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父が亡くなって7ヶ月が経ちました。何だかあっという間のような、、亡くなった9月と10月は本当に慌ただしかった。父が大動脈瘤の手術をして一般病棟に戻った時、一回だけ5分程度面会し話す事ができました。それが父との最期でした。歯がないので何を言ってるのか分かりづらいのですが、相変わらずの憎まれ口でしたが、痛々しい点滴のあとや足が痛い痛いと訴えていて、流石に弱っているなと思いました。先生から話があると呼ばれて、「また来るね、頑張ってね。」と言って別れました。その2日後、足の指に飛んだ血
もう4月になり自分的に色々ありすぎて書く気になれず今年に入り4ヶ月も経ちました。12/31大晦日これからコストコ商品で今年の食べ納めパーティーの準備で夕飯作ってたら突然妹からの電話で父がもうあと何時間か、今夜が山、危篤と電話をもらい、すぐ向かう。12/21日に脳梗塞で倒れて入院は、していた。でも容態が急変するとは誰も思っていなかった。ちょっと状態が良くなったら退院だろうと思ってた。お姉も東京にいたし、我が家ももまさに年納めパーティーしようとしてたし。一気に暗い雰囲気になり
平成30年11月30日(金)病室のベッドで静かに息を引き取りました。ネネちゃん、満3歳6ヶ月でした。亡くなる4、5日前くらいから呼吸が苦しくなってきてて、唯一取れていた水分も少し飲んでは吐くを繰り返すようになりました。家で看るのは限界だね。木曜からオプジーボ投与で入院予定だったので夜中に救急で行ってそのまま入院にしてもらいました。酸素マスクをしてると少しは楽になったようでした。木曜にオプジーボ投与をして痛み止の点滴をして痛みはほとんどなかったけれど、身体全体で呼吸してました。
オッカサンの命日が近付いて来ました。亡くなってからあっという間に一年が経とうとしてます。実は、オッカサンが亡くなった三ヶ月後、施設に入所していた婆ちゃんも亡くなりました。婆ちゃんは95歳の大往生です。腸閉塞で何度も入退院を繰り返し、オッカサンが亡くなった日に吐血して入院してからは、確かずっと入院してた気がします。(オッカサンの事でいっぱいいっぱいだったので、うろ覚えです)オッカサンが亡くなった三ヶ月後、お父ちゃんから「婆さんが危ない!」と連絡が来て、その日のうちに広島から実家へ車で
岳:がっくん6歳風:ふぅ11ヶ月雷:らい11ヶ月お空組くぅさん2022.2.10(14歳11ヶ月)りっくん2022.7.16(13歳9ヶ月)いつもご訪問ありがとうございます≧(´▽`)≦たまねぎによる愛犬と愛孫溺愛ブログです♪犬バカ孫バカすぎてごめんなさい~(*´ェ`*)はじめましての方はこちらを見てね♪・黒白豆白自己紹介★ご質問が多い関連記事のご紹※犬や赤ちゃんについて思うこと・赤ちゃんとわんこの生活・犬と暮らすと言うこと※
続いて。。。。。父の最期の事を詳しく書いておく(ちょっと毒を吐く所もあるかもだけど)ある日、深夜に母から電話があり📲なんだ??と思って出たら、お父さん。。息してないんだけど。。ってマジかすぐ行くわって、奥様実家から、深夜だったら車で10分かかるか?くらいだからすぐに駆けつけた着いた時はすでに看護師さん?だかも来てて、顔を見たけど。。確かにもう生気は全く無かったでも、顔は本当に、寝てんのかってくらい穏やかで、苦しんだ感は全く無かっ
2018年10月28日16時15分。キロロが永眠しました。その日の朝、いつもの投薬と皮下輸液を、行うのをやめました。午前中、寝室からリビングに、よろよろとふらつきながら、それでも自力で移動してきたキロロ。ホットカーペットの上でぐったりと体を投げ出し、時折、私と連れ合いを呼ぶように、鳴きました。そのたびに、応えました。「大丈夫だよ、そばにいるよ」ふわふわの猫ベッドや膝の上に抱え上げるも、キロロはしばらくすると嫌々をして、これまた自力で降りてしまいました。
いつもいつも暖かいコメントありがとうございます。通知が来て読む度に涙が出たりあまねこんなことしてそう!!と微笑んだり感情が忙しいです。笑あまねがいなくなって7日目。日に日に寂しさが強くなっています。ぼーっとしていると涙が溢れてきます。市役所の手続きや保険の手続き。やらなきゃいけないことを終わらせてしまって手が空く時間が増え何も無い時間が寂しくて辛いです。GW明けに仕事に復帰予定なのですが家に一人で居るより精神的に絶対良いなと始まる前から思っています。前回の続きです。
横浜・青葉区市が尾、癒しのアロマサロン「オブラート」の水森美希です。犬るいが3月1日に亡くなり、3日に火葬をしてから、・直接お礼を伝えることができなかったかかりつけの病院の先生への手紙・ホモトキシコロジーでお世話になったところへのご報告とお礼・丸山ワクチンでお世話になったところへのご報告とお礼そして本日、区役所に届け出をしてきまして、ひと段落となりました。ただ死亡したことを伝える、という形式的なことをしただけなのに、やっぱりキューっとなりますね。でも、淡々とできました。私の区切りと
涙あり爆笑あり膵臓がん闘病110日最期の最期まで闘い抜いたパパのブログです愛するパパとの最期のツーショット写真4月4日午前1時37分この時すでにパパの意識はない私はパパの隣でずっと声をかけていた目の前には3人の子供達が見守っている娘が最期のツーショット写真を撮ってくれた呼吸の回数が速くなったり遅くなったり大きく激しい呼吸と小さく小刻みな呼吸を何度も繰り返す呼吸の間隔が少しずつ少しずつ長くなる子供達みんなでパパの手を握り続けるパパ…パパ…聞こえるか…パパ…
いっちゃんの記録年中さんの運動会《借り物競争》でいっちゃんの借り物は【おかあさん】笑そこになぜかゴボももれなく付いてくるw亮ママゴボをありがとう🤣いっちゃんを後部座席に乗せ、病院へ車を走らせた。外は真っ暗。私もいっちゃんも、外の景色を楽しむ余裕なんてあるわけもない。FMラジオから楽しそうな会話が流れてくる三代目JSBのメンバーがケラケラ笑いながら喋ってたが、内容はほとんど記憶にない。でも、かかった曲はハッキリ覚えてる。メロディアスなノリのいい曲だったか
お久しぶりです(*ˊᵕˋ*)੭ੈKooのブログ転載から1ヶ月・・・我が家ではバタバタといろんなことがありましたまず、宣言通りゴボのスーツを買いに行きました通勤スーツ➕礼服も揃えまして・・・いやはや、給料1ヶ月分が飛んでゆきました仕方ねぇ・・・そうや、これはお祝いやからなめでてぇやないかいな、いっちゃんお昼寝ちう。偶然の同じポーズその後ゴボはいくつかの卒業旅行に忙しくバイトで貯めた小遣いをじゃんじゃん放出しておりました「なぁ、お母さん。やっぱ3
ご注意ください。余命宣告を受け入れ、死を覚悟している、がん患者の真面目で、大切なこと、正直な気持ちですが、読んで不快に思う方もいらっしゃると思います。がんで余命宣告を受け入れた、私、末期がん患者の気持ちを知りたい方のみ、読み進めてくださいませ。私のがんは、直腸がんステージⅣ、肺、肝臓転移、肺に100以上のがんが散らばり、手術は不可能。余命宣告は2023年7月に「3か月は大丈夫、短ければ6か月、1年生きるのは難しい」と言われました。抗が
膵臓がんで最期の最期まで闘い抜いたパパのブログです主人かーくん享年55歳亡くなる62時間前震える手を必死に抑え打ったLINE苦しい中パパは最期の最期まで家族を愛し続けましたコロナ禍の為家族葬にて静かに見送ってあげたいと思いますしかしながら沢山のお花を頂戴しました仕事関係の皆々様(わたしのブログを仕事関係の沢山のお客様が見て下さっていたらしいパパがママがおもろいブログ書いてんでーと自慢していたそうです)日頃から当社をご利用頂きご厚情のほど厚く御礼申し上げます
2024.3.17『痛み叫ぶ姿に耐えられず』2024.3.16『伝えられない最期』2024.3.15『穏やかな日が続いて欲しいと願い続ける』2024.3.12『最後の余命宣告』2024.3.11…ameblo.jp何時間経ったのだろう。あっという間に夜7時を過ぎていた。お義父さんはつぼみと旦那がワイワイ騒いでるので嬉しそうに手をパタパタさせたり目をパチパチさせたり笑みを浮かべてこちらを見てる。『水飲む?暑いから喉乾いたでしょ?』『うん』と頷く。なぜか…言葉はわか
沢山の方にアクセス頂きとても嬉しいですありがとうございます不倫発覚後の夫婦再構築夫と一緒に居たいから…ずーっと夫婦で居たいから…私に離婚と言う言葉は存在しなかった離婚するつもりはないだから不倫されても離婚と言う文字は出てこなかったでもでも、再構築って難しいね色んな事が簡単にはいかないどうしてもあの不倫の情景が消えなくて時々苦しくなる夫は「そんなに嫌ならやめれば!」…と軽く言う私は「嫌だやめない!」と、決まった答え夫にとって、私は必要ないのか…夫は私が居な
おはようございます。人間より動物好きの獣医シワ神シワ男です。先日、来院した15歳の猫ちゃん慢性腎臓病だった。キャットフードを食べなくなって他の病院に行って治療してるけどよくならいって来院された。脱水がひどくて粘膜が真っ白で目も陥没していて、はきがなくてよだれも出て、気持ち悪そうな状態だった。血液検査、レントゲン検査、超音波検査、尿検査をしてみたら腎臓の値のBUN、Cre、Pの値が当院の機械では振り切れて測れない値で、
今日は、とても風が強い家の最寄り駅の隣に大きなソメイヨシノがありホームに立ってたら桜吹雪🌸この頃、何を見ても主人の最期の時に繋げてしまうまだ、主人、存命です。でも、昨年11月に再発と知り術後からは、歩けなくなり自分で何も出来なくなり話せなくもなりもう、脳は半分なくもう、寝たきりの骨と皮しかない身体になり緩和ケアに入りました意識レベルも、どんなものか昏睡ではなく、昏迷状態と聞きましたがこちらの声はわかってるのかも、手を触ってもわかっているのかも、何も返事はなく
こんにちは🍀お寄りいただいて嬉しいです。久しぶりの本日の一枚でございます。なんとか貼れているでしょうかねぇ(笑)うちのナッツが、あんなに猫と人見知りで人を寄せ付けなかったナッツが…世界中で私とダンさんしか寄せ付けないと思ったナッツが…10日ほどでそれか、先住さんが努力してくれたかもしれないかも知れない。預け先のダンさんのお友だちがベテランさんの神の手かもしれない…どのみち、このあと直後に耳をペタンし、ただ撫でくりまわされるナッツの動画が送られてきたのだ私はダンさんの前で号泣した『これ
5月15日は、アルマンの命日でした。亡くなってもう、4年…薄れていく日々の思い出。一方で最期の場面は鮮明に覚えていて、つらくもなります。18トリソミーのまれちゃんのママがFBで紹介していた詩。谷川俊太郎『さよならは仮のことば』より夕焼けと別れてぼくは夜に出会うでも茜色の雲はどこへも行かない闇にかくれているだけだ星たちにぼくは今晩はとは言わない彼らはいつも昼の光にひそんでいるから赤んぼうだったぼくはぼくの年輪の中心にいまもいる誰もいなくならないとぼくは思う死ん
2019年1月5日お酒が大好きな父は、肝硬変から肝臓癌と、腎臓まで患って透析まで受けていました。酒で死ねるなら本望だ!が、口癖でしたが、死ぬまではお酒は吞み続ける事はできませんでした。私は40を超えた頃位から、本当のお酒の味が分かったようで、父親に「頼むから週に1回は休肝日を作ってくれや!」と、言われるくらい私は毎日お酒を呑んでおりました。父は日本酒一辺倒。私は日本酒とワインと芋焼酎以外は何でも好き。全て吞めるのですが、日本酒は必ず翌日残りしんどい。ワインは渋い。芋焼酎は
昨日は夜半からかれこれ14時間のお留守番になっちゃったタリルク👑🎀💩食べてるし👑寂しくて地団駄踏むし🎀それでもふたりだったから頑張れたね。ありがとう。タリルクも週末🍎👵に最期会いに行ってきます。しばらくブログお休みします。ホントはタリルクの様子だけでもアップしようとしたけどこれまでの間疲れてるのにブログアップ頑張ってきたツケで最期ママちんもバテてしまったから。夜中残れなかったことが後悔。間に合わなかったことも後悔。またね🍀応援よろしくお願い
いっちゃんの記録そして卒業CT検査室に着くと、いっちゃんの酸素マスクが一旦外された。じっといっちゃんを観察するU先生。大丈夫、大丈夫だから。U先生は、被曝を避けるためのオレンジ色のベストを着ながら私に話しかけてくださった。「お母さんはここで待っててください。大丈夫です!!少し弱いけどちゃんと自発呼吸も出来てますし、がんばってますよ!急いで撮ってきますから。彼の頭の中で何が起こってるのか、これでしっかり見れるはずですから。」先生・・・・・先
お母さんのこと考えてたら、いつのまにか年越してた。いつもなら、あけおめー!ってお母さんに電話して、福袋の話とかしてたな。正月早々に地震が起こった瞬間も、お母さん大丈夫かな?!電話しなきゃ!って咄嗟にいつもの感覚になってしまった。もういないんだった…って泣きそうになる瞬間。毎晩寝る前にお母さんのさいごに苦しんでた顔が思い浮かんできて、さいごに言った言葉がフラッシュバックしてきて胸が締め付けられて苦しくなる。息ができなくてもがき苦しんでる姿が何度も何度も蘇って来る。目の前で苦し
こんにちはまあこです。夫がステージ4bの胃がん余命3ヶ月と言われてからの闘病記を綴っています。タイトル通りですが4月1日朝夫が息を引き取りました。私は横のソファで寝てしまい朝、目を覚ましたらもう呼吸はなく、脈も触れずすぐに訪看さん、医師を呼んで死亡確認しました。実は、最期の日は娘が「お父さんの横に寝てもいい?」と初めて介護ベッドで一緒に寝ていました😊最初で最期の添い寝夫も嬉しかったかな。でも。。。
夫の死亡確認をした先生は、当直医だった。あらためて、担当医が来てくれた。「本当に頑張っていた。あのままだったら、入院しなければいけなかったかもしれないが、奥さんと離れたくなかったんだね。ずっと自宅がいい、って言っていたから希望が叶ったね」と訪看さんと同じことを言ってくれた。ほんとかな。よかった、って思ってくれているかな。私が想像していた夫の最期は徐々に弱っていき、トイレも行けなくなり、鎮静剤でほとんど眠ったまま、という状態になると思っていた。けれども直前ま
Amazonプライムでツナグを見ました。かいつまんで言うとツナグとは死者と生きている人の仲介人死者も生きている人も各々一回だけ面会できるというシステムでその段取りをするのがツナグの仕事もとの小説は読んだことがありませんが映画の中では死者に会いたい人が三人出てきて、それぞれ再会を果たしますもちろん、これはフィクションで、ツナグを生業としている人は存在しないんだけど、もしも、そんなシステムがあったら、迷わず夫に会いに行きたいそして限られた時間中夫が最期に何を
22日、妻が救急処置室へ連れて行かれて数時間後、医師から感染症になったことを聞かされた訳ですが僕はこの先家に帰れる可能性があるのか尋ねました。答えは「難しいと思います。」それを聞いて絶望しました。地獄の底に突き落とされたような衝撃。もう妻に会えないかも知れないと思い待合室で涙が溢れてきました。7月初めに入院して数日後、担当医師から病状の説明がありました。その時言われたのが心臓が健常者の4割ぐらいしか働いていない。不測の事態が起こる可能性があり、それは一年以内か、2年後かは分からない、妻
先週末はツナマヨさんの呼びかけで、るんるさん、ロハスさん、私が長野に集まってオフ会。楽しいひと時を過ごしましたみなさん、ありがとうございましたで、無事に名古屋に戻って、たくさんいただいていたブログコメントにレスを付けた・・・ところまでは良かったのですが、、、その夜から体調を崩してしまいました倦怠感が半端ありません。貧血が進行してヘモグロビン7.8g/dl(正常値13.7-16.8g/dl)。アルブミンは1.5g/dl(正常値4.0-5.0g/dl)。貧血&低栄養で立
そうちゃんがとってもご機嫌だったこの日、夜勤の担当の看護師さんは、そうちゃんが転院する時には涙を流してくれたほどにいつもそうちゃんのことを可愛がってくれていた、とても優しくて好きな看護師さんでした。調子の良さそうなそうちゃんにも安心していた私たちは、この日は何の心配もなく「また明日ね~」とそうちゃんに挨拶をして足取り軽く笑顔で帰ることができました。家に帰ってからも、両親とこの日のご機嫌なそうちゃんの映像を見返し、この日は家族みんなが笑顔で眠りにつくことができました。ところが翌朝、病院へ行く