の人に、あっけらかーんとした感じに誰かとの会話の中
講演会を終えて講演会を終えて、ほっと一息。東京の素敵な屋外カフェで自分を労ってきました。私にとって大きなチャレンジの一つ。それを乗り越えた自分。昨日より、やっぱり今日の自分を好きにだと思えています。講演会を見て頂いた死別シングルマザーの感想さて、講演会が終わり動画視聴も始まっております。当事者の死別シンママさんからご感想をいただき、やっぱりやってよかったと思います。死別シンママさんには、ちょっとフラッシュバックしてしまうかも?
過去の日記を元に書いています。2023.3.3〜46か月13〜14日2か月くらい前の話。スーパーへ買物に行った時にヤクルト1000が目にとまった。【冷蔵】Yakultヤクルト1000100mlx7本パック乳酸菌シロタ株1000億個楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}癌に効くという話を聞き、鈴木さんがよく飲んでいた。(大腸癌かもしれない)話題の商品でどの店も売り切ればかり。なかなか手に入らないので、見つけた時彼はすごく喜んでいた。あの時
知り合いが亡くなりました。以前、他の課で働いていた人で一年前くらいに辞めたらしいけど、どんな顔だったかどんな声だったかすぐに思い出せる人です。今年60歳でした。若すぎると思います。彼女の死亡届が提出され、周りもざわつき、私ももちろんびっくりしましたが、周りの人ほどの衝撃がないと言いますか…。夫を亡くしてから、突然のお別れに変な意味で慣れてしまったと言うかそういうこともあるよね、と、すっと受け入れられる自分がいます。他人から見たら、すごく冷めた人だなと思
闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。兄貴(友人)から、、あなたと一緒に撮った写真を俺の遺影にするばい。。『たまには、私にも、こんな非日常があっても良いのかなぁ?』闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。『兄貴(友人)と一献、、10年後に、こげぇなぁことになるとは。。』闘…ameblo.jp兄貴(友人)の街、、久留米の文化街で飲む。。今回、写真は多めです。普段撮り慣れてなくて下手
先週、息子達のインフルエンザの予防接種のため小児科を訪れた時のこと小さい頃からお世話になっている先生も看護婦さん達も夫の訃報をご存知で行ったらすぐに受付で「大変だったね…」「頑張ってね…」などと声をかけられた。注射の前に先生と話した時に「◯◯家だから、耐えられる試練を神様が与えたんだと思うよ」と言われた。それは一見褒め言葉のような気はするけど全く嬉しくなく言葉を返せば私と子供たちがこの悲しみを乗り越えられなさそうならこんな試練は与えられなかったという事にな
今日は旦那が事故にあった日月命日とはまた違った感情になるあの時痛かったよねしんどかったよねと病院での旦那の顔が頭に浮かぶ今は、元のイケメン旦那の顔に戻ってるかな話は変わるけど死別してから人と会うと自分が自分じゃなくなる最初は誰の前でも、もう死んだように生きてただ子供がいるので何とか立ってた、息をしてた最近は夜や日中1人の時は本当に寂しくて辛くて泣いて怒って旦那に小言を言ってる本当に体中の水分が涙腺から溢れだしてる人前や子供が居たら本心は言えないし泣けないからねだけど人に会う