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末期の肺ガンだったスティーブ・マックイーンにある奇跡が起こった。Dr.ワールブックによると、正常な細胞は酸素を必要としますが、癌細胞は例外なく酸素を必要としません。細胞の酸素濃度が35%減った状態が48時間続くとその細胞は癌化する可能性があります。市民にコロナでマスクを強要したのはイルミナティの人口削減目的だった!https://ameblo.jp/64152966/entry-12629068442.html毎日~長時間マスクをしていると酸欠になり病気になりやすい!知って
癌の終末期になると個人差はあるもののほとんどの患者にせん妄が見られる。わたしのお母さんもせん妄があった。はじめは医療用麻薬によるもののせん妄だったけど(内容は過去の記事に書いてある)亡くなる数日前からは、「終末期せん妄」と呼ばれるものになり、パニックになることもあった。緩和ケア病棟の病室で、カーテンが閉まってるのに、眩しい!目があけられない!閉めて!!と言ったり、虫が飛んでる!と幻覚が見えたり、鼻にチューブが入ってるのを抜き、「鼻に何入れたの?!やめてよ!」と言ってきたり
昼前に父が来た。妻のガンが発覚して、初めて顔を合わせた。父は食べられるものをたくさん持って来た。妻の体調も良かった。消化の良いものを食べていたが、吐き気などはなく、痛みもあまりなかったそうだ。父からは、実家へ帰らないかと言われた。家族皆で帰ってこい。空いている部屋を私達のリビングにしていい。ありがたい申し出だった。とりあえず年末にお試しで暮らしてみることになった。妻は、まだ父の家に帰らず、今の生活を続けたいと言う。父は、私や妻がパンクしてしまうと心配した。どちらの話も、正
おはようございます(˘͈ᵕ˘͈)温かいコメント温かいメッセージを本当にありがとうございます。毎回読ませて頂きながら励まされておりますm(__)m本当にありがとうございます┏●本日から【2クール目】の抗がん剤入院であります昨日私の調子が良く‥‥‥‥我が子達と色々話しました。本当に我が子達はなんとも‥‥‥面白い笑また面白かった事ゆっくり書かせて下さい笑さて私‥‥‥‥‥‥‥‥とうとう脱毛し始めました。かなりの‥‥‥‥‥勢いで抜け落ちております
2021年10月膵臓がんが発覚して以降旦那は背中とみぞおちの痛みが酷くて横になって寝ることができなくなりました。癌発覚前は私たちは寝室のベッドで一緒に寝ていました。去年の9月頃から旦那は夜中ちょこちょこ起きては、トイレへ行き叫ぶようになりました。私を心配させないためにも寝室から離れてトイレに行ったんだと思いますが、私は毎晩叫び声が聞こえるたびに恐怖になっていきましたベッドで横になって寝たくても、痛みで横になることができないので、まず最初に考えた寝方が和室で、布団を敷き枕を間に挟んで寝る
旦那は去年の5月に旅立ちましたが、4月に入った頃から黄疸が現れました。最初は白目が若干黄色くて黄疸かもと思っていたのが、5月入った頃には白目は完全に黄色くなり顔も黄色くなり黄疸確定となりました。亡くなる3日前に撮った写真この時が旦那を撮る最後の写真になってしまいました実際は写真よりも目や顔はもっと黄色いです。この頃はウトウトした時間が増えていたけど、ご飯も食べていたし冗談も言う元気がありました。ちなみに鼻につけてる管は水素吸引です。癌発覚から闘病中、レンタルした水素吸引を毎日使って
■[ガン治療]ガンはもはや種類ではなく遺伝子情報で治療する時代へ?「がんゲノム治療」とはガン治療において新たな潮流となっているのが、ガンの「種類」ではなく「遺伝子情報」に基づいて個別に治療を選択していく「がんゲノム治療」である。従来の治療法とは何が異なるのか、そしてどのような人がその治療法の対象になるか、知っておいて損はないはずです。ガン研究の最新書籍『「がん」はどうやって治すのか科学に基づく「最良の治療」を知る(講談社ブルーバックス)』より一部抜粋し、ガン治療の最前線をリポート
同時期に闘病生活を送っていた笹野氏と出会う食生活の改善と健康食品にウェイトを於ての生活の中、愛飲している健康食品を購入の為に、女房を連れ立って店へ伺うと一人のお客さんがソファーに居た。軽く会釈をしてカウンターに座ると、店長さんが早速、ソファーに居た方を紹介してくれた。その方は笹野さんだった。お互いに自己紹介して会話をする中、私と笹野さんには共通点が有った。笹野さんは、2004年3月。末期肝臓ガンで余命3ヶ月の告知。私は、2004年3月。末期胃ガンで余命1年の告知。互いに病院とガ
癌で身近な人を亡くした人は、病院や医師に対して疑問や不審に思ってることや、納得してないことがある人は結構いるんじゃないかと思う。わたしも、モヤモヤしたままのことがいくつかある。お母さんは、腹膜播種があり手術をしても全部取りきれないため術前抗がん剤をして癌が小さくなってから手術をしましょうと最初言われてた。TC療法が効いて腹水は良くなり、ca125の値もどんどん下がっていき、お母さんもわたしも、これで手術できる!と思ってた。なのに、結局手術はしてもらえなくて、ゼジューラで維持療法し
はなと申しますご訪問ありがとうございます80歳からアメブロ始めました運転免許証を返納し専ら健康維持に努めていますハイツでの独り住まいを卒業して2023.8.16からは自分の家に戻り娘と孫と私と3人暮らしになりましたさてさてどうなるやら……健康・節約・オシャレなミニ情報紹介いたします共感のいいね・フォロー大喜びしますまいど~はなですいつも訪問してくださって
朝4時半、長男の夜泣きで目を覚ます。もう朝泣きか。長男の期限はここ2ヶ月のうち、最悪で、立って抱っこしないと泣き叫び続けていた。たまに寝たと思っても、すぐに起きて泣き叫ぶ。6時ころ、お腹が空いたとわかり、朝食を与える。癇癪が止まらず泣き続けたが、やっと食事を食べてくれた。昨日は、泣いてもかわいいと言ったが、前言撤回だ。耳元で泣き叫ばれると嫌になる。長男の食事をしながら、長女を起こす。最近朝の機嫌が悪く、必ず眠たいと騒ぐ。これも妻の病気の影響なのだろう。長男の食事を終えたら、
結婚指輪を外して3ヶ月が経ちました。代わりに、こないだガチャガチャで取ったとんがりコーンを指にはめてみる子供の頃とんがりコーンを食べる時、みんなも一度はやったことあるかもしれませんが、こうやって指にはめてから食べた記憶があります指輪を外した理由。。。人生で初めての結婚指輪は、指輪ができる日が待ち遠しく、受け取りに行って指輪はめた時はすごく嬉しかったです。しかし、結婚生活はあっという間に終わり、指輪をつけてる期間もあっという間でした。指輪を外して生きていくか、このまま外さず一生つけるか
昨日親知らずを抜いたら、夜中痛くて目が覚めた。その時に、「あ、今お母さんの夢みてたわ」と気づいた。夢の中でのお母さんは余命短いはずなのにわりと元気で家にいるなぜかお母さんがいなくなったあとの話をしてるっていう矛盾した設定。お母さんに、余命短いって分かってるの辛いよね。と話しかけてた。お母さんは、辛いよ。あと少ししか生きれないなんてほんとはすごく辛い。て言ってた。お母さんと泣きながら話してて、このことブログに書こう。と夢の中で思ってたわたし。設定めちゃくちゃだな。
21世紀の自然治癒の健康相談ー9、ガンの転移三石巌:全業績ー6、分子栄養学の健康相談、より50歳の女性、1年前に乳ガンにかかって、右側乳房を切除しました。腕がはれたり、首の感じが変だったり、胸がつったりして、たえず、転移ではないかと心配しています。いまは、2ヶ月に1回、定期検診を受けていますが、大丈夫でしょうか。私のアドバイス、2ヶ月に1回の検診というのは、2ヶ月の時間をおいたら、どんな変化がおきているかを、主として転移について検査する診察です。ということは、ガン細胞がよそに定着して、
僕は、死なない。全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則Amazon(アマゾン)もしもあなたの大切な人が末期がんになったらAmazon(アマゾン)霧島天然水のむシリカ霧島連山で採水されたシリカ97mg/L含有無添加ナチュラルミネラルウォーター1箱/500ml×24本Amazon(アマゾン)フコイダン(フコイダン330mg/日)30日分Amazon(アマゾン)飲むプレミアム温泉水七滝温泉(2023モンド
久しぶりにお母さんの声が聞きたくなって、お母さんが緩和病棟に入院中、録音してたのを今日聴いた。呂律回ってなかったけど、泣きながら話してるお母さんの声。亡くなる前日、2023年11月28日に録音したもの。終末期は寝たきりみたいになって最期の数日は会話もできないって人が多い中、こんなに意識もはっきりしてたんだなと改めて思った。この時お母さんは水も飲めなくなって尿も出てなかったし、お母さんももう生きる時間は限られてるって分かっててそれが本当に辛そうだった。「こんなに早く悪くな
体調が悪い時に吐くこともあり、喀血があったときは、このまま死ぬのでは?と思った。ふと読んだ本の内容を思い出した。ママがもうこの世界にいなくても私の命の日記[遠藤和]楽天市場1,650円癌は亡くなる間際が壮絶だと聞くけれど、こちらの本でも最後の方は、がん患者としては読むのが辛かった。「死ぬ前には緑のものを吐く」と記載があったことも印象的だった。喀血があった時に夫に死ぬのでは?と心配されていたので「緑のものを吐いてないから大丈夫」と伝えた。と言われ、頭の中がでした。夫の頭
おはようございます(˘͈ᵕ˘͈)温かいコメント温かいメッセージを本当にありがとうございます。沢山の方々からの励ましは後数日からスタートします‥‥悪い自分の細胞との戦いへの勇気となっております┏●本当にありがとうございます。さて私の彼は5歳年下年下だからどう‥‥とかはないのですがしかしやはり経験値は私の方が沢山あると自負しております以前幻のシリーズを書いた時にも書きましたがとても繊細な人。であります(とても分かりにくい人でもありますが笑)病
■父の末期癌完治闘病記「難病・末期癌からの生還」[末期癌完治後/父と愛犬のツーショット]皆さん、はじめまして。ここでは父の「末期癌からの生還」闘病記サイトの内容を少しずつブログという形式にてご紹介して行こう思います。父の末期癌余命宣告から退院までの詳しい闘病記や、父が実際に末期癌と闘うために実践した内容、癌と闘う上で理解しておくべき必要な情報(癌細胞のメカニズムや免疫システム、腸の大切さ、標準治療の限界と問題点など)も最新情報を加えながら記していこうと思います。西洋医
前回の続き、、、近所の総合病院で【膵臓癌ステージⅢ手術不可】と告げらその後、国立癌研究センターでの治療を決めました。癌センターでまた新たにCTを取り、細胞を取り、詳しく検査することになりました。その結果、、、腫瘍の大きさは4センチ、門脈にも癌が絡みついていて、新たにリンパ節にも転移してることが分かりました。去年の2021年10月18日、旦那の詳しい病名は【膵臓癌ステージⅣb】抗がん剤で延命治療するしかないと、、、癌センターのレストランで撮った写真その後は先生に言われるがまま
亡くなる1ヶ月前になると、腹水かも?と思っていたお腹はどんどん大きくなり、白目も黄色く黄疸かも?と思っていた白目は完全に黄色、顔まで黄色になっていきました。この頃から尿があまり出なくなり、1日1回は必ず尿を出しますが、前ほど回数も減り量も少なくなっていきました。尿の色は完全な真っ黄色、オレンジに近い色です。腹水でお腹が大きくなり、圧迫されてるせいか分かりませんが心臓が痛く、息が苦しいと訴える日も増えていきました。酸素を吸うと少し楽になるので、出掛ける時も常に携帯用酸素を持ち始めるように
これまでの経緯・プロフィール約3ヶ月ぶりの更新・・・先ほど個人サイト・ブログを更新して、そこに書きましたが、10時間超えの治療中でして、暇すぎるので、思い出したかのようにアメブロを開いてみましたw前回の投稿、1月半ば・・・放置にもほどがありますねすみません久しぶりにアメブロ見ると、ランキング上位の方?知らない人ばかり。毎日のように病人、患者、闘病者はうまれているということでしょうか。悲しいですね。3年前ですか。ほぼ毎日投稿していたあ
朝起きると、妻は調子が良さそうだった。昨日の夜は眠れたらしい。夜は私も妻も夜中に起きて、少し話した。妻の友人と電話したりして、元気をもらった。痛み止めを飲んでも吐き気で吐いてしまうというので、ごまかすために二人でチークダンスを踊る。この前、妻がダンスをしたいと言っていたからだ。ユーチューブでチークダンスの曲をかけて、ゆったり踊る。踊りになっているかはわからないが、妻は優しく笑っていた。具合が悪くなると、椅子に座らせた。身体を立てていた方が楽らしい。鎮痛剤は20分くらいで効いて
前回の続き『警察に電話【旦那の最期の日】』前回までの流れです『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告…ameblo.jp病院を抜け出し真夜中歩き続け、朝を迎え昼がすぎ夕方ごろには気がつけば母の家へ行っていました。なんの連絡もなしに突然行ったのでビックリしていました。「○○君(旦那の名前)どうなったのー?」と母に聞かれ、だいたいの事は分かっていたので旦那の状況と、病院抜け出してフラフラしたこ
父が帰ったあと、妻と子どもたちはテレビを見て過し、九時過ぎに就寝した。夕食もそれぞれ食べられるものを食べた。妻も雑炊などを食べていた。妻は、今日痛み止めを使っていないが、体調が良いようで台所の洗い物等をこなした。長女は熱が引いてきたが、長男は40℃になったので、解熱剤を入れる。この2人の症状は風邪なのだろうか。妻のガンがわかってから、心配性になっている。わからないけど、私と妻の悲観する様子を見て、体調を崩したとか…明日は日曜で医者があいていないが、明後日まで熱が続けば別の医者に連
私は個人サロンですが、予てより、心身の不調を持ったお客様のご来店があります。開業当時は男性も受付ており、今でいうジェンダー🌈の方から電話問い合わせと、来店もありました。精神不調の方のご予約ルートも現在はオンライン予約が主流で、事前問い合わせは無く、ご来店後のカウンセリングで発覚するという感じです。それに対する対応は、私はエステティシャンの範囲で「美容と健康に繋がるサロンケア」としてメニュー提供させて頂いております。カウンセリング時に、その旨をご承諾と確認をしています。こうし
お母さんは癌が発覚してから一年3ヶ月の間毎日欠かさず日記のようなものを書いてた。その日の体調、体温、血圧、酸素濃度、薬の種類、副作用の症状、その日したこと、食べたもの、トイレの様子、思ったこと、感じたこと色々書いてて、今日全部読み返した。わたしが聞いてなかった症状も書いてたり、わたしには大丈夫だよって言ってた時期も、頭痛や吐き気、いろんな症状が出て辛そうだった。入院してからもずっと書いてて、病院から家族が呼ばれて緩和ケアに移るか治療を続けるかの話をした時の日記に、「このま
皆さんは自分の余命、又は家族や友達、大切の人の余命を知りたいですか私は自分の余命も、自分の周りの大切な人の余命も知りたくありません。なのでもちろん旦那の余命も知りたくありませんでした。私の場合、余命を知ってしまうと迫り来る死の恐怖が勝ってしまって不安になり、今を楽しく生きることができなくなってしまうからです。旦那も自分の余命は知りたくなかったはずです。せっかく生きるために頑張ってるのに、潜在意識が死を意識させちゃうから。最初はみぞおちが痛いから始まり、ただの食べすぎの胃もたれだと
がんの無料相談zoom又は電話ではるちゃんが、4期のがんになった21年前「がんを治した人と会って話がしたい」と切に思いましたそして、ある方の紹介で同じ咽頭がん4期を克服した人と電話でお話ができ勇気が持て、今の自分がありますその、恩返しの意味を込めて無料相談をしていますがんになると「自分で何をしたらよいか?」答えの見つからない悩みが続きますよねまた、「誰にも分ってもらえない」さみしさを感じることもありますよね
●医者のガン見落としで、末期ガンになる。大阪に住む32代の女性からの電話相談。(というより愚痴でしたが)彼女は二人目を妊娠していた5年前の4月、お風呂に入っている時に、自分の右胸にシコリがあるのを見つけたと言う。そこで翌日すぐに病院に行って先生に見てもらうと、「乳腺炎だと思いますが、大丈夫でしょう。」という診断。彼女は安心して帰宅したと言う。ところが2ヶ月後、母乳に血が混じる様になったという。これは何かお